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「セイラさん、立って。立つんだ!」 

[2008/03/27] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 ようやく帰宅。帰りの車中でうつらうつらしながら、携帯で思い付きをメモした内容なので、まとまりがないですが、とりあえず。

「セイラさん、立って。立つんだ!」

 『機動戦士ガンダム』のラストシーンというのは、あの音楽とともに、何かの折りにふれて、ふっと頭によみがえってきます。思い出すたび、馬鹿な話ですが、ちょっと条件反射的に涙腺がじわっとくる。… まあ、困ったもんですなぁ(苦笑)。

 あの作品というのは、なので私にとっては、ラストシーンからの逆算が必要充分条件。つまり劇場版はただの総集編じゃなく、一個の立派な映画だと思ってます。
 ですが、久しぶりにテレビ版を見通してみたら、…これもほんとに感動したなぁ(笑)。
 とくにNishinomaruさんの指摘されたように、「恋愛もの」としてのニュアンスは、これはテレビ版ならではのものがありました。

 …でも今日は頭の中を、あの曲がぐるぐるしてるのでラストの話(笑)。

 『機動戦士ガンダム』はニュータイプという、認識力洞察力の拡大した人間存在 を仮定したストーリーでした。(「夢、それは夢。夢…。」)
 考えてみると、あの時にアムロが救ったのは、自分にごく近しい一部の人々だけで。例えばその 脱出劇の進行中にも、セイラさんは「目から火花」でジオン兵を撃ち倒したりしています。
 なんていうか、そういう「限界」が厳然と存在しているのですね。そこにまだ可能性を試し切っていない余地が残されていたので、『逆襲のシャア』に繋がって行ったのでしょう。
 うまく言えませんが、富野監督がぎりぎり許容可能な仮定の限界線を探った『逆襲のシャア』に対して、「男というものは、こういうものだと…」というエクスキューズをせずにはいられなかった。このことは、重要なのかもしれないですね。

 そうした男性的な原理で考え尽くした果てが『Vガンダム』なのかもしれません。そういう意味で、“極北”であり、転換点であるという見方は正しいのかも。
 どちらかといえば、問題点が未消化なまま、むきだしになっている気もして、作品としては、ひどく難しいものであると私は思わずにはいられませんが。

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コメント

> Vガンのテーマ

 Vガンはひどく難しいもの、だけど思うんです。今ならわかると。ファーストでよく言われるのは、大人になったら理解できることがあると。でもVでしめしたのは、父権の崩壊、過剰な母性、バブル崩壊後の生き方、環境破壊、ガンダムファンへの反発、、仕事に生きるしかない女、普通のお嬢さんが生きる意味を求めて母親をやらなっかたらどうなるかとか、他にもいろいろあると思うんですけど、これをあの当時群衆劇でしかも警告の意味も込めてやったっていうのはものすごいことだと思うんですよ、まだ時代の結果として完全に出る前のはずなのに、確かに失敗作ではあるとは思うんです、でもOP、ED、挿入歌を含めて(個人的に好きなのもあるんですが)まだ化ける要素がある気がするんです。

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