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富野由悠季というあり方から、谷口悟朗は多くを学んでいる気がします 

[2008/09/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(14) | TOP ▲

 『コードギアス』がいよいよFinマークを打とうというタイミングで、日経ビジネスオンラインで6回にも及んだ谷口悟朗監督のインタビューも完結したようです。毎回なかなか面白い内容でしたが、最後の回に近づくにつれ、現実的な落としどころとの間で揺れる部分なども出ていたように思われました。
 ごく個人的な感想ですが、アニメーター出身ではない谷口監督は、その点では同様の富野由悠季監督の歩んできた足跡から、是非の両面を深く学んでいると感じました。本人の意識の持ち方は分かりませんけど、立ち位置を考えれば、結果的に当然そうなるだろう、それは考えざるを得ないだろうとも言えます。まあ、思いつきレベルですが少しメモ。

しょせん谷口悟朗という名前は記号でしかなくて、ただの使い捨ての何かだろう

 人気作を作れば、ファンが支持してくれるのでは、という問いかけに対し、「それは『コードギアス』という作品に対してであって、私に対してではない」と答える谷口監督の発言。『コードギアス』を『ガンダム』に置き換えれば、「富野由悠季という名前は記号でしかなくて、ただの使い捨ての何かだろう」という言葉がそのまま導き出せると思いました。これは、富野アニメのファンという立場を外して客観視すれば、たぶん状況はそうなのだろうと私も考えます。この話は、下記の記事などにも関連します。

 それはともかく。結局『コードギアス』の完結までに、私は『無限のリヴァイアス』を最後まで見ることが出来なかったんですけど、この作品は富野アニメの系譜で言うと、『無敵超人 ザンボット3』に照応するんだろうと考え始めたら、ものすごくすっきりしました。

無限のリヴァイアス サウンドリニューアルBOX [DVD]
 富野谷口
挫折の経験ライディーンガサラキ
ここに我ありザンボット3リヴァイアス
エンタメの実験ダイターン3ガン×ソード
勝負作ガンダムコードギアス

 すごく雑駁に図で示すとこんな感じでしょうか?(以下、長くなるので追記で。)

 富野さんの『ザンボット3』は途中で監督を降ろされた『ライディーン』の挫折感を踏まえた作品ですけど、先駆者としての長浜忠夫の『コンバトラーV』、『ボルテスV』に対して、いかに「ここに我あり」と主張せねばならなかったかを抜きにしては、当時としてあの過激(笑)な表現は理解できないでしょう。
 『ガサラキ』では助監督ですけど、これを谷口さんの実質デビューと考えると、あの不本意なかたちでの終わり方は、やはり大きな挫折感として刻まれているのではないかと思います。それを受けての『リヴァイアス』ですから、谷口悟朗という名前を強烈に印象付けるインパクトが必要と考えたのだろう、と。
 “賛否の分かれる過激な展開”は、「もう次はない」かもしれないというぎりぎりのところから発せられるものだということでしょうか。

私がやっている仕事というのは、「河原こじき」--あくまで芸能の世界に生きる心構えとして、ですが--だと思っています。言ってしまうと「私にはこの程度の芸しかございません。芸が気に入らなかったら石を投げてください。気に入ったら少しおひねりをいただければ、ご飯を食べていけます」。

 富野監督もよく使う「芸能」という言葉が、谷口インタビューにも出てきています。「今までの貢献度とか一切関係なく」「何らかの成績を残せなかったらクビ」というと、ついつい富野監督のことをまた思ってしまうんですけど、サンライズという会社と付き合っていれば、その覚悟がなくてはやっていけないのでしょう。(というより、宮崎駿を支えてくれる鈴木敏夫みたいな存在は、あれこそはまったくの例外ですから。)
 連載第4回(「お前は分かっていない」に負けるな)では、はっきり富野監督の名前も出して、アニメーションを作っているスタッフの社会的地位、意識の変化の問題(映像業界の中でも、世間一般でも、一段下に見られていた「テレビまんが」から「クリエイター至上主義」への落差の大きさ)を話していたのが印象に残っています。連載第5回(嫌われる覚悟が、売れる作品を作る)で「作品数が増えすぎたために、いつでも仕事はある、と慢心した人が増えました」と言っていたのも、アニメーター出身ではない立場だから客観視しやすいわけですが、それだけに「お客さんの方を見据えなければならないと、常々スタッフにも言って、自分にも言い聞かせる必要がある」などといった危機感も切実なのかもしれません。

