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手塚治虫『メトロポリス』と二次創作の話 

[2008/02/08] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 昨年末にアニメを見た『メトロポリス』の原作漫画をブックオフで見かけたので、さっそく買ってきて読みました。

メトロポリス (手塚治虫漫画全集 (44)) メトロポリス

 1949年(昭和24年)の作品ですか!『ロスト・ワールド』、『来るべき世界』とあわせて“初期SF三部作”と言われているそうですね。私はまんがの歴史にはアニメ以上に疎いのですが、これはたぶん、かなり実験的なスタイルの作品だったんだろうなと思いました。
 たとえば冒頭のほうでは見開き2ページで一コマという中におびただしい群像が小さく描かれて、それぞれてんでばらばらの会話がフキダシで書き込まれているような表現が散見されます。その中のある人物たちの会話が実は本筋で、そこから物語が展開していくんですが、これなんかは映画的な(映像的な時間経過を含めた)表現を、二次元のマンガの中でどう実現していくかというような模索のひとつなんでしょうね。・・・イラストに文章を添えた「絵物語」的なものから独立して、現在では当たり前のように存在している「マンガ」の表現スタイルが確立していく過程の試行錯誤が、こんなところに現れているのかな?
 「マンガの神様」と呼ばれているのは、こういうスタイル確立を果たした功績ゆえなのでしょうが、神格化されるよりは、そういう実験精神を見てもらったほうが本人も嬉しかったんではないかと思います。(アニメとの関わり方では功罪相半ばと言われていますが、実験精神のほうは共通したものですね。)

 『メトロポリス』の表現には(上記のようなよい意味でも、また普通に悪い意味でも)時代を感じましたが、ストーリーはさすがと言うべきか、読み応えのあるものでした。大友克洋の脚本によるアニメ映画と比べると、思いがけないぐらい短い作品で、「原作」というよりも「原案」に近いものでした。アニメ版も私は面白かったですが、このマンガの悲劇の魅力は、手独特の毒気にあるような気がして、そこをアニメ化に際してはやはり変えざるを得なかったのかと思うと、なかなか複雑な感懐がありました。

 以下余談。

 アニメーターなどの人材発掘と育成を目的に、経済産業省から委嘱を受けた日本動画協会が、「オープンポスト(OpenPost)」というウェブサイトで、手塚治虫の作品を使った二次創作の投稿を手プロダクション公認で募集しています。期間限定で、投稿作品はこのウェブサイト以外では発表できなかったりと、少しシステムが複雑だということで、あまり反響は大きくないようですが、趣旨としては面白いものですね。(→ 音極道茶室: 手塚治虫の「全作品」が合法的に二次利用可能という画期的試みもスルーされまくりという日本の悲劇

 それに対して、そういうインフラ面の面倒くささだけじゃなくて、内容面で、そもそも「テヅカ・イズ・デッド」だろうという記事を拝見しました。(→ 今手塚治虫っても、ちょっとねえ…… - HINAGIKU 『らめぇ』

 それで私が思わず書いたブクマコメントが下記です。

ひどい言われようだなぁ。手のキャラクターは好きじゃないんだが、ストーリーは何度読んでもすごいと思うんだが。つまり二次創作には物語は邪魔でキャラだけが求められてるってことなのかなぁ。悩む。

 まあこれは、当該記事っていうより、そこに既におびただしく付いていたブクマコメントを読んで、思わず「ひどい言われよう」とコメントしたのですが、「二次創作には物語は邪魔」、「キャラだけが求められてる」という部分に、なんと記事の著者ご自身のはてな☆スターをいただきまして。「・・・なのかなぁ」などと悩む余地なく、そうだよ当たり前じゃないかという意味なのかなぁと。

 この記事をお書きになったy_arimさんがお生まれになった頃、私はリアル中坊ぐらいだったわけですが、「手塚治虫はそろそろ過去の人物、作品も過去のもの」というような話はその頃からありました。松本零士とか竹宮惠子なんかが当時の新しい世代でしたが、これらに熱狂して、「過去の人物はもう出てこなくていいよ!」とか熱く語ってしまっておりましたのは、今では遠い思い出です。(笑)

 『メトロポリス』の劇場版なんかでも、ある意味大友さんやりんたろうさんによる二次創作のようなものでありまして。そのように考えていきますと、なかなか複雑な心境であります。
 そろそろ私も『テヅカ・イズ・デッド』ぐらい買ってきて読んでみましょうかねぇ・・・。

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

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[tag] 手塚治虫 fc2ファビコン

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コメント

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あれは、一部を引用してはてなスターをつけられるというシステムを使った芸の一種なので、もちろん、相当極端な主張になってしまっています。原作のストーリーに依存した二次創作というのはもちろん存在しますから。ただ、やはり圧倒的に、キャラクターの魅力が現代的(ニアリーイコール同人的、MAD的?)な二次創作の第一動因だとぼくは考えています。
そして、そういう意味での「キャラクター芸」というべきものこそ、手塚治虫が先鞭をつけた分野なのではないか、と思っています。なんでブッダの死因がヒョウタンツギ(というキノコ)食べて腹壊したことなんだよ! みたいな。そう考えると、やはりかの人物はあまりに偉大な存在であります。

あと、ブクマコメントでは特に手塚治虫作品を物語面で貶すような論調はなかったと思います。すごいけどさすがに古いよなあ、なんかマンガというより文学なんだよなあ、ていうかあんまり読んだことないよなあ、という感じではありましたが。

> 風刺漫画と二次創作

風刺漫画と二次創作は似ています。共通項は、今、旬のキャラクターを元にする時事性です。キャラクターと物語は排他的ではないです。物語を背景にしていないキャラクターはいないのですから。

『手塚治虫はどこにいる』は文庫化しているし資料画像も豊富でおすすめです。

>

≫Yuu+Arimuraさん

いきなりトラバして失礼しました。ある程度は、芸風も承知で釣られてみました。(笑)
『個人的な思い入れ』こそが大事だと私は思っているし、それこそ第一次アニメブーム以来、二次創作そのものに一定の嫌悪感を持ってしまっているので、むにゃむにゃとした言及ですみません。
神棚に祭り上げて、葬り去ってしまうというのは日本の伝統的スタイルなのですが、手塚治虫を「過去の人」にしてしまったことに関しては、私も心情的共犯者の一人のような気がしてしまって。

≫Nishinomaruさん

「もっと面白い旬のネタ持ってこい」ってことですかね。難しいものです。

> 経産省といえば「デイトレーダー」

経産省でキャラ立っているとしたら、「デイトレーダー」発言で脚光をあびた次官ですかねぇ。

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