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『逆襲のシャア』はカオス!だけれども! 

[2008/01/11] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 Nishinomaruさんに「逆シャアはカオス、は至言」とおだてられたので、いい気になって今回のタイトルにしてみました。(笑)

『逆シャア』関連の話題ってこのブログで書く機会が(結果的に)多いんですけど、この話題はどうしてこう、濃厚で面白いコメントがたくさんつきやすいんでしょう?それだけもとの作品としても濃いぃからですかネ?(笑)

・・・と自分で書いたとおりでありまして、興味深いお話がいろいろあったので、記事のかたちでまとめてみようと思いました。

 前の記事(「『逆襲のシャア』は難しいけど、いい作品ですね」)は雑駁な感想を順不同で書き留めちゃったんですけど、皆さんの反応から振り返ると、ポイントの一つは、“アムロやシャアの物語”と、クェスやハサウェイ、それにギュネイらの“ウザい子どもたち”のエピソードが渾然一体としているのを、いちおう仮に多層構造のように捉えなおして、個別のレイヤーを見てみようとしたところだったんですかね。これまでにも、たびたび『逆襲のシャア』について、このブログの中で皆さんとお話させていただいてきた成果が、少しはあったんじゃないかと思います。今まで直視を避けてきた“ウザい子どもたち”にも、私もそれなりには目が向けられるようになってきたのかなぁ・・・。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

 「正直言って、GyaOの画質では見られたもんじゃない」とか言ってないで、「ちゃんと」DVD買いなさいヨとpsb1981さんにツッコミをいただきましたが、・・・そうですねー。ホントすみません、お布施を収めないダメ信者で。(笑)

生まれて初めてマトモに観たガンダムであり、富野アニメですね。 小学校4~5年でした。 子供のころの初見の印象や理解は、大人になった今でもほとんど変わっていません。

 それはスゴイと思います!!
 私が小学4年~5年生の頃に見たのって、『宇宙戦艦ヤマト』だものなぁ。今でも大事にしている思いもあるにはあるけど、全般としてはあの頃と同じ目線ではとても見ることができません。・・・そうですね。作品それ自体は変わりなくあるわけで、変わってしまったのは私のほうなんでしょう。以前に私の見方にブレがあるという指摘をいただいたのも、たしかな視座を持つ人と、ずっと発展途上な私の差なのかな。
 それに加え、『イデオン』なんかを引きずりながら私の見た印象には、素では作品を直視できないようなバイアスがかかっていたんだろうか、という思いもよぎります。興味深いお話でした。

 私はその種のバイアスが不可避的にかかっちゃうのも、“それはそれで仕方ない、結局は一期一会です”って、すぐに開き直っちゃうような人です。で、公開当時の私にかかっていたバイアスを考えると、Nishinomaruさんと同様、『ZZ』のテレビ放送は、「アンチ続編というような心情でスルー」みたいなところがありました。うん。
 私はそれきり、ごく最近までまともに『ZZ』を見直してなかったんですけど。“最後の最後で何とかして見せてしまうというのはスゴイなぁ”と変な感心をしまして。ご指摘でナルホドと。ほぼ同時並行で作っていたんだから、特に『ZZ』の終盤などは、ストーリー要素だけでなく、テーマ面でも『逆襲のシャア』と重なる部分が多々あったのは道理で。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア―ベルトーチカ・チルドレン (角川文庫)

 『逆襲のシャア』で本当に富野監督がやりたかったのは、『ベルトーチカ・チルドレン』の小説版だそうですから、それが好きで、アムロがかっこいいと感じるgudaちんさんは、とても真っ当ですよね!シャアの目的意識は分裂気味だけど、感情移入できるというのも、ああ、そうなんだという感じです。
 全体の印象は混沌としている『逆襲のシャア』が、でも、ただグダグダの作品ではないのは、zsphereさんが言われたように、例えばシャアならシャアなりに、個々のキャラクターの視点で通して観ていくと、一人一人のやってることには、それぞれに条理が通っているところがあるんですよね。シャアの屈折ぶり、アンビバレントさにも、本当に物語上のキャラクターとは思えないような人間臭さが、てんこ盛りに感じ取られます。

アムロにサイコフレームの情報を流したのは、余裕というよりは未練とか執着と呼ぶべきものだろうと思います。

 ほんとだ!私はどうもアムロ視点にブレる傾向がありますね。その視点からは、あれはやっぱり余裕をかまして“人を見下すことしかしないやつ!”なんですよ。(視点があちこちしてブレやすいのは、私の悪癖だなぁ。)
 やっとクェスやギュネイを(いったんは)度外視できる程度にはなってきたけど、アムロとシャアの間では心が揺れてしまいます。それは喩えれば“一枚の紙の表裏”なんだから、ある瞬間に同時に両方を認められるわけはないって、頭でだけは分かっているんですけどねぇ。「一筋縄ではいかない作品」!(激しく同意。)
 同様にシャア視点からだと、なるほどアムロの「革命はいつもインテリが始めるが…」も、Nishinomaruさんが言われるように、煽り文句としてしか聞こえないかもしれないのか。うーん、なるほど。

