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もし吉田竜夫さんが若くして亡くなっていなければ、・・・ 

[2008/02/05] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 『ガッチャマン』、『キャシャーン』をはじめとして、このところすっかり昔(1970年代)のタツノコ作品にはまっておりますが、EMITというサイトの“タツノコ『三悪志』”という特集を拝見して、1975年の『タイムボカン』にはじまり、1983年の『イタダキマン』に終わる(その後、2000年に『怪盗きらめきマン』が制作)タイムボカンシリーズを通観していくと、ある時期以降のタツノコヒストリーにもなり得るというのを知りました。

この『ヤッターマン』が始まって人気も上々の半年後、タツノコプロの社長・吉田竜夫さんが入院する。肝臓癌だった。手の施しようもなく容態は悪化、1977年9月5日、お亡くなりになる。45歳。

ヤッターマン♪天才ドロンボー

 ヤッターマンの視聴率は26.5%ですと。今じゃあり得ねー。(笑)
 しかし、タツノコ創業者の吉田竜夫さんが40代半ばという若さでお亡くなりになっていたとは存じませんでした。

【オシイ星人】かの押井守さんがモデルのクラゲ型宇宙人。♪オ~シイ オ~シイ オ~シイナ~ モウチョット

ゼンダマン♪これまたアクダマン

 へぇー、そうだったんだ!押井さんは竜夫さんの亡くなる'77年にタツノコプロ入社、'80年、スタジオぴえろに移籍なのですね。

タツノコプロには企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整っていた。かつては東映動画や虫プロダクション(旧社)も同様の体制を保持していたが、これらが合理化や倒産により消滅したあともタツノコのみは長くこの体制を維持した。押井守は演出家の修業の上でそれが役立ったことを語っている。

竜の子プロダクション - Wikipedia

 吉田竜夫さんのいたときと亡くなってからでは雰囲気はがらりと変わる時期なのではなかったかと思いますが、竜夫さんの“遺産”というべきものがあったっていう感じでしょうかね。

『ゼンダマン』は一見好調にギャグを飛ばし、玩具の売れ行きも視聴率もそれなりなように見えた。 しかしタツノコプロ内部では、さまざまな嵐が吹き荒れていた時期だった。
吉田竜夫さんが亡くなられて、次々とタツノコプロを去る人が出てきたのである。 鳥海尽三さんは、自分でプロダクション(鳳工房)を作って独立。布川郁司さんも同様に、スタジオぴえろを設立。 鳥海永行さん、高橋資裕さん、安納正美さんらはそちらで演出家として活躍していくことになる。陶山智さん、押井守さん、西久保瑞穂さん、そして…笹川ひろしさん。
笹川ひろしさんには、同郷の平田昭吾さんという友人がいる。 彼が、西崎義展プロデューサーに頼まれ、笹川ひろしさんに移籍の話を持ってきたのである。

オタスケマン♪アーウーオジャママン

 ひぇ~、こんなところにまで西崎Pが関わってくるとは。アニメ史の影の怪人っていうような気がします。

世は巨大ロボット・ブーム。 ついに避けて通れないスポンサーの鶴の一声がかかった。 「巨大ロボットをボカンシリーズに」
ただかっこよく戦うだけのロボットでは、ボカンシリーズにそぐわない。 笹川ひろしさんは苦悩する。 大河原邦男さんとのやり取りの末、「大巨神」という人型ロボットと「大天馬」という 馬型ロボット、そのふたつの合体「大馬神」というすばらしいメカが完成。
気の良い性格を与えられたこの巨大ロボットは、異彩を放って魅力的であった。 「罪を憎んで人を憎まず」と三悪を許してはみるものの、ミレンジョが「大巨神の偏平足」などと悪口を言うのを聞きつけて、「大激怒!」と鉄槌を下す。後半になるに従って、おちゃめな性格に拍車がかかった。

ヤットデタマン♪ミレンジョ・ララバイ

 ヤットデタマンは1981年の作品。先日、「そういえば、あの『タイムボカン』シリーズにも巨大ロボットが出てきていたなぁ」と書いた元ネタはここだったのでした。

困った時のメカマン・大河原。今回もみごとな変型をするメイン・メカを作り上げた。タイムリース社専用運搬メカ・トッキュウザウルスは、ステゴサウルスのような恐竜型。非常時には、イッパツマンの乗る弾丸ヘッド号と合体して巨大ロボット『逆転王』となる。
(中略)
ところがこの頃から玩具メーカーの商戦が激化。次々と新商品が求められ、このすばらしい逆転王の命はわずか2クールちょっと。第30話『シリーズ初!悪が勝つ』で大破の憂き目にあう。 新しいメカは『三冠王』、トッキュウマンモスが変型する。飾りが多くなって重そうになった…強そうとも言える。

