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富野アニメの「スピード感」について―「時間軸」の一貫と「神の視座」の排除 

[2009/05/17] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 富野由悠季は何故、主人公の努力による「現実の残酷さ」の克服を遠ざけるのか、というテーマは富野監督の作品の独自性について検討する上で、非常に面白いテーマだと思います。

 先日書いた、この記事は、富野由悠季論ということで、シャア専用ニュースさんでもご紹介いただいたんですが、ちょっと消化不良で難解だったかもしれません。少し不遜なことを言うと、私も富野監督と一緒で「結論ありき」で何かを書くというより、書くことを通じて何かを考えるというほうなので、「分かりやすく書く」ということは、残念ながらどうも苦手です。
 実を言えば、この数日、もう少し自分で消化したものを書き直してみようといじりまわしてみたものもあるんですが、どうも同じように結論が不明快なものにしかならないので、ちょっと放り出して、違うことを書いてみることにしました。

1.『イデオン 接触編』について、どう思うのでしょうか?

2.『新訳Z』三部作についての評価は? この作品の意味はどこにあると思うのですか?

3.『クロスボーンガンダム』は富野作品らしいと思ってるでしょうか? なぜでしょうか?

4.近年の富野作品の一話のスピード感についてどう思うのでしょうか?

 この間に、kaitoさんがこういう記事を書いておられて、たくさんのコメントも付いているのを拝見し、ちょっと嫉妬。w
 それは冗談ですが、欲張りすぎですよkaitoさん!その中のひとつのテーマでも、しっかり記事ひとつを書けるようなテーマを4つもまとめて出してくるなんて、あんまりです。www

 こんな鬼のようなお題の繰り出し方をやっておいて、「富野作品のスピード感」ということを俎上に上げておられますから、ちょっと抵抗ではないですが(笑)、このことについてだけ思ったことを少しメモしてみます。

 「富野作品のスピード感」というテーマで、まず真っ先に私の頭に思い浮かぶのは、(これはかなり初期からの傾向ですが)、「一連の事件」という緊迫感(物語の気分)への徹底したこだわりです。

 端的な例で言うと、『聖戦士ダンバイン』でバイストン・ウェルに飛ばされた主人公ショウ・ザマが、一晩のんびり寝てしまったのが失敗だった、というような発言。あれってどういう意味だと皆さんは思っていますか?

 久しぶりにテレビ版の『機動戦士ガンダム』を全話見直したときに感じたのも、サイド7でアムロがガンダムにはじめて乗り込んでから、ア・バオア・クーのラスト・シューティングまで、この間の時間経過は何日間なのかを数える気になれば数えられそうな(実際やってる人は少なくないわけですが)、各エピソードで起きている事件の連続性がかっきりと描かれているという特性です。
 従来のアニメはもっと漠然とした時間の流れだったと思うんですよ。SFアニメで言えば、宇宙から侵略者がやってくる第一話があって、その間に何度かパワーアップするイベントなんかはあるにしても、最終回で侵略者を撃退して終わるという流れで、この間には大きな物語の時間軸の中でどこに置かれてもあまり大勢には影響ないような、単発エピソードの繰り返しが基本。事件の始まりから最後までがどれだけの時間経過があったのか、よく分からんわけです。
 この点で巧みだったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、各エピソードの最後に「人類滅亡の日まであと○○日、あと○○日しかないのだ!」というナレーションとテロップが入ることで、個々のエピソードが物語の大きな時間軸の中で位置するポジションを明快にしていたことが、効果的でした。
 そういう意味では『ザンボット3』などは、エスカレーションしていく事態の展開、神ファミリーに対する人々の態度の変化など、個々のエピソードを貫く物語の連続した気分というものが、すでに重要視されていた作品じゃなかったかと思います。

 そういう、時間軸の一貫というところを徹底してやっているのが富野作品で、『ガンダム』のシリーズでは、例えば1stから『逆襲のシャア』まで、そこの筋が一本通っているのはkaitoさんも指摘しているとおりです(→ TOMINOSUKI / 富野愛好病 『逆襲のシャア』と作品全体を支配する時間問題考(1))。

 もうひとつ、別の話をすると、富野由悠季の作品の特徴のひとつには、「神の視座」の徹底した排除ということがあるような気がします。それは普通は、物語の読者(観衆)に与えられているものであり、同時に作者自身のものでもあります。

