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「無残な大人たちに物言う資格なし、消費をしないニュータイプは正しい」 

[2009/01/08] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(15) | TOP ▲

 休み明けは一段と疲れますね。・・・などと言っては、「仕事があるだけマシだ、何を贅沢な」と激しいお叱りを受けそうな昨今です。
 どうしてこんなに世の中荒んでしまったのやら。多くの人が悔し涙を浮かべてあえいでいるときに、影でこっそりしっかり溜め込んでいるやつもいるのだと思うと腹が立ちます。

 こういうときこそ、富野監督のお言葉を読んで、自分にカツを入れましょう。(笑)

 『週刊 東洋経済』(2009年 1/10号)などという、私には日ごろまったく馴染みのない雑誌に掲載されたこの文章、年末のシャア専用ニュースさんでも「これは楽しみです」と紹介されていました。表紙にでかでかと「未来に希望を描けない!若者危機」とショッキングな文字が躍るこの雑誌。やはり対象年齢は“若者”ではないのでしょう。もっとも私も経済とかに疎いだけで、既に若者ではないのですが・・・。

 そのシャア専用ニュースさんの記事経由で、インタビュアーを務めた編集者の方のブログ記事を先に目にしました。20年以上前の高校生というと、筆者の方は30代後半ぐらいでしょうか。今や世の中の随所にガンダム・エイジの人たちがいて、「若者危機」に真摯な発言をしてくれるであろう数少ない人として富野監督を取り上げてくれる!嬉しいじゃありませんか。

『週刊東洋経済』 によく登場される方々の発言とは違う、稀代のクリエーターならではの非常に新鮮な発言で、考えさせられる場面が多くありました。
しかも 『ガンダム』 をはじめとした富野監督の世界観が、現実社会の見方にも投影されている。
「富野ワールド」 と現実世界は、しっかりと結びついていることをあらためて感じました。

 そうでしょうとも!そうでしょうとも! (^^♪

 ただ、年明けのシャア専用ニュースさんでは「お目当ての富野由悠季監督インタビューですが、ガンダムや新作の話はまったくなくて、若者論を2Pにわたり語っています。なかなか読み応えはありますが、富野ファンは既に聞いたことのある話が多いので、ちょっと物足りないかもしれません」と紹介されていて、ちょっとありゃりゃりゃりゃ、と。少し期待と違う感じだったのかなと思ってました。

 ・・・読んでみて納得。これはたぶん、この『東洋経済』という雑誌の想定読者層(40代以上?)に向けたメッセージで、現役のガンダムファンの世代が期待するような話題はほぼ皆無。シャア専用ニュースの中の人も、こんな感じで「ニュース」性がない記事だと、ちょっと口ごもってしまわれるのもたしかに分かります。
 でも私も年齢だけは想定読者層なので、この富野由悠季のメッセージ、非常に身につまされる直言として読ませていただきました。

40、50代の考える力が衰えていて、これが若い世代に波及している。一般教養や学識を束ねられなくなった大人たちが第一の問題で、若者の責任は二番目。
バブル景気までにそれまでの道徳観や価値観を捨ててしまった我々の世代が、新しい価値観を生み出せていない事こそが問題。

若者を喚起する言葉を今の中年世代が発信していない事の方が問題。

 ぐうの音も出ません。誠におっしゃられるとおりです。若い皆さん、ごめんなさい。

 私が社会に出たばかりの頃、ちょうど世の中にコンピュータがどんどん導入され始めた時期で、しり込みしている先輩たちを横目に、それをバリバリと推進することだけで自分は凄く仕事をやれているという錯覚がありました。でも、その間に仕事のもっと本質的なこと(それこそ“原理原則”のようなこと)が足元からガラガラと崩れ始めていて、それも薄々は分かっていたんですけど。
 私のとこなんかは全然理系の仕事とかじゃあないはずなんですが、次々と機種が新しくなるコンピュータのマニュアルを読むのに追われてばかりで、それもだんだん追いつかなくなってきて、今になってみれば後輩たちに「何のために仕事をしてるのか」教えるどころか、自分自身でさえ分からないありさま。・・・悔しいけれど、まさに「無残な大人」の一人だと自分のことを思います。

