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“神の手”考 ― 「皆殺しのトミノ」は手塚治虫の直系の子孫 

[2009/07/15] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 諸事多忙で、なかなか更新できないでいます。過去記事へコメントいただいても、なかなかレスできなかったりして、いつも申し訳なく思っているんですが、『聖戦士ダンバイン』最終話の感想にいただいたコメントが、ちょうど今、考えていたことを記事にするきっかけになりました。

確かに地上に上がってからはグタグタ感があった。
しかし最終回が良かったので何も言う事はない
印象的な最終回でした。

ダイゴさんのコメント

理由はわかりませんが…最後の方で空母の艦長が「あれは…人のオーラが放つ光だ」というあたりから、優しい曲が流れる中、もうショウもマーベルもニーも… バーンも、いないんだと思うと胸が詰まってしまうんですよ。やはりどうしても忘れられない作品の一つです…私にとっても多分、バイストンウェルは…あの頃のバイストンウェルこそが、心のふるさとかも知れません。

通りすがりのコモンさんのコメント

 ウェルメイドに形式が整っているからといって「どうしても忘れられない作品」になるとは限らないんですよね。「最終回が良かったので何も言う事はない」というのも、そういうことでしょう。
 しかし、そう何度も皆でよってたかって「ぐだぐだ」って言わなくても、もう分かっていますから、まあいいじゃないですか。(笑)

日本動画興亡史 小説手塚学校 1 ~テレビアニメ誕生~

 で、ちょっと違う話題なんですけど、今、皆川有伽の『小説手塚学校』を読んでおります。その中に手塚治虫の『ある街角の物語』を見て、宮崎駿は手塚ファンをやめたというエピソードが載っていました。
 これがリミテッドアニメだからというんではなくて、「終末の美」を描いた悲劇的なラストに「神の手」を感じたのが許せなかったというんですよ。

 初期のストーリーボードでは、どうも物語の結末にもう少し救いがあったらしいんですね。それを「戦中派のセンチメンタリズム」と指摘した人があって、これを聞いた手塚先生は興奮し、『じゃ、全部殺しましょう。(登場人物を)全員殺しましょう』ということになったそうです。「そうすればリアリズムになりますから」と。
 お分かりかと思いますが、この部分を読んだ瞬間に、私なんかは、やっぱり富野由悠季は手塚治虫の直系の子孫なのかもしれないな!と思ってしまっているというわけです。(笑)

 この部分で皆川さんが“神の手”という言葉の位相をずらしながら使っているんで、流し読んでいたら一瞬「おや?」とひっかかったのでありました。

 「全員殺しましょう」という結末のほうが手塚にとってはリアリズムであって、それを救わなくちゃとするのは「戦中派のセンチメンタリズム」でなければ、ディズニーアニメのような「児童文学的」性格なんだけど、それこそ(手塚にとっての)“神の手”だと。

 ところが宮崎駿は悲劇的な結末をみたときに「背筋が寒くなって非常に嫌な感じ」を覚えたというんですね。 「意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の“神の手”を感じました」と。

 何が作家の「神の手」なのかという感じ方が、ここで逆の位相を示している。

 富野アニメの中でも『ダンバイン』は、ある意味では『イデオン』以上に救いのない悲劇に終わっている作品なんですけど、物語作者という「神の手」「神の視座」の問題について考える場合には非常に重要なものだと思います。
 難しいのは「神の手」「神の視座」という言い方は、作者という恣意的な存在を神様になぞらえているものだということですね。これを口にしている人が、神様についてどう考えているかによって意味が違ってしまう。(神様は存在するのか、しないのか。存在するなら、衆生を救うものなのか、そうでないのか。)

 これも以前に、富野監督が『ある街角の物語』について語った内容を紹介しました。
 物語作者の中に降りてくる「アーティスティックな衝動」に神は宿っているのか、あるいは(それこそ「お客様は神様」ではないですが)ハッピーエンドなエンターテイメントを希求する大衆の心理の中にこそ神は宿っているのか。

実写パートの客席は「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせ」等の台詞とともに映し出される。そして、『エヴァ』についての感想が書き込みされたパソコン通信の画面が、「庵野、殺す!!」の文字が表示されたモニターが、スクリーンに踊る。ファンが劇中のシンジと同じ問題を抱えている事を示し、同時に、ファンが作品に耽溺する事を批判しているわけだ。

 この頃ヱヴァンゲリヲン新劇場版の話題がネットで盛んなんですが、私はこの「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせ」というのを、庵野さんがどう回収するのかを見ないうちには、とてもじゃないが「面白かった!」なんて感想は言えないと思っているんですよ。

