ロボットアニメとスポンサーと漫画原作のことなど
[2008/01/29] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(7) | TOP ▲
“みんな「スーパーロボット」が好きなのかもしれない。”という先の記事では、思いがけずコメント欄で、ロボットアニメとスポンサーの関係についての話題が盛り上がり、どうも“アニメビジネス”のようなお話はニガテだなーと近ごろ(ようやく)自覚してまいりました管理人といたしましては、少し当惑しているというところです。
人それぞれアニメを見るにしても嗜好というのはあると思うのですが、私などは作画の良し悪しもあまり分からぬ、ぬる〜いアニメファンですので、いかにも低予算で作られたアニメであっても、それはそれで、どうやら話さえ面白ければ楽しめてしまうほうであるようです。
いったんそうと思いさだめてしまうと、「自分の好きなタイプの作品が全くなくなってしまうかも」というような事態でもない限りは、アニメビジネスについての関心は野次馬根性だけになっちゃうんですね。その業界の関係者でもなんでもない、一観客の立場でこういう話題にどう加わらせていただくか、ちょっと首をひねりながら書かせてもらいます。あまり詳しくもありませんし、あれこれと誤解しているところ偏見を持っているところ、たぶんいろいろあると思いますので、どうかお手柔らかにお願いします。(笑)
同じ出来事でも立場を変えて見てくると、違った受け止め方をしていることも少なくなくて、関係者の語る言葉でも、いろいろ食い違いもあるんじゃないかと感じています。苦手な話と言いましたけど、そんな中でいろんな考え方を聞かせてもらって、自分の立場からは見えていなかったこと、自分の誤解していたこと偏見を持っていたこと、そういうものに気付かせてもらえるきっかけになればと思っています。
話が難しくなってると感じてきてるのは、もしや私だけかもしれないんですけど(笑)、ここは管理人のレベルに話を合わせていただければということで。
たとえば、そもそも元祖ロボットアニメの『鉄腕アトム』からして、キャラクタービジネスのような部分を含めなければ、制作費は回収できなかったという話もありました。そういうわけで、「漫画」と「アニメ」は同じロボットものであっても立ち位置は違うかもしれませんね。
前回、世の中の皆さんは、意外に「スーパーロボット」っぽい荒唐無稽なものが好きなんじゃないかという思いつき話をしたんですけど、今日は本当はその続きの思いつき話を書こうかと思ってたんです。つまり、「スーパーロボット」の後に「リアルロボット」も少しは流行ったけど、それよりも、ただ「スーパー」なものが流行ったのかなぁというようなことですね。
あまり得手な分野じゃないので時系列も曖昧ですけど、具体的には『北斗の拳』とか、『ドラゴンボール』とか。“あー、ロボットじゃなくてもいいんだ”ってふっと思ったときに、人々の「科学」への信仰もかなり色あせたということかな、ということを一つ思いました。
もう一つは、これらが「漫画」原作ということの意味です。(私の偏見かもしれないですが)「ロボットアニメ」がアニメに占める地保に比べて、「ロボット漫画」みたいなものって、(特に巨大ロボットものは)印象が薄いような気がして、巨大ロボットが縦横無尽に暴れまわるためのメディアとしては、アニメは漫画より一定の適性があるのかな、というようなことです。
すみません。話を戻しますけど、ロボットアニメの黄金期(乱立期?)っていうのは、「漫画」から「アニメ」がひとり立ちしようとしていた時期と重なっている気もして、それは漫画に対して一定のアドバンテージがある分野だったりもするのかな、と。・・・けれど、ある一つの作品が世に出るまでに要する最低限のコストを考えると、逆に漫画に比べてアニメは著しく不利だったりもしますよね。
そこで、どうしてもスポンサーというものが必要なわけですよねー。
「オリジナル」ということへのこだわりには、そんな要素も考えてもいいのかな、と思いましたが、これなども「ジャンルそのものをその製作に携わっている人たちが知らず知らずのうちに規定している何か」の一つとは言えないでしょうか。
たぶん、そうしたものは考えていくと、いくつもあるんじゃないかと思います。こういう話題では、そういうさまざまな何かをいろいろと読み合わせることに、私は意味を感じます。
