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科学忍者隊ガッチャマン 第61話~第65話 (今回は少し長い感想) 

[2007/10/30] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 さて全105話の『科学忍者隊ガッチャマン』も、しっかりと後半戦。アニメがまだ、アニメではなく“テレビまんが”とか言われていたような時代の、あり得ないような高水準作品を、GyaOの昭和TVで堪能しております。
 古いアニメを語るときに、世代論に還元してしまうような語り方は、良し悪しを判断する基準を自ら作り出すことを怠っているだけではないかという意見をanterosさんの「主にマンガやアニメに関するメモ」というブログで拝見して、≪ああ、これはまた耳が痛いなぁ≫と感じておりますが、私の場合、自分が古今のアニメをより深く楽しむためのメモが、“ブログに感想を書くこと”の目的の第一で、こんな拙いものはとてもじゃないが批評などというもんじゃあないので、≪世代かなぁ≫という述懐をポロポロと不用意に漏らしてしまうのだと思っております。
 ただ“普遍的な価値”みたいなものがあるのかどうかというのは、しばしば考え込まされることではある(→過去記事 時代を超えた普遍性って・・・ 「普遍的影響力」と「普遍的価値」)ので、そういうことにヒントを与えてくれるようなご意見は、ほんとにためになります。
 で、こんな『科学忍者隊ガッチャマン』みたいな作品は、今の若いアニメファンの目には、どんなふうに映るんだろうかというのは関心があるのですが、ゼヒ見てね、とパワープッシュするには、さすがにイタい部分も多々あり。まったく難しいものだなぁと、つくづく思っております。(笑)

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(2001/02/21)
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 シリーズとしての流れを受けているのは、今回の中では61話。(他は一話完結・・・って言うか、63話なんかはかなりスタッフの遊びっぽかったし、64話なんかは、たぶん本当にクリスマス近辺で放映された回なんでしょうね。)
 何度も繰り返される、“レッドインパルスの復讐に燃えるケン”っていうモチーフ。単発ものよりも嬉しい気もするんですが、これは後半のストーリーの軸が、まだ見えてこないということでもあるのかもしれません。ギャラクターの仕掛けてくる罠が、あまりに手が込みすぎているというのはさておかなきゃなりませんが、怒れるガッチャマンの情感の描写には、思わず共感します。

 第62話では、今度は珍しく南部博士が積極的にギャラクターに逆攻勢(っていうか、罠)を仕掛けます。これまた、けっこう手が込んだ作戦なんですけど、かねがね攻勢を主張していたケンは喜ぶかと思いきや、その手ぬるいところを不満として独走。“科学忍者隊そっくりさんロボ”の最期がけっこうかわいそうです。(笑)

 昔はプロ野球って国民的関心事だったんですよね。って言うか、スタッフの野球好きっぷりに思わず笑ってしまう63話。「四番サード、シマナガ」とか、隣が遊園地の「ゴラク園」スタジアムとかは序の口。ガッチャマンからベルク・カッツェまで、誰も彼もが野球に喩えたようなセリフばかりを連発して、ウンチクを競っている(笑)みたいなこの回。いつもはもう少しもってまわった感じのギャラクターの作戦が、ベタにメガトン級の水爆でしたが、まあそんなもんでしょ。
 ジュンのスナックでナイター中継に熱中する忍者隊の図、とかも可笑しかったし、まさに娯楽回でしたね~。(こいつら、みんなジュンの店にツケをためているって、何故なんだろう? www)
 でも最後、「もっと敏速に行動しないと危なかったぞ!」とか叱りつけながら、影で「ありがとう、みんな良くやってくれた」とか呟いている南部博士の“ツンデレ”っぷりはいい感じ(笑)。

 この子どもたちは、どう見ても“悪ガキ”過ぎると思うんだけど――それもこれも貧しさが悪いというのか(笑)、ちょっと悩んじゃう64話。「なんだ、このはなたれ小僧どもは。くそう、この忙しいのに。」とか、思わずぼやいてるベルク・カッツェが笑えます。ハード路線の『ガッチャマン』には珍しく、ゲストキャラのキャラデザからして、(タイムボカンシリーズを生んだ)タツノコプロらしいギャグタッチが目に付く回でしたが、まあ“クリスマスプレゼント”だから・・・(苦笑)。

 第65話は、鉄獣メカじゃなく宇宙生物が出てくる回で、SFっぽいテイストなんだけど、ちょっとシナリオの狙いはイマイチ不発気味。(逆に言うと、他の回では≪うまいなぁ≫と唸る部分が多いんですが。)
 この回、事件の一報に寝ているところを起こされた忍者隊。ケンは(少なくとも上半身は)裸で寝てる?ジョーはいつもの服のまま、しかもトレーラーハウスで寝てる?ネグリジェのジュンは寝ぼけてる甚平を起こしておりますが、彼の寝巻きは何と金太郎さんですよ(笑)。竜はお約束のボケをかまして下さいまして。・・・なかなか楽しいファンサービスです。