僕自身は30代、40代でそれほどチェンジできなかったので、変われるのは勉強している22歳以下だと思う。それ以後は、よほどの才能、よほどの危機感を持った人でないと自己改革の希望は持てない。

 富野監督の年譜を見れば、その30代というのは『海のトリトン』から『機動戦士ガンダム』、『伝説巨神イデオン』へと向かう、凄い時期だと感じます。『聖戦士ダンバイン』から『機動戦士ガンダムF91』に向かっていく40代が思うに任せなかった時期だというのは、まだ分かるにしても。
 22歳以前というのは、虫プロ入社以前ってことですからね。これはいったい、なんて厳しい自己評価なんだろうかと慄然とします。

僕は小学校の頃から広告が嫌で、なぜ欲望を喚起しなくてはならないのか理解できない。そこまでして消費を奨励する事は欺瞞行為だと思う。
今の若い人たちはそれに気付いて、世間に警鐘を鳴らしているのではないか。今回の経済危機をきっかけに消費を拡大しない経済システムを構築する時代に入ったのではないか。

 前から何となく感じていましたが、叱られた経験が無く痛みも感じない温室育ちの我々後進世代が主に見るであろうメディアには、あえてブレ幅の大きな言葉を発することで「違う視点」を伝えようという、富野監督の戦略的な姿勢。それに対して、よりによって中年以上の経済人が想定読者層であろう今回のようなメディアでは、あえて上記のような消費拡大主義を否定するメッセージを発する。富野監督って、本当に凄い人だと思わずにはいられません。日本の経済を動かしている最前線の人たちが、ほんの少しそういう視点を持ってくれるだけで、少しは今の世の中も住みやすくなるんじゃないかと。(便利になるんじゃなく、安心して暮らせるようになるんじゃないかと。)

自分が死んでもこの社会が維持して欲しいと思うのが国家百年の計。「自分が死んだらおしまい」ではないと思えばやるべきことは見つかる。学校の通学路の補助員でもいい、それをしていくのが我々の世代の使命。

 ネットでもよく“公共性”というような話を読むことがありますが、そこで“世代を重ねる意味”を考える必要性は、中年以上になるとその重みが一段と増すと言わねばならないのかもしれません。
 残酷でもなんでもなく、この年になってしまえば抜本的な自己改革なんてできない。そんなことは百も承知。だけど、そこで無力感に打ちひしがれているんじゃなくて、今のお前にできることを精一杯やれってことでしょう。うわぁぁぁ、これは本当に身につまされるお言葉!
 私はさすがに年金世代にはまだ間がありますが、(保証の限りではないけれど)当面、最低限の暮らしはなんとか営ませていただいている身であります。「気力、体力を世間に向けて全部投げ出せ」と、富野監督に直言されれば、忘れかけていた“やらなくては”という気持ちが自分の中に沸いてきたような気がします。
 このブログの読者には、私と近い世代の皆さんもおられます。どうやら富野監督に叱咤激励いただいているようですよ。お互い、めげずに頑張りましょう!(笑)

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[tag] 富野由悠季 fc2ファビコン

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コメント

>

私も先日、同僚(一応上司)の読んでいた東洋経済に監督のインタビューが載っていたのに気がついて
急いで購入しました。

我々もよく話をするというか、感じていることで
上の世代がこさえた恐ろしい「つけ」を払わされるぞ、という危機感を抱いていて、
まさにそれを述べられているな、と感じました。

人の質が劣化して再生産されていく、そんなつけです。

自分自身の「つけ」だけなら、自分の責任でしょうが、上の世代の怠慢によるものまで誰かが払わなければならないぞ、という感覚です。

これは、「人を育てる」ということにコスト(金と時間)を払ってこずに
景気拡大のために、そのコストを全部消費に回させた「つけ」であるともいえないでしょうか?

