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駄文日記(原作つきアニメとオリジナルとか批評とか、あれやこれ w) 

[2009/04/20] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(8) | TOP ▲

 感想にもならないような感想でも、何がしか書いておくと、それはそれで反応が返ってくるもので、もしそこに耳の痛くなることが書いてあっても、考えるきっかけをいただけるというのはありがたいことです。

 というわけで、前回に続いて駄文日記ですけど、昨期で終わった作品の話の次だから、今期見始めた作品の話をしようかなと思ってました。そんなこんなが入り混じりつつ。

 製作サイドの意識と噛み合わない「ガンダム語り」は、あまり世の中を豊かにはしないのではないか、という指摘。確かにそうです。ただ、そのようにばかり考えてしまうと、私なんかは失語症になってしまうので、世の中のためにではなく、自分のために何かを書いているとか、開き直りみたいですがそんな感じです。
 東浩紀さんが「ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。」(批評について - 東浩紀の渦状言論 はてな避難版)とか言っていて、それにはビックリしましたけど、私の駄文は批評なんかじゃないし。まあ、批評とは何なのか、正直よく分かりませんけど。

 実を言えばまともな録画機器というものをもっていない私は、ネット配信されるもの以外は現在進行形のアニメを見る手段がほぼありません。そんな中で見始めたのは、とりあえず上記の三作品のみ。

 私の見ている範囲なんてあまりに視野が狭いので、傾向なんて話をしても無意味なんですが、たまたま重なったにしても『マジンガー』と『BASARA』のぶっ飛びぶりは、それはそれは凄くて強烈な印象です。(笑)

超合金魂 GX-45 マジンガーZ

自分が小学生の頃に永井豪作品に感じていたパワーと、『衝撃! Z編』1話に感じたものは、近い気がする。原作の物語をなぞってパワーのないものを作るよりも、よほど正しい原作に対するリスペクトだと思う。

 パワーっていうか勢いっていうか。アニメ様の感想は同じ年代的に分かるんだけど、永井豪の原作ってコミック?分かんないぐらいアニメの印象が強いです。
 で、難しいのはそこから『ガンダム』を経てきたのがわれらの世代なもんだから、このはっちゃけっぷりには正直、少し戸惑っちゃう部分もあるんですよ。こういうのでバッチリ育ってきたくせに、「これからのアニメはこういうのじゃないよね」ってタテマエを言ってきた世代だから。
 しかし、それにしたって、このノリは凄いな!圧倒的な濃厚さぢゃないですか!これはまいった。脱帽です。「衝撃!」ってのは看板だけじゃないですね。

戦国BASARA 其の壱 [DVD]

 『BASARA』のほうも、もの凄いノリ。(笑)
 戦国時代の歴史とか、わりと好きなんだけど、このむちゃくちゃぶりは完全にそんなものを超越しちゃってますね。ゲーム原作らしいので、ストーリーには何も期待しないほうがいいのかもしれないと思いつつ、『PERSONA - trinity soul -』と同じく、むとうやすゆきさんがシリーズ構成だということなので、案外、案外かもしれないなんて少し思ってみたり。ぜんぜん作品のタッチが違いますけどね。(笑)

 『あしたのジョー 2』絡みでも、そんな話をしましたけど、原作のあるアニメとオリジナルっていうのは、もうずっと昔からいろいろ思い惑うばかりのテーマで。

アニメブームの中で育った私はオリジナル原理主義者でしたけども。物語を生み出す力が全般に下がっているように思えてならない昨今は、何がその原因なのかと思い惑う日々です。

 こんなブクマコメントを書きました。
 何かを下敷きにしようがしまいが、アニメで表現される物語というものは、他の媒体で示されたものとは似て非なるもの。そういう覚悟が持てないところが、クリエーターである作品の創り手に比べ、ただの受け手に過ぎない私なんかの残念なところでもありますね。

