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『キャシャーンSins』 第8話まで “アートアニメーション”のにおいがする! 

[2008/11/28] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 ネットでしか見れないので、8話までの感想でごめんなさいね。
 このブログでは前回、『キャシャーンSins』の感想は第5話まででした。第5話「月という名の太陽を殺した男」、第6話「運命との再会」で、物語としての状況はだいぶ分かってきました。

reason

『キャシャーンSins』って、たまたまテレビで流しているだけで、内容的にはいわゆるアート・アニメーション的だと思うんですよ。
by prisoner022

いい時代になりました
by nuryouguda

そう、あんなアートアニメーションのような作品がテレビアニメで放映されるとは、 いい時代になったなぁ、とも・・・たしかに思うのです。 思うのですが。 なぜ『キャシャーン』なのだろうかとも思わずにいられないのですよ。 昔のキャシャーンの世代の人間としては。 上手くいえないのですが。
by prisoner022

たしかに、新しい流浪ロボットでもいいでしょうね それはガンダムでもですが、ガンダムシリーズよりも設定は似てませんもんね。 インスピレーションモチーフでしょうか? 全体評価は最終回待ちですが。
by nuryouguda

 上記のような対話をグダちんさんとしたのは第7話「高い塔の女」を見終わったところだったのですが。第8話「希望の賛歌」を見て、これはアートアニメーションのような作品だなぁという印象は、ますます強いものになりました。

「アート・アニメーション」という名称が、日本でいつのまにか定着してしまった気がする。自分の作っている作品、また志しているこのブログで取り上げているような作家性の強いアニメーションを定義するいい呼び名がないものか以前から考えてきたが、全ての作品がフィアンアートだけを目指して作品作っているわけでも無いし、「アート・アニメーション」という呼び方には違和感がある。
英語圏でも特にそれらしい呼び名は無い。「インディペンデント・アニメーション」「ファインアート・アニメーション」「実験アニメーション」などがあるぐらいだ。

 この分野の日本における第一人者であろう山村浩二さんが、この呼び方には抵抗感があると言っているぐらいで、「アート・アニメーション」というのは聞きなれない人には聞きなれない用語なんだと思います。

 アニメーションというのはそもそもそういうもので、日本のアニメは商業ベースが当然になりすぎちゃってるということだと思うのですが、機会を見つけてはなるべく見たいと思っている、いわゆる「アート・アニメーション」です。クレイ・アニメとかパペット・アニメまで含むようなあいまいな言葉なので、「アート・アニメーション」的だという例えはますます意味不明なんですが、何となくニュアンスは(分かってもらえる人には)分かってもらえると思います。
 ぐりぐりよく動く作画とか、そういう意味でのアニメーションというのではなくて、海外の短編アニメーションによく見られるような、とても抽象化・観念化されたドラマの感じを、まあ私の貧しいボキャブラリーではそういうふうにしか言い表せないんですけど。

 (作画ではほとんど見るべきところのない)富野アニメのファンなどには、アート・アニメーションなど無縁だろう、ということも聞いたことはあるんですけど、今ここで言ってるような意味では、そうでもないと私は感じています。(とても上手くは言えませんけど。)
 で、そういう感じを、この『キャシャーン Sins』第7話、第8話では強く感じたという次第です。

本作の仮タイトルは『ネオロイダー』だったが、読売広告社の松山貫之専務のアイデアで『新造人間キャシャーン』となった。企画書では「未来への財宝(キャッシュ)を捜す者」という意味を込めてキャシャーンと名付けられていたが、監督の笹川ひろしは、これをガラスが割れた音と捉え、ガラスが割れて二度と元に戻れないことを意味すると解釈。人間に戻れなくなった主人公像を重ね合わせた。

 「未来への財宝(キャッシュ)を捜す者」という企画意図のようなものを、今回の『Sins』では強く引き継いでいるのかなと思います。ただ、その本筋から言うと、この7話8話あたりは脇筋というか、独立したサイドストーリーというか。
 ただ、かつての『新造人間キャシャーン』を振り返って考えてみても、(時代性もありますけど)シリーズ全体でのストーリー性というよりも、個々のエピソードで一話完結していく痛切なドラマ性が、その最大の魅力だったと思います。この二話は、そうしたものに連なる印象も強くありました。

 特に『キャシャーン Sins』第8話「希望の賛歌」は、『新造人間キャシャーン』の第9話「戦火に響け協奏曲」をずばり連想させる内容でした。地平線を埋め尽くすような敵に単身突っ込んでいくキャシャーンの姿を見ることが出来たのも嬉しかったです。前作では、ここで初めてそれが使われたのまで覚えていたわけではないですけど、なぜか必殺技“超破壊光線”が使われるんじゃないかとワクワクしながら見ていました。
 今作では、そうではなくて、敵にグサグサと串刺しにされても死なない再生力が描写されたわけですけど、相変わらず痛そうだなぁー・・・。(笑)

