「ロボットもの、アニメもアートになる可能性があるかも知れない。」富野由悠季 

[2005/12/01] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

書きたいことの計画はどんどんと狂って行くものです・・・。

ガノタ界最凶と自ら名乗る(笑)G_Robotismさん。たいてい「停滞するかも」と宣言した、しばらく後ぐらいに見逃せない記事が載るんですよね。
「御大信徒の方につきましてはどうぞ直リンなり部分引用なり全文コピペなりで御自由にお役立て下さい。」って・・・私にこれを書けって言われてるみたいに読んでしまうのは気のせい?

今日の注目は 富野×HJ対談

東京のガンダム展に御大が作品を出品しているタイミングを狙って、1992年のホビージャパンに載っていた富野インタビューを引っ張り出してくる、引き出しの多さがスゴイ。

10年程前に朝日新聞『若者の広場』で
「子供の尊放する人No.1」に輝いた映画監督、
富野由悠季氏


とりあえず、この紹介の仕方、すごいね(笑)。以下、時期的にはF91以後ということで、元気なくなりかけ(「ノッていないと言っておきます」)の御大を、実にうまくくすぐる(?)インタビュアーの腕も見所です。「極端に言えば、どういう状況でも、それに上乗せできる“自分の持ち物″があるか、だけが問題なんです。」みたいに職人の自負くさいけど、いいセリフを引き出しているナイスインタビューですよ。
作品に込めた想いが、現場のスタッフやプロデューサー、スポンサーに理解されない状況への悲嘆は、この後にだんだんと落ち込んでいく時期らしい発言ですね~。しかし、やがてここから「∀の癒し」を経て、現場のスタッフたちとの関係が出来てくるわけです。
しかし、このインタビュアー何者だったんでしょ?例えば富野作品は“人間性”への回帰だけじゃなく、「生きていくために必要なこと、目の前にあることをいかにクリアしていくか、という事を常に訴えてきていたと思うんですが、いかがでしょうか?」・・・なんて鋭い質問、普通は聞かないんじゃないのか?(笑)
(“ロボットが好き”だけで作っていたらマクロスまでが限界ってのも、興味深い発言ですね。)

実は、ホビージャパンは毎月見させてもらっているんですが、見る毎に思うことがあるんです。それは、「モデラーの腕はあがった。もうこれ以上あがる必要はない。けれど、どうしてモデラーの仕事がアートにならないんだろう」


おお!kita082さんが読ませたかったのは、ここなのね。なんたってガンプラを寄せ集めて「アート」らしいものな、今回のガンダム展の御大の作品は!

僕自身のことですが、ガンダムにしてもそうなんですけれど、ロボットものの監督になろうとは思っていませんでしたし、今でも思っていません。意識として、映画監督になりたがっているんです。未だに。そういう点で“ガンダムの富野”のタイトルはかなり邪魔しています。決して不要だというのではありません。しかし“ガンダムの富野”だけで死にたくはない。


その想いが今回のガンダム展で必要以上にはしゃいで見える御大の根底にあるということ?「ガンプラとか作ってたかもしれないやつらが、今ではアーティストなんだ」というところに、今はロボットものとか作ってる自分をダブらせている?

しかし御大、ひとこと私の感想を申し上げれば、もしそうなら、それはイタくないですか?あなたは駆け出しの若手アーティストなんかとは比べ物にならない、現代日本アニメを代表する作家の一人なんだから・・・。

「変な卑屈感や屈折感を持たないで、ちゃんとした“人”でありたかったという事」って、・・・人間ってのは、自分と反対のことを目標としてしまうというのか。いや、分かってて自分に言い聞かせていると言うべきなんでしょうかね・・・。

「ものの見方っていうのは沢山あるわけですから。本当のようにひとつの物語、ひとつの世界として作品を作るのは非常に危険だと思います。・・・・・・ひとつの視点で判断しちやうと、ヒットラーのようになる。」この辺は、宮崎さんを念頭に置いて言っているんですかねぇ。

人間というのは、物事をかなりフラットに受け入れることが出来るということで、だったらその能力は大事にしてやりたいと思うんです。それでなくても自分の作品には“富野カラー”とでも言うべき主義主張が出てしまうわけですから、自分の主義であるよりも、ここではこうであった、ぐらいにとどめておく用心深さを持ちたい。


おお、御大!あなた自分のこと、こんなによく分かってる人だったんですね!