 物語の進行状況に応じて、その前後の推移や事件の全体像を見回しながら、読者は登場人物たちのあれこれについて、「あそこでもっと○○すればよかった」「ここのこの人物の判断が間違っていた」などというような、勝手な評論を楽しむものですが、実は富野作品では、観衆を登場人物たちと同じ地平(急激に進行する事態の中で、目の前にあるのは常に限られた情報だけ)に引き入れることに、超絶した技巧の多くがささげられているんではないでしょうか
 アンチ富野な人からよく、「早過ぎる」「説明不足」という批判があるのも、その多くは、読者の安定した視座を脅かされる不満から来るものではないかと私は感じています。

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 また『イデオン』の話になってしまって恐縮ですが、「発動篇」では、オーメ財団(ドバ・アジバの後ろ盾)の代表として、バッフ・クランの旗艦バイラル・ジンにギンドロ公という人物が同乗しています。その性質上、ギンドロ公は「スポンサー」という属性を象徴している一面がありますが、彼の存在が癇に障ったドバ総司令が、ギンドロ公にバッフ・クランの母星が崩壊していく映像を見せ付けるというシーンは、これはなかなか面白いものです。

 ここでのドバの心情の動きを、小説での描写から語れば、安全な観戦シートから「自分は怪我しないという傍観者面」をして戦局を批評する輩への、生理的な嫌悪感というものが抑えようもなくあって、その拠って立つ存在の基盤から根こそぎ突き崩して見せてやりたいという衝動を、ドバは自分も低劣な俗物だな、と思いながら自制できないのです。

 『エヴァンゲリオン』は『イデオン』から多くインスパイアを受けているってのは通説ですが、庵野監督が劇中でいきなり、映画館の客席を画面に映して見せたのにも、ここでのドバと同じような行動原理があったのではないでしょうか。

富野作品は展開早すぎて「分からん」というような感想をいわれる方が多いのですが、そういう演劇的な性格というようなことを考え合わせれば、うまく説明できないだろうかと思ったりしています。
「マンガ」でも「文学」でもいいんですが、文字媒体で表現されたものは何度も読み返すことが可能ですが、演劇は、特に映画と比較してさえも「一回」きりの性格が強いと思うんですよねー。
そうなったときに、読み返しながら「理解」していく表現媒体と、時間経過とともに「体験」していく表現媒体と、そういう特性の違いがあるんじゃないかと。上手く言えませんが。

「不立文字: 悟りは文字や言葉によることなく、修行を積んで、心から心へ伝えるものだということ。悟りは言葉で表せるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないということ。▽禅宗の基本的立場を示した語。(goo辞書 不立文字の意味 四字熟語)」 言うなれば、こんなようなことであります。

 「悟り」というのは大げさな言い方なのですが、もう少し漠然と、本当に大事なことというのはスクリーンやモニターのこちら側という安全圏から傍観している人には伝えられない。「演劇」の空間というのは、ときに舞台から越境して観客席までも巻き込んで、一回きりの表現を「体験」してもらう場所だと思います。

 「近年の富野作品の一話のスピード感」ということを、『エヴァンゲリオン』以後と読み替えると、こうした「傍観者」の問題は、富野監督のような物語作者にとっては座視できない重要なものなのではないかと思うのです。

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[tag] 富野由悠季 fc2ファビコン

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コメント

> ええ、わたしに?

あれ、コメントの多さを嫉妬すべきなのはわたしのほうじゃないのー(笑)? まあ、察しの通り、もともと4つの記事にする予定です。せっかくなので、富野ファンの方々に4つも一緒に亜質問しました。

でも、実際わたしの考えてる話の組み方は囚人022さんとちょっと違いますが、時間軸、神の視座やギンドロ公の話については、まったく同感です。
最後の演劇と体験のくだりは、自分にとって難しいなぁと思いますので、また考える時間が必要です。ただ自分の考えでは、富野作劇は演劇以前、あくまで映画にベースしたものなのかもしれません。

> 冗談ですよー w

前の記事が見事にすべったので、自分の能力のなさがいやになって、八つ当たりしてるんです。 w
「演劇」の話はおっしゃるとおりなんで、ベースは無論、「映画」。そこへ常に新しい血を入れながら革新して行くという感じでしょうか。
本質(真価?)は「映画」か「TVアニメ」という話が、もう一方でありそうですが。

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