「携帯の罪」富野由悠季 

[2006/01/11] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(7) | TOP ▲


小学生に対する殺人事件について

小学生に対する殺人事件について2
yasuakiさんが、最近の凶悪事件とゲーム等の影響について書いておられるのを読んで、御大のインタビューのことを思い出しました。

「携帯とネットを大衆と愚民に与えてしまった罪は大きい。」
(シャア専用ブログより)


というアレです。

yasuakiさんのところの記事でなるほどと思ったのは、テレビが登場したときの影響力について書かれたところで、こうした研究は大変参考になりますね。

早くも1972年には、10年間に及ぶ研究によって、少年たちが9歳のときにテレビでみた暴力の量は、19歳になった時の攻撃的な少年犯罪を予測するものとして第一位の因子であるという結論が出された。しかし、1986年の研究では、テレビの視聴によって少年達のその後の暴力が予測されるのは、彼らが虐待を加える父親を持っている場合に限られるという結論になった。ところが、ややこしいことに、カナダではテレビが登場した後、殺人発生率がほぼ倍増した・・しかも、銃器の数が全く増加していない状態でそうだった。さらに興味深いことに、センターウォールは、アメリカの囚人の25%を超える者が、テレビで見たのとまったく同じ犯罪を行ったことを示す調査を引用している。


「男はなぜ暴力をふるうのか・・進化から見たレイプ・殺人・戦争」という本からの引用だそうです。確かに因果関係を探るのは難題のようですが、有形無形何らかの影響力はあるのでしょうね。

先のインタビューで御大は、さらに携帯について、

機能や性能をこれだけ高いものをタダでもらって、愚民は援助交際や出会い系に走ったわけだ。テレビの仕事を始めたときから「コレおかしいぞ」と思ったことは、これだけ高度の技術をどうしてくだらないバラエティなどで消費することを許しているのか、という人の行為の不思議さだった。アニメについても、そこに生きていながら、同じ疑問や抵抗感を感じている。


と言っておられます。「タダ」じゃなくてパケ代やら何やら消費(浪費)させられているわけなんですが(笑)、その連想がアニメに結びつくところが御大のいいところなので、つまりかつてのテレビにせよ、今日のネットや携帯にせよ、またアニメにせよ、そこに含まれている情報量の多さに対して、

社会を形成する世間というものと整合性を持たせながら、世間の人たちの利便性、省エネ、生き延びるためにどうしたらいいかという1番大切なテーゼをまだ設定することができないところで、資本主義だけが1等賞なわけで、効率だけが1等賞なわけ。この中でしか社会を形成できない、国家を経営できないというところまで来てしまっている。


という現状が、根本的な背景にあると言う認識です。

富裕層と貧困層という経済格差が生じることに対し、当たり前のことのように耐乏が強いられる時代は、既に現実のもののような気がします。インタビュアーは、それへのひとつの解としてなのか「ニュータイプ?」という問いかけを発しているのに対し、御大の答えは狩猟民族(自然的)、農耕民族(反自然的)と、いつものことながらなかなか難解です。(笑)
しかし形式芸術(いけばなやお茶、能とか庭)とデジタル時代のヴァーチャル・リアリティ(オタク的なもの)の共通項について言っておられるのは大変面白い!
より原初的(アニミズム的、呪術的、シャーマン的)なものに連なる「芸能」ということを言われるのは、たぶんそういうことに対するカウンターということで発言しておられるのでしょう。こうした苛立ちと閉塞感の時代に際して「1番大切なテーゼ」の設定こそが、たとえサブカルチャーと呼ばれながらでも、今日において圧倒的情報量を伝えるメディアであるアニメの作り手の主任務である、と読みましたが、どんなものでしょうか。

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コメント

> 携帯は兎も角

「未成年者にネットを与えるな」とはよく言われますが私も賛成です
でもいい大人も色々やらかしますからね
難しいです

> 携帯やネット・・・。

私は「与えるな」とは思わん。ただ、与えるときには「親権者」の方がより深い知識を持つべき、だと思う。親がよくわからないモノを、子供に買い与えるというのが問題だと思うな。
親としての責任を放棄しているよ。親だというのなら、買い与えるものの知識・用法・用途は子供に教えるという義務があるはずだと思う。

> 難しいのですが、

人間というものが、「効率主義がすべてに優越」する社会しか築けない程度で終わる生き物であるなら、このままどんどん病的になっていくだけでしょう。41さん、スカルさんの言うとおりで、大人(親)でさえ、正直この情報の洪水をどうしていいのか分からないのが、現状だと思います。
高度な技術は、高度な目的に使ってこそ、なわけですが、こんなブログをネットに書いてる時点で、私も駄目な大人なのかな。(笑)

> いやいや

私は「目的はどうでもイイ」と思ってます。現実にどれだけの技術が高邁な目的に利用されているかを考えれば、目的と技術のレベルが一致する必要は全くない、と。

> えーと、(笑)

「愚民どもが下種な目的でパケ代を浪費」して「IT産業が潤う」ことで、「我国のIT技術が底上げされる」のであれば、権力者たちもそれに本気で目くじらを立てる必要は感じない、というのに過ぎないのではありますまいか。
それは、文明の進歩であっても文化の退廃でもあります。が、しかしそうした苦しい時代においてこそ、むしろ下層と思われている大衆レベルの中から、真に力強い文化が創出される可能性がある、と歴史は語っているようです。

> 文化の目的

って、どうなんでしょうね?
私は「技術の使用目的が固定された時点で、文化的発展は終わる」のではないかと思ってます。いろいろな事に使える状態からこそ、さらなる発展が望めるのではないかと思いますし、そうであって欲しいとも思います。
例えば「映像配信技術は、文化的に高尚な目的にしか使用してはならない」となったとしましょう。その場合、もはや映像配信技術の進歩は止まってしまうのではないでしょうか(ビデオデッキの普及・発展にはAdultビデオの存在が不可欠でした)?

情報の氾濫があるからこそ、そこから「メディアリテラシー」と言った新しいものが生まれてきたのではありますまいか。

> 例えばですね(笑)

囚人さんは近頃ブログのカスタマイズが面白くて遊んでばかりおりますが、そういう技術的なことばかりやっていないで、ちゃんと内容のあることをもう少し書けよ、とか。(ぉぃ
御大も、極論を言ってこっちを刺激はしてますが、自分では「くだらない」と言いながら「たかがロボットアニメ」に内容を込めようとしておられるわけで。ことは単純ではないことは、分かっておられるわけです。

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