まだだ! まだ終わらんよ! 

[2005/11/18] | 新訳Ζ | トラックバック(0) | コメント(10) | TOP ▲

子犬さんが悩んでおいでのようだ。

自分なりに、なぜ「星を継ぐ者」と「恋人たち」でオイラの中の反応が違うのか考えてみた。思いつくのが、「星を継ぐ者」ではあくまでもシャアとアムロが主役であり、ラストに用意されているのがかつてのライバルだった二人が7年ぶりに同志として再会するというカタルシスであり、あくまでもカミーユは狂言回しとしての役割しか与えられていないということ。
それに対して「恋人たち」においてはカミーユが自立し、相対的にシャアとアムロの二人の影は薄くなってしまっている。というか特にシャアはヘタレ化している。


そうですねー。でも「一年戦争の英雄たちが大活躍を続けたら、…なぁんだ、それだけでグリプス戦役もあっちゅうまに問題は解決だ!さすがだねぇー!やったねっ!!」・・・というような作品を、最近どこかで見たような気はしませんか?(え?デスティニーって何ですかぁ?私はそんなもの知りませーん。)

まあ、だから、そこへ救いを求めたくなるのは“気の迷い”というやつですよ、きっと。(笑)

でもオイラ、もともとZは嫌いじゃなかったのよ。学生の頃や社会に出たての頃は「大人はわかってくれない」的な鬱屈を、常にイライラしているカミーユに感情移入しながら見ていたし。ところが年取ってくるとあんなに好きだった鬱屈感が、今では青臭くて「バカジャネーノ?」と見えてきてしまうんだわ。


そういうわけで、こっちが本論だと思ったので、 <鬱屈感を忘れて観るのは難しいですよね。一晩「種」を見続ける苦行とかしてから、劇場にもう一度足を運ぶとか(笑)。>とかコメントしてみた。そしたら

だいぶ今風にあわせて薄っぺらくはなったものの、あの頃の強烈なまでの共感はもう抱けませんからね。やはり内にためたものがないとダメなのかな?
でもあの鬱屈はなんだったんでしょう。
今思うと、あの頃嫌っていた何事にも諦めしか抱けないつまらない大人に、まさに自分がなってしまったのかなぁ・・・。

という反応。

   
(@△@)/~☆ ピキーン! それですよ、子犬さん!(爆)

今、少しガンダムそもそも論のところから、なるべくシンプルに考え直してみようと思っているところです。・・・そこで今頭に浮かんでいるのは、例えば、人は「革新」しなきゃ駄目(ファースト)、人は「再生」しなきゃ駄目(イデオン)と単純に読むこと。その場合に、ゼータ(TV版)って「革新したって、駄目なもんは結局駄目」で終わっちまった、何の救いもない「駄目・駄目」作品だったということです。(作品的ダメダメじゃないですよ、メッセージの内容が「人間=駄目&馬鹿は死んでも直らない」ということ。)
私の場合、激しい共感は「人=駄目」という認識に向けられたものでした。たぶん当時の多くの若者たちもそうではなかったかと思っていましたが・・・。
その後少なくとも「逆シャア」に至るまで、人の革新や再生の可能性への希望を御大は捨ててなかったと思うのですけど、しかし多くの人たちは、それこそ「薄っぺらくて安直なニュータイプ論」だとして、一顧だにしなかったのではなかったかと!

「今風」というのはそういうもので、「駄目」なんてことは分かっているからなのか、改めて言われたくもない。けれども、それこそが「何事にも諦めしか抱けないつまらない大人」の姿だと思います。
それを不満に思いながらも、沈黙していれば、同罪です。しかししかし、どうしてどうして、・・・「新訳」を観れば、私には、御大は諦めているようには思えませんが?

禿め、最終章に
何を隠し球に持っているというのか!?(笑)

・・・あるいは否定されつくした感のあるニュータイプ論を、超人的な存在としてではなく、現在の私たちの延長線上に描きなおしてくれるのではないか。(それは既に「ニュータイプ論」と呼ぶべきものではないかもしれませんが。)

「人の革新」の可能性、未だあるものならば、わたしはそれを観たいです。私もたぶん、「諦めしか抱けないつまらない大人」になり下がりかけていましたが、新訳に寄せる期待には、そういうものが含まれているのだと思います。(裏切られたらツライな~。頼むぜ御大!)

