スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

歴史に残りやすいアニメ、残りにくいアニメ 

[2008/01/05] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(7) | TOP ▲

歴史に残りやすいアニメ、残りにくいアニメ サイオンジ探偵社

 音楽の例を引きながら、記号化しやすい音楽のほうが歴史に残りやすい、という話からはじまる、この西園寺さんのエントリー。

 こちらの記事を拝読して、非常に興味深いテーマだっただけに、ちょっと認識(たぶん世代差から来るもの)に違う点があったので、思わずブクマコメントしました。

これは「ちょっと待った」と物言いを付けたい部分が多々あります。少なくとも松本零士のキャラの激烈さは富野さんに負けてないよ?

 ここでコメントした点だけでなく、全般に思うことがいろいろあるので、(いつものことながら)ちょっと雑駁な言及になるかもしれませんが、おろおろと書いてみます。

 まず冒頭の「歴史に残りやすい」という話。いい作品と、人の記憶に長く残って語り継がれる作品は、往々にして違うという見解には、基本同意します。

  • 別に語られやすいものしか歴史に残らないってことではない
  • だけど、人々が語りやすいもの、語りを誘発しやすいもののほうが後々まで人気が続く傾向にあるのはたしかだと思う。

 この2点も同感。ただ、この時点で「歴史に残りやすいアニメ」という話から、すでに少し話題は逸れちゃいましたかね。音楽の例示もそうでしたが、特にここ以下の展開は、“いい作品なのに、歴史に残っていない(ほぼ忘れ去られている)アニメ”についての話ではないような気がします。例示されているのは『機動戦士ガンダム』と『宇宙戦艦ヤマト』ですが、いかに今日における人気に大きな差があるとはいえ、私は『ヤマト』が歴史から忘れ去られた作品だとは、さすがに思えませんので。
 と言うより、歴史に残るかどうかというのは、“ひとつの時代を画したかどうか”にかかる部分が大半だと私は考えています。今日における人気のありなしで、そこの評価が簡単に変わってしまうべきではないでしょう。『ヤマト』が日本のアニメ史の画期だったことを否定する人は少ないのではないでしょうか。

 というわけで、以下を私は、“一時代を画し、歴史に残る作品”の中で、“今も人気が長持ちして語られやすい作品”と、“そうではない作品”の話として読ませてもらいました。
 『ガンダム』も『ヤマト』も続編が存在する作品なのですが、前者の続編がいろいろ言われながらも現在進行形の『ダブルオー』に至るまで作り続けられているのに、後者の続編は一応、『完結編』で終わっています。まあ、それ自体大きなハンディです。
 作品を愛するものとしては、“続編という存在そのものの是非”も本来は気になるところですが、それはさておき。人気がしぼんだから、続編も続かなくなったという状況もあるでしょう。(逆に人気挽回を狙ってか、『ヤマト』新作の計画は今もあるらしいですが。)

 問題の核心として、なぜそうなってしまったのかというところで、西園寺万五郎さんは、

ここはとりあえず、便宜的に話を狭めてみると、ガンダムのほうが文芸批評的な語りをしやすい。
ここで言う文芸批評的ってのは、、作品というものを作家の反映であると無意識的に観じる態度のことを言ってるんだけど、富野由悠季っていう人はそうした語りを誘発しやすいんだと思う。

・・・と、富野監督の作家性について言及しておられて、この着眼は慧眼だなぁと。
 ただ、まだ幼かったとはいえ、両方のブームを一応体験してきた世代の立場から言うと、これはたぶん西園寺さんが触れておられるような、富野由悠季と松本零士の、人としての“キャラ立ち”の差ではないのではないかと思われます。って言うのは、(ネットで検索してみても最近の“盗作騒動”ぐらいしか話題は乏しいんで、それはそれで衝撃なんですけど、)松本零士さんって、面白い(ある意味、面白すぎる)キャラだったんですよねぇ。今もあんまり変わってないという印象を持ってますが、何しろ大真面目に“信念の人”なもんだから。(って考えていくと、たしかに面白さを語りにくいキャラではあるかな。でも、間違いなく富野さんのほうが常識人っぽい気がします。)

 で、あえて記事にして言及しなおしてみたのは、『ヤマト』というのに松本零士の作家性は出ているとは思うんだけど、やっぱりあれを“松本零士の作品”と言うのには、成立の経緯に“西崎義展”というプロデューサーの存在があまりに大きかったという、そのことは、アニメ史に関心を持っている人なら調べて知っておいて欲しいなぁと思ったからなんです。
 作品の是非とは別のところでの『ヤマト』成立経緯の問題、とりわけ(富野監督とも縁浅からぬ)西崎さんという、日本のアニメ史に残る稀代の“怪人”のことについては、これこそマジで書きにくいことこの上ない!(大したことなど書いてないはずの、このブログでさえ、「tag: 西崎義展」って記事が上位表示されちゃうぐらいに、調べたい人に比べて、言及してる人が少ないんだと思います。)変なこと書いて炎上しちゃうのはイヤだって言うよりも、私自身どう考えればいいのか分からないことばかりなんで、戸惑うんですよね。一応、私の知る範囲で主要な参考リンクを挙げておきます。皆さん自身で読んで、考えてみてください。

