「日本発のマンガ・アニメの行方」を読む
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浜野保樹の「日本発のマンガ・アニメの行方」
大変興味深いので、少し囚人さんなりのダイジェストで概要を皆さんにご紹介しておきましょう。
第1回 世界に遅れる日本のアニメーション教育機関
フランスのシュパンフォコム、中国の北京映画学院というところの充実ぶりを紹介。
日本には、中国や台湾のように国立のフィルム・スクールもなければ、フランスのようにアニメーションの大学もない。
シュパンファコムは「地元の経済活性化のためにCGクリエーター養成のための職業訓練校」である。現代はアニメーション製作技術の転換期にあたるのだろうと思われるが、「日本では高畑勲監督や百瀬義行監督など、トップクラスがやっと成果を出し始めた3Dアニメーションの和風的作風を、学生がやってしまっている」ことに筆者は驚いている。
第2回 『鉄腕アトム』に始まるアメリカへの道
1963年、わが国初の本格的テレビアニメーション『鉄腕アトム』シリーズのアメリカでの評価から。「とてもとても動きの少ない(very, very limited action)冒険もの」だが「大変安い」ので採用、「タイトルも『アストロ・ボーイ』となって米国のテレビで放送は大人気を得た」が、「日本ほどの爆発的ブームはひき起こさなかった」。こうして開かれたTVアニメーションの海外輸出の道だったが、巨費を投じアメリカ式制作を試みたサンリオの『星のオルフェウス』(1979年)と、テレコムの『リトル・ニモ』(1989年)は失敗。
以後のアメリカへの日本アニメ輸出史のトピックとしては
(1)1963-1977年…「海外の安い労働力」として(耳が痛い!)
(2)1979-1988年…家庭用ビデオ発明による一部ファン独自の流通
(3)1989年…大友克洋の『AKIRA』ショック(日本産「アニメ」の独自性が、一部のファンから多くの映像関係者の認識へと拡大)
(4)1998年…『ポケモン』の商業的成功のショックにより、メジャーといわれるスタジオが日本のアニメーションを手がけるように。
(5)2003年…『千と千尋の神隠し』のオスカー受賞が、アメリカの一般の人々にまで日本アニメが知られるきっかけに。
…と総括されている。(ヨーロッパでは『美少女戦士セーラームーン』や『ドラゴンボール』などのヒットなどの別の動きがあった)
第3回 僕たちは人を楽しませて、勲章をもらった
1996年、『Ghost in the Shell攻殻機動隊』はアメリカでセルビデオとして1位になったが、「日経新聞に小さく掲載されただけだった」。スーパーマリオ・シリーズの販売本数は全世界で1億本を突破したが、作者の宮本茂氏は国内で顕彰されることのないままに、1998年、アメリカで「ゲームの殿堂」入り第一号に選ばれ、しかし日本のマスメディアはこのことを一切報道しなかった。
写真が登場して、絵画は記録という役割を終えたとき、芸術と呼ばれるようになったように、「その表現方法の実用的役割が終わったら芸術になる」と言われている。わが国では、役割が終わった表現方法でないと社会的認知を受けないようだ
囚人さんはこの考察を大変面白いと思いました。
ビートルズが勲章を受章したのは、イギリスに多大な外貨獲得をもたらしたからだけではなく、文化的にも認められたからだった。
なるほど、わが国ではアニメやゲームはどれだけ人を楽しませても、弊害だけを言われて「社会的認知」を持たないですね。(明治時代、油絵が日本に伝わってきた時、「裸体画」で大騒ぎした、あれと似たような現象なんでしょうかね?)
