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『ガッチャマン』に富野監督って関与してましたっけ? 

[2007/12/02] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 シャア専用ニュースさんに再掲されていたので、バンダイチャンネルの「総力特集! 歴代の富野アニメを徹底紹介」のページを何気に読み直しておりましたら、気になったので、調べてみたけど分かりませんでした。

富野由悠季が手がけた最初のアニメ作品は、日本初の30分TVシリーズ『鉄腕アトム』 (63)だ。日本大学芸術学部を卒業後、手塚治虫の会社、虫プロダクションに入社した富野は『アトム』の各話演出で頭角を現す。原作にないオリジナル脚本作品も多数手がけ、シリーズ後半を支えた演出家となったのだ。『リボンの騎士』(67)など手がけた後はフリーの演出家として各社の作品に参加。『科学忍者隊ガッチャマン』(72)や『アルプスの少女ハイジ』(74)など、誰もが知っている名作の数々に絵コンテ、演出で多数参加している、すごいアニメ作家なのだ。

歴史をつくるアニメ作家<富野由悠季>
~富野アニメの流れを年代順に追ってみよう~

 ガッチャマンのスタッフリストが載っているサイトさんとか、見せていただいたんですけど、富野監督のお名前はなかった気がします。『富野由悠季全仕事1964-1999』も引っ張り出してきて見てみましたけど、記載はないみたいでした。
 とっても気になります!何かご存知の方おられましたら、ぜひ教えてくださいませ!

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コメント

> お恥ずかしながら…

はじめまして、ひとりの富野ファンとして、いつも囚人022さんの記事に楽しくて読ませていただいています。先日、この記事を読ませて頂いて、とても興味があります。なので、僭越ながら、ここ数日調べた結果を報告したいと思います。

最初から結論を申し上げますと、おそらく可能性として薄いだと思います。その理由を簡単に言いますと、やっぱり囚人022さんの指摘したとおり、「ガッチャマン」のスタッフリストには今まで判明した富野のペンネームがないということです。これはおそらく一番説得力強い理由で、最終の結論かもしれませんが、もう少し他のところからちょっと検証することにします。

ご存知の通り、演出担当制を取るタツノコの慣例では、コンテ・演出は一概「演出」としてクレジットされている。で、この制度の中では2つの状況が起きるわけです:
1 コンテ・演出担当は同じ人の場合。 こういう場合じゃ、何の問題も起こりません。
2 コンテ担当と演出担当が違う人の場合。 こういう場合は、表記の時の判断については、いささかな混乱を起こります。何故かというと、②の場合では、さらに二つの状況があるのです:
① コンテ担当の名を載せないで、ただ演出担当の名を載せる。
② コンテと演出担当の(仕事の?)割り合いによって、単独あるいは共同表記する。

まず、もし現場はホントに①の場合だったら、それはもう部外者にとってどうしても分かる術がない状況ですから、その場合はもう諦めるしかありません。続いて②の場合でも、やはり割り合いについては、そう簡単に判断できないものなので、今回の検証にとって厳しいものですが、それでも①の場合より大分マシだと思います。実際、タツノコはどのようにクレジットを決めるのが分からないのですが、ほかのタツノコ作品のデータと比べてみると、幾つもの疑問も解けるはずです。

最初、演出の共同表記はタツノコでは決して珍しくないことなんです(当たり前なことなんですけど)。「ガッチャマンⅡ」だけ見ても、52話の中では23話の演出が連名表記していますし、他のタツノコ作品でもしばしば見られることから、演出のみをクレジットされる可能性はおそらく少ないと思います。なので、状況①はここで消えることを仮定します(もちろん時期や作品によって個別差が出るかもしれませんけど、それを追求したらキリが無くなっちゃいますので、あえてこういう仮定をしました)。