 もう一つ、『エヴァンゲリオン』の話が出ていて。これも時代を画した歴史に残る作品だと私も思います。でも、『エヴァ』は、おりしも今に至るインターネット時代に登場したということもあって、その語りやすさが作品の内容によるものなのかは私にはよく分かりません。『ヤマト』~『ガンダム』(1st)世代なんてのは、今のネットじゃシーラカンスですものねぇ。(苦笑)
 私に言わせれば『エヴァ』はまだ、たかだか10年の歴史しか持っていないので、「たぶん、人気が永続するのはエヴァのほう」だと断言できるのかは未知数です。『ガンダム』の例に倣うなら、あと20年後ぐらいにそれが言えれば本物でしょうか。たぶん、庵野監督も、今それを思って、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を作り直さなくてはと思ったのではなかったかと思っています。

機動戦士ガンダム 劇場版メモリアルボックス 宇宙戦艦ヤマト【劇場版】 劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に

 また長くなっちゃいましたが、“歴史に残る作品”にして“今も人気が長持ちして語られやすい作品”ではないものに話を戻すと、例えば私なら『母をたずねて三千里』なんかを挙げたいかもしれないですね。「どうってことない日常」とは言い難いけど、めちゃくちゃ「まったりと描かれている」ことでは、これこそ大したものです。いや、でも言及されることが少ないだけで、今でも隠れた人気はあると思いますよー。「心に残る」という意味では、これだけの作品は、そうざらにはありませんって。(笑)
 これなんかも作品内容そのものよりも、何かの時代の画期とは言い難いけど、高い水準を示した作品だと言うべきなんじゃないでしょうかね。

 ところで、人気の点ではダントツの宮崎アニメでは、そういう意味では何が歴史に残るんでしょうか。『風の谷のナウシカ』?それとも『となりのトトロ』?えーと、それとも『千と千尋の神隠し』?『ハウルの動く城』?・・・やけに微妙なのは何故なんでしょうか。
 明らかに言えるのは、閉じたアニメ村の中だけで人気があっても、それはなかなか画期とはなりづらくて、結局はアニメファンの狭い枠を超えた世間一般に一定のムーブメントを勝ち得た作品が、歴史に残りやすいということだけでしょうか。
 一人の監督の“作家性”だけで、それがなし得るものでは、なかなかないと思うんですね。ただ、おそらくはさまざまな偶然の状況にも支えられた(一期一会のものかもしれない)“作家性”が空中分解してしまうと、後はつらいですねー。いったん作られた作品の価値は、それはそれで永遠のもののはずなのですが。(まさに一期一会。)

母をたずねて三千里 完結版 風の谷のナウシカ となりのトトロ

追記:

 コメントへのお返事等、この話の続きはこちらです。

歴史に“残したい”アニメとは

関連記事

この記事のはてブ はてブの数 livedoorクリップ クリップ数 Webスカウター情報

permalink | トラックバック(0) | コメント(7)

[tag] アニメ fc2ファビコン アニメ史 fc2ファビコン 機動戦士ガンダム fc2ファビコン 宇宙戦艦ヤマト fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン 松本零士 fc2ファビコン 西崎義展 fc2ファビコン エヴァンゲリオン fc2ファビコン 宮崎駿 fc2ファビコン

TOP ▲

コメント

>

当方、永遠のヤマトファン(第一作とさらばのみ)です。その立場から云っても、ヤマトは松本御大お一人の作品だとは考えていません(^^)

>

はじめまして。とんぼと申します。いつもこっそりROMしておりましたが、最後の言葉に共感して出てきました。一期一会、まさに同感です。歴史に残るとか人気があるとかよりも、リアルタイムでその作品の持つ価値に気づけたのがラッキーだったかなと思いますv-218

> 「歴史」には早すぎる

アニメを「歴史」にするには早すぎると思います。「歴史的事実」というのは、コンテンポラリーではなくて、現在から遠く隔たった過去の出来事という意味でもありますから。

ただ、『ヤマト』と『ガンダム』を比較して見たとき、そのシリーズ化に差があるなと。もしかしたら『ガンダム』は100年後も制作されているかもしれません。

ちなみに『ヤマト』の最新作は『大YAMATO零号』だと思います。たしか1話をネットのどこかで視聴できたはずです(もう見れないかもしれません)。

補遺:
アニメにも、写楽のように再発見されるような作家やタイトルがあると楽しいですよね。

> ヤマトと宮崎は

話しだすと長いですよこのオッチャンはタリホウ。
…自重します。

続編があって、企画/規格が今なお持続している、というのは作品生命に預かるところ、大だと思います。その意味でも、ジャンルがかわってしまいますがゴジラ、ライダー/ウルトラの各シリーズを僕は強く意識します。

