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個人的富野小説史 発動篇<下> 

[2008/07/24] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 前々回前回の続きです。コメント多数頂戴いたしまして、フォローいただいているなぁと感謝いたしております。
 何ていうか、こういう自虐的(笑)なエントリーを書いていますと、自分が“富野スキー”と言っていても、富野由悠季御大将の世界丸ごと愛しているのではなくて、“富野アニメスキー”なのだなぁとつくづく。でも、皆さんのコメントを読ませていただいていると、何となく読んでみたくなってきますから不思議なものですね。

 ともあれ、ここの後半から。

 『機動戦士Vガンダム』もアマゾンで書影がないのですねー。小説版、未読の作品です。御大自ら「意趣返し」であると明言しているんですか、そうですか・・・。“「生き生きとした」ルサンチマン全開の活躍”とは、しかし面白そうですねー。いちおう私の基本スタンスはのりのりさんにいただいたコメントに近いですし、アニメの仇を小説で、というのはまあ苦手なのですが(笑)。
 富野ファンの順当な流れとしては、この小説を補助線にして『Vガン』というアニメを見るわけですね。なるほど。私などは混乱した感想しかないわけなんですが、これまでこの作品について書いてきたことなどを振り返ってみると、見た順番もあって、『∀ガンダム』を裏返しのガイドラインにして、Vガンダムのことは考える習性が付いているような気がします。(そういう視座をいただいたのはpsb1981さんのおかげですけど。)・・・それを踏まえて、改めて小説版準拠の見方を味わいなおしてみるのもいいかもしれませんね。

 次の『ガーゼィの翼』も未読。善良な市民さんの解説を読んでも内容はかなり「?」ですね。

私見だが富野御大将はアニメとは違い、小説を「プライベートな仕事」と捉えすぎている所があり、それが例えば「イデオン発動編」や「逆襲のシャア」をエゴ剥き出しの作品からかろうじて「映画」にしていたエンタテイメント精神の箍を外してしまうのではないかと思うのだ。
バンダイから、サンライズから「こんなんじゃ売れませんよ」と適度に言われることが必要な人なのかもしれない(笑)

 前段は賛成です。後半もほぼ正しいと思うのですが、『もののけ姫』以後、『ぽにょ』までの宮崎アニメの人気を見ていると、どんなプライベートフィルムでも、宣伝しだいじゃ売れるのかな、とか思ったりも(笑)。あ、絵がすごければ、という条件付か・・・。
 そういえば子犬さんからご教示のコメントをいただいてました。謹んで訂正いたします。

シーマ・シーマはかなりビョーキっぽいですが、 いわゆる鬱病期に書かれた「ビョーキ3部作」ではありません。 「アベニールをさがして」「ガーゼィの翼」「王の心」がそれですね。 どれもそういう意味でスバラシー作品です。

 というわけで、『アベニールをさがして』、『王の心』、どちらも未読です。(今回、アマゾンに全然書影がないな・・・。)『王の心』のほうは、子犬さんのブログに何度か書かれていたのを拝見して、是非読んでみたいと思っているのですが、出会いがありません。

密会―アムロとララァ (角川スニーカー文庫)

 次、『密会』!やっと読んだことのある小説が出てきました。(ほんと、ごめんなさい。)
 で、これはすごく良かったですよ。自分で感想を書いてなかったのがすごく意外な感じがするぐらいです。たしかに『機動戦士ガンダム』のストーリーを知らなかったら、少し内容がつかめないかもしれませんけど。シャアとララァの出会いが描かれていて、あとは劇場版III『めぐりあい宇宙』にほぼ沿った内容です。
 富野小説独特の毒気を濃くする部分はほとんど感じられないんですが、善良な市民さんも高評価を出していますね(笑)。アニメは好きだけどノベライズはどうもという向きにも、この作品はオススメできると私は思ってます。

ブレンパワード〈3〉記憶への旅立ち (ハルキ文庫)

 ということで、ようやく(笑)『ブレンパワード』なんですが、子犬さんkaitoさんも否定的だし、善良な市民さんも“番外”扱いで、「本当に御大将の筆か怪しい」としていますが、私は読んで気持ちよかったので、違っていてもいいです。(斧谷稔名義には、何かわけはあるのでしょう。)
 いつもの富野調ではなかったとは思いましたが、1、2巻とは文体を似せようとしながら、結果的にはちょっと違っちゃったという感じもしました。任せると言いながら後半に行くに従って関与の度合いが大きくなってしまって、というような雰囲気を想像しますけどどうなんでしょうかねー。アニメに素直な感じは『密会』に連なる部分もあると思うので、いずれにしても方向性としてはそういう感じになってきているんじゃないかと私は勝手に思っています。

 あんまり読んでないのを白状しておいて、印象だけの話をしてしまいますが、善良な市民さんが“富野由悠季は「映像作家」であり、結局のところ「小説家」としては「たかがノベライズ」の域は出ていない”と総括しておられるのは私も何となく同感です。『密会』のいいところは、そういう自分の立ち位置を自覚しながら、さらっと小編を書いたところにあるんじゃないかと。それと、初期の作品で『イデオン』は私は好きなんですけど、それも部外者がブンガクの世界に首を突っ込むことを自覚しながら一生懸命書いている初々しさがよいと思うのですよ。
 この間の作品には、“作家性”という強迫観念に追いまくられて、必要以上に作家然として書こうとしているようなギクシャクを感じたりしています。基本的に、宮崎さんみたいに自分で“絵”が描けるわけじゃないので、従来は“それなら俺は物語の部分で”というような思いがあったりしたんじゃないかと感じたりもしちゃうのですが、近頃の富野監督はそういう境地の一段上に立ったんじゃないかと(やや希望的に)思っているので、今日、富野小説を読む場合には、そのあたりを加味しながら、これはこれとして楽しめる範囲で読めばいいんではないかと、そんなふうに考えています。
 ちょっと前までは、むしろ意図して遠ざけているようなところもあったんですが、そういうふうに自分なりに整理も出来てきた気がするので、今なら読めるかな、と、そういう感じです。いろいろフォローやアドバイスをいただきまして、ありがとうございます。参考にさせていただきます。

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