君は生き延びることができるか・・・ (最終話追記、ついに完走しました!) 

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つわものどもがゆめのあと
(ブログパーツ跡地)

  • データの読み込みが終わって再生ボタンが表示されたら、それを押すと再生がはじまります。
  • バンダイチャンネルが7/20~8/31(また見事に学校の夏休み期間だね)限定で、一日一話ずつ、テレビ版『機動戦士ガンダム』全43話を放映するという、粋な試みです。
  • ブログパーツの動作には最新のAdobe Flash Playerがいるらしいです。映らない人はゴメンなさい。

 ニュースで読んでから、どんなものなんだろうと思っていましたけど、毎日、元祖『機動戦士ガンダム』をみるというのはやっぱり素敵なことのような気がするので、ブログパーツを貼り付けてみることにします。
 自分のブログは毎日見ますから、これなら見忘れることはないでしょう・・・。

 ここにはライブ感覚で直近の何話分かを書いておくことにして、それ以前のものは随時バックナンバーに送っていこうと思います。メモ程度のつもりがだんだん長くなるんで、困ったなーと思ってますが(笑)。
 考えてみれば一日一話ずつ咀嚼しなおす機会というのは、そうそうあるものじゃなく、30年見てきて疑問だったことが少し分かった気がするようなことも少なくなく。月並みですが、『機動戦士ガンダム』は奥が深い(笑)。“テレビアニメ”というのは、本来こういう風に見るべきものなのかもしれないですね。

第1話~第8話 第9話~第16話 第17話~第24話 第25話~第32話 第33話~第40話

第41話 光る宇宙 (8/29)

 劇場版の『めぐりあい宇宙』では大幅に手直しされてるわけだけど、これはこれでいい表現なのにな、と思わなくもない。ガルマの遺影に語りかけるデギンは、ギレンの言うように老いてもうろくしていたのだろうか。和平のタイミングの問題ではなく、自分ごとギレンが撃つ可能性を考えなかった点で。
 ここでシャアと「手打ち」をしておかねば、むしろ危ういと考えたキシリアは(結果的には)甘かったのか。「打倒ザビ家以上のこと」をともに考えられる相手と判断したわけだが、それは連邦に勝てることが前提だ。「手の震えが止まりません」とか言ってるのは口だけなのは、お互い承知という感じでもある。
 こうしたニュータイプの発生を政局の問題として捉える人たちと、まさに自分たち自身の問題と捉えるホワイトベースクルーの対比はきれいだ。「ララァの命令に従う」と言いながら、ノーマルスーツを着ないシャア。ミライもまたニュータイプだと今さら気づくブライト。
 ララァはアムロの中に「家族もふるさともない」のに何故戦えるのかと酷く問う。ここまで私たちはそれをしっかりと見てきましたから動揺せずにはいられません。でもララァも根無し草は同様で、ただシャアを守るために戦っている。それだけのことより、このニュータイプ同士の交感のほうが大切ではと問うアムロにララァも同意しかけている。
 名前もミライだが、マチルダさんのときといい、彼女の先読みはアムロ以上だ。「アムロ!いけないわ」はこの交感に対する否定ではなく、直後の悲劇を予感したと観るべきだろう。
 嫉妬に突き動かされて妹の存在さえ気づかないシャアは見苦しい。末期の瞬間の交感が「人はいつか時間さえ支配することができる」というビジョンを見せるのは凄い。小説版のアムロの死のほうがアクチュアルだけど、こっちは哲学的だ。
 だがソーラ・レイを拙速に放つギレンの判断に不審を抱けるのはキシリアであって、ニュータイプとはいえアムロは叫ぶしかない。「人の革新」というパラダイムシフトが起こるときに生じる多様な確執の想定が、このようにシビアな人間ドラマの積み重ねであることには驚くより他ないのではないかと思います。

第42話 宇宙要塞ア・バオア・クー (8/30)

