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重戦機エルガイム METAL9 (最終巻) 

[2007/12/10] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 すっごい。(笑)・・・満腹お腹いっぱい目眩くらくら。こんなにパワフル(っていうか無理やり気味な力技?)でしたっけ、見直してみるものですねぇ。内容が濃すぎて、決して上々の出来、ウェルメイドなクライマックスだとは言えませんけど、これでもかと押し切られて、この迫力には降参、もう参った!(笑)

重戦機エルガイム DVD-BOX
  1. レディ・キラー
  2. エキサイト・アム
  3. マイ・ラブ
  4. ファイナル・タイム
  5. ザ・ディクテイター
  6. ドリーマーズ アゲン

 『星の鼓動は愛』の三つ巴・四つ巴ぐらいで悲鳴を上げていた人は、このエルガイムはマジで見ないほうがいいですよ、はい。もうね、この物語の時空は歪んでいるんだと。そういう超絶劇空間の表現なのだと。言っときますがこれ、半分は誉め言葉ですからね。(笑)
 このラスト六話の並外れて濃密なストーリーを見る前に、そういう視点を得たことは僥倖でした。

  • マクトミンとか、ましてヘッケラーとか、いつの間にあんなにギワザに心酔を?
  • 相変わらずギャブレーは、呼ばれればホイホイとギワザの使いでフルフラットのところへ行ったりとか。
  • だいたいダバ!49話で一気にスヴェートのポセイダルの間近にまで迫っても、50話では元通りガストガル上空に戻ってるし。往復自在なら何のための“スターダスト作戦”なのかとか。
  • ギワザ旗艦のサージェ・オーパスも、フル・フラット乗艦のピンクのホエールも、同型艦が何隻もいるのねー、あー紛らわしいとか。

・・・まあ、ともかくだ。そういう細かいことは気にしない気にしない!(笑)
 アムの気持ちが分かってあげられるのはレッシィだったり。トンデモ上司に仕えているうちにミレーネにせよパメラにせよ、なぜかスレンダースカラ隊の連中は(あのハッシャ・モッシャまでもが)心底ギャブレーに惹かれてしまったり。その辺の大事なところの情は(かろうじてでも)繋がっているからギリギリセーフなんですよ、きっと。(苦笑)

 アムとフル・フラットが、なぜか心惹かれあったように、レッシィは(たぶん本来はもう少ししっかりと)ミアンに重ねられて、“ポセイダル―フル・フラット―ミアン”という構図を、“ダバ―アム―レッシィ”の関係に重ねてみる、もう一つの物語というのはきっと想定可能だったのでしょうね。だから最後にダバは退場しなきゃならなかったというわけです。
 しかし、フル・フラットかっこいいよなぁ。なのに、あの最後だもんなぁ。(その直前、とっさにミアンを庇う彼女は最高にいい感じなんだけども。これぞ富野流?いやーキツイですねー。)
 あと、前にくっきーもんすたーさんが言ってたけど、こうして見れば『Z』でシロッコのやりたかったのって、まさにアマンダラ・カマンダラの支配のやり方だったんですねー。

「私はギャブレット・ギャブレーだ。義に死してこそ華だと思わんか!」

 なんつーか、ここに来て、美味しいところをことごとく、あのギャブレット・ギャブレー君が持っていくとは!思うに、『ZZ』のマシュマー・セロなんかも、本来はこういう活躍をさせたくて配置されていたキャラクターだったんだろうに。そう考えると、クワサン・オリビーはエルピー・プルなんかにも投影されているのか・・・。
 なにしろ、たしか一目ぼれだったはずの“クワサンLOVE”しか行動原理がなくなってしまったあたりは苦しいような、分かるようなのギャブレー君なんだけど、そのギャブレーに、ダバを助けることを条件としてクワサンを引き渡してしまうアムとか。もうドロドロにすごいね!
 そのギャブレーがラストでダバにはかなわん、と素直に譲るのは、結局あの状況の中で彼は、恋に恋していたんだろうか。アムとレッシィもそうで、状況の中でこそ熱い“恋のサヤ当て”もあるんだけど。そういう意味では、まさになんだか“青春の終わり”という感じで、本当にしんみりと寂しいところで物語が収束して、・・・このフィーリングは『ダイターン3』のエンディングにも通じる気がしました。
 第一話サブタイトルが「ドリーマーズ」で最終回が「ドリーマーズ アゲン」で、かたちとしてはきれいに韻は踏んでるんですけど、内容的には本当に寂しくて消え入りたくなりマス。