 皆さんの話を伺っていて、ふと思ったんですけど、物語上の時系列から言うと、新訳Zを完結させた『星の鼓動は愛』の後が『逆襲のシャア』であり、ある程度そのように意識もされて『星の鼓動は愛』のラストも作られています。(エンディング曲『Dybbuk』が象徴的。)だけど、制作順の時系列というのもやっぱりあるような気がして、『逆シャア』には繋がらないパラレルワールドとして『星の鼓動の愛』のラストを見たときに、ハマーン・カーンも『ZZ』のようなキレ方をすることもなく、こっそりとシャアと一緒に地球圏を離れて、どっか木星あたりで二人のんびりと余生を送ったのかもしれない・・・などという夢想が、今はじめて浮かんできました。(もちろんアムロは地上でベルトーチカと暮らしているわけです。)
 gudaちんさんの願われたように、輝かしい太陽神にはなれないんですが、案外、あの“えぇカッコしい”のシャアとハマーンだから、Nishinomaruさんが“「飛べない豚はただの豚だ」とか格好付けながら”と言われたみたいに、二人で気障な会話を交わしながら、渋い中年のおっちゃんおばはんになりました、みたいな。(笑)

機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-

 しかし、たしかに、これはあんまり売れ筋のストーリーではないような気もします・・・。だけれども!
 『Dybbuk』には違和感を感じたと言う人が思いがけず多かったわけだから。案外、物語の舞台から去るにあたり、そんな平々凡々としたやり方を、あのシャアやハマーンにさえも与えてやりたいと、心の奥で願っていたファンも少なくなかったということなんでしょうかね。ふむふむ・・・。

追記:

 この話の続きはこちらです。
革命はいつもインテリが・・・。『逆襲のシャア』にみる“技術屋”vs“政治屋”

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[tag] 逆襲のシャア fc2ファビコン 星の鼓動は愛 fc2ファビコン

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コメント

>

ここまで、チェーンの話題が0というのは、ベルトーチカを振ってまで出したヒロインとしてはどうなんでしょうか?
(笑)
だから小説版が好きなんですよね。ハイ・ストリーマーもチェーンがアムロの遊び相手であって、ヒロインじゃない所が好きです。
うざったい子ども組も閃光のハサウェイまで込みで考えています。

イボルブを考えると、案外シャアも生き延びられるかも?という意見には同意できますし、そうなるといいですよね。
ただ、シャアとハマーンだとナウシカのナムリスとクシャナみたいな夫婦になりそうで・・・!いや、声だけで無く

>

逆シャアは中学生の頃に姉と一緒に見に行ました。
共通認識として、これの話題になると
「ララァは私の母に~」のくだりで
「はあ!?」というのがお約束です。

これはタイトルどおりシャアが主人公で
ああ、これはシャアをかっこいいと思う子多いだろうな、と思いつつ
最後のあの格好悪い台詞に呆れるわけです。

富野作品は歳を重ねるとその歳に応じた視点で感情移入できるキャラが多くて、
シャアは割と子供向けの格好良さ(今で言う中2病?)がありましたが、
今見るとプレッシャーに疲れた大人の本音があります。

アムロとブライトには、見た当時は単なるヒーロー側、という印象しかなかったのですが、
今見ると現実的な社会の中できちんと成長してきた大人の風格を感じます。

Zガンダムだと、第1話でカミーユの息遣いが印象に残っています(何故かまねしたりしていました)。
今、よくよく考えると彼は息苦しかったんだろうと思います。

最終話前に宇宙空間でバイザーをあげてしまうのも、周りに縛られている現実すべてに息苦しさを感じていたのでしょう。

だからこそ、僕が劇場版Zのラストシーンでほっとするのは、シロッコを倒したカミーユが「大きく息を吐いた」ことだったりします。彼は息苦しさに潰されることはなかったんだ、と素直に感じたのです。

昨今、ゲーム的世界観を中心に流行の
「ループもの」として考えるなら
劇場版Zこそはカミーユの魂は無限のループからは抜け出せています(解脱したとも言う)が、シャア自身は抜け出せていないので、逆襲のシャアは起こりうるような気がします。

TV版のアムロはシャアのダカール演説のサポートをやったのは
「本質的にはシャアが好きだから」だそうで(富野語録ー富野由悠季インタビュー集 より)。

血筋、名声ともにあるシャアに連邦の大統領になってもらいたいという願望がアムロにはあったようです。逆に
シャアは自身が2流のニュータイプであるというコンプレックスがアムロに対してあり、きゃつ(アムロ)こそその力で人類を導いて見せろ、と思っていたのではないでしょうか。