ですが、こういう視点から見ると、状況②はかえってややこしいに見えちゃいます。何より割り合い(これは私の勝手に使った言葉ですが)というのは微妙なものでして、公式なデータ(クレジット)が残っていても、実際の仕事範囲は誰も知りません。単独表記の場合も実に二人以上がやってたかもしれませんし、逆に共同表記の場合でも誰かがコンテを全部切って、誰か演出を全部やるには限らないから、ここで「富野さんは果たしてガッチャマンのコンテを切ったかどうか」という本題をもう一度見直すと、ここの結論は「あるかもしれませんが、クレジットが判明している範囲の中には無い」ことです。

と、わざわざ遠回りしていて申し訳がございません。実は本題はこれからなんです。上の話を見ると絶望と思っちゃうかもしれませんけど、実はそれほどでもないのです。

「ガッチャマン」のスタッフリストを見ると、演出の状況一覧はこうです(括弧は担当回数):

鳥海永行:1、2、3、8、9、10、11、18、22、28、31、35、37、39、40、46、50、52、53、57、58、67、68、71、78、81、88、90、92、94、95、98、102、105(34)
西牧秀雄:4、7、12、17、21、24、29、32、33、34、38、41、45、48、51、56、60、62、63、65、73、74、75、76、83、84、85、86、89、93、96、97、101、104(34)
案納正美:5、6、30、36、42、44、49、54、61、64、69、70、77、79、80、82、87、91、99、100、103(21)
黒川文男:13、16、19、25、43、47、55、59、66、72(10)
木村節夫:14、20、27(3)
笹川ひろし:15(1)
山田勝久:23(1)
棚橋一徳:26(1)

その中、鳥海永行氏も西牧秀雄氏も案納正美氏も黒川文男氏も笹川ひろし氏山田勝久氏も説明不要と思いますが、アニメ界の重鎮で大ベテランたちです。棚橋一徳氏は(個人的に)よく知りませんが、ググってみたら、どうやら奥田さんみたいに、長年渡る助け人のようです(それも現役!)。で、残り「木村節夫」という名なんですが、どうやらアニメ作品の中でも「ガッチャマン」のこの3話にしか出てこないらしい。「もしかしたらペンネーム…?それも富野さんの…!?」という期待も思わず出ました。

(余談ですが、今回に当たって、何気なく山田氏についてウィキで調べましたが、なんと山田氏は東京デザイナー学院の学生、しかもその時の講師は富野さん! うん~これも何かの縁かな。)

しかし、木村節夫という名は「ガッチャマン」にしか見れないことは、そのまま富野ペンネーム説の弱点にもなります。つまり、「たった三話のためだけに使うペンネームがありうるか」ということです。富野が参加した他のタツノコ作品一覧を見ますと、明確に当時のクレジットを残した「けろっこデメタン」(‘73)、「新造人間キャシャーン」(’73)、「昆虫物語 新みなしごハッチ」(‘74)、「破裏拳ポリマー」(’74-75)、「ゴワッパー5 ゴーダム」(‘76)では、例外なく「富野喜幸」の本名を使っていた。ちょっと前の「紅三四郎」(’69)、「昆虫物語 みなしごハッチ」(‘70-71)、「いなかっぺ大将」(’70-72)の明確なクレジットは分からないものの、「富野由悠季全仕事」による調べでは「富野喜幸」と記載されているから、これらの作品もまた本名を使ってたといっていいと思います(唯一の例外は「ガッチャマンⅡ」(‘78-79)の斧谷稔)。従って、72-74年の「ガッチャマン」だけに他のペンネームを使うのがおそらく可能性として低いだと思います。

でも、もう一度考え見ると、そもそも何故富野はペンネームを使うのか?その意図は時期によって微妙に違ったりするんですが、「さすらいのコンテマン」時代に限定していれば、詳しい言い草はちょっと覚えませんが、だいたい「同時オンエアの作品にて名前を被るのが避けたいから」という意味と記憶します。なので、これからは富野のペンネームの使うタイミングとオンエア時期について調べたいと思います。結果が出る次第、また報告します。

