スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮崎駿 『ハウルの動く城』 (2004年) 

[2008/07/28] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(2) | TOP ▲

 恥ずかしながら、テレビ放映されたのしか見てませんでした。

 宮崎さんは「原作クラッシャー」の癖に原作がある作品のほうが出来がよいのは何故なんだろうかと前からよく言ってますが、画面作りの人だからと言われれば、なるほどそうかも。
 昔の作品では、あまり得手ではない物語作りに自分を投影することは控えていたのかもしれなかったですけど、今は“怖いものなし”なんで、平気でストーリーにも自分の趣味を押し込んでくるから、近作のいくつかは「気持ちいい」のか「気持ち悪い」のか、よく分からない作品になっているような気がします。

 この辺の話もありまして、やっぱりもう一度ちゃんと見直してみようと思いまして。
 で、見直してみて、これはテレビで見ちゃダメな作品かもしれないですね。けっこう集中して見ないと。・・・でも、かなり本気で難解な部類の作品ですよねー。こういうのが許容されるんだから、濃いアニメファンじゃない人たちの感性というのも、侮り難いものがあると変てこな方向で感心したりしました。この内容で観客が多かったのだから、まさかキムタクの声だからってだけではありますまい。(笑)

ハウルの動く城 特別収録版

 キムタクの声は案外悪くなかったですね。ハウル役については、元からそんなに演技力の必要なセリフは多くなかった気もしますが。
 倍賞千恵子も、私はまずまずと思いました。これはだって、少女から老婆まで行ったり来たりする役なんて、声以前のところで無理が大きすぎますもん。あるいは彼女は宮崎監督の好みのタイプだったのでは?最後の歌ぐらいはともかくとして、ところどころキャラクターの絵づらを倍賞千恵子に似せたふうに描かれていた部分があったような気もして、そんなことをするから“違和感”とか言われてしまうんだろうな、と感じました。
 役者を使ってもいいんですけど、へつらうような部分が少しでもあると、そりゃアニメファンはそっぽ向くだろうと思います。その点は、倍賞さんが悪いというより監督なのか、鈴木Pなのか分かんないけど、使った側の責任が大きいんだろうと私は思いました。

 宮崎アニメ的な「気持ちいい」ものを期待して見に行ったら、「気持ち悪い」ものをてんこ盛り見せられて、何かのせいにしたい人が声のせいにしたりするところもあるのかも。魔法の世界も気持ち悪いけど、黒煙もくもくな街の風景は、出てきた最初から厭世的な印象がありました。
 主人公のソフィーも、若くして何を世をはかなんでいるのか、というキャラクター。“荒地の魔女”っていうのは、もしかしたら彼女の暗黒面を象徴する分身なのかなぁとか思って見ておりました。(暗黒面だけあって、何と見苦しく描かれていることやら。)
 しかし魔女の呪いで老婆になってしまった彼女の、何と生き生きしていることでしょう。これを見ていると逆に、自意識でパンパンになってしまう若さというもののほうが、ある意味で呪いなんじゃないかと、そんなことを思ってもみたり。

ハウルの動く城

 って言うか、端的には、宮崎監督の大好きだったお母さんのイメージが、老婆になったソフィーには投影されていたりするのかも。転がり込んできたソフィーにハウルが戸惑わないのは、後半で明かされる少年期の出会いがあるからかもしれませんけど、素晴らし過ぎる“プレゼント”などを見ていると、宮崎監督が喜ばせてあげたかった老婆というのがきっといたんだろうなぁと。
 とにかく宮崎監督にとっては、幼女でなければ老婆というわけで(笑)。
 若者独特の自意識の全否定というのは、これはけっこう過激ですよね。

 この作品、どうもわざといろんなことの説明をすっ飛ばしてまして、それはそれでよいと思うのですが、ハウルが「守らなければならないものが出来た」と言って飛び出して行った後のソフィーの行動とその結果とか、ちょっと限界超えちゃってるかなという感じで。

 「未来で待ってて!」

 「ごめんね、私グズだから。ハウルはずーっと待っててくれたのに。」

 説明的なセリフが必要だとは思わないんですけど、もう少し丁寧にソフィーの心境の移り変わりをたどってもらわないと、映画を見ただけでは本線の情が追いきれないと私は思いました。(これを理解できない観客のせいにするのは、いささか傲慢というものでしょう。)

 もう一つは、この作品にも宮崎監督独特の空中戦艦をはじめとする魅力的な兵器が多数出てきますけど、このへんも監督の嗜好を前面に出しすぎてしまっているのかな、と。この辺を取り上げて、“この作品には反戦というテーマもある”みたいなことを言っちゃうと、たぶん的外れでしょうね。むしろ、そういうどうしようもなく自分の中にあるものも含めて“浄化して!”って、放り出されているという、そんな印象。

 とはいえテレビ放映されたときに見た時には、ほとんど斜めに見ていた感じで、正直嫌だなと思う部分ばかりが目に付いていたんですが、今回しっかり集中して見て、なるほど悪くないという印象を持ち直しました。これが万人受けする作品だとは到底思えませんでしたけどね・・・。

