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「新人類」と「おたく」の違いは? 

[2008/04/02] | 「おたく」な話 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

何がどうして、どう間違ったのか、代理店にあれだけ頼んであったのに、禁煙車が手配されていたことに、乗り込む段になって気付き、いきなりブルーな出張の旅です。
…車窓の風景を愛でるでもなく、日ごろの不摂生が祟ってほぼ爆睡の旅。なんともはや。(笑)
携帯から書いてますんで参照しながら書けないんですけど、「おたく」についての話題に皆さんコメントありがとうございます。のりのりさんのお話にはなるほどと思いましたし、G3さんのお話も実際の体感として「あー、やっぱりそういうのはあるなぁ!」と。
ちょうど今、車中の徒然に読んでいる本(橋本努『自由に生きるとはどういうことか』)に70~80年代の文化として“ブランドを着こなす「新人類」”と、“自分だけのシェルターに閉じこもってマイナー趣味に興じるという「オタク」”という表裏の対比が出て来ました。
…経過とすれば、まさにそんなことでした。が、現代の状況から読むとやや時代がかって見えますね。
どちらも当時は否定的に使われた言葉でしたが、「新人類」が今や死語なのは、それが一般化しちゃったからでしょうか。「オタク」もかなり同様に普遍化した気がするのに、変だなぁ…。
Nishinomaruさんが指摘しておられたように、メディア飽食の時代ということがありますし、またインターネットは“同好の友”を見出だすハードルを格段に低くして、仮想現実のコミュニケーション空間を与えてくれました。
そんなことで、島宇宙の中に篭っていても、もはやその趣味がマイナーだという意識は生まれて来なくなったのでしょう。しかし数ある趣味の島宇宙の中で「漫画、アニメ」だけが、(常にではなくとも)とくに反社会的なものででもあるかのように蔑視を受ける場合があるのは、実感できます。
…まあ一部に突出して熱狂的な皆さんがおられるのが目立つのは事実ですが(苦笑)。
そもそも語源的には「あなたのおうち」という意味の「おたく(お宅)」を相手に呼び掛ける時の二人称代名詞に用いていた集団なのだそうで、『マクロス』のキャラクターなどを見ても、他愛なくイノセントな“坊ちゃん・嬢ちゃん”というのが大多数なのだと思うのです。
しかしジブリアニメは許容されてロボットものはアウトってのも、体感のレベルでは確かにありますねぇ。
…携帯で長文書くのもさすがに疲れたので、今日はこの辺で。
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コメント

> 結局マスコミというのは

「専制君主」の様なものなのですよ。

自分たちが協力に広めるディズニーやジブリを好む人には好意的で、それに「祀ろわぬ者共」には恐ろしく冷たい。

それだけの事。

このわがままな「王様」に唯々諾々と従っていても、損をするのは我々。かといって昂然と逆らってもこれまた損をするだけ。消費者という我々家臣はいかにこの王様と賢く付き合っていくかが重要な時代なのだと思いますよ。

> アニキチ三平

>しかし数ある趣味の島宇宙の中で「漫画、アニメ」だけが、(常にではなくとも)とくに反社会的なものででもあるかのように蔑視を受ける場合があるのは、実感できます。

ほんとうに反社会的な趣味は、いじりにくいですからねぇ。

テレビもかつては「一億総白痴化」と言われ自己批判を強いられていましたよ。

>

話題に出遅れた男。

本質論がどうなのか私は分かりませんが、
個人的に私の周囲での「おたく」という言葉の使われ方を思うと、

「提供できる話題の幅が少ない人たち」

的な意味を感じます。
要するに、分からない話のネタを振ってくる人たち、っていうか。
話のネタにならないマニアックなモノを追いかけてる人たち、というか。

ディズニーやジブリならまだしもオタクでないというのは、
ディズニーやジブリなら「非オタク」でも見てるからでしょう。
なら、話を合わせられる。
けど、ロボットアニメは大半の人は見てないから、話が合わない。

たとえば、お笑い芸人に少々詳しくても、
あんまりそれでオタクとは言われませんよね。
それは、広くテレビで皆見てて、
従って誰が相手でも話のタネにできる(と思われてる)から。

多分、現在オタクと呼ばれるか呼ばれないかの境目は、
その辺なんじゃないかなと思います。

話に盛大な横槍入れて申し訳ないですが。
実感としてはそんな感じ。

> 世代のギャップ

>要するに、分からない話のネタを振ってくる人たち、っていうか。

ここにおいて世代のギャップという問題が出てきますよね。ロボットアニメってある世代にはメジャーなんですけれど、より若い世代からみたらマイナーなんです。おそらく「萌え」アニメなんかも同じ運命になるのでしょう。

たとえば宮崎駿の最高傑作は『どうぶつ宝島』だと考えているボクは、やはりオタクなんです。

> ボウリング・フォー・コロンバイン

について、ある映画監督が評した言葉を、なんとなく思い出します。
ドキュメンタリー映画の監督である彼にしてみると、なんでそんなに評判なのかピンと来なかったらしい。嘘はついてないし出来が悪い訳でもない。でもドキュメンタリーとして物凄く優れた作品ではない。ナノになんでこんなに騒がれるんやと。

だけど、その動員観客数を振り返った時、「普通ならしち面倒くさいドキュメンタリーなんか見ない」実に多くの人たちがその映画を目の当たりにした、その情報を受け取ったという事実を再認識した時、「そうか、そういう意味ではこの映画すごいねんなぁ」と。

ロボットアニメとジブリ作品との距離は、そういうものであるかもしれないと僕は思ったです。


>「漫画・アニメ」の反社会性
不思議でもあり、興味深くもあります。
反体制、という「風味」はサブカルチャーにはある意味必須のスパイスであるようにも思います(言い古されてるけどロックとか)。
でも、巷に見える「漫画・アニメ」にそういうものがあるようには、あんまり見えない。どちらかというと、反道徳性、でしょうか。槍玉に挙がるのは。曰く戦争賛美、女性蔑視、閉じてしまった俺様指向。内側にいてそうは見えないものでも、外から見るとそう見える、ものなのか。どうなのか。

以前seedをこき下ろしたとき、なんでこの作品に違和感と不快感を持ったのか、当時の僕は把握できませんでした。今になってようやく判った気がします。あのアニメには、共感するに足る「大人キャラ」、オッサンやおばさんがいなかったのです。
オッサンであることを自覚して後、今更キラ君に自己同一化を果たすことは到底出来なかったのですね。その意味で、あの作品は「若い人向け」であり、いまさら僕の入る余地はなかったのだなあと。

> 新人類といえば、泉麻人

『コラム缶』という本に収められているコラム「「ナウの崩壊」というナウ」を読み返して、当時の流行語を書き換えれば、現状にそっくりあてはまる上に、いままで読んだどれより、シャープな議論にスッキリしました。一読をオススメです。

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