「だから僕は・・・」富野由悠季 

[2006/01/06] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

正月休みの成果。「積ん読」になっていたこの本を、やっと最後まで読むことができました。

近頃つくづくと、囚人さんは立派なオタクの皆さんのように、しっかりとした資料収集・調査・研究に打ち込んでいないことを痛感しております。そして、このような微温的な「言説未満」のものをネットで垂れ流すのは罪悪なのではないかと思ってみたりもするのですが、何の根拠もないけれど「こういう立ち位置もあっていいのではないか、いやたまにはこういうのも必要なのではないか」と自分を励ましてみたりもするのです。

さて正直、御大の日本語は壊れてると思うので、氏の著書を読むのはなかなか骨が折れます。立派なオタクの皆さんの文章はとにかく難しいし、知識がないと読めなかったりするのですが、この人の文章は、日本語が壊れてるだけで、難しくないし知識も要求しない、と勝手に私は思っています。そして少年期から1983年「ザブングル・グラフィティ」あたりまでの半生を振り返って書いたこの本は、読み始めてみれば、なかなか楽しく読むことが出来ました。

「僕自身のことごとの羅列でありながら、テレビ・アニメーションが市民権を獲得してゆく底辺史といえる面もあろうか」などと本人は書いていらっしゃいますが、市民権の獲得というよりも、この国のアニメーション制作のどこか歪んだ環境が生まれてきた状況が、虚飾を交えずに描かれているところが、むしろ興味深いものに思われました。それが個人史と重なり合って書かれているところが、この本の醍醐味だと言えるのではないでしょうか。

あえて完全な編年体で書かれていない、この物語(?)は、1981年、ガンダム劇場版公開前夜から書き起こし始められています。あくまで濃厚にパーソナルな自分史でありながら、世の中から見ればそうしたものだという、社会的な(ある意味冷たく自分を突っ放した)視点も考慮されている点は、富野由悠季というクリエイターの作品制作スタンスとも密接に重なっているものに思えます。虫プロに入社以来、怒濤の勢いでアニメというものに呑み込まれつつも、常にアニメにのめり込み過ぎることを警戒し、半身を引いたスタンスをも保ち続けているところが、この人の持ち味であるようです。
ガンダムオタクの神のごとく言われていますが、この人自身は少なくとも自意識の中ではオタクではないし、(オタク定義はさておき、)その微妙な立ち位置が重要なところでしょう。

これを読んではじめて意識したのですが、1981年ごろ御大は、まだ40ほどだったのですか!40歳が立派な大人なのかどうか?と疑問に思ってしまう私。自分が少年だったときは疑いようもなく大人だったはずの40歳が、今、実際に自分がその歳になってみると、微妙な年代であることが実によく分かります。決して満足のいく自分ではないけれど、もはや勝負しなければならない年代なのでしょうか?その年代で「ガンダム」という、まさに世間的にみれば疑いようもない金字塔を打ち立てることに成功しつつも、富野氏の回想に並ぶのは、自分への疑いを綴る字句の数々…。
「ただアニメを十数年やってきただけの、マイナー志向に凝り固まったスタッフ」というのは自分も含めて言っている言葉であるらしく、「だから僕は」と書いたすぐ後に、「だからといって僕は」などと書かねばならないなどというのは、分かりにくいことこの上ない。・・・しかし「分かりにくい」ということが、これほど分かりやすい自伝というのも違う意味で珍しい!実の所、この「正直な分かりにくさ」こそがこの人の信条なのではないのかと思えるのです。

人はひとりびとり大きく生きたいと願っているだろう。人は率直に認め合っていきたいと欲求しているはずなのだ。にもかかわらず、人の悟性と感性はそんな本能的な率直さを忘れさせる。辛いな。人は・・・・・・。そう思う。


「僕の個としての欲求」として書かれている、この「辛さ」は、ガンダムで描かれたニュータイプ論のプロトタイプとして読むことが出来るようにも思われます。そんな「辛さ」に誠実に向き合ってきたことが、富野という人の作品に私がひかれてやまない魅力でもあるのかな、と改めて感じました。
何故、人の悟性と感性は、互いを認め合いたいという率直な願いと相克してしまうのか? とても難しく、しかし時代を超えて普遍的なテーマです。これにガンダムという作品は答えを出せたのかと言えば、実のところたぶん仮説さえも出してはいないのではないでしょうか。そこで描かれたのは「辛さ」という状況だけで、答えは常にそれを見た人間が考え、悩む。
メッセージ性のある作家と言ったような表現が、富野氏には付きまとうわけなのですが、「じゃあメッセージって何なの?」と言うと、毎度何を言っているのか分かりにくい。でも囚人さん的には「その分かりにくさがいいな!」と。(←しつこい。)

アニメは漫画。漫画は幼児の物。そして低俗。すでにそんなふうに考える時代はおわりつつあるのだ。


鉄腕アトム以来約二十年を経て、富野さんが上記のように書いてから、さらに二十年以上の年月が流れましたが、たぶん時代は変わりきってはいないように思われます。相変わらず、アニメは文化という言葉に見合う内実を備えたとは、少なくとも世間では思われていないようです。

いや、ガノタの神につたなき我が身をなぞらえるが如き言動なぞは不遜不敬な行いであるわけなのですが(笑)、のめり込み過ぎない立ち位置、というものを囚人さんも探してみたい。しかしその危うげな姿勢に自信を持てるスキルは身に付けたいものですよね。うーん、結局、最後は難しい…。
ともあれ、ごく個人的にではありますが、年頭にふさわしい読書でありました。

関連記事

コメント

> 未だに

分からない事だらけですよ
大人ってもしかして幻なんですかね?

> われら今さら

リセットできない年代ではあります。(笑)
世の中には物知りな人、頭のいい人、いろいろおられるということぐらいはようやく分かってきました。生まれ変わってスゴイ人を目指すそうにも、たぶんもう間に合わないので、今の自分で一番悔いを残さない生き方をするってことなんですかね?
「富野好き=マニアック」ではない富野好きの立ち位置を、探してみたいものであります。

>

ぼぼぼ ぼくもおとな??v-73

>

ayaさん、こんにちわ!
オジサンな話題でごめんなさいね。夢も希望もある若者はうらやましいでござるよ、正直。
ayaさんぐらいの頃には、今の囚人さんぐらいになれば、もう少し立派な人になっている予定だったのですが、人生何がいけなかったのかなぁ?だからといって、あきらめないのだ。v-278

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/127-6abc8cd7