 思いつきレベルなのであまり詰めて考えてないのが恐縮ですが、微妙なエンターテイメント(笑)を狙った『ダイターン3』と、“痛快娯楽復讐劇”を謳った『ガン×ソード』という照応関係もいいと思うんですよ。(でも『スクライド』や『プラネテス』をどう捉えるのかまでは考えてません・・・。)
 で、ともかく実績を重ねてきたところで勝負作としての『ガンダム』に対して、『コードギアス』ということなのですけど。

 「私に対してノーと言ってくれる人をいかにしてそろえるか」というスタッフワークのことを話している中に大河内一楼さんは出てきませんが、富野監督と仕事した『キングゲイナー』のときと違って、『コードギアス』では谷口監督には「ノー」と言ってないんだろうか、大河内さん。(笑)

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 私は物語好きなので、『コードギアス』ももっぱら大河内さんの仕事ぶりを楽しんでいたんだと思います。(何を隠そう、だいたいから富野アニメで育ってきてるので、監督のほかにシリーズ構成という役職がある構造自体が、実はすんなり理解できてないという話もあります・・・。)
 『キングゲイナー』終盤のもたもたは、その今ふうの二頭体制が(いかにスタッフワークを重んじるとはいえ)富野アニメには合わなかったということで、富野作品にはシリーズ構成は要らない(富野監督がその役は果たす)って結論だと私は思っています。だからキンゲ終盤では大河内さんを御し切れなかったと言う意味で、やっぱり富野監督の失敗と言わざるを得んだろうと。(中盤は面白かったので、そこでは成功しており、全体の評価は難しいと思っています。)

 過激かどうかは自分ではわかりませんが、自らのためだけの納得を求めて、過激な方向に突っ走ってしまうときがあるんです。それは自分でも分かっていて、しょうがない部分がある。今でもそうですが、過去に何度もそれで失敗した。
 起こりうる問題を最小限にするためには、自分で枷を作らなければいけないと思ったんです。
 自分のやりたいこととは別に、「観客」という名の自分が見据えなければならない社会、そういったものを中心に据えて、“軸”になる杭を打ち込んでおく。軸を設置することで、自分もその周辺でぐるぐる回っていられるから、ある一線以上、変な方向にいかなくて済むんです。

 谷口監督の『コードギアス』に話を戻すと、この連載の最初のほう(「コードギアス」を作るにあたって、まず最初にやったのはリサーチ/今のお客さんが望むものは何か、彼らの心の在り方は、というあたり)を読んでいたときは、大衆受けすることを最優先にしたと言っているのかと思いました。しかし、それにしては『コードギアス』こそは、(誰かがうまいこと言ってましたが)“オタク向けにカリカリにチューニングされた”作品だったじゃないかと。(笑)
 そのギャップはどこから来るのかと思っていましたが、一般論から徐々に各論、具体論へと話が降りてきて、最後の最後になって上記のようなことになる。「観客」の存在を大前提にしながら、「自分が好きなことを少しだけ考えて、それを維持するにはどうすればよいか、また少しだけ考える」という妥当なところへ結論は至っていて、まあ何とか着地点を見出したのかな、と。(笑)

富野(由悠季)監督もアニメーターではないんですが、富野監督の作品はあんまり見ていなっくって……。ああ、思い出しました。当時はアニメ誌とか見ていると、サンライズがずいぶん特集されていて、そういう持ち上げられ方があまり好きではなかったんですよ。

 谷口監督という人が自分の出発点から、戦略的に「作家性」を持ち上げられる富野監督のあり方を意識に置いていたということは、変に“子どものときからガンダムのファンでした♪”みたいなことをいうタイプよりも、富野監督から(直接にではなく、そのあり方から)是非の両面で多くを学んできた人なんだろうと私は思います。

 さて、『コードギアス』の最終回はどうなるのか。本当に楽しみですね!

