「νガンダムは伊達じゃないっ!」(・・・と言うしかない男の愚直さ)
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→ 革命はいつもインテリが・・・。『逆襲のシャア』にみる“技術屋”vs“政治屋”
どうしてこう、『逆襲のシャア』の話は盛り上がるんだろう。スルメイカのように噛めば噛むほど味わいのある作品だから?単に管理人の私が好きだから?いただいたコメントから思い浮かんだ言葉が、コメント欄には書ききれなくなって、またも記事にしてしまうという無限スパイラル・・・。(笑)
≫エリート
ガンダムの宇宙世紀の世界で「エリート」というと、多くの場合は、シャアが“粛清”の対象に挙げている、いわゆる“地球の重力に魂を引かれた人たち”・・・地上に住むことができる「特権階級」の人たちを指すように取られがちかも。なので、「インテリ」という言い方には語弊があったにせよ、アムロも「エリート」という言葉は使いにくかったんではないでしょうか・・・。
しかし前にも書きましたが、「エリート」という言葉の原義は「神に選ばれしもの」で、すなわち使命のために“死ぬ準備”のできているもののことだといいます。この正しい意味での「エリート」という言い方ならば、まさにシャアの自覚にあてはまるでしょう。どこまで演技か、どこまで本気か、・・・ほとんど、その選民意識に酔っているかのようにさえ思えます。
「そして私は、父ジオンのもとに召されるであろう・・・」
人々を導くべき存在(エリート)としてシャアの念頭にあったのは「ニュータイプ」であり、彼はアムロもその有力な資格者だと考えていたんでしょう。
なのにアムロは、“技術屋・政治屋”みたいな官僚主義的な発想で、実際に政治の中枢に携わることができるのは、あなたたち「インテリ」だけでしょう(・・・私は違いますよ)と。
つまりはそんな、認識のすれ違いですかね。一見するとシャアの理想のほうが高尚に思えるけれど、実際、“ニュータイプ”代表のこの二人の間でさえ、認識の違いを埋められていないという事実を見れば、ニュータイプを過大には評価しないアムロの姿勢は間違ってないと思います。
≫所詮テロ
起きた出来事を客観視すれば、まさしくそうなのですが・・・。
ただ、彼の話をよく聞いてみれば、ある意味ではシャアの自覚以上に、アムロのほうがシャアを高く買っていたりはしませんか?(笑)
テロリスト呼ばわりはせず、最終目的は「世直し」、その手段としての「革命」と、勝手に高めに見積もって理解してあげています。(アムロの技術屋的発想だと、“シャアほどの人”になれば当然、目的・手段は明快なはずだ、という先入観があるのか。)
それなのに「私は世直しなど考えていない!」って。(そりゃないゼ、シャア・・・。これは、ある意味では「ララァは私の母に・・・云々」のセリフ以上に、期待を裏切る表明かも。)
自覚と羞恥があろうがなかろうが、事を起こしたその先の展望も実際にイメージできていないのでは、これでは“所詮テロ”もいいところです、たしかに。
もしかするとアムロは、あまり言葉を知らなくて、シャアを「インテリ」呼ばわり(・・・ただし、それでも「テロリスト」呼ばわりよりは、かなりまし)したのかもしれなかったけど、シャア自身は「インテリの感傷」以下かもしれないことを口にしちゃってます。
アムロはまさしくシャアを「見損なった」んで、私なども、テロリストの尖兵に過ぎない『0083』のアナベル・ガトーよりはシャアのほうがまし、と思いたい気持ちはあるんですけど、やってしまったことは五十歩百歩だという事実も直視すべきなのでしょうね。うん。
≫あの時点で、シャアに翻意を促したところで
・・・何を止めることができたのか。それはそうなんですが、アムロとしては何かを言わずにはいられない。
それは何故なんだろうかと思っていたんですが、前にお話のあったように、これはアムロも私たちと同様、あるいはそれ以上に、「本質的にはシャアが好きだから」と考えるのが妥当なのかもしれませんね。
説得というよりも、繰言(自分への言い訳?)に近いんですかね。・・・あるいはこれも、(彼には珍しい?)「感傷」と言うべきでしょうか。
あなたが、女性ならば、ひたすら男とはこんなものだと分かって欲しいと思います。
あなたが、男性ならば、男はこれでいいんだから、頑張ろうよという思いをこめて、男の愚直さを描いてみたつもりです。
このように書くと性別を意識しすぎだと、非難される方がいらっしゃるのも承知していますが、これが正直な感想なのです。この感じ方がいけないのなら、性差を越えたものを見せて、勉強させて下さい。
