「再放送」って、アニメの自然淘汰に機能してた気がします
もうここ10年ぐらい、アニメ産業というのは破綻しているような気がする。
愛・蔵太さんが「アニメ----破綻したビジネスモデル」と題して、こういうショッキングな書き出しではじまる文章を書いておられました。そして「アニメ制作者・製作者にもう一度、ビジネスモデルとしてのアニメを再考する気があるのなら、」ということで提言(?)しておられるのが、
- 普通の人には見分けがつかない萌え絵・オタク絵から離れて、「バカでもうろおぼえでそのキャラクターがマネして描けるキャラ」でアニメを作ってみる、というレベルのところからはじめること
- 話の内容は13・26話を通して見ないでも、1話だけでも完結している(完結度の高い)話にすること
- 新しい話が出たら前の話なんか忘れてしまうぐらい「物語性」を排除した作りにすること
・・・私のようなアニメファンが読むと、思わず≪ぐえぇ〜っ!?≫と唸り声を上げてしまいそうになる内容でした。(もしかして、ちょっとネタとしての“釣り”が入ってますかねぇ。)
案の定というか、「心配しなくても既にそうですよ」みたいなコメントが入っていて、それを読んで、さらに≪ぐぇぐぇっ!?≫っと私なんかは打ちひしがれているわけですが。(笑)
こちらのコメント欄でやりとりされている内容も、とても面白いものでした。(読んでいると苦しくもなってくるんですけどね。)
ぶっちゃけて言うと大衆に受ける物を作るよりも 悪い言い方ですが信者を作って搾り取った方が 安定収益が見込めるような気がします
特に『エヴァンゲリオン』以降、「アニメは売れる」「アニメは儲かる」と勘違いしてしまった経済界が湯水のように資本を流入し(不動産会社や商事会社までアニメに投資していたんですからね)、「製作委員会方式」なんていうマルチ商法を開発してくれたお陰でアニメが乱立するに至ったわけですが、彼らがターゲットに想定していた購買層は、実は存在していなかった。結局は幻想、「アニメバブル」だったわけです。
とにかく過剰な本数の作品が作られていると言われて久しい気がします。薄利多売の限界ってのも当然あるんでしょうね。ただ古参のアニメファンとして不思議に感じているのは、昔(私が子どもだった'70〜'80年代)は夜6時台とか7時台とか、アニメ枠だらけだったけど、今そんなに作られている作品は、どこで放映しているんだろうか、と。まあ深夜枠だけじゃなく、ネット配信だったりケーブルテレビだったり、メディアがいろいろ増えているっていうのもあるんだとは分かっちゃいるんですけど。それと、今の子どもは塾とかいろいろ忙しくて、そんな時間にテレビを見せてもらえないのかなぁ、とも。
古参のアニメファンの立場から愛・倉太さんの提言に関してマジレスすると、“一話完結性”を再考すべきという提言には、実は共感できる面があるんですね。昔、各家庭にビデオも普及するかしないかの時代(もちろんDVDなんてない!)には、特定の作品を毎週続けて見のがさないようにするっていうのは、実に至難の技でした。だから、各回その一話だけで、見た人間をぐぐっと作品に引き付ける魅力が、どうしても必要だったっていう事情はあったと思うんです。
私は今、’70年代の名作『科学忍者隊ガッチャマン』なんかを夢中でGyaOで見ていたりしますけど、その“一話完結”の要素と如何に両立させながら、シリーズとしての“物語性”を打ち出すかという、そのせめぎ合いは実に興味深いものがありますよ。周知のとおり『宇宙戦艦ヤマト』以降、その傾向はぐんぐんと強まるわけですが。
(あまり多くは見ておりませんが、)最近の作品を見ていると、ビデオやDVDで繰り返し見ることが前提で、複雑な設定、ストーリー構成に凝っている点では、過去の作品とは雲泥の開きがあります。その一方で“各回その一話だけで、見た人間をその作品に引き付ける魅力”ということは、ほとんど重視されていないような印象も、実はあるんですよね。あまりにそれが行き過ぎると、濃いファン層だけがターゲットになってしまって、広く薄くに親しまれるものにはなりにくい。これは事実ですよね。
もうひとつ思うのは、現在のようにたくさんの本数が作られていなくても、私が子どものころには地上波で夕方の時間帯に、アニメの再放送枠というのがもっともっと多かったような気がするのです。あの『機動戦士ガンダム』だって、再放送がなかったら、それ程のブームにもならなかったわけで。それを思うと、今のアニメの状況っていうのは、もったいないことをしているなぁと。せっかく作った作品を繰り返し利用するほうが経済的(笑)だし、またその中で自然に淘汰もされ、再発見される作品は再発見されて、歴史に残るべき作品は自然に選ばれていったんじゃなかったかと。
ある時期以降、アニメの歴史を調べていたら異様な急展開があることに気付きます。 93年から94年以降、新規アニメにおける主役級声優の変遷で、いきなりアイドル型の声優が急増していることと、アニメの全体としての再放送数が激減していることに。・・・
これ以降ですよ、いろんな経緯があったとはいえアニメの方向性が決定的に変わったのは。
そういうことを考えていたら、三等兵さんの「アニメ業界が使い捨てにされない作戦はあるか?」という記事で、東映動画と日俳連のトラブルがあって以来、アニメ界の潮流が変わったという興味深い指摘を読ませていただきました。「ここ10年ぐらい」というか、もう少し遡るわけですけど。
「金を外部に漏らさないためには、文化品質の劣化も怖れない。それが資本主義クオリティ。」というわけで、声優にしても、たぶんその他のアニメーターなどにしても、「使い捨て」の風潮が強まったことが、アニメ産業の破綻なのか、行き詰まり感なのか、そういうものに落した影は大きかったんだろうなぁと納得されました。
→ 高度に産業化したアニメは、赤字公共事業と区別できない、かも
→ アダムスミスがアニメを保護してくれないのなら、田中角栄に保護してもらえばいいじゃない
→ アニメ業界が使い捨てにされない作戦はあるか?
「権益保有者が経済的に小賢しいと、権益保有者同士で無理に争わずに、低値で全体を安定させる」→「権益者が空気読みに長けていると、競争原理は働かない」→「ここに『業界の空気が読めないヘボなプレイヤ』 が現れて、値段の吊り上げを始めてくれれば資本主義が機能する」という三段論法(笑)で、「高度に産業化したアニメを、公共事業にして地方活性化を」という提言は、微笑ましいけど、でもなんか説得力あります。これ、いい読み物ですよ。オススメです!











