小説版の『ブレンパワード』を、じっくりと楽しみました。
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旅のお供に携えていった全三巻を、今回は珍しく(?)快調に読み終えました。
私にはこの作品は、やっぱり最高に面白い!でもこれは、アニメを見た人じゃないと、およそ話のわからない書きかたをしているノベライズでした。それだけアニメに素直だとも言えますが。
ご覧のとおり一巻と二巻が「構成・富野由悠季/文・面出明美」、三巻が「構成・富野由悠季/文・斧谷稔」です。三巻の終わりに福井晴敏による解説がありますが、これは素晴らしい信仰告白でした。
類型的な登場人物、単純化した構図では語る価値がない、作劇の体裁を整えるために嘘をつくつもりはないという「正直さ」が一連の作品の中に横溢しており、それが富野作品の「魂」になっている限り、世間の無理解もある程度は宿命と甘受せざるを得ない。富野作品は、世に言う「アニメ」でもなければ、口当たりのいいエンターテイメント映画、マニア受けする芸術映画でもない。世に現れる事象、その中で紡がれる人の関係のありようを、富野由悠季というフィルターを通して「言葉」(その中には映像言語も含まれる)として再構築し、表現したもの。一つの状況を創出し、その中で登場人物たちがどう生き、どう死んでいったかを冷徹に見つめ続ける、劇作というよりはドキュメンタリーに近いものなのだから。
なぜか照れくさく感じたりもしますが、さすがに福井さんは頭が良くて文章が上手い(笑)。
ただこの人はやはり活字の人なので、『Zガンダム』や、とりわけ『逆襲のシャア』以降の富野作品を楽しむためには、「監督自身によるノベライズ本の存在が不可欠」と断じていたりして、そのあたりでは素直に頷けない部分もありました。
しかし、その福井さんをしても、『ブレンパワード』は違う、「ノベライズに補われる必要のないアニメーションであった」と認めていますね。
福井さんは、監督自身の書き下ろしでないのが残念だと言ってます。でも、この小説は、ブレン以降の新生・富野監督らしいありようを示している気が私はするんです。だいたい一、二巻が面出さんなら、最後まで任せてもいいだろうに・・・というのが常識的発想です。女性の感性の力を借りてリハビリを果たし、そして最後を担当したのもたしかに“富野由悠季”という作家個人ではなく、スタッフの一員としての“斧谷稔”なのかなぁ、と。(スタッフ・ワークとしての『ブレンパワード』!それが新生・富野監督の真価なのかなぁと。)
この小説は、正直な感想としては、小説単体で自立できるものにはなっていないかもしれません。映像で示されたものを言葉だけであらわそうとしたり、さらにそれ以上の何かを付け加えたりを、むしろ慎重に遠ざけて書かれたものではないかという印象ですね。
だから“言葉の人”である福井さんには物足りないところもあったのかもしれないけど、アニメの感動をそのままよみがえらせてくれるという意味で、(とりわけブレン以降の)富野“アニメ”のファンには、申し分なくすばらしい本ではなかったかと思います。
まあ、やっぱり『ブレンパワード』は、あまりに奥深い作品だなぁということで。小説を読んで、ああそういうことなのか、とはじめてすっきりしたことも数多く。でもそれはノベライズによって補完されているのではなく、そもそもアニメそれ自体に内包されていた魅力に、表現メディアの違いによって気付くきっかけを与えてくれる内容だったというのが、私の感想です。絵がなく、また(とても大きいのは)菅野よう子さんの音楽がないと、そうして頭で理解する部分が必要になってしまうということでもあるのかもしれないですけどね。
それより何より・・・やっぱブレンは最高です!(結局そこかよ。)
コメント
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本人も「書いた覚えが全く無い」という発言をしていますし、
どうも文体からゴーストライターが書いたのか、
面手さんが義理立てしたようにしか思えませんでした。
どうもいわゆる富野節がないんですよね。
この後のキングゲイナーではいつもの文体だっただけに、
富野が書いたのではないだろうと個人的には思っています。
私も3巻はゴーストライターだと思います
ただ、福井氏が言ってた「言葉と正直さの関係」を取り上げて考えると、∀の「平気でうそを付く人たち」というコンセプトはより面白くなると思います。嘘をつくためのリハビリ?とも言えるかもしれません。
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