 アート・アニメーション的というのは、もうひとつには商業ベースに乗りにくい印象があるということでもあって。よけいなお世話でしょうが、この雰囲気のままで押し進めていくことができるのか、不安にも感じています。これでもかというぐらい人間味の濃かった前作に比べて、抽象化を強めた今作は、セカイ系っぽくなってしまう危惧もあるんですけど、エンターテイメントに背を向けて、ここまで文芸的(?)な表現に(テレビアニメの枠の中で)取り組んでいる作品は貴重だと思います。大いに注目しています。

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[tag] キャシャーンSins fc2ファビコン アートアニメーション fc2ファビコン

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コメント

>

アート・アニメーションという言葉、初めてしりました。
第8話「希望の賛歌」はマクロスFと比較すると、なかなか興味深い話でしたね。マクロスFは商業的、キャシャーンsinsはアート的ということになるのでしょうか。

> 寝て覚めて、はたと思ったのですが

「アート・アニメーション」的というのは、もう少し正確には「ヨーロッパ・アニメーション」的(?)なのかもしれないなぁと。
タツノコには海外展開をにらんだ製作という伝統芸があって、『新造人間キャシャーン』の舞台設定が北欧風であるのも、そのような理由であると聞いたことがありました。
で、古くは『マッハGoGoGo』とか『ガッチャマン』において、アメコミ風表現(と、北米での展開)には成功しているのですよね。
海外展開を意識する場合に、ゴンゾの『サムライ7』みたいに日本らしさをアピールするのも手なんですが、タツノコでの成功例といえる作品群のように無国籍風味にするほうが、まあ常道というわけで。『キャシャーンSins』はのちのちの海外での評価が気になる作品かもしれません。うん。

「希望の賛歌」で『マクロス』は、私も若干は連想しました。おぃおぃロボットに歌の力ですかぃ…ですよね。(笑)
ラストシーンではキャシャーンとフレンダーが荒野に立ち去って終わったので、“希望の歌姫”は曲の終わりとともに“滅び”を迎えたのだったろうか…と思いながら見終わりました。
けっこう感動してたのですが、“これらの曲は今回限りってもったいなくないか…サントラとか作ったら収録されるのか…”みたいなこともチラチラッと頭をよぎっておりました。

商業的なのが悪いわけではないのですよ。この道を拓いてしまった手塚治虫は、作家性の強いアニメーションを作るための資金稼ぎみたいにTVアニメを捉えていた面もあったようですが。(その意味では、例えば『SEED』で潤ったおかげで『ゼーガペイン』が作れたのかもしれないというのは、案外、歴史的に正しいものの見方なのかもしれません。)

> ドラゴンボールZ

監督の山内重保さんはドラゴンボールZ(DBZ)の演出を多く
手がけられた方で、おそらくDBZ世代にはよく馴染んだ映像
なのでしょう。

キャシャーンSinsも商業的にも成功するとうれしいですよね。

> あとで気付いたこと

無国籍アクション、と書くと世代によりイメージされるものが大きく変わってしまうけれど、文字通りの意味で無国籍(多国籍?)アクションなアニメに話題をしぼれば、メジャー性を基準にして代表例を選ぶと、どうしても東映動画の『ドラゴンボールZ』になると思います。

しかし、たしかに囚人022さんのおっしゃられるようにタツノコプロ系のぴえろ、プロダクションIGが得意としているジャンルで、今現在日本製アニメとして北米でおそらくもっとも成功しているタイトル『NARUTO』こそ、まさに『新造人間キャシャーン』の後裔なのかもしれません。

とかなんとか書きましたが、『NARUTO』を見ていないので当て推量なのですが(汗。

> SAMURAIよりNINJA?

北米ではそうなのかもしれないですね。私も『NARUTO』はノーチェックですけど。(1,2回しか見たことがないです。)

意外かもしれませんが『ドラゴンボール』のシリーズはけっこう見ていました。でも、ストーリーが追えるレベルの視聴ではぜんぜんなく、「うわー、またやってら…」というような感じでしたが。

「物語の構造性が日本では云々…」というような話ができれば面白いのでしょうが、私には荷が重いです。
ただ古今を通じて“海外向けの製作”という意識の持ち方は、たぶん想像以上に強いものがあるのかなぁと。とりわけ北米向け、あるいはヨーロッパ向けというターゲット設定もけっこうあったりするのでしょうかね。

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