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アニメの中での「表現主義」って・・・ 

[2007/12/07] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 「“日本のビジュアル大衆文化の頂点は、アニメじゃなくマンガ?”という話」の続きです。(相変わらずムダに長いですが、お覚悟を。)
 “アニメ様”こと小黒祐一郎さんがどこかのパーティで話した内容を、東浩紀さんが見事に逆の意味に聞き違えたらしい、という話で、「それにしても、強烈な東浩紀批判ですよね」・・・とNishinomaruさんに指摘されましたが、アニメ様が「多分、どこかで勘違いされている(増田さんの勘違いではなく)のだろう」というのは、確かにまあ、注意して読めばそれと分かるように書かれていますね。アニメ様のスタンスはよく承知していませんが、読んだ感じでは婉曲に書いたんであって、揶揄する意図ではないのでは。

 それはともかく(笑)、「表現主義」というほうです。

東映動画系、虫プロ系というのはよく言われる話なんですが、「表現主義」「物語主義」という言い方を聞いたのははじめてで、もし最初からそういう対比なのだったら、語感から言って「勘違い」の発生も無理はないという印象。

・・・と私も書いたぐらいで、増田さんが特に疑問を挟まなかったのと同様に、私もその部分だけを読んだら、“東映動画系は表現主義派”、“虫プロ系は物語主義派”という言い方も(個々の人名を見なければ)大雑把にはあり得るのかな、と思ってしまったと思います。それをスパッと、

りんたろうさんを始めとする虫プロの人達が「表現主義」だと言ったはず

・・・と訂正したアニメ様の見解を詳しくお聞きしたい、とだけ前回は書きましたが、自分でももう少し考えてみたくなったので続きを書いてみます。

 (たぶん東さんの)そもそもの勘違いで曲者なのは、「表現主義」という用語と併置して、「物語主義」という言葉を用いているところ。そういう読ませ方をさせられると、“物語”というほうに文芸的な内容の重視、“表現”というほうに映像的な内容の重視というニュアンスを勝手に誤読して納得してしまいます。
 “もし最初からそういう対比なのだったら、・・・”と私が書いたのは、そういう理由で、「物語主義」というのは「勘違い」した人の付けた尾ひれなんではないかとしたのも、そういう意味です。

美術において「表現主義」として語られるのは主に19世紀後半以降の動向だが、そもそも「表現」を意図しているはずの美術の特定の部分を、敢えて「表現主義」と二重に括るようになったのは、ある傾向の作家・作品に窺われる激しい感情の吐露・表出を、科学や実証性を重んじた「印象主義」と対置するためと考えてよい。

Art Words - Art scape「現代美術用語集」

表現主義(ひょうげんしゅぎ)または表現派(ひょうげんは)とは、様々な芸術分野(絵画、文学、映像、建築など)において、一般に、感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現する傾向のことを指す。また、この語は感情の中でも特に不安や葛藤などをあらわしたものを指すことが多い(表現主義の作品で、陽気で快活なものはあまり見れず、陰鬱なものが多い)。

表現主義 - Wikipedia

 美術用語としては、「表現主義」(Expressionism)は「印象主義」(Impressionism)の正反対の語として存在するようですが、他のジャンルで援用して使う場合はなかなか難しいですね。Wikipediaの「表現主義 - 映像」の項を読むと、映画では象徴的、超現実主義的な作風を、そう呼んでいるようです。(今のアニメで言ったら、むしろ「エヴァっぽい」みたいな言い方をされる傾向が、それっぽいですか?)

 「激しい感情の吐露・表出」と言う特徴は、なるほど富野アニメによく当てはまります。“りんたろうさん”と言われると、私はついつい東映動画で製作された『銀河鉄道999』とかを頭に浮かべてしまうので、正しく虫プロ的な“りんたろう作品”って何だろう?不勉強で、そのへんがよく分かりません。(『火の鳥・鳳凰編』とかでしょうか。今度見てみようかなぁ。)

登場人物のデザインと性格だけではなく、空間と時間も徹底的にデフォルメされた。投手の手を離れた白球が、捕手のミットにたどりつく時間は、一球に込められた情念によって際限もなく延長され、ひき延ばされた瞬間が迫力のある動きとして、アニメーターにより追求された。せまいリングが広大な戦場として描かれるのも、その主人公にとって戦場に等しいのだ、というわけで正当化された。おかしなもので、語り口がどこかで講談と同じになっていった。間垣平九郎が愛宕山の石段を馬で馳せ登るくだりの表現と、これらのアニメーションの語り口のなんと似ていることか

 「感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現する傾向」と言うのは、前の記事でも紹介したリンク先(「アニメビジネスがわかる: アニメビジネスがわかる本32」)で引用されている宮崎駿さんの“テレビアニメを中心とする過剰表現”への批評(というか批判?)が分かりやすいですね。
 たぶん、これこそがアニメ様が「表現主義」という言い方で示したものだと思うのですが、なるほど、そう言われると確かに虫プロ(テレビアニメ)的な特徴のような気がしてしまいます。

 ただ「激しい感情の吐露・表出」という側面を抜きにして、このアニメ的な誇張表現という部分だけで見ていってしまうと、例えば私の世代では、ついつい『ガンダム』と『未来少年コナン』(あるいは『カリオストロの城』でも可)の対比などで考えてしまいがちなので。それは宮崎監督の得意技でもあるのではないかと。(あのコナンやルパンの超人的な身体能力ですよ! 笑)
 Wikipediaに「マンガ物理学」などという笑える一章(つい読みふけってしまいます)がありましたが、『コナン』を初めて見たときなど、“これこそがアニメの魅力かなー”などと私は単純に思い、改めて感心したものでした。
 富野アニメに頻出する“ハイパー化”などは、まさに「激しい感情の吐露・表出」でもあり、アニメ的な誇張表現の典型とも言えそうですが、近年、世間一般ではギャグ的用法を除くと一概に誇張表現は否定的に捉えられる傾向があるような気がするので、私はそこは残念です。