 ソーラ・レイの猛威、レビル将軍を失った連邦軍の混乱、勝ち誇るかのようなギレンの演説(「あえて言おう、カスであると」)、そしてこちらはソーラ・システムが使えないらしいと釘を刺しておいて、勝算のないままア・バオア・クー攻略戦になだれ込んでいく描写のテンポの良さ。(話数短縮の影響もあったんですかね?)
 ニュータイプのカンによれば「作戦はうまく行きます」とウソをついたくせに、「フラウ・ボゥ、どんなことがあってもあきらめちゃいけないよ」と言ってるアムロ。ハヤトはそのアムロの視線を気にもせずにフラウと話し込んでますねぇ、何、この自信は?そして子供たちとカイがアムロの傷口に塩を塗る。・・・ああ、そうか。「いやらしい笑いかた」ってのは、つまりそういうことか。うわぁ、たまらんなぁ。
 ギレンがキシリアはシャアに「こだわり過ぎる」とこぼしたのは、もしやギレンもシャアの出自を知ってたりしたんだろうか。デギンの謀殺を「では、そういうことだ」とさらっと流すのは、計算高い妹には自分の考えは通じるはずだという思い込みがある。空母ドロスの艦隊が破られたのがア・バオア・クー陥落の天王山だった感じだけど、キシリアの行動を抜きにしても、そもそもギレンやキシリアの作戦指揮は的確だったのかなぁ。デギンの件はキシリアにとって政敵抹殺の口実になってるが、何もこのタイミングじゃなく「すべては連邦を倒してからのこと」でもよかったはず。やはり感情ですね。
 アムロは「本当の敵はあの中にいる、シャアじゃない」とア・バオア・クーに取り付くほうを優先しているけど、シャアのジオングはガンダムだけにこだわり過ぎているように見える。今ごろ気づきましたが、アムロが「何故出て来る!」と言った学徒兵は、ジオングの放ったビームでやられてたんですねぇ。「しかし、私もニュータイプのはずだ」という焦りの根拠は、自分がジオン・ダイクンの息子だから?

第43話 脱出 (8/31)

 この局面に至るとアムロのほうがシャアを追い込んでいて、ザビ家を倒さねばと思い始めてはいるのだが、油断すると付け狙われるからシャアと戦い続けているようです。無論シャアはザビ家打倒の邪魔をしたいのではなく、「今、君のようなニュータイプは危険すぎる」ので、「最強の兵」アムロを殺したがっているだけ。妹を仲介者に、たった今まで殺そうとしていた相手にいきなり「同志になれ」と言い出すなどは、場当たり的ですらあります。キシリアが脱出を図っているのを知ると「ザビ家の人間はやはり許せぬ」と急に言い出すシャアは、結局、反地球連邦の力を自分を中心にまとめたかっただけなのかもしれませんね。
 「殺しあうのがニュータイプじゃないでしょ」というララァの思念は、シャアにはニュータイプが一貫して「強力な武器」としか認識できないことへの明確な反駁です。そしてアムロの洞察力の拡大は、あるべきニュータイプの姿を示している。(そんな中でも『僕の好きなフラウ』と呼びかけているのは、マジ泣ける。)
 「ジオンの忘れ形見のセイラ」というブライトのセリフにカイさんがきょとんとしてましたが、「人がそんなに便利になれるわけ、ない」と彼女があきらめた、その瞬間に、(これまで演出の潤滑油でしかなかった)子どもたちが物語すべてを救う奇跡を現出する!いくつもの流れが一点に結びついて、分かってるのに、感動して涙がこみ上げるのを止められません。
 それと、アムロが最後に「まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない」というのは、実は『星の鼓動は愛』ラストでカミーユが見せたファ・ユイリィとの抱擁と同じなのかもしれないことに気づきました。アムロが半壊したガンダムにたどり着けたのも、(「ラ・ラ・・・」という効果音のみで示されていますが)ララァの遺志に導かれてのことでした。「いつでも遊べる」精神を仮に手にしたとしても、生命は大切。そんなの「決まってるでしょ」。
 ニュータイプ論の行き着くところとして「生命を持たない意識体としての存在としてはあるかもしれないが、そういう自分を想像したくない。リアルに女性に触れたいわけだ(笑)」ということは、本当は第一作で見通されていたのに、ずいぶん遠回りをして出発点へ帰ってきたものです。そういう意味でも“ファーストガンダム”は、何も付け足す必要のない傑作でした。一日一話ずつこの名作をじっくりと堪能できた、30周年のこの夏は、本当にいい夏でした。