逆転イッパツマン♪シビビーン・ラプソディー

 すみません。どうしても個人的関心がロボットのほうへ行っちゃってますが。(笑)

1983年7月、任天堂の家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピュータ」の登場で、オモチャ業界に大きな構造転換が訪れた。そればかりか、TVの画面がゲーム機に占領される時代を迎え、TV番組とゲームが視聴率を争うことになった。 時を同じくして、巨大ロボットアニメの人気も急激に下降線をたどった。

イタダキマン♪どびびぃ~んセレナーデ

 『イタダキマン』の打ち切り話は、なかなか泣けます。ファミコン+塾通い!思い当たるなぁ、たしかに。

 まぁ、タツノコの黄金時代はやっぱり吉田竜夫さんの生きておられた時代かな、と思われてならんのですが、ここ出身の才能というのは多数いたわけで、カリスマ的存在だったらしい竜夫さんが、もし、もう少し長生きをしておられたら、その後のアニメ史もきっと違っていたんじゃないかなぁと思ったりしたのでした。

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コメント

> そんなに早くなくなったのですね

そんなに早く亡くなられたのですか。それはショックです。

「ガッチャマン」「ヤッターマン」の実写もさることながら、「マッハ!Go!Go!Go!」のハリウッド実写版を見せて差し上げたかったと思います。

個人的には「宇宙エース」よ、もう一度なんですけど。なんか、泣ける。

>

「宇宙エース」はさすがに分かりません・・・。(負けた・・・。 v-40
「忍者部隊月光」の時間枠で、その次の作品だったようですね。(忍者部隊月光→宇宙エース→ハリスの旋風という流れ)

吉田竜夫さんは若くして両親を亡くされて、三兄弟の長男として苦労された方のようです。漫画家デビュー以前に、挿絵画家、絵物語の作家としても活躍。(漫画家時代には『少年画報』でアメコミ「スーパーマン」が連載されたものの作画を担当したこともあったそうです。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_27f5.html)

> ああそうでしたか

月光も覚えています。再放送かどうかはしらんけれど。拳固で手のひらを叩いて、パッと開く!なんて動作、やってましたから。

宇宙エースの提供もハリス(フーセンガム)でしたね。ハリスの風なんて、もう、スポンサー名が入っちゃてるようなもんですよね。鉄人がグリコ(所謂食玩ですね)で、アトムが明治(マーブルチョコレートにはアトムのシール入り)でした。8マンが丸美屋(「のりたま」は8マンのシール入り)~(笑)なんて感じでした。

3丁目の夕陽の頃か、もう少しあとですかね。
 

>

ここしばらくの「タツノコブーム(笑)」のあいだ、実に楽しく拝読しておりますです。もうほんとに懐かしいなあ。こんなに覚えているなんて、自分でも驚くぐらいに「アァそうだったそうだった」の連発です。

中でもタイムボカンシリーズ。ご紹介のサイトも、時間を忘れてじっくり読破してしまいました。
僕はいつの間にかイッパツマンで卒業していたんだなあ。もう一度見てみたいなあ。

> (追悼)吉田竜夫さんと梶原一騎先生 辻なおき先生 富山敬さん

 吉田竜夫さんの漫画家デビューは『鉄腕リキヤ』という原作が梶原一騎先生の作品です。

 力道山に師事する少年・東力弥がプロレスラーとして成長していく物語です。
 『大空三四郎』『チャンピオン太(ふとし)』
『ハリス無段』等梶原作品を漫画化していきます。
 吉田三兄弟とともに京都から上京された方に辻なおき先生がおられます。辻先生といえば『タイガーマスク』ですよね。

 昭和52年吉田竜夫さん、62年には梶原一騎先生(享年50)、平成9年には辻なおき先生(享年62)が10年ごとに亡くなられており寂しいですね。
 辻先生が亡くなる2年前の平成7年には声優の富山敬さんもまた56歳で亡くなられています。
 『ヤッターマン』での、富山さんの「説明しよう」はあまりにも有名です。またアニメ『タイガーマスク』の伊達直人、『侍ジャイアンツ』の番場蛮を演じ、梶原作品にとってもなじみの深い方でした。

 皆様のご冥福を申しあげます下線の文斜体の文太字の文

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