たぶん制作スタッフの愚痴交じりの談話をよく目にするせいなのか、私も含めて、ロボットアニメのファンは、玩具メーカーのスポンサーを仇敵か何かのように感じてしまっていたり、そういう言い方をしてしまったりするのは、たしかにおかしなことなのかもしれません。
彼らが資金を提供してくれたからこそ、私たちが作品を目にすることが出来たのは、もちろんです。それだけではなく、彼らにだって子どもたちに夢を与える良い玩具を作りたいという志があったとすれば、そのために彼らが「売れてほしいロボット玩具がある。そのためにはどんな物語がよいか」と考えることはむしろ玩具の作り手として純粋なあり方ですね。なるほど。
もちろん映像の作り手の側には、それだけではなく違う志も同時にあって、同床異夢と言わねばならない齟齬がいくつもあったことも事実なんだろうと思いますが、結果として良い作品が残っているのであれば、両者の(いわば同志的な)コラボレーションがあったということは、もう少し肯定的に捉えてあげるべきなのかもしれません。はい。(同様に、サンライズの社長さんたちにも感謝。)
それにしても「制約の多い中で作られた作品」が、その制約を突き崩すダイナミクスが面白いというのは観衆の立場から全くそうだと思うんですが、作り手の皆さんにすれば、やっぱり大変なことなんでしょうねー。(笑)
事実関係の受け止め方の違いは、最初のほうでも書いたように確認できることは確認するにしても限界はありますし。それよりもコメントの中で提供いただいた話題のいくつか。それぞれで個々に一つ記事を書くべきような、示唆に富んだ見解に、今夜ここではとても触れ切れません。
「実際に画面で目にする作品だけが全てだよ」とか言うとカッコよさげに聞こえるわけですが、実際は誰も全くの白紙で作品に向かうことなどは出来なくて、人それぞれに諸々の経験と思考様式を抱えながらしか、作品は見れないなーと、つくづく感じます。偏った経験から、多くの人とは違った見え方しか出来なくて、ひんしゅくを買ってしまうことが私は多いんですが、それもまたいい体験であります。知らなかった歴史を教わったり、また、それぞれの方の受け止め方の微妙なニュアンスの違いからも、多くのことを学ばせていただいております。
そんな感じで。ときどき変なことを言っちゃってるかもしれませんが、どうか寛容に願わしゅう。(笑)
余談:
できれば、ロボットアニメの氷河期にも作り続けられていたという、特撮の「戦隊シリーズ」のロボットのこととかも、玩具メーカーの人の立場などを含めて考えてみたかったのですが、駄文が長くなりすぎましたし、それに私自身あまり詳しくない内容を書いてもなぁということで、どなたかご教示いただけましたら幸いです。
permalink | トラックバック(1) | コメント(7)
[tag]
ロボットアニメ
コメント
OVA版『沈黙の艦隊』
>つまり、「スーパーロボット」の後に「リアルロボット」も少しは流行ったけど、それよりも、ただ「スーパー」なものが流行ったのかなぁというようなことですね。
そうなんですよね!リアル派の抵抗むなしく、スーパー派(ちなみにわたしはエヴァもスーパーロボだと考えています)が復活した…、『スパロボ大戦』自体、リバイバルブームの先鞭だったわけでして。
私見では、リアルロボットはロボットなしの方向に流れました。その代表が『沈黙の艦隊』です。監督は高橋良輔さんでした(私的には大プッシュです)。『雪風』とか。
うーん、しかし『ゾイド』はリアル度高かったし…。
いずれにせよ、繰り返しているように、リアルロボット/スーパーロボットという分類に拘泥する必要はないです。
≫リアルロボットはロボットなしの方向に
ロボットなんかないほうがましだ、を地でやるとそうなるんですよね。私は寂しいんですが。そこで何が寂しいんだかが、私の(全く個人的な)課題なんですけど。
そうですか、『沈黙の艦隊』は高橋良輔監督ですか。(笑)
φ(..)メモメモ
フルメタ
京アニの『フルメタ』は、わたしにはリアルロボットアニメとは思えないのですが、表面的にはリアルロボットアニメかもしれません。
それにしてもロボットアニメはたしかに多くはないですよね。ロボットファンはアニメからゲームやラジコンに流れているのでしょうか?