今日の作品には、ある種のリアリティが過度に要求されているところがあるように思える。そして、そんなふうにリアリティを追求していくと、必然的に作品世界の規模も狭く小さいものになってしまうが、それと同時に、物語の大きさというものも小さいものになってしまうように思える。巨大ロボットアニメという作品ジャンルのうちには、より大きな世界でより大きな物語を展開しようという傾向性があるように思えるのだが、こうした傾向性が今日のリアリティの要求と衝突するところがある、というわけである。

 批評の言葉っていうのは、こういうものなのかな、と思います。『ラインバレル』という作品は何をやろうとしてああなっちゃったのか、私にはちっとも分かんなかったんですけど、こういうのを読むとちょっと視野が開けるというか、考える材料になる。(私にはこんなの書けそうもないけど。)

アニメを見ることの気軽さとは対照的に、なぜこれほどまでにアニメについて語ることが重くなっているのか。もっとアニメについて軽やかに語る方法というものはないのか。そういう道を模索していかないと、今後アニメ言説というものは、非常にやせ細ったものになるのではないか。そのような危機感を津堅さんは表明していて、そうしたアニメについての新しい語り方の道を示すためにこそ、アニメ批評というものが求められるべきではないのか、ということを提案されているように思われるのである。

 テレビアニメの気軽さというのは、それについて語ることの気軽さともども、どうも近ごろ私の中では常に危機にさらされていて、「批評」とかいうものは敬して自分からは遠ざけたいと願わずにはいられないんです。

異なる時代に作られた異なる作品を見ても、いつも同じような批判と、それに対する安易な同調がすぐに出てくるということが示すのは、実は、作品それ自体の内容が貧しい、ということではなく、それとは逆に、受け手側の感受性の方が貧しい、ということを決定的に露呈してしまっているのではないでしょうか。つまり、プログラムピクチャーを観たあとに、「これはプログラムピクチャーである」という、まさにプログラムされたようなリアクションを返すのでは、作品以上に、受け手側の方がプログラムで動くマシンのような観客なのではないか。

 東さんが批評を「ベタにひとつの作品として読んでしまう」と言ったように、どうせアニメの感想とかを書くのなら能動的に、読者の世界観を変えるような言葉を発してみたらどうなんだよってことなんだと思います。

 『OO』に関して言うと、『SEED』同様に云々という話があって、個人的なことですが実は私は『ガンダムSEED』をちゃんと見たことがないもんだから、両者を比較して時代背景の違いからくる性格の違いとか全然分かんないんですね。
 『鋼の錬金術師』(水島監督版)は、半分は『OO』のために見たようなもんで、それなり楽しんだけど、最後は「あーあ」と思ったので、それを踏まえた程度のことは言えました。

 ハガレンの新シリーズは、より原作コミックに準拠ってことで、前作から何年も経ってないのにリメイク(?)されるなんてのは異例なんじゃないだろうかとか、雑念混じりまくりで見ています。原作忠実もいいけど、変に「マンガチック」な表現まで再現しなきゃいけないんだろうかなどと、原作を読んだこともないくせにいろいろ考えさせられます。(前作も序盤はそうでしたけどね。)

 『OO』という作品は、やけに「ガンダム」という存在について批評的で、そういう意味で言うとガンダムシリーズというのは(常に原作者に富野由悠季の名前も冠されますけど)オリジナルではなく原作つきの作品だと言ってもいいのかもしれません。
 で、はたと気づいたのですが、なるほど原作つきアニメというのは、原作への批評性というものから逃れられないのかな、と。

 それともうひとつは、当たり前ですけど批評というのは、いかに「ひとつの作品」として読もうと思ってみても、とりあえずそれは「原作つき」なんですね。原作以上に面白いアニメというものもいくつも知っていますから、まあそういうものかと。
 別に批評を志向するのではなくても、何しろ「面白い物語が少ない」と嘆いていてもはじまらないんで、たかが駄文の感想日記でも能動的に書けるように、せめてテンションだけでも高めたいもんです。
 が、それにしても『OO』を語るために身銭を切って『SEED』を見る気にもならないし。(無料で放映されたら別ですけどね。ある意味でテレビアニメの気軽さへのこだわりはあるんです。)能動的、かつ軽やかに、というのはなかなか難しいものだなぁと思ったりなんかします。