>

表面的には、僕はこの惹句には反対です。
消費が悪なわけじゃない。生きるというのは消費するという事ですから。勿論監督の真意が「拡大」にあるのは承知の上で。

僕自身は、「若者の可能性」というものをカケラも信じていなかったりするのです。かつて自分がそうであったような愚か者が、今そこにいるのかも知れないと思うので。自分の不安定な内的世界を外の世界に投影して、必死で釣り合いととろうとするような過剰な自意識を抱え込んでいるものだから。

「子供の豊かな精神世界」というのも、実はあんまり信じていません。かつての自分がそうだったように、短い実働時間と限られた入力の中で、宛てがい扶持に流されやすくて自分と他人の区別もつかないものだから。

人は、いつでも、「自分が世界の中心」です。
第二次大戦後のドイツでは、ナチスの民族史観を否定した「リベラルな」社会観が思想の主流でした。そんな中で育った「若者世代」が、「そんな大人が信用できるか」といってネオナチだの民族主義に走ったというのは、むしろ良くある事なのだと思うのです。

世代の差というのは多分、人間が社会的動物として背負った原罪の一つです。年長者は若造を、若者は年寄り共を、見下し、危険視します。それは只の本能であって、冷徹な判断とは違うものです。そしてその分、純粋で熱い。道具にも凶器にもなる、大きな力です。
高度な、そして攻性の情報化社会にすむものとして、見据え、糧とすべきなのはその認識じゃないかって、僕は思ったりします。

敵視するのも賛美するのも簡単なんです。
でもそれは、只のデッドエンドなんじゃないでしょうか。
監督の言葉は、そこまでを孕んだものなんだろうなって。

> 少し老成したようなことを言いますが、

過剰に煽られてする消費は、最低限生きるためのそれではなくて、ただの浪費です。
現在の日本で消費の拡大を奨励するというのは、私は悪だと思います。「拡大」が真意というのはどうでしょうか。私は「経済成長」という言葉が嫌いです。

それと監督は22歳以下に甘いことを言ってるのではなくて、逆に今のうちだけなんだから勉強しろと言っておられるのだと思います。
若者が「自分が世界の中心」と思い、老人たちを蹴落とそうとするのは、それはそれである意味ではよいのです。世代を重ねる意味には、そうしたこと(多様性の確保)も含むのでしょうから。
ただ、ここでは中年以上向けのことを言っておられるので、「自分が世界の中心」だけで、それでいつまでも済ませていられるのか?と問いかけているんだと思います。
自分が動かせる世界の小ささを知ってしまったとき、それでもう、その老人は終わりなのか。デッドエンドというのはまさにそれです。
本能とか、業とか、どうしようもないものを、たしかに人間は多く抱え込みながら生きていかねばならないものですが、そこで絶望するのか。
生きている限り、人には何かやるべきことがあるんではないのか。
30代のときの精一杯の答が『イデオン』であったことは素晴らしい。だけど60歳を間近にしたときの答はそうではなく『ブレンパワード』になる。そのことは不誠実ではなくて、逆に誠実なのだと私は思うのですよ。

> ガンプラとTVアニメ

>僕は小学校の頃から広告が嫌で、なぜ欲望を喚起しなくてはならないのか理解できない。そこまでして消費を奨励する事は欺瞞行為だと思う。

TVアニメを全否定ですか....(笑)。広告はかならずしも消費を奨励するだけではありませんよね。たとえば、金融機関は、ボーナスが支給される時期には貯蓄や投資をすすめる広告を出しますから。その名も「ガンダム定期」なんて出たらステキだと思います。

> 全否定しながら全肯定

・・・ですよ。(笑)
そのアンビバレントなところこそが富野監督の魅力なのです。

『逆襲のシャア』という映画はセレブつまり有名人であるとはどのようなことなのかをテーマのひとつにしている(http://d.hatena.ne.jp/Nishinomaru/20090108/1231425546#c)というご指摘は、実に慧眼だと思います。
富野という名前(あるいは『ガンダム』と言う名前)で商売させてもらっているやつが、何を言う!
・・・という批判はあってもよい。むしろあるべきです。(ただ、誰かがそれを言わなければ、批判そのものが失われます。)
同時に「アニメーションを見にくるときに、だれが監督をやったとか、だれが原画を描いたかなんて、本当はどうでもいい」
・・・というキレイゴトを言う人もあってもよい。むしろあるべきです。(ただ、そんなことを言ってみただけで世俗をかんたんに超越できるほど甘い話ではないだけです。)