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大阪府民は「国立メディア芸術総合センターを大阪に!」誘致運動をしてはどうか 

[2009/08/29] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 日曜日の選挙次第ではどうなるか分からない「メディア芸術総合センター(仮称)」(俗称「アニメの殿堂」、別称「国立まんが喫茶」)については、中身のないままハコモノの話だけが一人歩きしていて、なんだかなーと思っていましたが、ちょっと名案(笑)を思いついたので書いておきます。(はてなハイクに書いたものを補足しました。)

 4月に発表された計画案以降の流れでは、こんな話でした。

  • 東京都内に地上4~5階建てのセンターを建設。
  • 有力候補地は東京臨海副都心(お台場)。
  • 運営は、独立行政法人「国立美術館」が民間に委託し、年間入場者60万人を目標としている。
  • だが、展示物の具体的な中身は決まっていない。
  • これを受け、政府は平成21年度の補正予算案に同事業費として117億円を計上。
  • 野党からは政府の典型的な「ばらまき」「無駄遣い」と批判が集中。「国営マンガ喫茶」「(アニメ好き麻生)首相の肝いり施設」などと揶揄(やゆ)する声も出て、2~3年内という完成予定は不透明に。

 それで、選挙の模様眺めもあるのかもしれませんが、8月になって作成された基本計画では、こんな話に

  • 当初案にあった東京・お台場への立地や4~5階建ての建物案は盛り込まれず「白紙」に
  • 建物は、既存施設の改修や合築も含めて検討

 いや、困ったね。そこで、このニュースですよ、文化庁長官様!

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君は生き延びることができるか・・・ (感想メモのストック場 その5) 

[2009/08/25] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 この夏はガンダムの情報が飛び交って、いい夏でした。ついにお台場もうではできそうもありませんが・・・。でも毎日ガンダムを観てますから。それだけでも満足です。何て言うか、旅をしちゃうと下手をすれば、この初代ガンダム再見というせっかくの体験が途切れちゃうじゃないですか。(「負け惜しみを!」w)

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第33話 コンスコン強襲 (8/21)

 サイド6か~。物語りも終盤ですね~。ニュータイプ同士の戦いの伏線になっていくブラウ・ブロのチラ見せもいいけど、それよりパトロール中にいきなり「ねえアムロ、あなたフラウ・ボゥのことどう思ってるの?」というセイラさんのフリが面白い。最終回のシャアのセリフや小説版のこともあるし「セイラさん、あなたアムロのことどう思ってるの?」とこっちが聞きたいぐらい(笑)。この後いつの間にかフラウはハヤトとくっついてるけど、もしかしてアムロは察していたのかなぁ。
 ミライにべたべたするカムランに穏やかではないブライトなんだけど、職権として文句言うしかできないのが彼。そこへ「下手なちょっかいを出してほしくないもんだな」と遠慮なく入っていくのがスレッガー。このわずか数回で一気にスレッガーになびいちゃうミライを見て、昔から「えぇーっ!?」って驚いていたものだけど、気持ちはあっても自ら行動してくれなくちゃ女の気持ちは離れてしまうのよっていうのは、何もカムランの話だけではなかったってことか。・・・アムロとブライトは、このへんの不器用さでは似てますね。ああ、分かるなぁ君たち! (ToT)
 バスを必死で追いかけるシーンでは、BGMも込みで再会への期待を盛り上げるだけ盛り上げておいて、何でもないかのように「おう、アムロか」という落差。遠目に見ただけで父の作った回路の古さを見抜くアムロの技術屋ぶりもニュータイプ・・・というのは冗談ですけど、父との哀しい再会は、実は離れていくフラウという認識とダブルパンチで、アムロがニュータイプに覚醒する引き金になってるのかな。これは深いなぁー!!(そしてアムロは、そういう自分の哀しみを、誰にも話すことが出来ないんだ・・・。)
 コンスコンはシャアの引き立て役に出てきたようなもんですが、化け物かと怖れられるホワイトベースが、ザンジバルを見たとたんにサイド6に逃げ込むのも楽しいですね。