「富野さんにとっての嘘というのは何か実際にあった事柄が一方向からのみこれが正しいと決めつけた時点で嘘になる」なかなか深いまとめですね~。インタビュアーすげえや!

先程ちらっとアートの話をしましたが、ロボットもの、アニメもアートになる可能性があるかも知れない。その時……。



理想はいいと思うんです。
と言うか、たぶん中学生ぐらいのときから、私の頭の中には「アニメはどうしてゲイジュツじゃないんだろう?」というのが引っかかっています。激しく共感します。
ただね、ああいう形で「ガンダム展」のあることが、その答えかっていうと、私は違うんじゃないかと思ってるんですが。

しかしアニメを芸術アートだなどとは世間が思わない状況の中で、「ガンダム」の名を冠した展覧会が開かれ、大きな反響を呼んでいるだけでもすごいのか?「ガンダムの市場規模は云々」みたいな論点が多いような気はするが、どんな立派な「ゲイジュツ」とかにも負けないぐらい、アニメは既に影響力を持っているじゃないですか。
「死ぬまで嘘はつけないな」
そうでしょうとも!
死ぬまで見続けてやりますから、卑屈にならずに頑張って制作してくださいよ!!
12/2追記:ラジヨさんのコメントで「そうか!」と思ったので1箇所「芸術」を「アート」に改めました。
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コメント

> 「芸術」という言葉はうさん臭い

こんにちは。

実はアートの翻訳語として「芸術」という言葉は適切ではないのです。
「アート」とはもともとアルスという大地を表す言葉が語源で「自分と
自分以外の存在をつなぐ技法、芸」というような意味です。絵描きでも
彫刻家でも大体こういうことは知っていて、アートと芸術は区別します。
そして物書きと同様に自身のことを「作家」と言い表します。富野氏の
場合、物書きとしての「作家」になれなかったことが卑屈な気持ちを
呼び起こすのではないでしょうか。

「ガンダム展」の実現も、ガンダムが商品としてロングセラーであるから
こそ実現したのであって、決して「表現作品」として重要な価値がある
という視点から開催されたものではないと考えています。ガンダムは
芸能やアートになってゆくのが理想で、決して「芸術」などといううさん
臭いものに取り込まれるべきではないと僕は考えています。

「どうしてモデラーの仕事がアートにならないんだろう」。ヨーロッパ
には立派に「模型家」という職業が存在するのに、日本ではトップ
クラスのモデラーの作品がたった45万円で売りに出ても買い手が
つかないという寒い現実・認知度の浅さがあります。富俗層・庶民共に
アートに対する感受性が貧しいからでしょう。タミヤの模型は欧州で
「博物館収蔵品」になるほど価値を認められていますが、日本に
そんな施設はありません。

> なるほどゲイジュツでは駄目だ。

ラジヨさん、ありがとうございます。私が中学生の頃には「アート」なんて言葉を知らなかったので長年「ゲイジュツ」と思っていたのですが、言われるとおりアニメが目指すべきものは、ゲイジュツではなく「アート」ですね!
そしてここでいうアートとは、芸術よりも、むしろ「芸能」と類縁関係にある!さすが慧眼なご指摘で、目からウロコがぼろぼろです。(笑)
なおかつ、美術館で紹介される芸術なるものが、芸能あるいは広義なアートなるものよりも、高度なものであるかのような認識は、本当にこの国の文化意識の貧しさを物語るものだと。
「こういうふうに自分自身整理できた、という点では僕にも有意義でした。」御大のセリフをそのままパクッておきましょう。(笑)
御大や私のように思考の迷路にはまっていきやすいタイプの人間には、優れた対話の相手が常に必要なのですよ。
「ララア、・・・私を導いてくれ・・・。」(・・・マスクの下から涙が一筋・・・)