第4回 アニメーションは実写に
世界初の3D劇場用アニメーション『トイ・ストーリー』(1995年)のヒットにはじまり『ファインディング・ニモ』(2003年)の成功に象徴される3D化の流れの中で、『千年女優』に象徴される日本の「芸術的ヴァイタリティーを感じさせる2Dアニメーション、アニメ」はどうなっていくのか。ハリウッドはもう、3D化に舵を切った。
子どものメディアとしてアニメーションはゲームと競合するものの存続するだろうが、日本が得意とする大人のメディアとしてのアニメーションは、その存続すらも危ういかもしれない。
この危機説の根拠は、日本のアニメーションは「見たこともない表現(sense of Wonder)」の宝庫だったが、CGIの技術革新によって、実写でも表現可能となり、日本のアニメーションのテーストを実写化できることを『マトリックス』が実証してみせた、という指摘です。
人材育成の軽視、技術革新の怠慢と重なって、「大きな試練」は免れないと。たしかにそうです。
ただ、囚人さんとしては、なにもセンスオブワンダーだけが日本アニメーションの特質ではないし、2Dの「平面性」というのは、民族的な美意識の伝統にもつながっている話なので、その辺を何とか留保したいな〜と思いながらこの辺は読ませてもらいました。
第5回 アニメの手法で実写を撮る
大友克洋の『AKIRA』(1988年)は世界に向かって、アニメーションは子どもの専有物ではなく、大人のための表現にもなりうるのだということを宣言した映画だった。
まずは高畑勲『太陽の王子ホルス』(1968年)以降の大人向けアニメーションの流れを概観。日本の実写映画が世界の映画の流れから取り残されていく中で、アニメだけは海外との交流を維持。デジタル化の流れの中で、押井守、大友克洋の試みは注目されたが、「アニメの手法で実写を撮る」実験は『マトリックス』(1999年)に先行される。その作者ウォシャウスキー兄弟は『攻殻機動隊』を意識していた。
海外の映像関係者、特にアメリカの業界人に、日本のアニメーションの特徴を聞くと、必ず帰ってくる答えはこうだ。「アメリカのアニメーションは子どものものだが、日本のアニメーションは大人のもの」。
海外ではアニメーションは子どものであり、日本では大人が劇場で映画を見ないため、大人向けアニメーションは全世界で、作品の優劣にかかわりなくヒットする可能性が低い。
しかし、それより深刻なジレンマが挙げられている。
大人のアニメーションは、押井、大友、そして今の作品に共通するように、リアリティーを求める傾向があり、CG技術の進歩によって実写のようなリアリティーを持つに至っている。アメリカの業界人が日本のアニメーションについて口を揃えて言う二番目のことは、こうだ。「なぜ実写で撮らないのか」。
「実写なら大人も見るのに」。海外ではそうなのでしょう。しかし「日本では、3Dアニメーションは受け入れられないという意見もある。」実は囚人さんの嗜好としては、この意見に賛成っぽいです。
第1回→やばい現状
第2回→やばくなるまでの歴史
第3回→やばさを生み出す構造的背景
第4回→3D化の流れに出遅れ、さらなる危機(1)
第5回→3D化の流れに出遅れ、さらなる危機(2)
こんなところでしょうか。
さくさく読んでくだけのつもりだったのに、意外と骨ですね。(汗)
上中下、三回も書けるのだろうか、書きたいことはたまっているのに、と少し焦る囚人さんなのでした。

コメント
次元の捕囚
http://www.asahi-net.or.jp/~xw7s-kn/tgf2002/tgf200201.html
『この背景にはあまねく世の中を覆っている、「アニメは子供が見るものである」「実写はアニメより高級である」といった「おやくそくごと」があるように思われてならない。』
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20040525/buyd132.htm
『そういう人は結局、美少女とロボットが見たいだけ。アニメの可能性は無限なんだから、実写で済むものを、あえてアニメにしてもいいじゃないか』
しかしもし御大に聞いたら「できるのならやってます!」とか言いそうな気も・・・(笑)。ちなみに根がガンプラオタの私の場合、ファーストを見る際には「脳内実写変換」をしているくらいなので3Dにも抵抗はありませんけど、こういうのはやはり少数派なんでしょうねえ・・・。
ぅおお! これすごいっすね!!(狂喜)
洋画が輸入されて以後、日本の絵画教育も欧米風の物の捉え方、陰影による立体感、量的な塊などで捉えるデッサンを良しとされるようになったと思うのだが、やはり日本人は浮世絵などに見られる線によって輪郭で対象を捉える、という2D的な見方が基礎になっているように思える。
私自身がどうもそういう体質らしいので、ついこうした見方になるのかもしれないが、しかし日本のアニメーションや漫画の絵はやはり立体的な捉え方、量感を捉えるような見方を基本に置いてはいないと思えるし、だからこそ得られた魅力が日本の漫画絵の美点ではないかとも思える。」
http://www.asahi-net.or.jp/~xw7s-kn/tgf2002/tgf200202.html
すごいすごい! こういうの読みたかったんです! kitaさんありがとう!!
