スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アニメ「批評」の問題は、アニメ史と切り離しては語れない気がする 

[2008/11/15] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 WEBアニメスタイルでアニメ様が「アニメ様365日」という連載をはじめておられて、これが私には面白くて面白くて。驚いたことに毎日更新されていて、どうもこのタイトルからすると、1年間毎日書き続けるという決意なのかなと。内容はというと、アニメ様こと小黒祐一郎氏の個人的アニメ史とでもいうことになるようです。

『さらば』だけは特別だ。気軽に観られない理由のひとつは思春期に真剣に観た作品であるから。もうひとつは『ヤマト』シリーズに関するトラウマのためだ。トラウマについては同年輩の人間でないと理解できないかもしれない。

 以前から「近い世代かも・・・」という印象はあったのですが、「俺達が、あの時に劇場で流した涙はなんだったんだ」にあまりに共感(笑)してしまったので確認したら、やっぱり同い年ですね。

 WEBアニメスタイルって、アニメのクリエーターのインサイド寄りって印象があったんだけど、この頃アニメ史的な内容が多くなってる気がして、私にはなかなか嬉しいです。
 それで、ちょっと最近ネットで読んだ中で思ったことを書いておきたくなりました。

ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。

 具体的には「一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎる」ということだそうで、世の中が“データベース”的になってるということを書いてた頭のいい人の頭脳が、けっしてデータベース的ではないらしいということを知って、けっこう共感(?)したりしました。

 「大人向け、すなわちアニメに関するリテラシーを相当に有するマニア向け」に創刊されたとおぼしき『アニメージュ オリジナル』というアニメ誌に関して、先の東さんのつぶやきにも言及しているこの記事の中で、津堅信之さんみたいな人が自分を中途半端な「アニメ・ウオッチャー」だとおっしゃるのには驚きました。

 すなわち、アニメを本質的に捉えようとしているのか、アニメ批評の本来形を示唆しているのか、マニアたちの渇望に応えているのか、新たなファン層を発掘しようと啓蒙しているのか、そのあたりの「落ち」である。
 正直なところ、私はたぶんついていけない。その私はといえば、文字通り半端モノであって、こういう雑誌の編集に関われる生粋のファン、ライターの知人は複数いるのだが、その人たちからは、「お前は、アニメーションのことは知っているが、アニメのことは知らない」と、お叱りを受けているのだ。
 その意味では、作品の完成形に至るまでの、単なる「メモ」「原材料」でしかない絵コンテやレイアウト、原画類の存在価値と読解能力をここまで求められるアニメというのは、他の芸術・芸能分野と比較して、著しく特異的といえるのかもしれない。

 この人もやはり同世代と言っていいと思うんですけど、「作画解説にあたって原画をひもとき、絵コンテやレイアウトの重要性を強調するなど、これは疑いなく1970年代にアニメに開眼し、ひいては80年代にそのことにこだわった「オールド・ファン」の視点」というような、歴史観を下敷きにした考察に、私はもの凄く説得力を感じるんですよ。

 アニメ様の連載の第9回は「アニメージュ」ということで、草創期のアニメ誌の状況を語っておられるんだけど、『out』でアニメをネタとするパロディ路線は既に萌芽していたのに対し、『アニメージュ』はその初期にはアニメ史的な視座もあってバランスのよい専門誌でした。
 ただ「号を重ねるうちに内容も濃くなっていった」というところに功罪の両面があって、津堅氏が指摘しているような、作り手でもないのにそこまで知らなきゃダメなの・・・という方向が深まっていったような気がします。

 東さんは「批評とはなにか。それは、書評や宣伝文とは違います。批評はそれそのもので自律した論理をもっている独自のジャンルです」と明言していて、批評家はその評する対象が好きだから書くのではなく、自分の批評にその対象が必要で、「利用できたから」書くのだと言っています。
 「創作と批評はそういう共犯関係を結ぶときがある。」たしかにそういう需要もあるでしょう。

 私こそは中途半端な「アニメ・ウオッチャー」だと自分で思っているんですが、こういう立場からは東さんのおっしゃるような「批評」も(そういう“自立した論理を持つ独自のジャンル”として)楽しく読ませてもらっているし、一方で作画オタではないけれど、「絵コンテやレイアウトの重要性」を分かりやすく解説してくれる文章に出会ったら「なるほど!」と、これもまたアニメを楽しむうえで大いに役立たせていただいています。両方あって欲しいし、互いに排他的であって欲しくはないなぁと感じます。