 ここが大事なところですが、富野由悠季は「アーティスティックな衝動」だけを称揚しているわけではなく、むしろ近年はしきりに「エンターテイメント」を口にしています。それはある意味で「カルテ」のようだと評した旧エヴァ以降の状況に対してそう言っているのかもしれません。
 とてもウェルメイドであるらしい新ヱヴァは、その伝で言うと、私には今のところ「処方箋」そのもののように見えたりもするんですけど、それはさておき。
 大衆を対象とする表現が抱える問題。「大衆にこの問題を突きつけたというのが手塚治虫ではないのかな」という富野由悠季の理解。「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせ」などという生の言葉で煩悶を出してしまうのは「カルテ」でしかないというのは、手塚以来、連綿としてこうした問題意識を継承し、抱え続けてきた富野だからこそ言えるんじゃないかというのが、私の感じ方です。

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[tag] ダンバイン fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン 手塚治虫 fc2ファビコン 宮崎駿 fc2ファビコン エヴァンゲリオン fc2ファビコン

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コメント

> つらつら思うこと

昔の富野さんって、物凄い厭世的な考えが常に頭にあって、それは同時に自身の親への嫌悪感にもつながっていたりして、そういう巨大な、どうしようもない怒りみたいなものを作品にぶつけることによって、カタルシスを得ていたのかなと感じていました。
よく「皆殺しのトミノ」なる言葉で富野さんを表現することがありますが、視聴者に「現実はうまくいかないよ」ということをこれでもか!と見せることが実は自身のカタルシスでは?と。
ただ皆殺しイコールリアリズム、というのは当時の私の中ではストンと落ちた考えでありました。
「ああ、きっとそうなんだよね」って感じで。
だからダンバインやイデオン、皆殺しではないけどゼータなど、「ああ分かる」って感じでした。
嫌悪感どころか共感、ですね。
ところが、エヴァにはどうにも共感どころか観ることさえ拒否してしまう自分がいます。
息子はエヴァファンで、いつもエヴァの話をしているんですが、私はダメなんです。
どうにも気持ちが悪くなって・・・。
何でそうなのか、単に捕食シーンや人殺しシーンがイヤなのか分からないんですが、受け入れることは出来なかったんです。
それは多分昔の私と意識が変わったのでしょうね。
家族を持ち、子供を持ち、そしてそういうものを嫌悪する自分を自覚したとき、思い出したのが、富野さんがエヴァ関係者に言ったという「これ以上病気の人を~~」というくだりでした。
富野作品は今でも受け入れられるんです。
今でもダンバイン大好きですし。
だけどエヴァには嫌悪感しかないんです。
そんな事を息子にちょっと言ったことがあって、
息子の答えは「母さん、オレだってエヴァばかり観ていたらウツになりそうなんだ。好きなんだけどね。
だからエヴァばかり観ないでお笑いみたりして気分変えるの。そうしないと頭おかしくなっちゃうんだ」と・・・。
エヴァファンだと言っている息子にしてそうなら、私など受け入れることが出来なくて当たり前か、なんて思いました。
というか、中学生の息子がそう感じるほどエヴァって気分を落とす話だったのかなぁ、と。
庵野さんって、富野さんの一体何に影響を受け、何をエヴァで表現したいのか、分からないんです。(Vガンだとか逆シャア好きは知っていますが)

話は変わって・・・こんな風に富野さんを考える事が出来る場があるのはとても嬉しいです。
富野作品の楽しみ方なんて人それぞれだと分かってはいますが、富野監督作品でトミノを入れないで話すというのはありえない!と感じる自分がいます。
キャラクターが可愛い!とかモビルスーツの操縦はあのキャラがうまいとか、あるいはニュータイプ能力が高いから好き、など表面的なことで楽しむ人を見ると不思議に思い、「え???」とも感じます。
他の作品ならOKでしょうが、トミノ作品はその背景を見、トミノの言葉を知らなければ理解するのは難しいと思うのです。
ニュータイプなんて概念は超能力者の意味じゃない!と言いたくなる(^^;
あくまで自分の偏見であるというのは分かっていますが・・・。
なので安彦さんの「オリジン」は受け入れられません。
トミノのガンダムじゃないから。(これも偏見?)
どうもあれを「アニメ部分で描けなかったところの補完をしているマンガ」という話があって、
「いや、あれは安彦ガンダムなんだ。アナザーストーリーなんだ」と私は思うのです。
ガンダムも30年経つと、人それぞれの解釈でいろんな話が出てきますね~・・・。