あと、もう一つの可能性に、単純にバンダイチャンネルの誤解(あるいは誤記)か、「ガッチャマンⅡ」での斧谷稔担当回との誤認ってのもあるかもしれません。

ですから、ここまでの結論をまとめると、それは:
Ⅰ あるかもしれませんけど、カウントしていない
Ⅱ 木村節夫というペンネームを使ったのかもしれません(もっと検証の必要があり)
Ⅲ 誤解、誤記、あるいは「ガッチャマンⅡ」との誤認
ということです。

……長文の割りに、なんだか大したものを書かなくて誠に申し訳ございませんでした。検証と言いながらも、実際に使った資料はネットと数本の富野関連本なんですから、なんだかとても恥ずかしい気分になっちゃいますよ。さらに、この散漫な拙文を読み返すと、ただただ自分の日本語の不勉強さと議論の下手さを痛感しました。それでも、もしこの駄文乱文をお読みいただけると、嬉しい限りです。また、変な表現や理解苦しむところについてもどうかご容赦ください。

(余談ですが、ここ数日調べた最中、なんか「富野由悠季全仕事」とウィキも記載していない富野参加作品を見つけました。グーグルでググるとすぐに出ますが、それは1965/12/14~1967/10/31の「戦え!オスパー」という作品なんです。さらに、放映時期を見ますと、ほぼ「だから僕は」のp169に言及した「虫プロ在籍中のバイト」の一つに違いません。

あと、ここの日本映画データベースhttp://www.jmdb.ne.jp/によると、「みなしごハッチ」にいくつの東宝チャンピオンまつり用の映画化フィルムがあります。その中では「みなしごハッチ 忘れな草に願いをこめて」というのがいて、これは実に「みなしごハッチ」の74話で、演出はまさしく富野喜幸なんです。実際、「みなしごハッチ 忘れな草に願いをこめて」は74話のフィルムをそのまま劇場で放映したと思われるので、富野の手によって再編集することも多分ないと思いますから、果たしてカウントするべきかどうかはちょっと迷いますが、一応参考として報告します。これの場合は劇場版「海のトリトン」の状況とも異なるため、なんだかややこしいですね。)

> すごい研究報告をありがとうございます

kaito2198さん、はじめまして。いらっしゃいませー。

可能性があるかもしれないのは、14、20、27話ですか。
14話「恐怖のアイス・キャンダー」には、科学忍者隊を救うため自爆する老人が出てきました。
20話「科学忍者隊危機一発」って、遠心分離機でジョーの頭からミサイルの破片を取り出した、あの恐ろしい回?(笑)
27話「ギャラクターの魔女レーサー」はジョーがメインでミステリアスな仕立ては印象に残る回でしたね。
もう一度意識して見直さないと、是とも非ともわからないですね。ちょっと癖のあるエピソードぞろいのような気がしますが、それは脚本の領域であって演出とはまた違うかも知れないですしねー。

おっしゃるとおり「単に間違いなんじゃないのー」という疑念も消えないんですけど、バンダイチャンネルのこの辺って無記名でもちょくちょく氷川竜介先生が編集しておられたりするし、気になっちゃったんですが、こんなに詳しく調べていただいてしまって、たいへん恐縮です。

>

ご返事ありがとうございます。長文を書くのが不慣れでかなり緊張していますよ、何せ日本人ではないですから…

上のペンネームについてですが、今のところ万年暦を引っ張り出して富野監督が参加した全部の作品の時期について徹底的にチェックするつまりです。御存知の通り、富野監督はペンネームが多い方で、今判明した範囲だけでも「新田修介」「阿佐南」「斧谷喜幸」「斧谷稔」「阿佐みなみ」「とみの喜幸」「井草明夫」などがあります。また、これらのペンネームを使った時期は10数年も渡るため、判別するには少し時間をかかりますので、結果が出る次第また報告します。

そういえば、Umikaze Blogのumikazeさん前も似たような話題を出しましたな、あれは「ルパン三世(新)」についての話だと記憶しますし、ひびのたわごとの子犬さんも先日「ダイターン3」の文芸・脚本の「楯屋昇」について似たようなことを話しましたから、またまた検証するべきところが一杯ありますね。

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