「なぜおた問題」っていうか・・・(グダちんさんへの私信)
[2008/05/18] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(7) | TOP ▲
コメントでお答えしようと思ったけど、長くなったので記事にしちゃいます。
うーん・・・。「気になる」のかと言われると、あちこちで見聞きすることに、いろいろと違和感があるのはたしかなんですよね。“オタキング”という人のことはもちろん、“オタク”なるもの自体、正直言うと、わりとどうでもいいと思いつつ。
と、そんなふうに思っていたら、海燕さんがすごくいい事を書いていて。ちょっと目からうろこでした。自分のブクマコメを転載しておきます。
[*おたく][コミュニケーション][これはすごい][これは正論][なるほど][なっとく!][!興味深い][!殿堂入り][*ものの見方]いろいろもやもやしてたものが、すごくすっきりしました。/思うに、これは「おたく」とかいう曖昧な言葉に関しての狭い話じゃなくて、もっと大きな“ものの見方”についての洞察を含んでいるんだと思う。
話の前段としては、
これを読んで、
囚人022 2008年05月12日 19:26
そんなに詳しくないんだけど。
昔はライト級の「おたく」なんて存在自体があんまり認められなくて、 ヘビー級の「おたく」な人と、「それ以外」の普通人の断絶は、 とても大きなものだったんじゃなかったかなぁと思ってます。アニメファンがみんな「おたく」だなんて、 私は今でも認められない感じはありますよ。(自分も含めて)
一つの時代を築いた人たちではあるからなぁ。 ・・・難しいところだとおもっちょります。
グダ 2008年05月13日 00:59
うーん。
「マンガブリッコ」に載ってたとされるおたくの語源的には、喫茶店で陰気に「おたくは・・・」と呼び合うような若者と言う風に語られていたんですが。
そういう人は一つの時代を築いたんでしょうかね?たくさんいた若者だと思いますけど。
まー、僕はオタクというよりは脳内妹のお兄さんですよ
囚人022 2008年05月13日 21:40
このあいだ、たけくまメモで初期の使われ方をリサーチしてましたけど、もともとアクティブなアニメファンのグループ内で、その一部に存在した“根暗”な人たちを、グループ内でだけ通用する隠語として「おたく」と言っていたのが最初じゃあないかという話でした。
要は、身内の一部を指して使っていた一種の侮蔑語が、気が付くと外部から、自分達全体を指して使われていたという説です。
こんな流れで、今こんな話になってるんですけどね。
で、ここでもう一つ手抜きして、海燕さんの記事で自分がはてなスターを付けた部分を転載。
" オタク同士でも「話のわからない」連中を排斥し、「話の分かる」相手とはベタベタに「依存」しあうという関係がはびこっているように思えます。まあ、これはオタクに限りませんね " " 自分を「オタク」とか「ファン」などと規定することは、自分で自分を一定の限界に縛り付けることでもある "
" 自分を「オタク」と定義し、ほかの人間とは違うと思い込んだ時点で、どうしようもなく差別と偏見は萌芽してしまっているのである。竹熊さんがいう「排斥」と「依存」は「オタク」の本質に絡む問題だ "
" 私たちは「分かりあっている」からコミュニケートするのではない。そもそも互いにすべて「分かりあえない」から懸命に言葉をつむぐのです。「他者と出会う」とはそうした認識のことだし、裏を返せば、そこで「ちゃんと一人になる」ことを引き受けた地点からはじめるということです "
" 価値観の異なる相手ともきっちりと対話しあうことのできる「言葉」を確立するということ。互いにわかりあえないこと、差異があることを前提として受け入れ、その上でなお、理解しあえる何かを模索すること。 "
" 本当にいまの「ポストオタク」たちは「他者」を必要としているのだろうか? 自分の「言葉」の通じる狭い範囲でナルシシズムを満足させていればそれで十分なのではないか? "
特に後段3つ。その中でも最後の一つが私にはビビッと来ました。それですよ、それ!(笑)
私とか、昔、インターネットもない時代に、第一世代の人たちがばりばり活動開始してたのを、遠くから眺めてるだけの、コミュニケーション敗者だったという自覚があるんですね。で、そのときに“おたく”というものにはなり損なったと思っているのです。
でも、上気した海燕さんの記事の中の前段二つは、とても正当な指摘だと思います。
そのへん曖昧なままで来ちゃってたことに気付きつつ。でも3つ目、4つ目に書かれているようなことは、これまで何となく考えてきたことでもあって、すごくうなづけるのです。
で、もやもやとした違和感というのが上手く言えなかったんだけど、本当にいまの「ポストオタク」たちは「他者」を必要としているのだろうか?という言葉を読ませてもらって、すごく嬉しかった。
いまのオタク文化は十分にその態度を許容するし、閉鎖した楽園ほど心地よいものはない。
ただ、ひとついえることは、「ぼくは」それでは満足できないということである。
私なんかはネットのおかげでようやくコミュニケーションの真似事ができるようになった人間だけども。いや、だからこそかな。“閉鎖した楽園”には満足できないというのに、激しく賛同します。
そういう意味で、“これは「おたく」とかいう曖昧な言葉に関しての狭い話じゃなくて、もっと大きな“ものの見方”についての洞察を含んでいる”と書いてみました。
私も、呼び方や呼ばれ方、曖昧でしばしば逆転さえしてきている定義のあり方なんかはどうだっていいし、「やりたい事をやるときは所詮一人」という諦観(覚悟?)もあるつもりですけど、でもこうやってブログに書いて、誰かに読んでほしいということは、コミュニケーションを求めているのは事実なのだと思うのです。(近ごろ更新が滞ってますがね!)
