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「アニメ離れ」?・・・Wikipediaでアニメのお勉強をしてみました 

[2007/10/21] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

「再放送」って、アニメの自然淘汰に機能してた気がします

 見たいアニメはたまっているんですが、思いがけず、上記の記事に、たくさんコメントをいただいたので、もう少し調べないといけないような気がして。
 実のところ私自身、今はほとんど(アニメを含めて)テレビ自体を見ていません。(専らネット配信か、レンタルDVD。)それに、たまたまですが、こんなWEBサイト(DeepParanoia-アニメ地方放映状況まとめサイト)を読んで、我が住まいなす辺境の地が、いかにアニメ砂漠とでもいうべきド田舎かということも思い知り(笑)。こんな最悪の状況下にある自分の個人的印象だけで、テレビアニメ枠の一般的状況は、不用意に語っちゃいけないかなぁと反省されました。

 まあ、むやみに信用はできないけど、こういうときに便利なのが結局はWikipediaで。しかし、こまごまと、いろいろ書かれているなあと感心しちゃいました。

再放送

テレビ局がアニメの製作として加わった場合、局側の権利として2年間で2回の放映権があり、本放送に加えて再放送が1回出来ることになっている。その後はテレビ局が製作会社と改めて放送契約を結んで再放送することになり、その内容は2年間で何回も放送できるものだという。

再放送にあたっては制作会社から日本脚本家連盟に所属する脚本家と日本俳優連合所属の声優に使用料が支払われる。声優の場合は最初に再放送込みの出演料が支払われているため、放送から7年以上経過した作品からになる。

アニメ離れ

現在、いわゆる子供向けアニメはそのほとんどがゴールデンタイムから撤退しており、テレビ東京系以外の4大キー局では『名探偵コナン』『土6枠(毎日放送制作)』『ちびまる子ちゃん』、『サザエさん』、『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』のみとなり、視聴率が確実に見込めるバラエティ番組への移行が目立つ。
一方で、20歳前後以上の年齢を対象にしたいわゆる「深夜アニメ」はここ数年放送が盛んであり、二極化が進んでいる。
また、人口の絶対数が多い関東圏・中京圏・関西圏におけるアニメ本数の総数自体は依然多い一方、テレビ東京系の系列局が無い地域(民放のチャンネル数が4局以下の地域)ではテレビアニメの放送がますます少なくなっている。

 この記事は、あちこち[要出典]が貼られていて、記事自体も「削除依頼」とかになっているんですけど、たしかに出典を知りたいなぁという記述がいっぱいあります。

  • 全日帯アニメの激減
    (制作費はバラエティ番組の方がより安価であり、スポンサーの広告効果は同じ視聴率の場合、バラエティー番組の収入は広義の子供向けアニメ番組を大きく上回る)
  • 深夜アニメ・UHFアニメの急増の影響
    (1997年末に発生した『ポケモンショック』で在京キー局を中心に表現規制が厳格化した影響で、それ以前ならば全日帯で放映出来た作品も深夜帯へシフトする傾向が現れた)
  • CG技術の進歩による、実写作品の進化の影響
    (1990年代後半以降のコンピュータの急激な進化と簡便化・低廉化により、CGの技術も急速に進歩し、また制作の費用も低廉化し、テレビアニメのレベルで制作できるようになった)
  • 少子化の影響
  • 受験戦争の激化
  • テレビ視聴時間の全体的な低下
    (特にテレビゲームはテレビをモニタに使用するため、テレビ番組の視聴機会を奪ってしまった)
  • 世間のアニメ・漫画に対する根強い偏見
    (おたくバッシングの風潮?)
  • 玩具・ゲームメーカーの業績低迷
  • タイアップによるアーティストのアニメソングCDや、DVDなどのAVソフトの販促を目的にしている傾向
    (アニメの玩具やDVDソフトなどの粗製濫造傾向/似通った内容、または内容の希薄な作品、更には作画崩壊などの乱発/コアなアニメファンですら「もはや洪水状態で全ての作品をチェックする余裕が無い」ほどに食傷気味)

 なんか、“「アイドル声優」の起用”とか、“アニメオタクの「古アニメいらない」という声”とかまでになると、たしかにこりゃWikipediaの記事ではなくて、筆者の主観バリバリに入ってそうですが(笑)。でも面白い!