いくら二人への鎮魂歌のようなものだからって、「これでいいんだから」って言っちゃっていいのかよとは思います。思いますが(笑)、ここまでやってきて、あとは「愚直さ」としか言いようがなかったという誠実さも、分かるような気がしちゃうんですよねー。そこに無理やり妥当そうな解釈もいれず、その代わり、いくらエンターテイメントではあっても、適当な美化も一切しない。そこがこの作品の、ちょっと比類ないところなんじゃないでしょうかねー。
男と男が拳で語り合っちゃう、みたいな部分(「ナナイ、男同士の間に入るな!」、「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか?」)とか。
あるいは、それがナンセンスなことは彼自身が誰よりもよく承知しているはずなのに、アムロが、いかにも彼らしい“技術の力への信頼”に殉じようとしたのなども、いわば愚直な“男の意地”ってやつなんじゃないでしょうか。(「ふざけるな!たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる!」、「νガンダムは伊達じゃないっ!!」)
アムロ 「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない・・・だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア 「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」
アムロ 「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」
結局は“技術”とか“理念”とか、そういうものにばかり囚われてしまう。ここで人を「マシーン」として扱ってしまうことにこだわったのも、「男の愚直さ」の如実な問題点なのかもしれないですね。シャアは、そうしたものを超えられる人間のはずだと、アムロは期待して(あるいは買いかぶって)いたのかもしれません。
「女性ならば、ひたすら男とはこんなものだと分かって欲しい」・・・なるほど。「彼は純粋よ」とシャアのことを評し、永遠にアムロとシャアの間にいて二人を見守っていたいと言う、そんなララァの母性を、シャアはたぶん、「母になってくれるかもしれなかった女性」と言ったんですね。富野監督独特の“母性”へのこだわりも興味深いところです。
コメント
男はズルい―正しく悪であるために
愚直な女性テロリスト(革命家?)もいると思いますよ、実際。
ところで、梶井基次郎の小説に『檸檬』というタイトルのものがあります。レモンを爆弾に見立てて爆弾テロを夢想するというおはなしです。
富野監督の発言で、ときどき引っかかるところがあるとすれば、それは想像することと実行することを混同して話されるときです。
まぁ、誰だって、心の中ではとんでもない夢想妄想を抱いているわけで……。
たしかに、政治(世直し?)には清濁併せ飲む度量が必要なのかもしれません。ときには暴力も有効でしょう。しかし、それらはみな結果責任を伴います。そいう観点からみると、シャアの作戦は評価できないです。
とくに見逃せないのは、条約を無視した点です。たとえ連邦を倒せてもその後、他のコロニー国家は、約束を反故にするようなシャアを信用するでしょうか。わたしは難しいと思います。
個人的には、逆シャアのシャアは、死神博士とかデスラー総統のようなヒールのひとりです。人間味というのなら『ラピュタ』のムスカの方が理解しやすいです。
ヘンリエッタがヘンニナッタ
ただし、ここら辺は政治的正しさに気を配らないと難しいです。改造人間はダメ?という噂があるけれどどうなんでしょうか。
テーマ的には、囚人022さんの引用されているシャアとアムロの会話と同じでしょうか。
とくに、第1期11話は、シャアを演じた池田秀一さんも登場しているのでおすすめです。
ガンスリの元ネタであろう『ニキータ』とか『レオン』とか見ていないので、そこはオミットします。いつか見よう。
ああそうでした、『GMK』のとき、金子修介監督が日本映画の伝統である「父と娘」というモチーフを自分も取り上げた、と言っていたように、ベッソン監督を例にするより、日本映画の巨匠を参照すべきかもしれないですね、はい(『東京物語』とか?)。
連続してのコメント投稿で恐縮です。
技術屋としてのアムロ、というのは私にとってけっこう新鮮で、
面白く拝読しました。
「νガンダムは伊達じゃない!」ってそういう意味で読めたんですね。
>>Nishinomaruさん
ガンスリ好きですねぇ(笑)。私も好きですが。
レスを読みながら気になったのは、シャアは隕石を落とした後、