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コメント

> それでも、悪い作品は悪いといえばいいと思います

真マジンガーについて同感です。あの導入部は、今の時代にとってやはり温度差がありすぎるというか、自分の理想としては、せめて「Gガン」みたいやや冷徹なイントロから入って、だんだん加温するほうがいいなのでは? 今川監督なら、盛り上げるのはもっと後からしても余裕にできると思いますし。

> 正しいとか悪いとか豊かだとか貧しいとか

正しいアニメと悪いアニメがあるとは思いたくないです。
面白いアニメか、そうでないか。
いや、むしろ、面白いと思える瞬間に出会えるかどうか。
そういうあいまいで不確かな縁を大事にしていきたいのです。僕は刹那主義者です

> すみません、書き間違ったんです

「悪い作品」じゃなくて、「出来が悪い作品」を言いたかったのです。批評なら、そういう客観的な評価があってもいいじゃないのかなと思っておりますから。

> 「面白いと思える瞬間に出会えるかどうか」

それは刹那主義じゃなくて、一期一会というものじゃないかと思いますけどね。(笑
とても同感です。

批評も役には立つんですが、そういう瞬間燃焼には不向きな点もあって、難しいところです。

『マジンガー』は何話の作品なんでしょう?今は面白い。それはいい。でも6話とか、せめて12話で終わる作品なら、あの勢いで走り続けられるだろうけど、26話とかになってくるなら、相当ひねってこないと「面白さ」を持続できないと、つい予測できてしまいます。
でも作り手でも批評家でもないんだから、先のことなんか知らない、今という瞬間が面白ければ「面白い!」というほうが本当は得なのかも。(そこまで行くと刹那主義?)

>

SEEDと1stについては
作り手も受け手も
人間としての基本的な価値観が一緒の部分と
時代的な要因による価値観の違いと
作り手や客層の違いによる価値観の違いで

表現されているものがこう違ってくるのだな
という印象です

あと、後出しはオリジナルを意識せざるを得ないという前提は覆しがたいものがあるように思います。

まあ、ガンダムに限らず
僕の考えたウルトラマン、
僕の考えた仮面ライダー
僕の考えた…
というのはここ10年当たり結構多いと思います。

> よく知りませんが、

『SEED』というのは、ネットでリアルタイムに視聴者の反応が可視化されるようになってしまった、最初期の「ガンダム」なのかなぁと思っていたりもします。(ネットの反応が、どのぐらい普遍的なものなのかは怪しいんですけどね。)

そういえば、「僕の考えた」キャシャーンは、残念ながら、あまりオリジナルをじっくりとは見ていなかったようです。あれこそは原作への批評性があれば、もう少し実の詰まった作品にできたような気もするだけに、とても惜しまれます。

> ラインバレルは結局

「ラインバレル」を作りたかっただけなんだと思いますよ。私も色々悩んだんだけど、結局「ラインバレルが目指した物はラインバレル」でしかないのかな、と。「~見たいな」物ではなく、ね。

それからやっぱりいかな原作物と言え、「媒体が違えば(アニメ化されれば)基本的に別ものとしてみるべき」だと思うんですよ。そこを「原作はああだったこうだった」というのは、とても貧しい(減点採点)見方なんではないかな、と。

原作を忘れ、アニメはアニメとしてみる(加点採点)べきなのでは?

> SEED

>が、それにしても『OO』を語るために身銭を切って『SEED』を見る気にもならないし。(無料で放映されたら別ですけどね。ある意味でテレビアニメの気軽さへのこだわりはあるんです。)

『SEED』面白いですよ。

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