>

富野作品、というか冨野監督の言動は
非常にロジックを必要とするタイプだと感じています。
もう少し印象通りに言うなら、強固なまでにロジカルっぽさを持とうとしている、というべきでしょうか。
だから監督の言動にはやたら言葉を必要とする。

そういう面を見て感じるのは
富野監督というのは、ロジカルな人間だからロジックベースで話をされる、のではなく
極めて強い情動で突き動かされる人間であり、本人が情動のままに動かされることをよしとしないがために、それを乗りこなそうと強固なロジック(らしきもの)を必要としている、ということではないかと。

庵野さんは富野監督の情動の部分、ロジックにかくそうとしても隠しきれない部分に魅かれるものがあったのかなと思います。
ただ、受け止め方や表現の仕方が言葉というよりイメージ(映像)優先なので、
所詮、言葉で語るしかない我々とは相いれない部分は大きいと思います。
持っている言語が違う、という印象です。

皆殺しの富野…については
ザンボットと
イデオンと
ダンバインとZ(メインキャラ)では
(あと、Vのお爺さんたちも?)
それぞれの意味合いが違ってる気がするので
なぜ皆殺しするのか、の個人的解答を出すのは
保留にしたいところです。
少なくとも、ザンボットは世代をつなぐためのモノ(年長、男の優先順位で死んでいる)ですが、Vにはそれほどのものは感じないので別の意味合いがあるように思います。

あ、旧エヴァのあれにはなーんの意味もないでしょうね、ビジュアルイメージで
あれ(バシャ!)採用したんだと思います。

>

うむむ…グダグダ、というのは言い方が悪かったかもしれませんね(笑)
今見てみればあんなに夢中になった「ファーストガンダム」(この言い方も…なんだかなあ、ですが)も、
当時は一話残らず傑作だと思っていたのですが、今見るとさほどやっていることは変わりないんですね。
ただ、うまくいかない現実の中で悪戦苦闘する演出という意味では、どちらもよく表現出来ていると思います。

ところで、ここでおっしゃられている神の手が、感動させるための意識的操作を指しておられるのなら…
実は私は物を作る側の人間ですので、伝えたいメッセージをより強く送るための操作についてはあまり否定的になれません。
なので、「まず感動させる」ことによって本来のメッセージに注目させようとしているのなら、
「どっちの方法を使って注目させるのか」(ネガティブな結末に驚かせるのか、安心させる大団円に感動させるのか)
は、商品を作っている人間からすれば「塩味にするか醤油味にするか」程度の違いでしかありません。
必然性があれば、そして美しければどちらもありだと思います。
美しくない結末というのは人を感動させない結末のことであって、それがダメなのは感動させなければメッセージに
目を向けてもらうことが出来ないからです。

…何を言ってるのか自分でも分からなくなりました。(笑)
ちなみに私個人は、ダンバインはイデオンと比べるとはるかにハッピーエンドだと思います。
それは地上界が残ったから、とかバイストンウェルが滅ばなかったから、などということだけではなく、
唯一つ、主人公たちが最終的な目的(オーラマシンと、それを使う悪意の排除)を果たすことが出来たからです。
イデオンの主人公たちは現実に抗いながら何も残すことが出来ませんでしたが、彼らはちゃんと目的を
果たして去ったのですから、少なくとも無駄な戦いでは無かったと思うのですが…ただ、物語の最後に出てくる
地上人達に自分を重ね合わせ、そして一人残されたチャム・ファウに感情移入して、とても寂しい思いにとらわれます。
なんだか目的を果たして逝ってしまった主人公たちに取り残されたような気がして。(これも、感動の一つだと思います)

ちなみに私はイデオンのどうしようもないほどの悲劇性も、エヴァの欝な世界もどちらも好きです。
ヱヴァについてはさすがにTV版の最終回は理解しかねましたが、いま劇場でかかっている「破」については
恐ろしく緻密に組み立てられた演出に、最後まで一気に押し上げられました。
曲も、キャラの表情も、台詞も…全てが最後のシーンに向かって収束して行って、ちょっと震えが来ました。
(「翼をください」は子供の頃から好きな曲ですが…あのクライマックスを見てますます、好きになりました。)
願わくは以前の劇場版のような終わり方を迎えませんように…(あれは正直、私には納得できません…)

久しぶりに大好きだったダンバインの話題を見つけてしまったため、ついつい長々と乱文を書き込んでしまいました…
お目汚しになりましたらすみません…では。
  • [2009/07/17]
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