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原恵一 『河童のクゥと夏休み』 笑いました。泣きました! 

[2008/08/13] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 ずいぶん前から見たかったんですけど、このたびようやく見ることが出来ました。昨夏劇場公開されたこの作品。実によく出来た『映画』でした。笑いました。そしてマジで泣いちゃいましたよ。参っちゃいましたねー。(笑)
 私は未だに『ポニョ』見るもんかと意地はってますが(笑)、人間社会に異生物がやってくるというストーリーとすれば、この『クゥ』は最上と思える出来でしたよ。そういう観点の記事はあまり見かけない気がしますが、見比べてみたら面白いんでしょうかね。

河童のクゥと夏休み 【通常版】

 美術は素晴らしかった(特に水の表現は秀逸!)と思うけど、やっぱり感動したのは“ドラマ”だったと思います。“萌え”もなきゃ“燃え”もない、こういうアニメ。そういう強い刺激に慣らされていると、ぱっと見には取っ付きが悪く思えるかもしれないですけど。これは何回も見直したい作品ですねぇ、しみじみと・・・。

 Wikipediaには「環境問題、イジメ、マスコミの報道過熱など日本の社会問題を風刺している」と書かれていて、そんな見方も出来るのかもしれないですけど、それはリアリティのある背景で、主眼はあくまで登場人物(“河童”を含む)たちの間のきめ細やかな“情”の流れ、人間味豊かなドラマにあるんだろうと私は思いました。(そんなところは、例えば高畑勲監督の作風なんかに近い部分もあるのかも。)
 主人公の康一にせよ、上原家の人々にせよ、理想化された少年だったり家族だったりするわけではなかったです。康一はイジメを見てみぬふりしていたし、マスコミに騒がれれば浮かれもする。母も妹も異生物に初めて接したときの気持ち悪さの表現はひどいものだったし、父は会社で上司に迫られれば、スポンサー関係のテレビにクゥを出演させることに同意してしまう。・・・そういう、どこにでもいそうな、ごくごく当たり前の人間たちがクゥと出会い、過ごしたひと夏の出来事。これはでも、見てない人にはオススメしたいから、気になる人は、以下読まないでくださいませ。

 以下、少しネタバレになるかもしれませんが、なんとなく話の順を追って感想をメモしてみます。

 アーバンタイトル。物語は江戸時代から始まって、クゥのお父さんが理不尽に侍に斬り殺されるショッキングな描写から入ります。ここは正直、「うわっ!」って思いました。もう少し穏やかな入り方というのもいくらでも考えられるし。ただ、後から思えばこうしたかったんでしょう、原監督は。これを客に媚びてソフトに入れてしまうんでは、クゥが人間と和解してしまうことへ感じる後ろめたさが見えなくなっちゃう。

 それは康一が拾ってきてしまったクゥを上原家が受け入れていく過程の描写も同様で、はじめて見たときの気味の悪い異生物への生理的な拒否感というのを決して隠してない。だからこそ、ひと夏が終わって訪れたクゥとの別れのシーンとの対比が際立つんですね。

 康一の学校生活も、ごくありふれた風景でありながら、実は憎からず想っている同級生の菊池さんへのイジメを見てみぬふりするなど、正直苦いもの。この薄幸の少女が置かれている意味が、これがなかなか見えてこなくてジリジリするんですけど、終盤で実に鮮やかに逆転するんですねぇー。(笑)

 いい感じで笑いを基調にしながら、そういう苦さと、そしてもう河童の仲間はどこにもいないのかもしれないという痛み。あとクゥが誰かに見つかっちゃうかもっていうドキドキ。・・・河童が今もいるかもしれないっていうんで、クゥが遠野へ行きたがるのもそうで、そう、このストーリーはいつ終わっちゃってもおかしくないハラハラ感が、ずっと底流にあります。(それもまた上手く切り返され・・・。)
 そして康一とクゥの二人旅。いつの間にか成長していた少年の旅立ちに、お母さんがちょっと涙ぐんでみせたりとか、そういう小芝居も、何ともいい味を効かせています。
 その後、本当にあっけなく強引なマスコミ報道にさらされて、ここからちょっとしんどい展開になっていくわけなんですが。

 上原家の飼い犬の“オッサン”の物語がここで(わりと唐突に)挿入されてきます。・・・これがもう、最優秀助演賞もの! 無理やり出させられたテレビのワイドショーで、偶然か必然か、お父さん河童の斬られた腕に対面して動揺したクゥのピンチを救えるのは、オッサンだけ。どこへ行っても人間だらけの都会をさすらう逃避行のスピード感!(ここまでのじっくり描写との対比が見事!)
 見ているほうも完全に“人間は敵”という思いに感情移入していき、その真に度し難い人間どものために、オッサンが・・・。そのときに彼が口にしたのは・・・。

 悪い予感はずっと水面下にあったんですけど、ここの芝居はまったく予期せぬ展開の連続で、オッサンの末期には本気で泣けます。そこからノンストップで思いつめたクゥが東京タワーを登っていくシーンに入っていって。

父ちゃん、俺、どうしたらいい?もう・・・くたびれたよ。俺も父ちゃんのところへ行きてぇよ。

 この深い絶望にも完全に共感してしまったときに、奇跡が訪れるんです。冒頭の伏線とも結びついて、最高の舞台で劇的なクライマックスで・・・。

 ところがエンターテイメント的には、ここで終わるかな、というところで、でもいったん日常に戻るんですね、この作品は。そして康一は(そして菊池さんも!)初めてイジメと正面から向き合う。ここで、今までずっと耐えてきた菊池さんが、唐突に泣くんですね! (イジメが辛くて泣くのではない!)やられた!! (また泣いちゃいました。これは耐えれん!)