富野監督関係の話で…
前回のコメントを取り上げていただきまして、ありがとうございました。
今回のエントリーの本題からは、脱線してしまうかも知れませんが、富野監督絡みの話で前回書けなかった事を何点か、書かせていただきます。
まず、富野監督が何故「オリジナルである事をメリットと感じたか?」については、高畑監督や宮崎監督が、世界名作劇場で「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」、「赤毛のアン」といった傑作を送り出していたのに、そういった製作スタッフへの評価よりも原作に対する評価の方が高い、という『当時の現実』をスタッフの一人(『コンテ千本切り』と呼ばれた時期ですね)として目の当たりにしていたから、だそうです。
また、同時に高畑監督や宮崎監督の力量をもってしても、『原作物』の評価を抜け出せない状況下で、自分がそういった人達と同じ土俵で戦っても勝てないだろう、という認識もあったそうです。
そして、そういう状況で自分が一線に立つためには、当時から『玩具メーカーの宣伝番組』と見下されていた『ロボット物』であろうと、「オリジナル」を作るしかないと考えた、と仰っています。(『富野由悠季全仕事』のインタビューより)
それから、もう一点。
富野監督にとって、サンライズという会社は、愛憎相半ばする存在です。
確かにオリジナルを製作する機会を提供してくれたし、「ガンダム」や「イデオン」といった作品で、自分の名前を前面に売り出してくれた。そして、今でも自分に作品を発表する機会を与えてくれている。
その事には感謝している、と仰っています。
けれど同時に、「ガンダム」を初めとする作品群の権利関係については全て持っていかれた、という側面もあります。その事に関する不満というのは、憚る事なく公言されています。
(特に「Vガンダム」製作後に何の説明もなく、サンライズがバンダイグループ傘下に入った事については、体調を崩されるほどのショックを受けた、というのは有名な話です。)
前述の通り、このエントリーの本題からは脱線しているかも知れませんし、既によくご存知の話もあるかと思いますが、『富野監督と原作物』『富野監督とサンライズというプロダクション』を語る上では、避けて通れない話題だろうと思い、コメントさせていただきました。失礼いたしました。
カリスマを欲する大衆心理
しかし、警戒すべきは「独裁者」以上に「ギロチン」だと思います。
ご参考までに
オモチャやロボットアニメを作っている人は何を考えているのかという記事をご紹介しておきます。既にご存知かも知れませんが、ご参考になりましたら幸いです。
■MouRa ロボットの王国
第9-10回 元ポピー、バンダイ・村上克司氏
http://moura.jp/clickjapan/robot/203/content01.html
第11-12回 サンライズ・井上幸一氏
http://moura.jp/clickjapan/robot/205/content01.html
それと、特にリメイクものを見ていると思うのは、「リアリティ」云々を気にして話を面白く出来ない例が目に付く気がするのは残念だということです。昔その作品が好きだった世代が制作の一線にいるからリメイクもあるのだと思いたいので、もっと昔その作品を好きだったときの気持ちを思い出してもらいたいなぁと。
どうも抽象的なロボットアニメ談義になってしまっていて、私の大好きな富野監督のことなどに話が触れていけないのですけど、好きだから上手に距離が保てないというようなこともありますよね。
例えば高橋良輔監督のことであれば、そういえば“リアル”系を突き詰めた『FLAG』をやりながら、同時に非ロボットで“スーパー”伝奇ものの『いろはにほへと』をやっているなど、非常に戦略性があるのかもー、などと頭がいろいろ動くのですが。(笑)
愛憎相半ばする話を愛を込めて語るのは、私には難しすぎますー。(よくそれで失敗してますけど。)
「原作もの」のことでは宮崎駿監督のことなどもずっと気になっているのですけど、不思議だなーと思うばかりで、なかなか「こういうことかな?」という糸口がつかめずにいます。(トラバありがとうございました。)
村上陛下のことは、以前に一度記事にしたことがあります。
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-503.html
クリエーターなのか、経営を考えるデザイナーなのか。立場を変えてみると同じことがいろんなふうに見えるものだとつくづく思いました。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/1126-80a65cde
押井守さんのコメントです。
- [2008/01/29]
- いつのころから新発売2 |
- TOP ▲
- | HOME |




コメントの投稿