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『無限のリヴァイアス』 18話~23話 話は荒れてきましたが・・・ 

[2008/10/06] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 この間は第17話までの感想をぐだぐだと書いたんですが、違和感は違和感として書いてみて、また、コメントもいただいたりしたことで、この作品と接するについての、自分なりの覚悟(?)というものが出来てきたような気がします。(笑)
 で。物語のほうも、ひどく救いのない感じに荒れてきてるんですが、その半面で、どうやら主人公のコウジにも、(ようやくにして?)何かの覚悟が出来てきたような感じで。正直、ここまで見てて、何ともしんどかったなぁと思います。・・・と思ったら、もう次で終わりじゃないですか?うひゃあ~・・・

無限のリヴァイアス Vol.7 無限のリヴァイアス Vol.8

 間違っちゃならないのは、この作品、あくまで現代社会の「戯画化」であって、決してまっとうな「縮図」ではないですよね。シミュレーションっぽく装っているけど、たぶん誇張された結果を導き出すために、そこからあらかじめ逆算されて設定された初期パラメータが、そもそも変な感じ。「教師のいない学校」と言うべきシミュレーションの仮定条件も含めて、いろいろ恣意的過ぎます。話に馴染んできてしまうと最初の違和感も忘れてしまいがちなんですが、そういうふうにシミュレーションっぽく装っているところが、悪くいうと胡散臭いというか、たちが悪いというか。
 ただ、作品のターゲットを中高生に絞って考えていくと、たしかに彼らの視野から見える範囲では、“大人なんていないのも同然”という感覚は分かる。谷口監督も言ってましたが、たぶんそうした感覚は現代に特有のものでもなくて、胸に手を当てて考えてみれば、大人はウザいだけ、“教師≒大人≒社会”これら全部まとめて否定してしまいたい、という気分は、自分が中高生のときにもたしかにあったような気がします。
 だけど谷口監督にしても、シリーズ構成の黒田洋介氏にしても、私と似たような世代の“いい大人”(笑)のはずであって、いくらお客さん重視とはいえ、リアル中坊の目線で物語を描いてしまうことについて、どう考えているんだオイ、というのがあります。

 この作品に限らず、こうした疑念はいつだって持つべきものかもしれません。私で言えば『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』を体験したのが中高生のときでした。この年代に接した作品の影響力というのはとても強いですよね。『Vガンダム』や『エヴァンゲリオン』を中高生で体験した人にとっては、これらの作品が比類ない重要さで語られるようなことも、しばしば感じるところです。
 そもそも“いい大人”がアニメ見てるほうがおかしいだろ、中高生ターゲットで作品を作るのは当然だろ、というのもありますなぁ。(苦笑)
 だけど、売れたいがためとか、話題になりたいがためとか、そういうターゲットマーケティングでもないような印象があるので、よけい掴みどころが分からないのです。面倒なことを言う大人がいない社会を描いて見せたのに、しんどいし、重いし、なんだってこんなに気持ち悪いんだろー。

 フィクションなんて、いつだって現実の戯画化だろうという問いもありますよね。だけど『イデオン』だってしんどくて重い人間関係の中で、よく分からない謎の力に突き動かされながら、迫り来る状況に追い詰められていったけど、だけどこんなふうじゃあなかったぞ、と思わずにはいられません。
 前にも書いたかもしれませんけど、「一ヶ月たった」「二ヶ月が過ぎた」というのを工夫もなく素のままでナレーションやテロップに乗せてしまうのは、小説とか漫画でならいいけど、アニメでやるのは不細工だと私は思うほうです。『OOガンダム』もそんなところがあるので、(本当は疑わしい)シミュレーション的な物語構成というのは黒田流なのかもしれません。

 文句が多すぎますが(笑)、ついにパニックに陥って現実を見られなくなったヒロインを前に、無力感に絶望して泣き崩れる主人公のシーンは凄かったです。あれは二人そろって涙ぼろぼろという絵づらの力だったような気がします。“物語”を“アニメ”が救うのがいい、と思うんですよ。口幅ったい言い方ですが。
 しかし、あと一巻で完結・・・するのか、この話は?

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コメント

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はじめまして、いつも楽しく拝読させていただいてます。

今回のエントリーについてですが、リヴァイアスの作品世界において大人がいないことと、中高生の“大人なんていないのも同然”という感覚とは意味が違うのではないかと思います。

ここで言う“大人なんていないのも同然”という感覚とは、社会の枠組みが存在した上での「うぜぇ」といったようなものであるわけですが、リヴァイアスにおいて大人がいないことの意味というは、既存の枠組み・秩序が存在しないということです。つまり、リヴァイアスにおいてシミュレーションされているのは、“中坊目線で見た社会”ではなくて、枠組みのない世界に子供だけで放り込まれたら…ということのはずです。

ですから、谷口&黒田は本作品において、リアル中坊目線で現代社会を描いているというわけではなくて、あくまで作品のテーマを表現するための舞台として“教師のいない学校”を設定したに過ぎないと思います。まあ、そのテーマが具体的に何かというのはネタバレになりかねないので、ここでは書けませんが…

つまり、間違っていたら申し訳ないのですが、囚人さんの認識としては

リヴァイアスは現代社会の「戯画化」or「縮図」である→お客は中高生である→だから黒田は中高生から見た社会を現代社会を戯画化したものとして描いている

ということになるかと思うのですが、この認識自体が少し違うのではないかなぁと思います。

なんか、凄く偉そうな言い方になってしまって申し訳ありません。文章力が無いもので…

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