第34話 宿命の出会い (8/22)

 ガンダムで何が印象的だったかと聞かれて「安彦が倒れたこと」と富野監督が答えてたのを思い出しながら観てました。アムロとララァの邂逅はアニメ史に残る名場面なんだけど、実に魅力的なカットとアリャリャなカットが入り混じり。それとは関係ないけど「美しいものが嫌いな人がいて?」というリフレインは彼女の心の声なんだなぁと改めて。
 アムロの傷心は、父が酸素欠乏症でというだけではなくて、彼は元々自分の子どものことより自分の仕事が大事な人だったという事実を改めて目の当たりにしたことで、母と再会したとき(第13話)の哀しみが繰り返されていたのか。そのへんの心の乱れで車をぬかるみに取られ、「よけられると思ったんだけど」とララァに泥をはねられる。なるほど生身のシャアと出会うのも、アズナブルという下の名を聞くのもこれが初めてだ。態度とすれば堂々としてるシャアは実は鈍くて、おどおどしているアムロは相手のことを察している。(ここでララァはどうなんだろ?)
 スレッガーっていうのは考えるより先に行動してしまう男で、経緯よりも今の「気合」で判断しちゃう。(後から思えば)そこにググッとミライが惹かれちゃう。この最高に気まずい瞬間の中で彼女への思いと艦の安全の間で葛藤したブライトは、きっともの凄い劣等感を実は感じてたんじゃなかろうか。ああ!なんて不器用な! (ToT)
 サイド6脱出戦で、ガンダムだけを発進させるブライトってのは変だと思ってたんだけど、とりあえず主砲に回ってるのはカイとスレッガーで、画面に映らないハヤトとセイラはガンキャノンとGファイターで待機中。三交代ローテーションで長期追撃戦をしのぐ構えだったのかな。(アムロの鬼神の活躍が予想外。)
 ララァとシャアの会話はアムロの戦いと重ねながら、それとねっとりと男と女のにおいを漂わせながら、ニュータイプというものを語っていて凄い。ガンダムの恋バナは本当に深い。カムランさんだって命を張ってるし、ミライへの思いは本物だったんだよな。でも彼は自分で宇宙艇を操縦は出来ないんだ・・・!

第35話 ソロモン攻略戦 (8/23)

 穴が開いたままのホワイトベース。補給が始まるとすかさず修理。細かい描写だー。ドズルって猛々しいだけじゃなく、細かな指示も的確だし、優しい夫でもある。そういうところも凄い。
 初めての大規模会戦。総員ノーマルスーツ着用だ。オーバーワークが心配されているアムロはフラウの幻影を見る。そのフラウは「アムロは、違うわあの人は」って分かって観てても、・・・辛い。よりによってカイにもセイラにも能力で劣ると悔しがるハヤトなのよねー。
 「生か死か、それは終わってみなければ分からなかった。確かなことは、美しい輝きがひとつ起こるたびに何人か、何百人かの人々が確実に宇宙の塵となっていくということだ。」説明ではなく効果としてのナレーションはアニメ史に残る名調子。
 衛星ミサイルって無機的だけに怖いよなぁ。それに本当に生還率の低そうな「ミサイルを抱えたぶっさいくなの」やら、ボールやらだよ。連邦は突入隊、戦局不利なドズルですら決戦用モビルスーツ隊は温存してるなんて鳥肌もののクールさ。
 たかがテレビアニメで目いっぱい本気で宇宙戦争のディティールを描こうとしてるどさくさ紛れに、ワッケインやセイラも含めて、どんだけ細かな人間ドラマを仕込んでるんだ。何度観ても身震いがするぜ!w

第36話 恐怖!機動ビグ・ザム (8/24)