そのいずれもが、しかし必要不可欠。なくてはならないものなのだと私は思うのです。

>

資本主義そのものが(詳しい説明は省くにして)
経済活動を拡大し続けなければ、存続できない
ようにできていますので、
生産を拡大するのに併せて消費も拡大しないといけなくなるわけです。

人間の欲望は、「前よりよくしたい」という意味で際限ありませんから、基本的にはマッチしているのですが、
お金周りの流動性が非常に高くなったために、「お金を増やすこと」が至上命題である資本主義においては、その価値増殖に求められるスピードは、人間の欲望の増加スピードをを越えているのです。

このバランスが崩壊しているがために、拡大して生産したものを消費してもらう必要がある
→消費を過剰に煽らなければいけなくなる。
このことを問題にしているのですね。

これまで経済拡大が停滞しそうなときに執り行われる政策のトリガーには、「消費を拡大させること」が含まれていることを理解すると、監督の言わんとする言葉の意味がより理解できると思います。

要はバランスとれ、ってことなんですけど
多くの人は、そのコントロールを理性で行なうべきと考えるのでしょうが、
多分、多分ですが、富野監督に尋ねたならば
己の身体感覚をとりもどし、それに基づいた欲求に従って、必要なものを消費しなさい、と答えるのではないかと感じます。

> 拡大再生産

のりのりさんへ

>生産を拡大するのに併せて消費も拡大しないといけなくなるわけです。

以下、wikipediaの「拡大再生産」より引用します。

拡大再生産(かくだいさいせいさん、英 extended reproduction)とは、マルクス経済学において、剰余価値の一部、またはそのすべてを資本家の消費に支出することなく、資本に転化して蓄積することによって生産規模を拡張し、再生産を行うこと。

つまり、生産を拡大するには消費を抑えて貯蓄=投資しなければいけません。単純再生産とは違うのです。

>

で、今の経済政策の間違いが
貯蓄を切り崩すことにあり、
企業までが、短期的な経済拡大のために
消費喚起に乗っちゃっているのが
問題なわけです。

バランス崩してるわけですよ

ーーー
補足:「拡大再生産」の引用をなさっていますが、ちょっと意図が読み取りづらいので
そちら側の視点で構いませんので論点を整理してくださると助かります。

個人的な印象では元のインタビュー記事についての解釈から、おそらく異なった視点での意見を出しているために生じているズレだとは思いますが

> 経済には皆目暗いので、

勉強になります。
はじめは、「資本主義とはそういうシステムなのだから・・・」という話かと反発しかけましたが、よく読めばそういう議論ではないようですね。

最長でも自分が生きているうちは、という程度の短期的な目標ではなく、少なくとも次代まで持続可能なシステムにアップデートしていかなくてはならないのではないか。そういう理解をしたほうが、無力な自分でも“やるべきこと、やれること”はあるのではないかという意識の持ち方を、より具体的なものに出来るような気がします。

> 投資財と消費財

のりのりさんへ

質問に対して質問で答えるメソッドですね(笑)。わたしは、のりのりさんに次の点を伺いたかったのです。

>生産を拡大するのに併せて消費も拡大しないといけなくなるわけです。

こちらの一文が、わたしにはよく理解できないのです。どうか、具体的にご教示くださいますよう、おねがいいたします。ちなみに、国内総生産は、

民間消費+民間投資+政府支出+(財貨・サービスの輸出-輸入)

です。釈迦に説法で恐縮です。

> 虚心坦懐に聞けば....