テレビアニメ

 こっちのほうが客観的な印象はあるんですが、後半に行くに従って、少し主観が入った部分があるような気がしますね。1990年代後半以降の制作本数急増がテレビ東京を中心に活発化し、大量生産に有利なデジタルアニメの実用化も影響したという指摘はなるほどです。

広告代理店を経由してスポンサーから得た広告費を、テレビ局はアニメ制作会社に制作費として提供する。テレビ局への見返りは、2年間で2回の放映権と商品化権収入の一部(通常10~20%で1年限り)と言われている。

 商品化権収入の一部もTV局に行くシステムがあるんですねー。

しかし、子供向けアニメの広告主の多くを占める、商品単価が低く購買層も狭い子供向け商品の企業であることは、放送局にとって営業上不利となる。
20%台あるいは30%台の視聴率のアニメより、その裏番組で視聴率10%強の同時間帯で大人向けスポンサーのつく番組(クイズ・ドキュメンタリーなどでスポンサーが電子機器・製薬・事務用品など)が、放送局にとってはおいしい番組であることも多いようである(少子化の進む近年のみならず、アニメ全盛時代のはずの1970年代といえども例外ではなかったようである)。

 薄利多売じゃ、スポンサーもあまり気前よくないってことですかね。ビジネスはやっぱり難しい。

 このあたりにも記載がありますが、内容的には重複が多いですね。
 面白がって、長々と引用ばかりをしてしまいましたけど、結局アニメの「再放送」枠が減ってるかどうかは全国的な地域差も大きいみたいなので、裏づけになる記述はなかったかも。全体としてのアニメ枠が特に全日帯で激減しているんだから、当然減っているんでしょうかね。

 先の記事で言及させていただいた愛・倉太さんの「アニメ----破綻したビジネスモデル」は、むしろ作品の内容面からアニメの体力低下の原因を考えておられたのが、(賛否は分かれるところでしょうが)興味深い点でした。
 そこで言われていた「一話完結」的な要素の再考にしても、私が付け加えた地上波での「再放送」が昔は影響力があったという話にしても、薄いファン層の裾野をもう一度広げるには、という観点なのだと思います。濃いファン(いわゆるアニメオタク)には抵抗のある話だと思います。(「古アニメいらない」なんて声があるんですね。ちょっと驚きました。)

 「アニメビジネス」と言うと、なんだかアニメファンを“都合のいい消費者”だと思っている業界関係者をイメージしてしまって、たしかに印象悪いんですが、昨今、制作サイドの生業としてさえ成り立つかどうかが危ぶまれているなどという話を聞くにつけ、少なくともそういう環境からは、いい作品が残っていきにくいだろうなぁと思わずにはいられませんでした。(「アニメは破綻しているか? - NaokiTakahashiの日記」のコメント欄には、「事実上、黒字を出す手段が見つからないまま袋小路に入っている感がある」という生々しい証言があります。アニメーターの意識と実態についてはこういう調査もありました。)
 その場その場、その時限りで次々新しい作品を“消費”したいだけのアニメオタクがメインターゲットであれば、ビジネスモデルはそうやって行き詰っていくんでしょう。
 そうは言いながら、(キレイゴトを言うようですが、)昔から、“ビジネス”と、クリエイターとしての“志”の折り合いを付けながら、この国のアニメ史は築かれてきた筈だと私は思うんです。そういうココロザシを残した作家たちまで巻き添えにして、業界全体が行き詰まってしまってほしくはないなぁというのが私の願いです。
 以前にも書きましたけど、“伝統工芸”みたいにして保護しなきゃいけない存在にアニメがなってしまったら、それは哀しいことだなぁと。三等兵さんの「アダムスミスがアニメを保護してくれないのなら、田中角栄に保護してもらえばいいじゃない」が、やけに現実味のある妙案に思えてしまうという事実には、ちょっとそういう危惧もまた感じるのです。

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コメント

> ~離れ、といっている人の共通の特徴

個人的に「アニメ離れ」という言葉を聴いて印象に残ったのは
ヱヴァ新劇での庵野監督のメッセージ文なのですが、

「~離れ」という言葉、結構いろんなところで聞きますね。本(活字、読書)離れ、理系離れ、音楽(CD)離れ…etc

ところで本(活字)離れなのですが
実は若い人の読書量というのは
「朝の読書運動」など活字離れを危惧する人々の運動によって
むしろ増えているという調査結果も出ています。

それでもなぜかいわれて続けています。本が売れなくなったことを背景に出版社側が危惧しているためです。

勘の鋭い人はお分かりかと思いますが、これって出版社側が1冊あたりの本が売れない→出版点数を増やす→人々の読書の総量はそんなに増えないので一冊あたりは売れない(売れないのにはほかにも様々な要因あり)
という負のスパイラルにおちいっているからと考えられれます。

