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『機動戦士Zガンダム』 第35話「キリマンジャロの嵐」 (+α)
[2009/03/18] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲
ぱっと見たときの印象では、レコアの一件以来クワトロと冷戦になってるカミーユを見て、「カミーユ疲れているなぁー」という感じでした。でも見終わってしばらく経って思い返してみると、カミーユ以上にクワトロは衰弱してたのかもしれません。レコアの件もそうだし、ハマーンを目の前にして暴発してしまったという負い目もあるし。
ヤザンの猛攻の前に、あまりにもあっけなく地球の重力につかまって、落とされてしまうシャア。(まあ、シャアとカミーユの二人を地上に降ろすための、物語の段取りくさい雰囲気もないではないですが、)これでは文字通り、「赤い彗星も地に堕ちたものだな」っていう不甲斐なさではないですか。(笑)
でもカミーユの機転(?)で、仲たがいしてたはずの二人が仲良く大気圏突入するのを見るのは、それは悪い気分ではないですな。
しかしカミーユが「俺は地球に降りたがってる」っていうのは、フォウの気配を予感してたんだろうか?どうもいろんな面でカミーユがシャアを凌駕してきてしまっている。うん。今さらカッコいいシャアに憧れたりはしないけど、オッサンとして(?)シャアに感情移入し始めていると、このへんは複雑な心境がしますです。
しかしキリマンジャロに降りたら降りたで、ファーストガンダム以来相変わらずの潜入好きなんだからシャアって人はもう!w
しかし好きなわりに、テレビで見ている限りではあまり満足な成果を挙げたことがないのがシャアの潜入って気もしません?案の定というか、意外に俊敏なジャミトフに射撃はかわされるし。物語的には、“またも狙撃に失敗→シャアがっくり”というためだけに、ここにいたようなもんじゃないですか、ジャミトフさんは。
偶然(・・・)の邂逅にカミーユが狂喜したフォウを、思い切り射殺しようとしたのにもドン引きでしたし。ここで再会を果たしたアムロが、かなり鋭い洞察で「何故止めなかった?」と問うのに対し、「あのフォウという娘のことか?」というリアクションは、いくらホンコンでのことを知らないにしたって、カミーユを導くべき先輩としては鈍すぎやしませんか?
『機動戦士ガンダム大全集』(講談社)から、富野監督の文章を孫引きします。一次資料は「Z」の続編である「ZZ」の企画書とのことです。内容を読めば、執筆の時点は「Z」の実制作が終わりかけたころと想像されます。
---- 「Zガンダム」は、シャアがカミーユを悪の手先にする物語であると思った、といわれております。 その期待を番組が裏切った、と見られています。それが真実であるならば、そうなった原因は、作者がガンダムを継承しつつ、変わった作劇をしたいという意識が強すぎたエゴに起因します。 ----
ここを読む限りでは、囚人022さんが、
>「Z」をスタート時に思い描いていたとおりにきちんとやり通していたらどうなっていたのか。見てみたかったものだと思います。
と仰られているような解釈は、まさに富野監督の言う《その期待を番組が裏切った》ことに対応していますね。
Nishinomaruさんに面白いコメントをいただいたので紹介しますが、この『Zガンダム』再見の冒頭で、カミーユをエゥーゴに引き入れたシャアの手並みを見て、『逆シャア』でクェスを味方にするやり口を思い出したのは、まんざら深読みしすぎでもなかったんですね。
「いわれております」、「見られています」と客観的な視点を装いつつ、実はあまり共通認識ではなさそうな意外な言葉を出してきて、しまいには作者のエゴが強過ぎたという・・・。
「シャアがカミーユを悪の手先にする」・・・リアルタイムでそんな期待を持って『Zガンダム』を見ていた人、(作者のあなた以外に)どこにいるんですか、富野監督!? w
あたかも「番組が勝手に裏切った」かのような物言いは、正直なところ、(いくらファンの立場からであっても)作者としてはいかがなものかと言わざるを得ない気もしますねー。しかし、そこが面白い。w
『Zガンダム』を『逆襲のシャア』に繋がる前史として、『ZZ』の存在がなかった状態での構想を想像しながら捉えると、(善悪という基準は単純すぎるので排除するにしても)物語のどこかでシャアがカミーユに見限られることは必然としてあったのかもしれません。
『逆シャア』の劇中では、シャアがクェス・パラヤを「マシーンとして」扱ってしまったことを、アムロにクライマックスで非難されますが、それは『新訳Z』でカミーユがシロッコを非難した“絶対にやっちゃいけないこと”と同義ですよね。
「シャアがカミーユを悪の手先にする物語」というよりは、「・・・しそこなう物語」というほうが、どうも見ているとイメージに近いような気もしますが。『ZZ』もスタート当初には、どこかでシャアが登場してくる構想もあった(オープニングにその残滓が残っている)という話もあったような気がしますが、ハマーン・カーンがわりとしつこくジュドーを自分の仲間にしようと迫る印象があるのは、諸事情(笑)で出て来られなくなったシャアの代わりに彼女がそれをやっていた面があったのかもしれないなーと思ったりしました。
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コメント
「Z」における「ニュータイプ」の後退
“悪”かどうかは問いませんが、ファーストガンダムからの流れを考えると、
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キシリア:ララァだ。お前(シャアのこと)はフラナガン機関にララァを送り込んでいたな。そのお前の先読みする能力を知って徹底的に調べさせた訳だ。お前もララァによってニュータイプの存在を信じ、打倒ザビ家以上のことを考えだした。(第41話より)
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でキシリアに見抜かれているようなニュータイプを組織して何事かをなそうとする役割をシャアに期待した、当時のファンも少なくなかったのでは。
ああ、なるほど
私はなんとなくですけど、あのカッコいいシャアが味方になった!という無邪気なファンが多いもんだと勝手に思ってました。
してみれば、そのシャアの組織する「ニュータイプ部隊」が、まさか敵として現れるなんて!っていうのが『逆襲のシャア』でしたかねー。
ガンダムooのこと
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