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アニメージュ文庫 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』あとがき (1988年) 

[2008/12/18] | 御大 | トラックバック(2) | コメント(0) | TOP ▲

 私の手元にあるのは「1988年3月15日初版」と奥付に書かれているアニメージュ文庫です。

 ここのコメント欄で「さすが富野ファンの私も目を覆いたくなる、いつにも増してグダグダの言い訳全開」と書いてしまったのですが、意外なことにkaito2198さんが読んだことがないとおっしゃったので、こりゃあ困ったと思い、要点だけをかいつまんでコメントに書こうと思いましたが、なまじ要約するほど変なことになると思ったので、「あとがき」全文を紹介することにします。

あとがき

富野由悠季

 『ハイ・ストリーマー』として、『アニメージュ』誌上に連載をさせていただいたものを、『逆襲のシャア』として発表されたことで、戸惑っている読者がいらっしゃると思います。
 小生も、この事情については、裁定ができる立場ではなかったために、困ったというのが現実でした。なぜこうなったかという事情については、関係各位の善意がすれ違った、と理解していただきたいのです。
 当初は、本稿を『ハイ・ストリーマー』として、テレビのビジネス・ラインから離れたものとして、長く描いてみたかったという作者個人の願いがあって、それをアニメージュ編集部が了解して下さいました。つまり、『逆襲のシャア』版の映画化に平行して、そのストーリーを組み込みながらも『ハイ・ストリーマー』として、さらに継続する物語を想定しておりました。
 しかし、本稿を『逆襲のシャア』のためだけのものと理解されますと、物語は継続不可能になります。小生の思惑は、宙に浮いてしまうという感じになるのです。
 そのために、二巻目からは『ハイ・ストリーマー』のタイトルを併記して、復活させていただいたのですが、今後、読者の皆様の除名嘆願でもおこらない限り『ハイ・ストリーマー』としての復活はないと思えます。
 この種のテーマについては、永遠に『ガンダム』として継続するのだという宿命を想定するのは、作者としては辛いのですが、この経過ひとつ取っても、『ガンダム』という現実が迫ってくるのを、作者としても認めざるを得ません。
 思えば、『ガンダム』を始めた当初、フィクションが現実の生活にかくも食い込むものだということは、想像しませんでした。本当に、ありがたいことです。前に記した思いは所詮、個人として、大人としての賢しい計算だったのです。
 一人の男として自立したい、いつまでも『ガンダム』のトミノでは厭だという思いから、『ガンダム』離れしたいという欲が始まったのだと自覚せざるを得ません。
 このように、我々の仕事は、応援してくださる読者と観客がいて成立するにもかかわらず、大人の欲を出してしまって、自分勝手になんでもできるのではないかと思ってしまうのです。
 これが、大人の嫌らしいところであり、現実の生身の人間の問題なのでしょう。
 ですから、他人に感謝する心を持て、という先人の訓戒を身にしみこませる時なのだ、と実感する今日この頃なのです。
 あとは、皆様の御批判次第です。
 その上で、次なる物語を描かせていただけたらと、今は、被告席に座る気持ちで、日々悶々としてるのです。
 皆様の御声援には、本当に感謝いたします。ありがとうございました。

 一見、最近言っていることと似たようなことを言っているようにも見えて、あちこちひどく自信なさげで、やや卑屈に思える箇所も少なからずあり、「ああ、この状況の中から鬱に向かっていくのだろうな」と思えるような内容ではないかと私は思ってしまいました。

 結局、何か作者の思いとは違った形で出版がされた事情があるらしいことは分かりましたが、「関係各位の善意がすれ違った」では何のことやらさっぱり分かりません。

  • 『ハイ・ストリーマー』は、作者個人としては、テレビのビジネス・ラインから離れたものとして、長く描いてみたかった(それはアニメージュ編集部も了解済みのはずだった)
  • 『逆襲のシャア』版の映画化に平行して、そのストーリーを組み込みながらも『ハイ・ストリーマー』として、さらに継続する物語を想定していた
  • にもかかわらず、単行本は(作者の意に反して)『逆襲のシャア』として出版開始された

 三巻のうち、たしかに前篇の表紙にはない「(ハイ・ストリーマーより)」という文字が、中篇と後篇の題字の下には記されています。そう言われなくては気づかない程度の本当に小さい字で!ただし中表紙にも奥付にもそんな文字のかけらもありません。
 後篇の最後には、たしかに「<完>」と打たれています。「継続不可能」とか「宙に浮いてしまう」とか、まして「除名嘆願」とか、何のことやらという感じです。
 いちおうフォローもしておくと、内容としては、前篇が見事に無駄(!)になっているにもかかわらず、中篇で劇場版『逆襲のシャア』のストーリーに(その点では案外見事に)接続して、後篇でちゃんと完結しています。その前篇にさえ目をつぶれば、劇場版とは微妙な違いもあって、興味深い小説ではあるのです。

 というわけで前半は大人の事情の言い訳三昧ですが、後半の永続してしまう『ガンダム』の部分の話が(これも読み辛い内容ですが、)当時の富野監督の揺れる心境を正直に・・・ではなく、だいぶ歪んだ形でですが、示している部分のような気もします。
 とはいえ、ここで何が言われているのかは意味が取りづらいのですが、私の邪推では、富野監督としてはアニメとしての『ガンダム』シリーズを『逆襲のシャア』で打ち止めとして、以後は『ハイ・ストリーマー』や『ガイア・ギア』、『閃光のハサウェイ』などの自分個人の小説媒体の中でだけ、シリーズ展開をさせたいという意図があったのかなぁという感じです。(破嵐万丈シリーズのような感じでしょうか。)

 そして「そんなことは許さん!」という圧力があるとしたら、どのへんからかも大体想像が付きます。とりわけ『ガイア・ギア』がガンダムシリーズの中で“黒歴史”扱いなのも、そういう因縁があってのことなのかもしれないですね。
 そう思って読むと、このあとがきはまるで反省文か謝罪文のようにさえ見えてきてしまいますが、この欝に向かって落ち込んでいく奈落の底から反転再起して、『∀ガンダム』を作ることができた富野監督の今の姿を知るからこそ、この富野監督にとっては一番辛い恥部のような文章も、(その背景を十分咀嚼する必要はありますが)読む価値があるんじゃないかと思いました。

12/19追記:

 kaito2198さんのところで応答を重ねておりますうちに、2002年、ようやく念願かなって『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』の名のもとに徳間デュアル文庫におさまった新版の「あとがき」が、そういえばkaitoさんのブログに掲載されていたことを思い出しました。

 新旧両方を読み比べてみて、私が直感的に思ったのは、「あ、この二つの違いこそが、『平気でうそをつく人たち』ということなのかも!?」だったりしました。
 「平気でうそをつく」世間と平然と付き合えるようになって、富野監督、本当に良かったですねと、これは皮肉な物言いではなく、タフになれた富野監督を心から祝福したい気持ちです。

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[富野小説]小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(アニメージュ文庫版)の表紙

写メで取ったひどい画像でごめんなさい。 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア〈前篇〉 (アニメージュ文庫) 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア〈中篇〉 (アニメージュ文庫) 機動戦士ガンダム 逆

[富野小説]小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』各章タイトル

kaito2198さんからアニメージュ文庫版の各章タイトル起こしを依頼されたので、何となくこっちの管理人日記のほうで書いてみようかと思います。 TOMINOSUKI / 富野愛好病 『機動戦士ガン
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