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コメント

> ニュータイプ

ニュータイプ自体の定義は「『第6感が拡張された人』で人間が
宇宙で暮らすようになれば誰でもその感覚を獲得する可能性が
ある」でしたね。今回の新・Zでは「ニュータイプというのは瞬時に
回りの状況がわかるようなエスパー的な人間」と、もっと通俗的で
わかりやすいものにしていると思います。ずっと前はそれがわかって
もらえなくて人生すねていたようですが、最近は「ああ、オレが
わからないような作品を作っていたんだな」と考えを変えたように
見えています。今の氏のほうが、僕は好感が持てます。

> そう・・・

「勘がいいぐらいで人間が救われるのかよ!」と批判されてきたのは、確かにそのとおりなので。
第6感がいいというだけではなく、もっと大きな意味で「洞察力がある人」であること。それは突然変異ではなく、ある意味、誰でもなれるぐらいのものであること。そんな置き換えがなされていくのではないかと漠然とした予想(期待?)をしているのですが。

> (・_・>)

私はそんなに「ガンダムで悩んでない」からなぁ・・・。

Destinyだって「楽しんでみてた」し・・・。Destinyが評価されるようになるのは、もうちょっと後かな・・・。

恋人たちは、ちょっとまだ評価保留しないといけませんよね。何しろ「完結していない話のナカ」だから。

> 楽しんでみるのが基本ですとも

デスティニーですか・・・志あれば、20年後ぐらいに劇場版「新訳SEED」が制作されますことを、陰ながらお祈り申し上げるとします。「アムロやシャアの活躍を見たがるとは、つまりそういうことだ」という例に挙げただけで、他意はございませんので、お気を悪くなさらないでください。
今、ファーストの劇場版三部作を見直してますが、TVでの話数の少なさもあって編集は丁寧ですが、新訳Ζと比べてしまうと、私には(映画として)冗長でメリハリを欠くものに感じられます。第一作なんて、最後はガルマ国葬「ジーク・ジオン!」連呼→♪「ライリー・ライリー・ライリー・リラ~・・・♪」ですよ!(笑)
いや、いい作品なんですけどね。・・・比べてしまうと。昔の作品だから、「絵が痛い」のには目をつぶりますけど、ストーリーの批評としては、新訳と同じ土俵で話しませんとね・・・。

> デスティニーについて

>すかるさんへ。

デスティニーは速攻で再放送・再配信が決まっていますから、現在
十二分に評価されていますよ。ただ、今はやりのポップスみたいに
いろんなところからアイディアを持ってきて切ったり貼ったり(いわゆる
パクり)をしているので、評価は今がピークで逆に下がると思うのです。
サンライズが文化的コンテンツも並行して作っていたからこそできた
「興行収入専門」のコンテンツに、申し訳ありませんが僕には見えます。

> まぁ、イイかぁ・・・。

最初のガンダムも、放映直後はこんな反応だったしなぁ・・・。って云うか、打ち切りだったし(笑)。今、評価してるような事言ってる人も、よ~く話聞いてみると、さっぱり話を理解してないし・・・。
新訳SEEDはイイかもしれないけど(元のストーリー進行がぐだぐだだから)、Destinyは再編集しない方が良いでしょうね。きっと。

> ただいま ( ̄(エ) ̄|||

二人で始めたので、リンクしずらいかも。
だから場合によっては外してくれていいです。

>

Destinyはダブルゼータ以下の扱い?(笑)
まぁゼニになるうちに稼ぐのを、止める事など誰も出来ませんわな~。そうして商売繁盛する。世の中の人はSEEDもゼータも分からないけど、それも止めようもないのですよね~。
「あ」さんはlakissさんですね?とりあえずリンクしましたよ。後のご指示をヨロシク。

>

おはよん♪
紫苑です!!
お越しいただいてありがとう
なので
初めて、書き込んでみました・・・
これからは、たまにきてもいいかしら???

>

紫苑さん、いらっしゃいませ。lakissさんとブログ統合されたそうで、なんかいろいろ大変そうですね。こんなアニメオタク濃度の濃い~(?)ところですが、たまに笑える企画もやっておりますので、ぜひぜひお立ち寄りくださりませ。

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