コメント
そこに賛同するという形で、
「閉鎖した楽園に満足している人たち」に対する選民意識になってるのでは?
と言われたら、囚人022さんはどう答えます?
なんて、意地悪な事を言ってみたり(笑
まあ、この手の二項対立から逃れるっていうのは、
なかなか大変で厄介な問題なんですよねぇ。
意地悪?(笑)
「と、偉そうにいったけれど、これ、ぼく自身にもブーメランになって返ってくる問題なんだよなあ。お前自身も「依存」したり「排斥」したりしているんじゃないか?って。まずはそこのチェックからですね。」
・・・と言っておられるとおりで。
激しく賛同したというのは強い共感ということなんですけど、共感することも反発することも禁じ手にしてしまうべきだという話じゃあないと思うんですよ。
共感することがあり、反発することがあり、同時に、そのどちらでもないところで、「他者」との対話ということがある。
おっしゃるとおり、楽なことではないんですけど、まずはそうした認識の部分から、はじめるしかないんじゃあないでしょうかね。
テーマに沿うような外れるような
正直言って、ここで暮らせと言われたら、僕はもう何でも自白すると思います。あれは、一種の拷問です。新世紀の貧民窟です。
そして、そこをねぐらにしなければならない人がいるということに、驚きと哀しみを隠せません。
ただ、あそこで一晩を過ごして、様々なサブカルテャーにデカルチャーな遭遇をしていた間、その環境がどれほど堪え難いものであったのかを自覚する瞬間というのは、実はなかったのです。そこにはある種の諦観とシニニズムと、妙な言い方ですが(無敵モードの如き)多幸感がありました。そこにいる間、自分の状態を惨めなものと自覚することはなかった。ただ、自分が不死の存在であり、与えられた情報を自由に感受できる存在であるかのような、そんな感覚がありました。そこに流通している様々な情報が、多くのバイアスにかけられていることを心のどこかで自覚しつつ、それでもそんなことはどうでも良い事なのだとすら感じていたのを、今になって思い出します。
現実の世界と切り離されて、しかしそこには、上手く言葉にはできないもう一つの世界が、たしかにあったのです。
一晩だけの体験です。それは、確かに、一つの異界でした。
そしてそこは、もしかしたら「依存」と「排斥」と言う二項対立と、ひどく親和性の高い異界であったんではないかと、今にして思うのです。
メモ
傾向としての議論(○段論法的にやります)
コミュニケーション力が低下しているいうのは、狭いコミュニティになっていることと連動しているのではないでしょうか?
狭いコミュニティになってしまうというのは
オタクが全範囲を網羅できなくなっているからでしょう
網羅できなくなるのは、あまりにジャンルの細分化とその狭いジャンル内での深化が進むからでしょう
こういうのは、ある意味で科学と同じ業を背負っています。
人間の知的活動である以上、興味のある対象への観察の結果、それは細かく区別され、表現する言葉は増殖し、しまいにはその観察者の観察力の限界が来て、それ以外の対象が見えなくなる
つまり、視点が狭い範囲へと向かいがちになる人種が学者(あるいはオタク)というものなのでしょう。
それに対し、
無意味な情報量の増加(エントロピーの増大)を、
鈍感になることで対抗してきているのが
昨今の「ぬるいオタク」「ライトなオタク」像なのかもしれないな、と漠然と考えております。
現在良く見受けられる、
一般人の知識の浅さ、というのは
情報過多の時代に対する、ある種の適応現象なのかもしれません
オタクの場合の適応現象が
「より狭く、その範囲内で深く」であるとすれば
違うコミュニティの人間との言語の通じなさ、
ディスコミュニケーションの理由というのは推測可能かもしれません。
本記事の議論とは視点を変えて
やや上位の抽象度の高い視点ですし、
正しいかどうかも分かりませんが
皆さんの議論の何らかのお助けになれば(なりそうもありませんが)。
(^^ゞ
バルタザールさんの体験談に、たまたま「避難所」という言葉が出てきてハッとさせられましたが、このブログも私の「避難所」なのですよね。
さまざまなサブカルチャーにデカルチャーな遭遇・・・している楽園なのかもしれません。(笑)
・(無敵モードの如き)多幸感
・そこにいる間、自分の状態を惨めなものと自覚することはなかった
・自分が不死の存在であり、与えられた情報を自由に感受できる存在であるかのような、そんな感覚
・そこに流通している様々な情報が、多くのバイアスにかけられていることを心のどこかで自覚しつつ、それでもそんなことはどうでも良い事
あらまあ、いやだわ奥様。まるでブログでの私のことじゃございませんこと。オホホホホ。
なにしろ、そういうのを「おたく」というのかどうかなんて、本当に瑣末なことですね。「富野信者」などという言い方もそうで、たまに自嘲気味に使うぐらいがいいところ。そういうふうに自己規定してしまうのは、これは気をつけなきゃならないところなんでしょうね。はい。
オタクにこだわりアニメの話題ばかり出すお前もおかしい
相手が別にアニメも漫画の話題切り出さないのに
それでも
ネチネチ何時までも言ってるお前は
根暗でしつこいし
はっきり言って
『気持ち悪い。』
しかも人の話聞かないし
最低
こいつ
批判のご趣旨がよく分かりません
アニメは好きなので、何を話してもアニメの話になっちゃいます。
「人の話聞かない」っていうのはリンク先の記事をよく読んでないって話ですかね?
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