一体どうするつもりだったのかってことで。
>>たとえ連邦を倒せてもその後、他のコロニー国家は、約束を反故にするようなシャアを信用するでしょうか。わたしは難しいと思います。
シャアは連邦を倒した後、自分をトップに据えた新政権を作る事を
考えていたのかなーと。
このくだりを読みながら考えていました。
彼の最終目標は「地球を人の住めない星にすること」、
それによって人類すべてを強制的にニュータイプにすることなので、
アクシズ落下後に自分が政権をとる必要は、実は無いのかも。
そういう意味では、自分でいみじくも言ったようにシャアは
「世直しなど考えていない!」
のかもしれません。本当に。
旧秩序を粛清する気はあっても、新秩序を立ち上げる気はなかったような、
そんな気がします。
実際、多分劇中でシャアは、アクシズを落とした後の事について
ほとんど何も言ってないんじゃないかなと思います。
つまり、アクシズ落としは革命ではなく、やはりテロだったと。
というより、旧体制との心中、なのかも。
生まれながらの“悪人”っているんだろうか。どんな悪人も、その悪行に及ぶまでに何か理由というか、経過のようなものはあるんでしょうね。
でも、自らの行いが“悪”であるということに思いを至らせることが出来る人と、そうでない人はいそうです。
理解しやすいことがいいことであるのかどうか、よく分かりません。もしかしたら、状況次第で自分もそうした悪行をしてしまうかもしれない、という想像力は(これはもろ刃の剣かもしれませんが、)重要なような気がします。
「マシーン」へのこだわりの話は展開すると面白そうなんですけど、どうも消化し切れなくて。
「俺はマシーンじゃない」とアムロが言うのは、マシーンには人間以上の処理能力があるという技術屋的な信頼なのか。そうではなくて、マシーンのように割り切ってはいけないんだということなのか。
『GMK』って『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)ですね。オススメですか?
『東京物語』(1953年)は小津安二郎監督ですね。Nishinomaruさんの守備範囲の広さは勉強になります。(笑)
(あ、そうか。って言うか、『ガンスリンガー・ガール』がパワープッシュなのですね。すみません、空気読むの苦手で。)
「シャアほどの男」がやることだから、というアムロの思い込みは、私なんかもそのように感じてたところがあるな、と反省されます。うん。
これだから、気をつけなくては、ですよね。
シャアには国際法を遵守してほしかった
>ガンスリ好きですねぇ(笑)。私も好きですが。
そうです、ガンスリ、好きですよ(笑)。今から考えると、フジテ○ビによる「テロとの戦い」のプロパガンダだったのかもしれないけれど、それは穿ち過ぎですね。
つづきです
逆シャアは、以降、縮小化の進むMS開発史にあって、最後の巨大ロボなサイズで、そこが最大の魅力だと、わたしは考えています。
『GMK』は、ある意味、逆シャアに通底するものがあります。
『ガンスリ』は……わたしは大好きです。
補遺:
そうでした、なんでガンスリと言い出したのかというと、逆シャアのシャアとクェスの関係がガンスリでいうフラテッロに似ているかも、という着想からでした。
『エヴァ』でいうと、ゲンドウとレイもそうだし、定番といえば定番なのですが。
自分にとっての理想的な世界の実現を急いでしまうところでしょう。
自身に中途半端に才があることと
大半の人間は衆愚であることを承知しているから
(せめて自分レベルの)才の持ち主が
永続的に現れるとは信じられないから
限られた時間の中で実現を急いでしまう。
個人には管理限界があるから
ノイズとなる衆愚は出来る限り排除したいために粛清する。
シャアの場合は、そういった行動方針なのだと思います。
コスモ貴族主義の場合は
過去の事例を考え「貴族の義務(エリートの義務)」が衆愚を含めた人類を人自身が導くのに有効な手段であること、
連邦により疲弊した民主政治のシステムに対するカウンターとなると判断したためあらわれたのでしょう。
政治システムとして民主主義が最良といってしまうと、盲信です。
ガンダムの主人公たちは
政治的な正義をバックボーンとして持っておらず、せめてもの主張は
「変革を急ぎすぎるな」くらいなのです(シャアに対するアムロ、カガチに対するウッソの主張)。
カガチみたいな時間の少ない老人のあせりは分からなくはないのですけどね。シャアは子供っぽい感傷がぬぐえませんね(だから中二病っていいたくてしかたない)。
ーー
ガンスリはなあ…
どんなにシリアスきどっても
「少女」「武器」というタームが並んだ時点で