 そして急展開する物語。ダメダメ小僧だった康一が、ここで男になるなぁ! でかした!

康一、菊池、・・・俺を見つけたのが、おめぇたちでよかった。
偶然なんかじゃねぇ。ずっと前から決まってたに違いねぇよ。

私、どこにも居場所がないって思ってたけど、そう思い込んでただけだったんだ。

 映画の“間”ですねー。コンビニのシーンの間の取り方は本当にすごい。アニメでこれをやるか!

なぁ、康一。俺、死なねぇでよかったよ。

 すげぇぇぇぇぇ! あの時、深い深い絶望に共感してしまっただけに、これは!

 ・・・で、え? これだけ盛り上げて、それでもまだ続く? ってところで。

俺はクゥ。人間にもらった名前だ!

 時の流れの中で“本当の名前”を忘れてしまったクゥだけど、今これを誇らかに言えるクゥの姿が胸にぐっと来ます。(その直前の「あぁー・・・!」も最高。うるうる。)

父ちゃん、ごめん。俺、人間の友だちが出来たよ。

 ありがちな思わせぶりの身振りとかじゃなくて、もう、言うべきことはきっちり全部やりきる! 物語って、ドラマってこれかっていう。何段オチなんだろうかってぐらいのたたみ掛けとも言えるけど、すごい説得力で。
 こんなに手放しで感動したのも久しぶりかも! これは何回でも見たい名作でした!

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[tag] 原恵一 fc2ファビコン

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コメント

> 原恵一、新世代の幕開け!(というほど、若くないけど…)

とても爽やかな物語だと思います。個人としては高畑作品みたいな辛気臭さもなく、何度も見れるし、何度も見たい作品です。

> 少し頭が冷えてきて思うことには、

少し大げさに言うと、アニメで「映画」っていうときの一つの基準値になるようなものを見たような気がします。
富野信者的には耳が痛い話をしてしまいますけど、これが「映画」だということになると、例えば『逆襲のシャア』や『F91』でも同じ水準には達していないかもなぁ、と。(宮崎監督や押井監督の作品を見ても、こんなふうにまで感じたことはなかったんですけどね。)
ただ富野監督には、またぜんぜん違う魅力があるので、「映画」的であることだけがポイントではないんですけど、むやみにハリウッド的なものを志向するっていうのもどうなのかなぁーと、ちょっと思ったりもしたのでした。

> 映画的とは

クレヨンしんちゃんの劇場版も、『オトナ帝国』やいくつかの例外を除けば、やはりハリウッド的です。『オトナ帝国』もハリウッド映画のパロディというふうな見方は可能でしょう。

閑話休題、富野監督の提言した「映画的」とは、おそらく正確に言えばハリウッド的とは一致しないのだろうし、うーん、わからない、です。押井監督もイメージをつくることと映画をつくることはちがうというわけですけれど、それでは「映画」とは、となると、むずかしい。

話しを『クゥ』にもどすと、原恵一監督は過去のアニメが達成した成果を、非常に巧みに自作に取り込んでいると、ぼくは思います。

> とてもうらやましいのは、

富野アニメのファンとして、Nishinomaruさんにご紹介いただいた原恵一監督のインタビュー
http://www.dot-anime.com/tb/interview/0806_2/
などを見て、大変うらやましく思うのは、作りたい作品を作るために原恵一監督が20年も我慢して、その間に実績を積み上げてきて、ついにそれを成し遂げたという、ある種のサクセスストーリーですね。

富野監督は「映画」をやりたいようなことを言うわけですけど、それがどのようなものであるのか、具体的にはよく分からないし、このまま行ってしまえば、私たちは、ついにそれを実際に目にすることのないまま終わってしまうのかもしれない。

・最初にお客さんを限定して出来上がりの形をあまりにも決めるような作り方は、きっと間違っている
・“映画らしさ”っていうのが、既に病気の見方
・きっと『クゥ』をシナリオにしたら、みんな首を傾げると思うんですよ

こうした言葉っていうのは、原監督が『クゥ』を成し遂げたからこそ重みを持って聞こえるんで、そうしたものを持たない(いつだって失敗作宣言ばかりの)富野監督は、そこがつらいですよね。

> 富野監督は原作者でもあるから失敗作宣言ができる、

という側面は大きいと思います。

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