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[tag] 谷口悟朗 fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン 無限のリヴァイアス fc2ファビコン キングゲイナー fc2ファビコン

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コメント

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> プラネテスは

早く見なきゃと思ってる作品なのです。オンエアしてるときにちょろちょろは見ていたんですけどね。原作とアニメが違うパターンですか。(ハガレンなんかでもそうですけど、感想を書くのに微妙に気を使うんですよねー。)

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> プロの作家の発言が戦略的なものであるのは当然そうあるべきもの

作家は死んでも作品が残れば本望でしょう。問題は、残る作品とは何かということですよね。
作家と作品を切り離して考えるのが、言葉で言うほど簡単ではないのには、私もいつも悩みます。
少なくとも、作品の普遍性というのは時代を超えることを志向するものであるのに対し、作家の言葉というのは常にその都度の時代の状況に対して発せられるものでしかない、ということは区別する必要があると私は感じています。
プロの作家の発言が戦略的なものであるのは当然そうあるべきものですよね?(文化人的な持ち上げられ方をし始めると、それだけではすまない責任が付いてまわるので難しいですが。)
富野監督は若い頃、長浜監督に対してどういう発言をしていたんでしょう?(ちょっと怖いもの見たさで見てみたい気もします。)

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> なるほど

やっぱり長浜監督については複雑でしたか。その辺に触れてる人って今のインターネットにはあまりいないと思うので、いつか是非記事にしてくださいとリクエストしてみたり。(笑)

> なんちゅマイナーネタだ↓

了解いたしました(マンガ版ゴッドワルト風)。

> ゴッドワルド マンガ版

http://image02.wiki.livedoor.jp/m/a/mounena/2c342a9847d6351b.jpg
「ゴッドワルド」を画像でぐぐったら、こんなん出てしまいました。

「異常に高い児童漫画熱血度で有名な、ボンボン連載版「機動戦士Vガンダム」に登場したゴッドワルド中尉。 彼のサメラーイでブシドォーな言動は「」を心酔させるに充分であった。」

なるほど、こんな感じですね。わかります。

(ホントだろーか)v-391

> 言及されました

谷口悟朗さんは日本映画学校で学ばれた方なので、どうしてもその方向から見たくなる誘惑にかられるのですが、ご本人が「富野(由悠季)監督もアニメーターではないんですが、富野監督の作品はあんまり見ていなっくって……」と仰られているなかで、あえて富野監督の影響を論じようとする視点は、囚人022さんに独自の視点で、興味深く拝読しました。

文中の表組みには、他の監督についても当てはめられそうで、面白いなぁ、と。いつか自分で確かめてみたいと思います。

>

楽しく拝見させて頂いています。
読みが深くて本当に勉強させていただいています。

でも、このエントリーは現状あまりに根拠がなく、あまりに自分の思いを元にし過ぎて、事例を意図的に選択し、その考えを敷衍しているように思われます

一体これによって富野監督と谷口監督を
恣意的に、無意識やも知れない妄想でつないで、何が言いたいのでしょうかとすこし思ってしまいました

でも、すごく面白いお考えなので、興味深く読ませていただきました
  • [2008/10/06]
  • URL |
  • ナナジンと名づけたか
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

> コメントありがとうございます

http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1344.html
例によって、何かお返事を書いているつもりが長くなってしまいましたので、別の記事を立てました。よろしければ、こちらをご覧ください。

>

エントリーを拝見させていただきました。
無粋なことを申し上げて本当にすみませんでした。
失礼致しました。
  • [2008/10/07]
  • URL |
  • ナナジンと名づけたか
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

> あ、いやいや・・・

とんでもないです。
たぶん個人的になりすぎていて、常連さん以外は「?」なことになっていたんだと思います。そういうことを思い出させていただけるのは、ありがたいことです。
考えたいことをメモしても、言葉がうまく整理できなくて不消化に終わることも多いので、良い機会をいただきました。

>

CONTINUE Vol.42がコードギアス特集ですね
スタッフインタビュー載ってるみたいですよ


別件(かんなぎ)で雑誌を買っていたら
表紙からコードギアスでした。

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