 被弾して着艦したスレッガー機に動揺したミライが振り返るとブライトの目線。「君のことを見守るぐらいのことはこの僕にだってできるつもりだ」「君の気持ちはわかっている。が、僕はいつまでも待っているよ」という怒涛の展開にエェェーッ!?と驚き続けて30年(笑)。今回少し分かった気がしたのは、サイド6脱出時のカムランとのグダグダで、びしっとスレッガーがビンタを決めた瞬間に、ミライの心がビビビッと来てたのを、ブライトは完全に察してたんだな、ということ。不器用なくせに!何でそんなに女心が分かるんだ君は!
 思い込んだら一直線だぜミライ少尉。お調子者のスレッガーもたじたじだが、モゴモゴ言いながらもポケットの指輪は早いタイミングで握ってるのだ。(しかし食べ残しのハンバーガーが気になるぜ。帰ってきて食う気・・・だったんだよな。死ぬ気で行くやつなんか誰もいないんだよ。)
 ドズルが残存艦艇を突進させるのは玉砕戦をやる気じゃなくて、撤退のタイミングを作るための攻勢なんだよなー。そこは間違っちゃいけないと思う。ティアンムも気にしてたように篭城戦の成否は後詰で決まるし、新兵器ソーラーシステムの威力がドズルの誤算だった。同じくビグ・ザムの存在はティアンムの誤算。
 Gアーマーでビグ・ザムに突っ込むスレッガーは「私情は禁物よ」「悲しいけど、これ戦争なのよね」という名セリフにプロの軍人の覚悟を見せた。対するドズルもまた生粋の武人であり、アムロが彼の背後に見た悪鬼は情の入り込む余地がない「戦争」と言う存在そのものなのかな、と思った。
 それを知ればこそ、逆にバロムはマ・クベをたしなめた。あのシーンの通信兵の無言の演技は素晴らしい。同じくスレッガーの死をアムロがミライに告げたシーンのブライトの無言の芝居もいい。最近のガンダムだとあんな状況でもスレッガーは生還しかねないが、初代ガンダムは容赦ない。しかし、それがいい!

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「サマーウォーズ」のモヤモヤを「ヱヴァ破」で?<再構築(リヴィルド)の価値は> 

[2009/08/22] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 このブログでは細田守『サマーウォーズ』は、あんな明るい娯楽映画なのに、どこかモヤモヤするのは何なんでしょうね、という話をしてたところです。(上手くまとめられませんでしたが。)
 今日はTOKIGAWAさんが、気になる記事を書いていて、また少し違う視野から話が出来る気がしたので、ここでコメントしてみます。

サマーウォーズ オリジナル・サウンドトラック ヱヴァンゲリヲン新劇場版 2009年カレンダー

「痛み」なんだ!! 「代償」なんだよ!!! サマーウォーズに足りなかったのはこれなんだ。だから、胸が躍らなかったんだよ!!

 私は『ヱヴァンゲリヲン:破』を観ても、また違う感じでモヤモヤしてたので、これには何だか同意できないなーと思って、その理由を考えてみました。
 それで、むしろ私が『ヱヴァ破』でモヤッとした理由が分かった気がしたんで、下記のようにブクマコメントしました。

ヱヴァ破はエヴァ以降に生じた「痛み」のバーゲンセール状況(ヲタクホイホイ)にカウンターを撃たねばならぬはず。アニメで「安全に痛い」という問題をメタ的に意識させられるのはサマーウォーズのほうかも。

 新劇場版『ヱヴァ破』が、エヴァンゲリオン以降の状況に対してカウンターを撃ってないかというとそうではなくて、いろいろ仕掛けていると思います。ただ、あちこちで絶賛されている感想なんかを読んでいると、そのカウンターは「機能している」のか?という疑問があるんです。
 もちろんシリーズはまだ続くので、持ち上げるだけ持ち上げておいて落とすという伝家の宝刀メソッドが抜かれたときに、このへんで仕掛けられていた埋設地雷がどんなふうに炸裂するんだろうかという期待も含めて、判断は保留中です。
 何ていうか、クリエイターといえども芸能者であって、エンドマークを打つその瞬間まで、観客をスクリーンに引きつけておかなくちゃならないというのは正しいと思うんですよ。とてもじっくりした構えで納得の行く作りをやってるみたいですから、続きがすぐには出てこないということもあり、この間にあれやこれやと期待が盛り上がるだけ盛り上がるという社会現象も、芸のうちです。

目的のために自分の身を削って、邁進する。その必死さを見て、人々の心がようやく震えるんだ。

なのに、ないんだよ。サマーウォーズにはそれが。キングカズマがボロボロに傷ついても駄目なんだよ。健二や夏希や佳主馬が傷つかなくてはだめなんだ。重くないんだよ、軽いんだ、サマーウォーズは。ずしんとくる重さが全然足りないんだ!!

