刹那の状況の中での最善というところで動くしかできない私ですけど、
[2008/05/21] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲
" 「共感か反発か」しかない状態に対して、その二項対立から抜け出すものとして「そのどちらでもない」ところに「対話」を置く、という事なんですが。実は、これはこれで新たな構図の罠に嵌る可能性を生んでいる "
" 既存の二項対立に対して、そのどちらでもない「第三項」を持ち出すというのは、二項対立解除の方法としては失敗しやすい "
" 繊細なニュアンスであるが故に、そこが磨耗して消えてしまう可能性もあるわけです。たとえば、新たな賛同者が現れて、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」と言い出すようなケースを考えていただければ分かりやすいと思いますけども。 "
" 「善」と「悪」などでも同じで、自分の中にも悪心というやつがある事をまずは認めること。全然なんの悪心も起こさない人間なんていません。 "
私ってのは、いささかマゾ的気質があるのか、痛撃を食らうと嬉しくてたまらないと言いますか。(笑)
特に三番目の「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」みたいな喩えは、実に分かりやすく私の態度の問題点を指摘してくれていて、見事にやられました。しかし、そこがありがたい!!
毎度、冷静さを欠くのが私の悪いところですね。
先日の、「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」というのも、私にはすごく気持ちのよい洞察でした。
ついつい刹那の状況の中での最善というところで動くしかできないのが、私というキャラクターなのかも。(・・・と、自己規定してしまうのも本当はよくないんで、常に状況は動き、自分自身も変わっていく。だからこそ面白いのかもしれないですね。)
・・・とコメントもしたのですけど。(コメントを書いている端から自分が動いていて、相変わらず何を言ってるのか分かりにくくてごめんなさい。)
上記コメントの中で引きなおしている、富野アニメの中では「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」という指摘も、ものすごく私のツボにはまっている鋭いもので。私がむやみに「なるほど!」を連発するので、ちょっとたしなめられていたりもしますが。(笑)
逆に、私が好きなのはそういう傾向の作品で、そうでない作品はピンと来にくいことの理由を、実に的確に教えてもらったような感じです。
結局は、アレですね。
人間の軸は一つではないのだから、フラフラ行ったり来たりするんだよな。
それを、まあ、楽しい事と思ったほうが得ではあるのだろうかね。
正しい事には価値はないと思う。
気に入ってしまったものだから、ここでも私は「一度名前を与えられた以上・・・」を引きながらコメントをしていたりして。循環しているというか、はたから見れば「閉じた楽園」の中に留まっているようにも見えるかも、などと危ぶむ思いもどこかにはあり。
けれども何しろ、zsphereさんにせよ、グダちんさんにせよ、強く共感できる面と同時に、互いの立ち位置の位相の違いというものも認識できていて、むしろだからこそ、こうした「対話」ができるのだという。
ここの扱いを間違えると、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」という選民思想(笑)になっちゃうことには気をつけつつも、やっぱり私はこういう皆さんと「対話」できる幸せ(循環しながらもわずかずつスパイラル状に、自分が変わっていける可能性)はじわじわっとかみ締めたいと思うのでありました。(とにかく身近な「他者」の存在に恵まれていることに感謝!)
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