PS:インテリ革命家の恐ろしさは
ハンゲルグがあとを継ぎそうに思えるのですが、劇中では活躍できませんでしたね>Vガンダム

>

≫チェーン

嫌いではないですよ!なんか、自分は二番手か三番手か、とにかく“控え選手”みたいな自覚とつつましさがあるみたいに思えて。
あの、ララァの夢を見て機嫌の悪いアムロを待ちながら、ひざを抱えて浮かんでるチェーンは、すごく「愛おしいなー」と感じます。彼女がいるから、アムロもああしていられるわけで!
ここではアムロとシャアが前景で、チェーンやナナイはその後景という構図ははっきりしてますね。ゴージャス感のあるナナイのほうが、「甘えてみたい!」って人気があるような気もしますが。(笑)

≫「ララァは私の母に~」のくだり
≫「はあ!?」というのがお約束

で、あの格好悪い台詞に呆れたことを、何かを考え直すきっかけにできるまでには、消化に少し時間がかかる、と。

≫今見るとプレッシャーに疲れた大人の本音

ありますね。カミーユの感じていた息苦しさもありますね。

≫だからこそ、僕が劇場版Zのラストシーンでほっとするのは、シロッコを倒したカミーユが「大きく息を吐いた」ことだったりします。彼は息苦しさに潰されることはなかったんだ、と素直に感じたのです。

あー、これ!そういうことか!これはいいお話ですね!

シャアは解脱できてないのはそうなんですけど、劇場版Zの最後のハマーンなら、シャアさえ傍らにいてくれれば、彼の暴発を抑えられないかな、と。二人三脚みたいに支え合ってやってけないかなー、と。
まあ願望交じりの妄想話ですのでアレなんですが、ZZのハマーンの最期って、哀れだったなぁと思うのです。

ただ、そういう屈折は屈折として、「シャア」ってキャラクターは、そのカッコよさを除いてみても、“チャーミング”というか、情けないところもあるのはあるなりに、なんだか気になるヤツですね。

それと『Vガン』のウッソ君のお父さんには、『逆シャア』でインテリ革命家をチャーミングに描きすぎた反省も入っているのかもしれないな、と納得をしました。

>

>>どっか木星あたりで二人のんびりと余生を送ったのかもしれない・・・

シャアの方は、果たしてそれで満足できるか、が問題です(笑
ハマーンは確かに、シャアがそばにいてくれるなら隠棲も
できるかも知れないと思いますが……。
シャアはそうなると間違いなく尻に敷かれますし(笑)、
好きなパイロット業も出来ないのでかなり鬱憤たまると思いますw
ガンプラ好きなのに嫁さんに作らせてもらえない旦那みたいになるかと(ぇ

それに、「ジオン・ズム・ダイクンの息子」としてのシャアは、
まわりが放っておいてくれない面もありますしね。
根が真面目なシャアも、ジオンの息子としての立場を捨てて
逃げちゃうってことができない人みたいですし。
本当、なんでもかんでも抱え込んでしまう人だと思います。

なので、劇場版Zの後でも、どうしても『逆襲のシャア』は起こるのかな、
と思ったりします。

アムロには、のんびりした余生も似合うんですけどねぇ。
彼は自分の器の中で最善を尽くす人で、
自分の分を超えると思ったら「逃げる」事もできる人だから。
実際、一年戦争で一度ガンダムごと逃げ出してるし(笑)、
Zの前半でもそうしていました。
そんなアムロには、やっぱり「人類の業」を丸ごと背負い込もうとして
空前の大惨事を引き起こそうとしているシャアのやり方には
反発を感じたんでしょうね。
「人が人に罰を与えるなど!」

アムロが「革命はインテリが始めるが……云々」と言ったのも、
一人の人間が「世直し」を丸ごと背負い込む事なんて出来ない、
というアムロなりのアクチュアルな感想でもあるんだと思います。

> 富野監督のヌーヴェル・ヴァーグ観かも

>アムロが「革命はインテリが始めるが……云々」と言ったのも、
>一人の人間が「世直し」を丸ごと背負い込む事なんて出来ない、
>というアムロなりのアクチュアルな感想でもあるんだと思います。

平凡に聞けば、学生運動とか文化大革命とかのことを言っているんだと思いますよ。インテリの「自己批判」というやつです。

アムロが余計なことを言うから、インテリ気取りで大衆との乖離に苦悩するシャアがアホなことしでかしよった、そいうふうに思えます。とはいえシャアもアムロもインテリなのかというと「残念」なわけで……。

「人類の業」かもしれないけれど、いずれにせよ、シャアもお定まりなコースをたどった過激派=テロリストにすぎないと思います。とうぜん、アムロはそこのところを看取していて馬鹿にしている。

ただ、アクチュアリティうんぬんと言えば、富野監督のヌーヴェル・ヴァーグへの反感なのかもしれない。

ある意味、ガンダムの世界ではじめて登場したインテリ=革命家は竹田菁滋プロデューサーかもしれませんね。

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