 えーと。そう言えば62話では、久しぶりに総裁Xさまのお顔を拝見したような。近ごろ何をしておいでなんだろうかということで、実は後半の(つまり全篇の)クライマックスに向けての準備に精を出しておられるってことではなかったかと思います。この時代のシリーズ構成なんていうのは、この程度で“このドラマはすごい!”って、我々アニメファン第一世代は大喜びをしていたんですよね。『ヤマト』や『ガンダム』なんかでは、もっと密に、ほぼ同様のメンバー構成で毎回少しずつドラマを進行させるための方便のようなものとして、あの長いクルーズなんかも編み出されたって言ってもいいかもしれません。(それでもけっこう“一話完結”の要素も強かった。)
 家庭用のビデオがまだなかった時代、日曜午後6時という時間帯に約20%というすごい視聴率を出していた、この作品。世代論に逃げないまでも、時代背景の違いは考えざるを得ないんですが。
 これ、分かってもらえるか微妙なんですが、“シリーズを貫くストーリー性のあるアニメ”というのに、私たちはまさに狂喜した世代だったんですよ。(現在、アニメの制作を主導している現場の人たちの多くもそうでしょう。)
 “実は一話完結のアニメのほうが好きなんじゃない?”という問いかけには、だからぎくっとしてしまうと言うか。複雑な思いがあるんですね。答は容易に出せないんですけど、それこそ良し悪しは理屈だけで言い尽くせるものでもないんで、そこがまた面白いところだな、と考え続けてだけおります。まあ、そう言いつつも、拙いなりにこうやって感想を書いていたら、誰か若いアニメファンの人も『ガッチャマン』を見直してくれて、また新鮮な視角からの面白い意見を聞かせてくれないかなぁなどと夢見ていたりもしますけど。(笑)

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コメント

> 言及ありがとうございます。

はじめまして。
先ほど自分のブログでよく拝見しているとか書いておきながら、僕の書いたものを取り上げてくださったのについさっき気づきました…。正直言うと、あの発言は僕自身アニメを見はじめたのが半年ぐらい前なので世代の話についていけないことに対する恨み節なのですが、実際に世代論の排他性というものはあると思います。でも歴史を知らない僕みたいな人にとってはそういった世代論もとても参考になるんですよね。おそらく問題なのは心理とか普遍性とかの分有をめぐるヘゲモニーの問題を世代論と結びつけることなのかなあと思います。それがその世代に含まれない人にとっては排他的に感じるのではないでしょうか。

というわけで、これからもよろしくお願いします。できれば以後言及なさるときにはトラックバックを送って頂けないでしょうか。勝手なお願い申し訳ありません。

> こちらこそありがとうございます

こっそり言及、スミマセンでした(笑)
いまさらですがトラックバックを送りました。悪戯が見つかってしまった子どものような気分です・・・。

言い訳ではないのですが、「演出の良し悪しの話」は、かなり気になって、本当はもっとしっかり言及したかったのですが、時間も能力も足りませんで、いかにも中途半端にしか触れられなかったので、こっそり言及にしてしまいました。

「時代を超えた普遍性」を持ったような、立派なことが書ければいいのですが、私のような(それこそリテラシーに乏しい)人間がそれを望んでも、いつも誰かの真似(しかも劣化コピー)にしかならなくて、書いていても楽しくなくて。
それで貧しくとも「自分の言葉」を探そうと思うと、自分の能力では世代の限界を超えられないということを、実にしばしば痛感してしまうのです。
昔のアニメは無条件に今より良かったなどと言うつもりもなくて、もちろんさまざまな面で現在のアニメのほうが表現として優れていると感じながら、ただ、昔のアニメをこの上なく楽しんだ人間として、覚えていること、感じたことは、文字にして残しておきたいという思いで、古いアニメの感想も書いています。

たとえば私は、90年代にはアニメをぜんぜん見ていない時期があったので、そこはまるで「黒歴史」だったりします。なので、エヴァ直撃世代の人たちの感想を読むと、やっぱり“取り残され感”というのはあります。

私などは結局は、自分の印象を自分が良し悪しを言うときの基準にしてしまっていると思うんですが、おっしゃるように、確立された「演出法」ぐらいは本来は学ぶべきなのかもしれません。
ただ「演出理論上、正しい作品」は、自分の印象に関わりなく良い作品だと言うべきなのかどうかはよく分からないというのが正直なところです。
脈絡のないお返事でスミマセン。こちらこそ、よろしくお願いします。

> 良し悪し

お返事ありがとうございます。

このブログを始めて、なんにも言及していないようなトラックバックが多かったので、囚人022さん(とお呼びしてよろしいのでしょうか?)に話題にして頂いて本当にうれしいです。ありがとうございます。演出の良し悪しの話については、またお時間があるときに触れて頂ければありがたいです。

それで、ちょっと一言。僕は単純に、良し悪しは語る必要がないのではないか、と思うんです。別に良し悪しについて語らなくてもアニメ(および他のジャンルの作品)は語れるんだと思うんです。単純化を許して頂けるなら、たぶん良し悪しというのは数の問題です。単に多くの人がいいといっているからいいんだと思います。そこからそれを共有できない人の疎外感、「取り残され感」が生じるんだと思います。そしてそこにはそもそも良し悪しを決定する基準があらかじめあったわけではないのでしょう。僕はあまり普遍性なるものについて本気で考えたことはありませんが(というのは考える必要がないと思っているからですが)、もしそういうものがあるとすれば、それは「良し悪し」というものの延長線上にあるものではないと思うのです。数をどれだけ重ねても無限には到達しないのと同様に、数の問題、もっといえば市場の問題であるところの「良し悪し」と普遍性なるものは無関係だと思います。

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