以下余談。

 アニメと声優に関してですが、菅野よう子さんが富野監督を評して次のように言ったそうです。

とにかく言葉がいっぱい、攻撃か弾幕のように出てくる方で(笑)、おまけに本人が音楽の力をまったく信じてない。多分、自分の言葉しか信じてない、全部台詞で言っちゃう。最初は「あ゛ぁ~! 」って感じでしたけど、「音楽も絵も信じてない人なんだ」って分かってからは大丈夫でした(笑)。

 『∀ガンダム』とか、そのへんでは音楽の力も大きかったと思うんですけど、つまりガチで競り合ってるのがよかったんですかね。

 で、宮崎監督の場合なんかだと、逆に「音楽と絵しか信じてない人なんだ」って感じなのかな、と、この『ハウルの動く城』を見て思ったりしたのでした。まあ、そういうのがありますから、海外でも紹介されやすかったりするのかもしれないですけどね。(アニメーションは本来そうしたものだという話はありますね。うん、それはたしかに。)


追記

 藤津亮太さんが、「言葉」について、宮崎監督と富野監督に関して真逆のことを書いてましたよ、というご指摘をいただいたので、調べてみました。

宮崎はアニメーター出身で、監督作の作画には自ら徹底的に手を入れることでもよく知られる典型的な 「絵の人」 だ。だが宮崎は絵と同じか、それ以上のナイーブさで言葉を扱う「言葉の人」 でもある。

 『ナウシカ』『ラピュタ』『千と千尋』・・・なるほど、たしかに宮崎監督は“言葉の力”にまっすぐな信頼を寄せているっていう指摘は正しい気がしますね。一方の富野監督は、「世界を構築するために言葉を駆使する」けれど。

富野はその饒舌さから言葉を信じる「言葉の人」のように見えていたが、実は人一倍言葉を信用していない――それが言い過ぎなら、その限界に自覚的なのだ。だから言葉の限界を意識して改めて富野アニメを見ると、饒舌なセリフが、常にディスコミュニケーションを引き起こしている原因だとすぐに気づかされる。言葉のおかげで、登場人物たちは逆に真実から遠ざけられているのだ。 このように饒舌な富野アニメにおける言葉は、宮崎アニメのようにまっすぐに世界の中核に結びつく種類のものではない。

 『逆襲のシャア』のラストシーンを例に引いています。これもナルホドって感じですね。

 ただ私は声優のことについて書いたんで、“脱帽ごめんなさい”って感じでもない部分があります。同じ「言葉」を口にするのでも、その声を発する人の表現一つで表にもなれば裏にもなってしまう。言葉をナイーブに扱うということを、私はそういうふうに考えるほうなので、言葉づらだけで表現だと思ってしまうというのを、個人的にはあまり高く評価できません。

頭の中で組み立てた以上のものにはならない。っていうのがアニメの宿命で、それだと人生にたくさんあるはずの振り幅がないんですよ。だから如何に音楽でぶっ壊すか。実写だと時々あるんですよね。監督の想像を越える演技だったり、瞬間の風景だったりとか。

 あと菅野さんのインタビューでは、ここも面白かったんですけど、つまり話題になっているのは、この「頭の中で組み立てた」ものを「ぶっ壊す」力をどこに求めるかということなんですよね。で、菅野さんの場合は「音楽の力」なんだけど、富野監督の場合は世界を構築するのにも言葉の饒舌さを駆使したけれど、頭の中で組み立てた世界を「ぶっ壊す」のにも実写同様の言葉の「演技」を重く見るという、そういう話だと思うんです。

 宮崎監督の場合は、世界観はやっぱり絵と音楽の力で構築されていると私は考えます。で、ストーリーの部分は、極端に言えば、“字幕”でもある程度行けてしまうように感じられる。それでも詰まらないものにならないのは、彼のぐいぐいと動く絵の力には、頭の中で組み立てた世界をぶっ壊すだけのエネルギーがあるってことじゃないかと。(『ハウル』の場合には、観た人の頭の中にも作品の世界が組み立てられる以前に、“ぶっ壊し”が来てしまって、さすがにもう少し言葉で話の筋を補っても良かったかな、という印象でした。)

関連記事

この記事のはてブ はてブの数 livedoorクリップ クリップ数 Webスカウター情報

permalink | トラックバック(1) | コメント(2)

[tag] 宮崎駿 fc2ファビコン 菅野よう子 fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン

TOP ▲

コメント

> 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

> 追記が長文になってしまいました

ご指摘ありがとうございました。
興味深い話だったので、ついつい長くなってしまい。
こんなことなら、別記事を起こせばよかったと後悔しています。(笑)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/1285-e274e6c2

「飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守」のお礼と補足。そして富野フォロー。

前回記事、飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話> を多くの方に見ていただいたようで誠にありがとうございま...
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。