作り手の趣味性をぬぐえないというか
広い意味でパヤオさんと同じ人種だよね、と感じたり。
逆に言うと、作者に少女に対する変態的な執着がなくなった時点でつまらなくなる(危険な匂いが消えることが主で)ことが予想できる作品ではあります。
やはり面白い作品は変態が作らないといけませんねえ(コラ)
しつこいですが
『イデオン』では“イデ”みたいにどうにもならないものに、人類はダメ出しされましたけど、「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ」という絶望・・・それは、シャアが独り決めしていいことではないですよね。
アムロをはじめ、多くの人から、そのリーダーとしての資質を期待されていたシャアでさえ、そういうことをやらかしてしまうんだ・・・ということこそを、ここでは見るべきなのでしょう。(アムロなどでさえ、人を見誤ってしまうことも含めて。)
シャアはやはり、一年戦争のときが才能発露のピークだったんで、このままでは自分はダメだという思いが焦りにつながったんでしょうか。
・・・富野監督の思索の発展としては、そうした“個としての生”の執着を超えるものとして、“世代を重ねる意味”(循環する生?)の探訪へと繋がっていくんではないかと思いますが。(すみません、『ブレンパワード』好きで。 笑)
「政治システム」というキーワードがある以上
私に対するレスの可能性があると思いますが、国際法の遵守の可否についてはコメント書く上で、念頭にありませんでした。
#私が話す上で、うまく議論に絡められないということで、その観点が軽視されるべきものだ、というのではありません。
たとえば、私が議論展開するなら、「世直しなり何なり、自分の主張を認められるためには、周囲の支持が必要で、その支持を得る上で、人々によって暫定的に合意されたルールを破ることについては不利を生じる。ゆえに国際法を破ることについてシャアというキャラクターの行動は支持できない」と、こういう風になります(これ以上は議論発散するのでご容赦ください)。
ただ、シャアって劇中でも
「世直しは考えていない」といっているように、(あれはアムロに対する売り言葉に買い言葉ではなく)、
彼奴は、富野監督の持つ破滅型の思考を受けたキャラクターだと解釈してます(インテリの持つ理想と現実とのギャップを埋められない部分に絶望して、破滅の方向に思考停止するタイプ)。
だから私は「政治家のしてのシャア」なんて最初から微塵も評価できないんです。
ゆえに、
>逆シャアのシャアにわたしが絶望した理由
はよくわかるつもりです。
おそらくNishinomaruさんは「政治家としてのシャア」をみていたのでしょう
もうひとつの可能性
しかし、その一方で、地球にアクシズを落とす計画は、じつはアクシズを消滅させることにこそあったのでは、という可能性もあります。政治は結果責任だ、と書きました。結果論になりますが、シャアの作戦は、ネオジオンの大体を武装解除させたばかりか、その「統合の象徴」でもあるアクシズを消し去りました。おそらくジオンは二度と復興しえないでしょう。
以上の意味で、シャアは偉大な父親が開いた革命思想(ジオニズム)というパンドラボックスを閉じる役割(Vガンダムのマリアとシャクティの関係とも一致します。)を自任したのではないか、要は、シャアのモデルは、既述のヒールだけではない、そう思えるのです。
アクシズに自壊用の爆薬が設置されていた、そんな「実話」を想像するのも、リアルロボットアニメの楽しみだと思います。
余談:
まぁでも○○党の総裁(当時)の「○○党をぶっ壊す」はどうかと思いますが…。ああそうか、チルドレン(「刺客」の方です)はクェスみたいなものか…。フィクションでノンフィクションを解説するのもどうか、というお話ですね。
余談2:
隠れジオン党員としては、ミネバ様の生存の可能性が一縷の希望ですかね。ジークジオン!ジークジオン!シャクティのいる隠れマリア主義者に嫉妬?
たとえば「ええぃ、完全な作戦にはならんとは!」って、お前、何言ってんだよ?(そこがポイントか?)・・・って思いませんか?
滅びの美学?何たる耽美趣味!(笑)
それこそが人気の秘訣かもしれませんが。
なればこそ、です。
彼は実は、もうちょっとどこかでガスが抜けさえすれば、「飛べない豚はただの豚だ」とか言っていられた人かもしれなかったんじゃないかと、ね。
(やっぱり“死者の魂”に引かれちゃったのかなぁ。)
どうせロリコンなんだから、ミネバ様の行く末をそっと見守る足長おじさんになればよかったのに!(ぇ?
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