革命はいつもインテリが・・・。『逆襲のシャア』にみる“技術屋”vs“政治屋”
アムロ 「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
シャア 「四方から電波が来る・・・」
アムロ 「しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。だったら・・・」
シャア 「私は世直しなど考えていない!」
シャア 「愚民どもにその才能を利用されている者が言う事か!」
久しぶりに『逆襲のシャア』を観た感想に、いろいろなコメントをいただいたことで、考えるきっかけをいただいております。ありがとうございます。
劇中、激しい戦闘の中で、双方モビルスーツを降りて、落下するアクシズ内でアムロとシャアが交わした会話の話題です。『Zガンダム』で言えば、“劇場”でのシャア、シロッコ、ハマーン(、それとカミーユ)の会話に相当するような重要シーンですけど、わざわざ手の込んだ仕掛けを施してまで、シャアに議論を吹っかけるアムロの真意がたしかによく分からない。
生身で戦っている最中なので、相手の注意力をそらそうとしてるのは、まあ動機としてはありますよね。そういう意味では(Nishinomaruさんがおっしゃったように、)“挑発”であり、“煽り文句”だというのは、シャアの側から見れば、妥当なことだと思います。
それはそれとして。主人公の二人が、互いに相容れない立場を明確に示すと言う意味で、この会話が作劇上、重要なシーンであることも間違いないかと。
アムロが「革命はインテリが始めるが……云々」と言ったのも、 一人の人間が「世直し」を丸ごと背負い込む事なんて出来ない、 というアムロなりのアクチュアルな感想でもあるんだと思います。
・・・これは「アムロなりの」、とzsphereさんも言われたように、言いがかりをつけて挑発しているのではなく、アムロの側から見れば、その思いを率直に口にしている。これもそのとおりでしょう。
戦前の日本では、ごく一部の上流階級だけが高等教育を受けることが出来て、貧乏な家庭に生まれた学業優秀な子弟が目指せる最高学府は、“士官学校”だったとよく聞きます。宇宙世紀の教育事情はよく分かりませんが、「インテリ」を狭義に“高学歴”と解せば、(士官学校を優秀な成績で卒業したことになっている)シャアは、インテリだと言って言えなくもないですね。・・・対するアムロはと言えば、ハイスクールをたぶん中退で、以後軍務ですから、頭の良し悪しは関係なく、学歴のバックボーンは一切ないバリバリの現場叩き上げです。(笑)
「インテリ」と言う場合に士官学校卒などは、普通含まないんじゃないかという感覚もありますが、例えば1stガンダム序盤でのアムロとブライトの確執などは、まさに(未熟とはいえ)現場の専門技術者と、士官学校卒の青二才のそれでありまして。
まあ学歴を度外視しても、そもそも技術屋の息子に生まれたアムロと、ジオン・ダイクンの子に生まれたシャアでは、出身階級はやはり違う(とアムロは感じていたかもしれません)。
と言うより、はしなくも「愚民どもに・・・」とシャアが応えてしまっているように、ここでアムロが指摘したいのは、とにかくたぶん、シャアの“選民思想”のことなんですよね。
ふと気付いたんですが、シャアはアムロに、お前は「パイロットだけ」をやってていいな、みたいなことを言ってましたが、これこそ言いがかりで。考えてみると、劇中でアムロは自分がνガンダムの基礎設計をした、と明言していました。シャアは“政治屋”兼務でしたけど、アムロのほうは“技術屋”を兼務していたわけです。(笑)
シャアの視点からみると、「愚民」に対する選民とはニュータイプのことであり、自分より優れたニュータイプであるらしいアムロは、自分と同様に、人々を導くべき存在のはずだと考えていたのかもしれません。一方、アムロの立場からみると、選民思想に駆られて「愚民」を災いへ導いてしまう政治屋たちこそが「インテリ」なんですね。ここの断絶は大きいです。
劇中でアムロは、自分のニュータイプ能力をあまり当てにしてないような印象もあり、チェーンがサイコフレームのことを一生懸命話していても、自分が基礎設計したνガンダムと、「フィンファンネルで勝てるよ」と、このへんもこいつはあくまで“技術屋”だなぁと思うところです。
「アクチュアル」というのは、現実的とか実践的という意味かと思いますが、技術屋さんは同じ理想を追うにしても、そういうアプローチを選択するものだと思うんですね。それに終始してしまうのが、シャアから見れば、歯がゆくてならんわけですが。そこの両義性の面白さですよねー。
ただ、アクチュアリティうんぬんと言えば、富野監督のヌーヴェル・ヴァーグへの反感なのかもしれない。
→ ヌーヴェルヴァーグ - Wikipedia
(・・・「広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す」)
はー!さすがNishinomaruさんの指摘は鋭いですね!(これに対して、富野アニメは、低予算映画の文脈も持つ“アメリカン・ニュー・シネマ”的だったりするわけでしょうか。)
メディアに露出しては“道化”を演じて理想を語ってみせる富野監督はシャアのようであり、同時にしばしば、叩き上げの一技術者ぶりを強調もしてみせる富野監督はアムロのようでもあり、いずれにしても“一枚の紙の表裏”なのですが。
そのそれぞれの面を個別に見ていくと、実に興味が尽きないですねー。(笑)
追記:
この話の続きはこちらです。
→ 「νガンダムは伊達じゃないっ!」(・・・と言うしかない男の愚直さ)