 『サマーウォーズ』は細田監督の旧作である『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を下敷きにしているんで、機会があればぜひ観てみてください。まるきりその問題に向き合っている作品でした。(ネタバレになりますが、デジモンを操る少年たちはクライマックスでゲーム的な仮想空間の中へ入っていきます。)
 私は何で細田監督がこの作品を再構築しようと思ったのか不思議だったんですが、TOKIGAWAさんの指摘で逆に分かってきた気がします。まるきりそのまんまじゃん、と言われていた『サマーウォーズ』ですが、『ぼくらのウォーゲーム!』の肝であるその部分は再現されていません。対照する意図を明快にするなら、むしろ積極的に反転させられている、と言ったほうがいいかもしれません。

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「サマーウォーズ問題」ってどんな問題なんだろう? 

[2009/08/21] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 細田守監督の最新作『サマーウォーズ』。私は公開初日に観に行ってきましたが、その後もネットをさまよっているといろんな感想を目にします。私の感想メモも読み返してみるとそうなんですけど、面白かったと言いながら、ちょっとどこか歯切れが悪い感じがあるかも。それは単にネタバレを回避したせいだけじゃなくて、少しは意識して応援演説をやりたかったし、それ以上に、私の貧しいボキャブラリーでは上手く説明できそうもない微妙な感覚があったからなんですけどね。
 TOMMYさんの鑑賞メモのブクマコメに、とぼふさんが「サマーウォーズ問題」ってタグをつけておられて、言われてみて少し意識してみたら、おっしゃるとおり微妙に煮え切らない感想を書き留めている人が他にも少なくないという気がしました。それで、決して上手く説明できる自信はないんですが、私にも身に覚えのないことではないので、私なりの「サマーウォーズ問題」というものについて、少し考えてみようと思います。

サマーウォーズ オリジナル・サウンドトラック

 実はあの後で、細田監督の旧作『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』も観ました。デジモンというものをほとんど知らなかったんですが、普通に観て楽しむことができました。
 ただ、言われているように『サマーウォーズ』は、これのセルフリメイクだというのはよく分かりましたけど、正直に言えば『ぼくらのウォーゲーム!』はただテンポ良く面白かっただけで、そんなに細田守らしさがプンプンする感じでもなかったし、「よりによって何でこれなの?」という感じがしました。
 生意気に「細田守らしさ」とか語れるほど、本当はよく知らないんですけどね。ただ単に「テクニシャン」というんじゃないところで、私はこの監督の作品にはぞくぞくと怖いところ(変な「闇」)があるほうが好きなんです。

 見てきた中でのベストムービーを基準に「~らしさ」というのを語ってしまうのは許して欲しいんですが、私が細田監督について思う場合、それは『時をかける少女』ではなくて、『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』のほうです。あれは怖い作品でしたねー(笑)。

「そうなんだよね。要するに、そうなんですよ。『オマツリ男爵』という映画は、なんの映画かというと、僕のジブリ体験がね、基になってるの!(苦笑)」

 後で知りましたが『オマツリ男爵』は、細田監督がこんなふうにぶっちゃけちゃってる作品なのでした。あのアートアニメーション的な毒気の強さは、『ハウルの動く城』を降ろされたドロドロに根ざしていたんですね。比喩的に言えば(ちょっと違うけど)「黒富野」的な、という言い方に私の場合はなっちゃいますけど。
 『時をかける少女』も後から考えてみると、非常に作り物っぽいおばかな物語なのに、あの踏切事故のイメージとか、得体の知れない死のイメージのようなものが下敷きにあって、何なんだろうなーという印象がありました。

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