ロボットアニメ―「スーパーロボット」と「リアルロボット」の話など その1
ちょっと難しい用語をときどき使われるんだけど、興味深いロボットアニメ論をブログにつづっておられるanterosさんが、私のブログのコメント欄での対話をきっかけにして一つ記事をまとめておられたので、読んでみました。
→ ロボットアニメの定義の話 - 主にマンガやアニメに関するメモ
私のブログの記事には、毎度アニメの感想と雑談だけの内容しかないんですが、コメンテーター各位からはレベルの高い話題を提供いただいていて、いつも大変勉強させていただいております。
で、私も感想の中で何気なしに使ってしまう、「ロボットアニメ」という言葉だったり、あるいは「スーパーロボット」、「リアルロボット」というような言い方だったり、そのへんの考え方を少し整理したほうがいいんじゃないかという話であります。ただし「その定義は、つまりこうだ」と決め付けるんではなくて、それらの言葉は、一つのテーマ、つまり話の切り口とか視座とか、そういうものとして扱うのが有効なんじゃないか、という提言をなさっておられるのかな、と私は読ませていただきました。賛成です。「Yesだね!」です。(笑)
以前の対話で既に指摘のあったように、現在ネットでのアニメ談義界隈ではデファクトスタンダード的に通用してしまっている「スーパーロボット/リアルロボット」という言い方は、そもそもは大ヒットした『スーパーロボット大戦』というゲームあたりのボキャブラリーが一般化しているような印象がありますが、当のそのゲーム自体が、続編販売のたびごとに次々と新しいロボットアニメを加えていくことで、何が「スーパー」なんだか、何が「リアル」なんだか、わけが分からないことになっているのも皆さんご承知のとおりです。
また、ロボットもののアニメの話だけしているときに、無言の了解になっているようなところが、もう少し広く「SF」の文脈の中ではむしろ逆になっているかもしれない部分があるかもしれないということも、話の切り口としては実に面白い。あるいは、現実の「ロボット」開発にアニメ世代が携わる時代になってきたことで、アニメの影響があるんじゃないのか、みたいな部分が生まれてきているらしいことも、何だか興味深い話です。
ただ、非常に間口の広い話になってしまうものですから、私などはアニメに偏った見方しか出来ませんし、ここはWikipediaでも読んでみようかと思いまして。
ロボット (robot) とは、人の代わりに何等かの作業を行う装置、若しくは「人のような」装置のこと
まずは「ロボット - Wikipedia」を見ますと、このようにすでに二通りの着眼点があるんですね。ひとつは“自律型”かどうか、もうひとつは“人型”かどうか。機械としてのロボットとは、主に以下の意味に大別される。
- ある程度自律的に何らかの自動作業を行う機械。例・産業用ロボット
- 人に近い形および機能を持つ機械。『機動戦士ガンダム』や『鉄腕アトム』等のSF作品に登場するようなもの。いわゆる「機動兵器」や「人造人間」等。
別に語源に戻る必要はぜんぜんないんですが、この造語をした小説家(カレル・チャペック)が指していたのは、「機械ではなく、今で言う人造人間」であり、泥人形“ゴーレム”(必ずしも巨大とは限らない)の伝説を下敷きにしていたという話などは興味深いですね。なるほどなぁ。
ロボットと言う言葉を生み出したことに少々苦い思いを抱いていたようで、「歯車、光電池、その他諸々の怪しげな機械の部分品を体内に詰め込んだブリキ人形を、世界に送り出すつもりは作者にはなかった」と述べている。
人造人間は自律型で、かつ人型です。『フランケンシュタイン』がいい例ですが、それは神さまの領域を冒すものだと思ったんですね。
フランケンシュタイン・コンプレックス(Frankenstein Complex)とは、 創造主(キリスト教の“神”)に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(=生命)を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと。
そこで、ロボットに対する人間の潜在的な恐怖から、三大SF作家の一人、アイザック・アシモフが有名な「ロボット工学三原則」を生み出したのだと。
アシモフが自らのロボット物にこうした行動の規制を設けた最大の動機は、短編集『ロボットの時代』で自ら語っているところによれば、『フランケンシュタイン』や『R.U.R.』から延々と繰り返されてきた「ロボットが創造主を破滅させる」というプロットと一線を画すためであったとされている。また、「ナイフに柄が付いているように、人間の製作物なら何らかの安全装置があって然るべき」「ファウストはメフィストと出会うべきであるが、破滅すべきではない」とも述べており、このあたりに合理主義者・人道主義者のアシモフらしさが伺える。
これはロボットを代表例として、SF的に、人間にとっての「科学」の役割を考察しているんでしょうね。考察対象は、当然自律型のロボットです。(しかしこうして読んでいるとWikipedia、面白いですねー。)
三原則がSF界の常識として浸透した結果、ロボットやコンピュータが安易に人間に叛乱・支配を行う内容の作品はほぼ絶滅した。しかしながら、三原則の枠内でそうした状況を成立させる方便として、ロボットが下記の様な判断を下したとする設定がしばしば用いられる様になった。
- 人類自身がロボットに支配される事・滅亡する事を望んでいる。
- 過ちを犯さないロボットに支配される事こそが、人類にとって最も安全な状態である。
- 優秀種であるロボットこそが、劣等種ホモ・サピエンスよりも優先されるべき『人間』である。
このへんのSFの歴史をしっかり知っていたら、あれこれのアニメを見る場合にも位置づけの仕方が違ってくるんでしょうね。私なんかアニメしか知らないものなぁ。
引用ばかりですが長くなったので、「続く」にします。