 で、こうした誇張表現を排除していった極北の作品というと、私は例えば高畑勲監督の『母をたずねて三千里』などを思い浮かべます。お猿のアメデオ君が一人で画面に動きを与えていた以外では、あの禁欲性はすごいですよね。あれこそは「物語主義」というよりも、むしろもう少し普通っぽい用語で「自然主義」的な(現実を理想化せず、社会・人間・自然をみにくいものもふくめて、ありのままにえがこうとした)傾向として、表現主義に対置すべきものかなぁと。
 美術の分野で、“そもそも「表現」を意図しているはずの美術の特定の部分を、敢えて「表現主義」と二重に括るのは・・・”と言われていたように、表現主義的な傾向というのは、よほど意識的に抑えない限りはむしろ、ほとんどのアニメ作品の中に見られるものなのではないかと私は思います。
 視点がどこで、何と対置した場合に「表現主義的である」というように、言い方あるいは聞き方を注意深くしないと、言葉というのは一人歩きをしてしまって180度違う意味に取り違えられる場合さえある、ということなのではないでしょうか。

追記:

 ところで「物語」というのも難しい言葉なのですよね。

各所でしばしば言及される富野由悠季さんの述べた「物語性」という言葉は一人歩きしているようなところがあります。

・・・という、Nishinomaruさんの問題提起(「一人歩きする言葉たち」)を、私はうまく消化しきれずにいます。物語(narrative)と構成(composition)は別ものですか、うーん、なるほど。

とにかく「映画的」というなら相応に映画を見なくてはならないし、「演劇性」というなら相応に演劇を見なくてはなりません。

・・・というのも耳が痛い指摘(最近、本当に外耳炎に悩んでいたりします)なのですが、敢えて言ってしまうと、私は無知を恐れずに、聞きかじっただけのさまざまの言葉を用いてでも、書きたいことは何とかかんとか書いてみたいと思っています。
 トミノ的な物言いをすると、有名な評論家とかならばいざ知らず、私の書くようなことをまるごと鵜呑みにしてしまう人がいたならば、それは申し訳ないけれど、その人のリテラシーの問題かもしれない、と傲慢をかまさなくては、そもそも何も書けなくなってしまうではないですか。(あ、これも有名評論家を揶揄したんではありませんので、念のため。 笑)

(ちょっと恥ずかしいけど)
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アニメスタジオの系譜をお勉強
なるほど、虫プロ系と東映系ですか!

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[tag] アニメ fc2ファビコン 虫プロ fc2ファビコン 東映 fc2ファビコン 宮崎駿 fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン 高畑勲 fc2ファビコン

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コメント

> ハイブリッド

富野由悠季は、映画志向のテレビアニメの人。
宮崎駿は、漫画志向のアニメ映画の人。
要は、自然主義(映画)と表現主義(漫画、テレビ)のハイブリッドなのでは、と思います。

虫プロとタツノコの比較論というと大上段ですが、『REIDEEN』は虫プロ出身の富野氏の初監督作をタツノコ系のIGがシンエイ(東映系?テレビ系?)出身の本郷みつる氏を監督にむかえてリメークしたアニメです。今、『ライディーン』を見ているところです。

>

りんたろう監督には詳しくないのですが、『ラビリンス・ラビリントス』がかなり先鋭的な「表現」をした名作だと思います。
ストーリー性が希薄で物語主義とは口が裂けてもいえないものです。

>

≫ハイブリッド

言い得て妙ですね。いっそ「ツインターボ」のいいとこ取りと言いたいところですが、相乗効果になるときと、相殺されてしまう逆効果の場合もある、と。
「アニメは、その映画的なるものの一部でしかないから、ぼくは、未だアニメに興味を持つことができず、エイゼンシュテインの時代のモンタージュと映像の弁証法という映像力学をもって監督するだろう。TVアニメ屋として。」(『富野由悠季全仕事1964-1999』序文 富野由悠季「トミノの深層」)

≫『ラビリンス・ラビリントス』

よく名前は耳にしますね。アートアニメーション寄りの作品なのでしょうか。『迷宮物語』というオムニバス映画の一編のようですが、よく聞くわりに目にするチャンスが少ないような。機会に恵まれれば、ゼヒ見てみたいと思います。
しかし実はよく分かってないのですが、“虫プロ”系アニメの典型として、りんたろうさんの名前を挙げるのは妥当なんでしょうか。(別に異論があるわけではなくて、私がよく分かってないという、ただそれだけの話です。)アートアニメーション寄り、というと、ついついジブリな方々のことなどを思い出してしまうものですから。

> 実験アニメ『森の伝説』

手塚治虫のアニメといえば、実験アニメ『森の伝説』です。アートに「芸術は爆発だ」みたいなニュアンスを込めると、たしかに虫プロ系になると思います。

くりかえしになりますが、表現主義というのは表現する主義というような一般名詞ではないです。ドイツ表現主義と書くと親切かもしれません。

一方、アートというと、これは一般名詞です。アートアニメーションという言葉も定着しているとは思いません。

以上を踏まえて、虫プロはやはりドイツ表現主義にかなり影響を受けているのではないか、そう思います。対して、ジブリはフランス、イタリアなのかも知れません。

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