 それはそれとして。私はジャンルとしてのアニメの(批評ではなく)評論全般に市民権(世間の注目)を得ていないのは、アニメ史研究なのじゃないかな、という印象を持っていて、もし成熟を妨げているものがあるとしたら、そこは重要なのではないかな、と思っています。

僕はこれを読みながら、宮崎駿監督も、将来、「アニメーションをやたらと大掛かりなもの、教育的なものにしてしまい、その表現の幅を狭めてしまった罪」を問われる日が来るのではないかな、と考えてしまいました。

 これは津堅さんの著書についてfujiponさんが言及された記事。宮崎アニメなんて、わりと取っ付きようがないという印象があるんですけど、手塚治虫のアニメを考え直す中で、宮崎駿を逆照射する視点があるというのは新鮮でした。こういうのが、まだ若いジャンルとはいえ、アニメの歴史を検証することから得られる視座だと思うんですよ。
 そういうわけで、「アニメーション史研究家」と言っておられる津堅さんの仕事なんかにも、もっともっと世間のアニメファンの人たちは注目して欲しいです。「アニメ史」じゃなくて、「アニメーション史」って言っているでしょう? その辺の意味っていうのがあると思うんですよね・・・。

関連記事

この記事のはてブ はてブの数 livedoorクリップ クリップ数 Webスカウター情報

permalink | トラックバック(0) | コメント(6)

[tag] アニメ fc2ファビコン アニメ史 fc2ファビコン

TOP ▲

コメント

> ・・・アニメーション史は厳しいよ・・・

何しろパイが大きすぎるもの・・・。
実際、それで飯を食おうと思えば、まず「今放映されているアニメは可能な限りリアルタイムで視聴する必要」って奴があると思う。絵画だってそうですよね、今の絵画を知らないのに、旧いものだけ語られてもね(ルネサンスなどと細分化されていれば別ですが)。

その上で旧いものを可能な限り視聴していて、なおかつ「当時の時代」も知っていた方がいい。それでいて「それでメシが食えるだけの文章」もいる訳で・・・。

それが出来たら偉いこっちゃですよ。

そういう意味では「アニメ評論家」っちゅーのはなかなか難しいのかなぁと。最低限、独りで一作についての評論を書けなければ行けないように思う次第。

> アニメ批評のむずかしさ

まず、断ります。東浩紀さんは駄目です。なぜか、その理由を、本当は自分の言葉で書かないといけないのですが、評論家の文章をそのまま借用すると、
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20081014
で書かれている通りです。

閑話休題。アニメ批評のむずかしさはたしかにあります。それはアニメ自体が批評的だからです。たとえば『ナデシコ』は『ヤマト』のもっともすぐれた批評のひとつでしょう。

付け加えると、アニメ史研究は、じつは相当進んでいるし、また、かなり紹介されてもいます。ただ、書籍としてかなりの点数が出版されているためか逆にウェブではあまり資料を拾えません。

あと、これは著作権をめぐる複雑な事情を考慮した上で言及すべきことがらではあるのですが、YouTubeを代表とする動画配信サイトにはアニメを含む映像資料が豊富に「埋蔵」されています。

個人的には、狭い意味での「アニメ」、つまり『宇宙戦艦ヤマト』から『ガンダム00』へいたるSFメカアニメはアニメの歴史全体からすると傍流だと考えています。アニメの保守本流は東映動画、Aプロ、シンエイ、亜細亜堂、あるいは東京ムービー、マッドハウスです。

『ガンダム』はあくまでアニメとしては特殊なシリーズで、にもかかわらず、アニメジャーナリズムの中心的な話題にあるという現実が、今日に続くアニメ批評の天井でもあることは、論を待たないでしょう。

> 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

> 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

> ヤマトと999

なるほど! これで得心がいきました。
ルパンとかガンダムは平気なのに、どうしてさらばヤマトや劇場版999のDVDを見ようとおもうと変に構えてしまうのか。それは当時の真剣だった自分と向かい合わなければならないからだったのですね。
それにしても小黒祐一郎氏ほど、バイアスなしにさらばヤマトを総括した意見をみたことがありません。オタキングもそうですが、当時自分がヤマトをみて涙を流したことを「恥ずかしいこと」とした書き物がほとんどでしたから。

ちなみにボクは小黒氏より二歳年長です。さらばは初回を新宿の劇場で徹夜して見、挨拶に来た西崎Pとファンともみくちゃになりながら握手した記憶があります(爆)

> 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/1372-1f2d4325

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。