そして、シリーズの持続に大きな影響を与えるのは、ある種の「ええかげんさ」であるのではないかなぁなどとと思います。ただ一人のカリスマ的作者に依存する作品、緻密かつ厳密な世界観を逸脱するのが困難な作品、そういう作品は、よくも悪くもシリーズにはなりにくいのかなと。

「俺ぁ、あんな続編は認めねえだ」という罵倒を乗り越え、シレッと続いたシリーズが、実は骨太な作品世界、というかもう一個くくりを外した「あぁ、○○ね」レベルの認知度を得る。


僕は、サブカルチャーの「普遍性」というのはせいぜい30年程度だった、と考えています。一人の人間がサブカルチャーというものに関わり、少なくとも意見の表明を行える時間の限界が、かつてはその辺だっただろうと思うからです。たとえば劇画、特撮といった趣味性の高いジャンルでも、その細かいディテールは愛好家の歴史的意識にのみその残滓を留め、一般の視聴者はおろか、次世代の愛好家たちにとっても「お勉強の対象」になってしまう。

「人は二度死ぬ」ではありませんが、語り継がれ続けること、どんなに変化しつつも転がり続けることが、「作品」の寿命を延ばす唯一の方策なのではないでしょうか。
あんなに内輪ネタの集まりである聖書ですら、ガッツと根性で時間と空間を超えた普遍性を得たのですから。

その意味では、うん、ヤマト、がんばれ。
俺は第一作しか認めないけど。
メカはサラバまで認めたるけど。



え?一人作家の宮崎作品?
なはは。
こりゃあれだ、絵本の名作と同じくらいには普遍性があるかと滝汗。

…、でも、絵本の世界でも数えるばかりの世紀越え的名作を除けば、やはりサイクルはせいぜい30年くらいだなぁ。
今の僕らがじじばばになることには、ハイジもキキもトトロでさえも、忘却の彼方に飛び去っているのは間違いないと思います。
ウルトラも、ガンダムも。

かつての鞍馬天狗や冒険ダン吉のように。

> ある種の「ええかげんさ」

たしかに一般的に長命なアメコミヒーローの生命力は「ええかげんさ」をもっているからかもしれません。

特撮というと、『ULTRASEVEN X』はウルトラセブンのアメコミ化現象?わたしはよろこんで見ていました。話数がすくなくて残念に感じているくらいです。

ガンダムは『Gガンダム』が、その「ええかげん」路線に道をひらいた感はあったのですが……。

追加:
きっと、たとえ革命(!?)が起きても『サザエさん』だけはなくならないと思います。

> むがむぐ

>サザエさん
いろんな「現代」を取り込みつつ、さらりと無節操に「今」を生き続けるのか、それとも一種の「時代劇」または「昭和風異世界ファンタジー」として語り継がれるか。
どっちもありそうで興味深いです(=~=)

>アメコミヒーロー
彼らのええこら加減さは驚嘆すべきレベルですね。基本設定も変わらぬまま、3/4世紀を駆け抜ける強者がごろごろいます。語り手が替わるたびに、その都度「現代」の話として物語は紡がれる。
もういっそ神話説話の世界です。

…、なんか、「ものがたりのふへんせい」という言葉は元来こういう意味ぢゃなかったと思ふのになぁ、と思案投げ首です。

>Gガンダム
風呂敷を広げすぎない、ぎりぎりの開放感であったかもしれないですね、Gガンは。
間口を広げすぎると今度は独自性が霧の向こうに消えてしまう。そのあわいを模索していたパイオニアかも知れません。
少なくともこの十年単位のスパンでは、WからSEEDへの道筋がガンダムという概念の括りを方向付けているのは間違いなさそうですね。作り手にとっても、受け手にとっても。

…Gガン、普通にロボットものとして面白かったんだけどなぁ。

>

似たような話題としては
「BSアニメ夜話06『ヤッターマン』」の書籍で
岡田さんが触れられている内容を思い出します。

「作品や番組の魅力には『面白い』ということと、『楽しい』ということがあるんです。例えばお笑いマニアは面白いものを求めて、『面白くなければ芸人じゃない』というんですがこれはマニアの感覚なんですね。それだけでなく、『楽しい』という要素もあるんです(p.133)。」

歴史になるかどうかはいくつかの要因が関わりますから結果として扱うしかないのですが、
語られる作品かどうかは上記のようなものが深く関わっていると感じます
(私も常に感じている感覚なのですが、上手く代弁している内容でしたので引用しました)。

富野監督を語る人は
その作家性について触れる人が多いですが、
発言なんかをよく聞いていると、TV屋、アニメ屋として作品を作ってるという趣旨のことをよく言われているんですよね。

それを語りつつも、
いつも「それでも」、あるいは「それだけでは」が入り、
ついつい「ああいう風」なものを作り出してしまうというアンビバレンツさはありますが。

上記のように
常に感じている感覚なので
語りだすととまらないので
ここではここまで。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/1093-c202c07d

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。