「大雑把にいってしまえば、2Dは曖昧さを大きく許容でき、3Dはその許容量が小さく空間の把握は明解といえる。仮想的とはいえ3D空間は絶対的なものである。
もちろん3D空間表現においても実際には見かけ上「それらしく見えること」という基準も導入されて多くのウソが使われているであろうが、概念としては座標によって決定される絶対的な空間である。逆に2Dの方は、見かけ上「それらしく見えること」という相対的な考え方が前提にあり、絶対的な空間を想定する遠近法などは、らしく見せるための支援として運用されているように思える。絶対的な方法論と相対的な方法論、その主従関係が逆になっている、という言い方が出来るのではないか。」
やー、もう最高!!(笑)
この人の言ってることすごく好きです。でも背景あんなに描いてある作品はいやかも。(笑) だけど今度ちゃんと見てみよう。 kitaさん、ほんとにありがとう!!
これは
平にご容赦。
これは、えーと
だから費用対効果の亡者バンダイですらSEEDのロボットを3Dに
してないんだもん」と常識のように考えていました。
話はそれますが、ガンダムのプラモデルを作って2Dアニメと比較すると
、アニメでできる「決めポーズ」は殆んど不可能な子供騙しな工業デザイン
なのです。歴代のガンダムの中で「違う」のはターンAだけなんですよね。
だから富野さんはバンダイを憎んでるのでしょう。
皆さん、ごめんなさい
ただ、こういうのってただ読むのじゃなくて、まとめてみることで自分なりに骨肉化できる部分も多少なりとあるかと思い、書いてみました。「関心を表明しているわりには、こんなことも知らないやつだ」と恥を晒すことで、kitaさんのようにさらに読むべき情報をご提供くださる方もいるわけで。
押井、大友、このあたりの最近の仕事というのが、自分でどうしても好きになれない部分というのもあって、その理由を知りたいというような思いもあったりします。
ラジヨさんは日本画だそうですが、私は油絵の歴史を少し学んだことがあって、「洋画」と言われた表現メディアがどのように日本人的な感性に馴染みにくかったのかをあれこれと悩んでみたことがあります。
基本的には簡略化された表現が、日本人は本質的に好きなのではないかというのが私の思いです。
∀は
真に工業デザインの仕事をしてるのは、バンダイでプラモデルを「ただのデザイン画」から起こしている人たちだろうと・・・。あ、イヤ、やっぱりガンダム関係ではいないな・・・。真の工業デザイナーは。
工業デザインの場合「きちんと機能すること」は最低条件ですから・・・。
とまあ、こう偉そうに言う訳ですが、一応工業デザイナーの経験もあります、私(笑)。今のアニメータがそんなに儲かるんなら、やめなきゃよかったな。そうなる前に、飢死してただろうけど(爆)。
うーん、どうも・・・
どうも更新も滞りがちで、囚人さんの身の丈にあった方向へ修正しないと、これはつらいわ。(涙)
ターンAのメカは、ガンダムよりもディアナカウンターのMSとかが面白いし、気にもなります。さまざまな大きさのものが自然に混在していたりとか、ああいう発想が工業デザイン「的」なのでしょうか?
脱線ついでに
「的」と言えば、まあそうでしょうね
機能とかで大きさは千差万別でそれが普通ですし
デザイン重視だと構造や機構に苦労します
喧嘩をするとデザイン側が勝つことが多いし・・・
やっぱり

会社によりけりでしょうか・・・。
設計ではさんざんエンジニアの方に説教されたんで、結構要らん知識が・・・。
彗星帝国はいろいろ「アレ?」なデザインもありますが、ミサイル艦は好きなデザインの一つですね。解り易いのが一番。Ζのメカデザインは判りにくい・・・(あと、ゲームとか、同人系のガンダムも)。
ミサイル艦については、あれだけで艦隊を編成してるみたいな演出上の問題もあるわけで、そこまでくると結局はメカの使い手が機能を理解してるのかという問題も出てきますが、設定的な話をしだすと本当にきりがないのでやめときましょう(笑)。
えーと、「日本発のマンガ・アニメの行方」続きを書く意欲がだんだん失せてきているのですが、もう皆さん関心があればリンク先を読んでるだろうし、どうしたもんでしょうね?
個人的には
何せ、ブログを付けてないと死んでしまうという訳ではないのだから、意欲が失せてきてるのなら、出てくるまで待ってた方が良いと思います。まあ、無理はよくない、と。
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