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芸術新潮11月号 「手塚治虫を知るためのQ&A 100」が面白い 

[2008/10/30] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 今日は財布の中身が小銭合わせて二千円なかったんですが、千五百円出して、ついつい買ってきてしまいました。立ち読みですまそうと思ったのになー(笑)

芸術新潮 2008年 11月号 [雑誌]

 執筆してる人は森晴路さんという方。手塚プロダクションの資料室長さんだそうです。貴重な古い資料の図版が多く使われていて、これが面白くレイアウトされているので、ついつい買っちゃいました。(キューブリックから手塚に来た手紙の写真とかありましたよ。封筒でしたけど。)あまり手塚先生には詳しくないので、いろいろと勉強になりそうです。

 アニメの話では、虫プロの処女作『ある街角の物語』や、のちの『アニメラマ』など、「手塚はこどもや家族向けに限定されたアニメ映画を、おとなも楽しめるものにしたいと考えていたんです」というあたりが、分かっちゃいますが、なるほど今とは逆向きの問題意識なのかな、と思ったり。

 「実験アニメを多くつくり虫プロを作家集団にしたがった手塚と、アトムのヒットを機に企業体であることを望んだスタッフたちの間で齟齬が生じるようになり、」
 「虫プロ内で方向性が分裂したことで手塚が身をひくと、虫プロのアニメは魅力を失い、他のアニメ制作会社の台頭もあって、商品価値も下がりはじめます。」

 違うところでは、「実験アニメとテレビアニメとは、その出発点においてどちらも手塚の構想の中に組みこまれていたもので、いずれかひとつに絞るということではありませんでした」とも書かれています。

 富野御大にも関係してくる『鉄腕アトム』について、気になったのは最終回についての下記のお話。いつかアトムも実際に見てみたいものですね・・・。

アトムの死というマンガにはない悲劇的な結末にはわけがあります。多忙をきわめた手塚がなまじ制作に加わると進行が遅れてしまうため、必然的に現場から身をひかざるをえなくなったのです。やがて原作のエピソードを使い果たすと、スタッフはアトムとさまざまな怪物を戦わせる勧善懲悪のストーリーを多用する傾向に。正義のヒーローとして一人歩きしてしまったアトムをリセットすべく、手塚は脚本と演出を担当し、アトムを殺すことでテレビ版「鉄腕アトム」を終了させます。

 マンガ表現のほうで制作を効率よくするために考案したテクニックなどもいくつか紹介されていて、システム化のやり方などはアニメにも通じるものがあって興味深いものでした。また、実験精神の発揮されたいろいろな例の紹介とか。

 「雑誌掲載や単行本など、発表のたびに同じ作品に手を入れる」、「自分の作品を素材に、いろいろと“編集”することを楽しんでいた?」・・・富野御大を通して手塚先生を見ている私としては、このへんなんかも何となく興味を惹かれました。あと、アマチュアではなく、プロフェッショナルたるべしとか、マンガは読者に受け入れられなければ意味はないとか。

戦後まもない時期にマンガの頂点をきわめてしまった男が、その後40年間にわたってマンガ表現の最前線で活躍することがどれほど困難か。「古いマンガ家」という役回りをあえて引き受け、その都度登場するあたらしい才能と競い合いながら、代表作と呼ぶにふさわしい仕事をのこしてゆくことがどれほど大変か。

 以前にも「手塚治虫と富野由悠季という師弟のこと」という記事を書いてしまいましたけど、何でもかんでも富野監督に引きつけて読んでしまっている私って・・・(苦笑)。

 まあ手塚治虫を熱心に研究しておられる方が読めば、もっといろいろ感想もあるのでしょうが、手塚治虫という偉人がいたから、今の日本のアニメもあり、富野由悠季という作家もあるというふうに思っております私には、とても面白い特集でした。オススメです。

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コメント

> 温度差がすごい

すかさずのコメントで恐縮です。

手塚治虫は漫画、アニメと多方面に業績を残しただけではなくて多面的な人物だったのですね。

ttp://saionman.blog15.fc2.com/blog-entry-88.html

で引用されている杉井氏、富野氏による評価と、こちらで引用されている著者のそれとの温度差は興味深いです。

> 私も

組合で社長を団体交渉に引っぱり出そうとしていた富野監督との温度差は興味深いと思いながら読んでいました。一つの事象を観察している地点が逆なのですね。
「そして、基本的にアニメーションを作るということは制作資本というものが大変にかかる表現媒体なんです。ということは、まずビジネスとして成立していなければ次の作品が作れないという絶対的な身命を持っているということです。手塚先生が児童漫画の漫画家として、世に出てお金を稼ぐことをおぼえてしまった。先生はその瞬間に先生の中にある本当の意味でのアーティスティックな衝動を自覚されたのではないかと思っています。そうなりますと、コミック、アニメという表現媒体が持っている問題を個人が抱え込むことになります。」
上記は「手塚治虫と富野由悠季という師弟のこと」という記事の中で引用した部分ですが、富野監督は、今では手塚先生の苦悩は分かっていても、当時の自分が社長を悩ますほうの側でもあったこともまた隠さないのが凄いですよね。
そして「こどもや家族向けに限定されたアニメ映画を、おとなも楽しめるものにしたい」という、その夢を現実にした人が、今、その逆向きの問題意識を持たねばならなくなっている、ということも、実に興味深いところだと私は思うのです。

> 温度差がすごい その2

著者の言う「おとなも楽しめるもの」は、おそらくアニメラマ三部作をさしていると思われます。不勉強ながらまだ見ていないのでなんとも言えませんが、うーん、どうなんでしょうか。

あと、富野御大はあくまで子供(十代)に向けてアニメを作り続けてきた作家だと、わたしは考えています。

そもそも「こども」と「おとな」という二分割は乱暴すぎると思います。

>

おおお~これは買わねば!
情報ありがとうございます。

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