> 全否定しながら全肯定
>そのアンビバレントなところこそが富野監督の魅力なのです。

レトリックでも何でもなくて、やっぱり、御大は『アトム』でTVアニメを作る仕事を始める以前から広告に嫌悪を感じているのでしょう。にもかかわらず広告そのものである民間放送それもロボットアニメという玩具メーカーの製品を売るために放送される広告を手がけていたわけで、ほとんど「特別背任」です(笑)。今回の発言にアニメビジネス厨は驚いたことでしょうね。なにせ、彼らは御大から発せられた”ビジネス”という用語を一般的な用法(商売、商業)で理解した上でアニメビジネス厨になったのでしょうから。

> 難しいです

えっと、難しいことはついていけないのですが、富野監督は一時期CMを手掛けたこともありましたので、たぶんそのような経験も関係あるんじゃないのかな?つまり、ロボットアニメのCM的な部分に関してはそりゃもうどうしょうもないけど、その代わりに、作品的な部分で世間に向けて何かを作ってやる!という意気みたいなものです。商業作品の有効利用というか。

えっと、あまりその記事に関係ないのかな。

> CMと作品、あるいは政治と文学

ひとつのロボットアニメを見て、ある部分はCM、また、ある部分は作品、と言う風な腑分けは必ずしも容易ではないしそもそも不可能だと、わたしなどは思うのです。

>僕は小学校の頃から広告が嫌で、なぜ欲望を喚起しなくてはならないのか理解できない。そこまでして消費を奨励する事は欺瞞行為だと思う。

TVで再放送された『機動戦士ガンダム』はその作品としての魅力から、けっして少なくない人数の観客に、劇場版を上映する映画館へ足を運ばせした。映画館で入場券を支払い映画を見ることはもちろん”消費”です。

つまり十分に魅力的な作品でなければ、欲望を喚起しうるCMにもなりえないわけです。

> まずは読め!という批判を承知の上で

さて、昔、二度ほどお邪魔したものですが、くだんの「東洋経済」は見ていないにもかかわらず無謀発言を。

 おそらく、富野監督のいいたいことはこういうことではないでしょうか?

1・人間の生きていく環境には天井があるのに、相変わらず人間は“経済発展”というチキンレースを繰り広げている。
2・資本主義は“経済発展”無しには崩壊してしまう。にもかかわらず、我々、東洋経済の読者層は資本主義(そこには、自由主義も民主主義も含まれるかもしれない)に変わる新たな価値観を提示できなかたった。
3・そもそも、価値観の提示の前提となるべき、知識も教養も身につけることを怠ってきた。
4・結局、将来の経済発展の果実を先食いしてしまい、若い人たちにツケを押し付けている(財政赤字1000兆円、非正規労働者の大量発生、医療制度の崩壊など)。
5・今からでも遅くないから、明日に続く世代のために、価値観を提示できなくても、己の欲望の発露ぐらいは慎むべき。

富野監督の一連の作品を見ていると、こういう話になるであろうと。
まあ、上の話のように一刀両断できず、現実の人間との営みの整合性がちっとも取れなくて、延々と苦しんでるのが富野作品の真骨頂だと思っておりますが。

少し話は広がりすぎですが、自分の周囲(といっても3人ぐらいですが)の認識は、現代は既得権益を握っている老年層と経済的果実の分配が極端に少ない若年層の対立の時代だということです。

しかも、歴史上初めて、数で老年層が若年層に勝ちつつあるという。「今の若い者は…」というセリフは、古代エジプトから言い続けられてるそうですが、そういう通俗的な認識ではすまない新しい時代に突入したといえるかもしれません。
なにしろ、高齢化社会はアメリカでも問題になりつつあるそうですから。
  • [2009/02/03]
  • URL |
  • “通りすがり”改め“セイウンスカイ”
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

> 価値観・・・何のために生きるのか・・・。

セイウンスカイさん、こんにちわ。

どうして人は 生きてゆくのか
死にゆくためと あきらめきれず
狩人のように 宇宙かけぬける


読んでおりましたら頭の中に「セーリング・フライ」の歌詞がふっと浮かんできました。
生活力も経済力もない私ですが、銭儲けのためだけに生きているとは考えたくないのですよねー。うーむ・・・。
何かと整合性が取れずに延々と苦しむのが真骨頂というのはいい話だと思います。それが生の真実だという言い方もあるし、作劇上のキモ(ドラマツルギー?)だという言い方もあるんだと思います。

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