> 芸術か、ワイセツか、ガンダムか

>私にこれを書けって言われてるみたいに読んでしまうのは気のせい?
はい、気のせいです。たぶん・・・(笑)

>引き出しの多さ
一応、ムダにガノタ歴が長いため盗掘にさほど苦労は・・・っていいのか俺?(苦笑)

>読ませたかったのは、ここなのね。
そ、そうだったのか!・・・とのお約束はさておき、アート云々は単に時期的に担ぎ出したダミーにすぎず、こちらの意図は文中の「マニア批判」である事はあえて言うまでも・・・(あ、無論マニアの中で最悪なのが自分ですが)。

しかしまあ、カレキが芸術かアートか云々といったカテゴライズは後の時代の人が勝手にやる事であって、当のモデラー職人にとっては関係ない…というのはSMH創刊号のMAX渡辺氏のコラム「アートな模型に気をつけろ!」からの全くの受け売りですが、結局HJ出身のアーティストはまだおらず、この辺は今も当時と変わってない様な。

ただ、「ガンダムがアートなのだ」ではなく、「アートがガンダムだ(ガンダムに歩み寄った)」という怪しげな現状が面白い所で、全く長生きはする物です。
ちなみにガンダム展には「童貞力」という裏テーマがあり、「作品が完成するまでセクース禁止」という素敵なお達しがあったというのが何とも興味深い所です。しかし、まさか少年期の妄想リビドーを昇華した作品群であったとは気付かずに、彼女連れや親子連れ客を横目に「全くガンダムはパンピーのオモチャじゃ・・・(ガンダム設定に詳しい俺様のオモチャなんだよ!)」と歪んだ怒りをふつふつ感じつつも、このガンダムという消費(ネタ遊び)の行方を生温かく見守らなきゃ・・・と歪んだ親心で許容し、ザクレロ同人誌英語版を「貴重な考察資料だ、ハァハァ」と盗撮したいも勇気が無く断念する典型的ダメガノタであったと・・・僕は!

・・・いやまてよ、童貞がテーマなら、40億DTパワーによる「セイラさん早押しフラッシュ」の方が妄想的に・・・(以下寝言略

> 私的アート感

アートと聞くとつい私的なアート観を語らずにいられない私がここにいます。

私としては「収入を目的に製作された作品」はアートに含まれません。たとえとしてはファン・コッホ(日本ではゴッホの方が通りはいいけど)を出せばいいでしょうか?彼の作品は生前「一枚」しか売れる事がありませんでした。もちろん彼は「売れる事」を目指してはいましたが、決して自分の作品を「売れる作品」にしようとはしませんでした。自分の才能が「世界に認められる事」を目指していたからです。彼が「自分の才能は認められない」と認識したとき、彼は自ら命を絶ちました。

私にとって、こういう人がアーティストであり、こういう作品がアートです。アーティストは「それをしないで生きていく事が出来ない人たち」で、アートは「その結果物」なのです。

>

#「ガンダムがアートなのだ」ではなく、「アートがガンダムだ(ガンダムに歩み寄った)」という怪しげな現状が面白い所
面白い指摘ですね。ガンダム展キュレーターの東谷氏は下記のブログを「面白かった」と言っておられるそうです。
http://d.hatena.ne.jp/fuyumori/20051108
『「ぶっ飛んでいる」という評価ほど、嬉しいものはない。』とのこと。しかし一番ぶっ飛んでるのは富野監督の作品で、アートは「喜ばれてるうちは甘い!」という示唆を与えてくれるものらしいですね。
アートの皆さんから見ても、御大の真摯なる屈折っぷりには一目置くべきものがあるということで、屈折すればするほどアートっぽいのであれば、kitaさんの「マニア批判」は、かなりのアートであります。

>スカルさん
アートは素晴らしいものであってほしいと願います。ただ、アーティストだって霞を食って生きているわけではない。ゴッホの生涯のドラマを「食い物」にして金儲けをしているやつは、うんざりするほどいると思います。なんて言うかですね、なかなか難しいですよ。

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