 とにかく、普通に登場人物が多過ぎたでしょう。どう見ても設定作りすぎ。(笑)・・・最後、ダバ見送りの人々の中にリョクレイがいたような気がするのは気のせい?今にして見直せば、「シナリオが数本上がった段階で、僕にしては作りすぎの世界観にしてしまったらしい、と気付いて、」とか富野監督も言ってるわけだけど、もう気持ちがZガンダムのほうへ向かっていたせいなのか、軌道修正が充分になされなかったのは、やっぱりつらい。
 一見ちゃんと結末をつけたように繕ってはあるけれど、個人的な印象としては、富野アニメの中ではかなり消化不良の程度が激しく終わってしまった作品だったと思います。続く『Z』、『ZZ』って、かなりこれを引きずってしまった作品だったんだな、とも。だから下記のように回想もされてしまう。

「エルガイム」が致命傷として僕の中に残って、それが「Zガンダム」「ガンダムZZ」など「ガンダム」一辺倒になっていったという僕の経緯があるし、サンライズの中でも富野にやらせる時は「ザブングル」以後の好きにやらせた部分を規制しないといけない、ということで「ガンダム」以外の仕事をさせてもらえなくなったという流れにはめられてしまった

 エルガイムは“世代交代”の物語でもあったわけだけど、抜擢した永野護との関係とか。無理にでも世に押し出そうとしたんでしょうかねぇ。

永野護君という新しい人材をシリーズの中に入れたことによって、製作現場を混乱させ―これだけ時間がたっちゃったから、かなりあからさまに言えるんだけど―特にアニメーター・サイドに大きな反発を招いてしまったということがひとつの反省としてあるんです。

 ウツな時期の富野監督の言ですけどね。後年やりなおしてみたいと思ったときに、「あの世界は永野君にやるよ」と言ったことを思い出したんだと言っています。「良い悪いは抜きにして、すでに一人の作家の内に確立されているものに対して、第三者は絶対に関与してはいけない」、それは自分がガンダムでやられたことなんだって。『エルガイム』からはすっかり脱線ですが、そのへんの心境は、この三部作を読めと言ってますね。(笑)

この小説、何が凄いかというと、主人公のグラン王がいきなり毒殺されるシーンで始まる。そしてそのグラン王が成仏しきれずに霊体となって、妻や子達が血みどろの権力争いを続けるのを見守るというところ。霊体だからこそ様々な場所にあらわれ、状況を複合的に判断できるからこそ、現実世界の人々に対していらつきを募らせる。
で、思ったのたがこのグラン王って、当時の富野自身のメタファーではなかろうか?

・・・という子犬さんの解説を拝見したら、読んでみたくもなるし、古書ならほとんどタダ同然のようなのですが。“信者ならばマストバイ”と言われそうですけど、どう考えても読んだら凹みそうですよねー。(苦笑)

 まあ、だいぶあれこれ言いましたが、ひとには薦められないだけで、個人的には『エルガイム』は決してきらいな物語ではありません。この作品の構成要素は、富野監督的な人間ドラマ、永野護さんの「ファイブスター物語」的世界観のほかに、富野アニメには珍しい役職「シリーズ構成」の渡邊由自さんのストーリー性があったと言われているようですが、どうも私の記憶にある『エルガイム』の印象は後年、渡邉さんのノベライズの印象に引っぱられていたのだったかも知れません。

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コメント

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はじめまして。エルガイムここ2週間ほどで一気に見たものです。
興奮冷めやらぬままこのブログを発見!Ζと時期が被っていることからか、なかなか興味深く見れました。

個人的感想として「了解」をことごとく「ラジャー」という作品なんだと感じたのと、レッシィの声優さんを調べてしまいました。あの声好きです!


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