*そういえば「ゲーム離れ」という言葉も、既存のゲームマニアが支えてきたようなタイプのゲームが売れなくなったことをさして、いわれていたような気もします。閑話休題

つまり、「(ある種のメディア)離れ」がいわれる背景には、それを危惧している人たちが何を恐れているのか、というものがあり

その多くは、そのメディアを用いた既存のビジネスモデルに参加している人々が、そのビジネスモデルが崩壊しかけていることを危惧していると考えられます。

ビジネスモデルというのが味噌で
新しいビジネスモデルに乗っているメディアでは逆に類似のコンテンツが隆盛を誇っているケースもあります。

既存のビジネスモデルには、既存の利権を保持するために、悪癖がまかり通っている場合もありますし、
新種のビジネスモデルだって、同じ道をたどるかもしれませんし、
両者とも、新しいコンテンツ作成において良質なものを提供してくれない場合もあります。

ここでコンテンツ(中身)を気にする立場である我々としては、
どのビジネスモデルであれば良質なコンテンツの生産(創造)が維持されるか、という視点に立つことが重要であると考えます。

そのモデルの維持にどう貢献するかは
スポンサーの商品を買って間接的に行う、
直接関連する商品(DVD、CDなど)を購入する、
大金持ちになって自らスポンサー(あるいはパトロン)になる…etc
などがあるのでしょうか?

>

《どのビジネスモデルであれば良質なコンテンツの生産(創造)が維持されるか》
《ビジネスモデルとコンテンツの質との相関関係ってほんとうにあるのでしょうか。そもそもコンテンツの質とはなんでしょうか。》
お世辞や冗談ではなくて、とても有意義なやり取りをコメント欄で読ませていただいて、管理人はただただ喜んでおります(笑)
「簡単な話ではない」というのもそのとおりで、論戦で雌雄を決するような内容でもないのかもしれません。それらの問い、すべて、私も気になって(足りない頭なりに)考え続けてみたいと思っているようなことばかりです。
結論が出ないなりに「ああでもないこうでもない」と思い惑うようなことばかり毎度書いていますが、そのことにも私は意義があると思っています。
論理で“説得”されるのではなく、“共感”できるような答が見つかればいいと思っているのですが。

>

>そもそもコンテンツの質とはなんでしょうか
これについて疑問を感じた方は偉い!

「良質」と「良」の字をつけた時点で価値の評価が加わっていることをご理解いただけるかと思います。

コンテンツとはそのもの「中身」ですから、見るべき視点が量的視点より、「質」的視点になります。では「よいコンテンツとは何」ということですが、

まず、万人に共通で「よい」と評価されるようなものが
あるのか、ないのか
それを発見できたら創造の世界は終わるような気がします。
正しい作り方すら決まってしまうわけですからね。

少なくとも現状は
ユーザーの求める価値観にそって「よい・悪い」の評価基準が変化するでしょうから

<ユーザー>が求める<コンテンツ>を提供可能な<仕組み>の構築が不可欠だということです。

*<>の言葉をいろいろ変えてみると面白いでしょう

まあ、仕組みとはこの場合ビジネスモデルとなります。
つまり、いくら(誰かかがよいと評価する)コンテンツが何らかの形で(個人の独創やチームプレーによって)製作されようと、
それを実際に評価する「誰か」の元に届かなければ、それは存在しないと同じことです。
これがきちんとユーザーに届く<仕組み>が必要であるといっているのです。

>ビジネスモデルとコンテンツの質との相関関係
上記のとおり
量的な、あるいは擬似的に数量化した質的なもので関連性を測る、というのとは少し違います。

ビジネスモデルという要素と
コンテンツという要素の
「要素同士の関連性(因果関係)」ではなく

ビジネスモデル、と評している
これは、要素の背後にある<仕組み>
の話です。

>

>制作する前に資本金が必要なのでは?
資本金というか、製作資金ですな。
物的な原材料、知的生産のためにかかる費用、製作にかかわる人の人件費…
現在の世の中では、こういったコンテンツ作成にはお金は不可欠のようですね。
当然のことです。

製作資金(資源)を誰が提供するかということと、
製作資金を受けたクリエイターが
どういったものを作り上げるのかということ、
ユーザーは、その作られたものから何を享受し、どういう評価を下すかということ、
その評価が製作資金を提供したものとどうかかわっているのかということ、
これを<仕組み>として理解しなければなりませんね。

<人々>が<神>にささげる<歌舞音曲>であれば
<人々>は、神の保護、祝福に対する感謝として(神が喜ぶと人々が考える)<歌舞音曲>を作りささげるわけで、
<神>はそれを受けて自らの民を祝福する(と人々は考える)
人が、資金提供者とクリエイターの役割を持ち、
神が、ユーザーとして、ものの享受とその評価(人々を守る?)、をするわけです。

王侯貴族、豪商なんかがパトロンになって
芸術を保護する場合は
出資者、クリエイター、ユーザーの関係は単純かもしれません。

現在の世の中は、文化の保護者としての役割を、伝統的なものであれば政府なりが行っているかもしれませんが、新興の芸術(広い意味で)あれば、
何らかの市場性を持った仕組みに乗っかっていないといけないわけですな。

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