『コードギアス 反逆のルルーシュ R2』の、一向にまとまらない感想。

 2008-06-26

 現在進行形の作品で一番楽しみに見ているのが、この『コードギアス』の第二部なので、感想を書かなくちゃと思いながら、いつのまにやら日が経ってしまいました。

 最新回のWEB配信はBIGLOBEなんですけど、何気にバンダイチャンネルで第一部を流していたりして、近頃ちょうど「血染めのユフィ」や「せめて哀しみとともに」あたりの最高潮な展開のところだったので、平行して見ていたりします。

♪ 星になるよ 君守る

♪ 今行くよ 僕は 流れ星

 この主題歌、人気は上々のようだけど、私としてはいきなりの違和感!・・・とはいえ、第一部でも、前半の主題歌では思い切り全能感を謳いあげていて、それが後半になって痛烈なしっぺ返しが待ってましたから、「その手は食うかー」っと。(笑)
 何しろ小生意気な我らがルルーシュ君だけど、根っこはこのテの夢見がちな気分のところがありますね。っていうことは、これはいつもの意図的なミスリードで、第二部後半では主人公の、こういった素朴に甘っちょろいメンタリティの部分が(再び)コテンパンにぶっ潰されると見ていればよいのかどうか(笑)。
 とりあえず、その予兆はエリアイレブンの総督に最愛の妹ナナリーが就任して、よりにもよって思い出すのもつらい「行政特区ニッポン」構想を再び打ち出し、ゼロを直接否定した時点で垣間見えているんでしょう。だけど、たぶん谷口監督の主人公イジメはこんなもんでは終わらないでしょう〜。うわぁ、怖いですね〜 (わくわく♪)

 歌と言えば、エンディングでチラッと映るルルの顔に、オレンジ君みたいな飾りが付いてますが、現状、ロボットアニメ史上最弱(?)の主人公たる彼が、最後には強化人間になってパワーアップ・・・とか、思わず妄想してしまったのは私だけですか。そうですか。(笑)

 第二部は放映開始してからしばらくの間、すごく忙しくて、5話ぐらいまで一気に配信を見たんですけど、それもやっぱりすごい違和感でした。前にも書きましたけど、この作品って毎週毎週、「次はどうなる」という期待を目いっぱい盛り上げておいて、徹底してその予想の斜め上を行く展開を見せることで、TVシリーズというフォーマットを最大限に使いこなしていると思います。それを5話続けて見ちゃうと、なんだかワクワク感が4割減とか、そんな印象。
 それで、どうもうまく波に乗れなくなって、ここまで来ちゃいました。・・・どうしたもんだか。混沌とした感想を、何も整理しないで書き留めてだけおきましょうか。

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まずは「消費は麻薬」と思えるかどうかですかね・・・

 2008-06-24

 珍しく世の中のお話に少し目を向けてみます。

地球温暖化対策として、コンビニの深夜営業に対する規制を検討する動きが全国の自治体に出てきている。

 コメント欄やはてブのコメントまで含めて、いろんな見方が出ていて面白かったです。地球温暖化への対策、いわゆる“ECO”の視点を敢えて見ずに、コンビニの深夜労働の問題と絡めて(混同して?)語っているところが切り口として興味深かったです。環境問題というタテマエ論を真に受けたものかどうか、そこが難しいところですからね。

こんな規制が可能なら、正月はもっといろんな店休め、とかいう意見もありそう。そりゃそうと、パチンコ店は電気を盛大に使っていそうよ?あれこそ営業時間をもっと規制できないのかなー?w

・・・と、私もとりあえず、はてブコメントをしましたが。
 なんだか引っかかって、その後も、つらつらと考えてみたりしてみました。で、私もちょっと話を飛躍させてみます。

 (これを言うと多くの方々から叩かれそうなのは承知で敢えて言ってみますが、)私は愛煙家でありまして、近年の愛煙家バッシングを、なんだか“煙たいもの”(笑)に感じています。
 そこで思うのですが、嫌煙論者の皆さんは、タバコは麻薬だ、タバコをやめられない人間などは、ニコチンという薬物に依存しているだけではないかとおっしゃる。・・・・・・はい。まったくおっしゃるとおりだと存じます。
 すでに案外、多くの愛煙家がそれは自覚しておりますので、そこを指摘されても、今さら「はっ!そうだったのか、ガーン!・・・」となって、悔い改めようなどとはあまり思わないのですよ。

 それで、言い逃れではないのですが、ECOの話と言うのも、こういうのと似ているなぁと、ふと思ったのです。
 「消費は美徳である」などというのは、ECOの考え方からすれば麻薬というべきでしょう。ですが、一度手にした消費の快楽を、やめられる人がどのぐらいいるのでしょう?
 この場合に、エネルギーの浪費が社会的に仕組まれた麻薬だという自覚を持っている人は、少なくともタバコが麻薬だと認識している人よりも、比率としては少ないに違いありません。なぜなら現代社会の中で、何らかの形でエネルギー浪費に加担している人は、圧倒的多数ですからね。

 開き直りではないのですが、エネルギー浪費をしている人も、社会の中で少数派に追い込むことができたなら、ECOもうまくいくのかもしれません。しかし、どうやったらそんなことが実現できるんでしょうか。私もコンビニが深夜あいているのにはお世話になってますし、タバコも(人に何かと非難されたぐらいでは)やめる気にはなりません。どうにも難しい問題ですね。

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フィクション=「平気でうそをつく」=邪悪なもの??

 2008-06-20

 kaitoさんに刺激されて、久しぶりに富野御大のことに触れた記事を書いてみたのですが、いつもながら読み応えのあるコメントをいくつもいただいて。
 忙しいのは一段落したのですが、気が抜けたのか、あまり体調が冴えず、また、いろいろ惑いながら書いていますので、ひどく文意の酌みにくいものを読んでいただいて、ありがとうございます。

そして「平気でうそをつく人たち」(編注)という本を読んで、人間というのはすべてを、個だけではなく組織自体が忘却するという心理的な側面をもっているというのがわかった。これまでのガンダムを全部事実だというふうに肯定してもいい。肯定したことも含めてすでにウソかもしれない。肯定するということ自体、それをする人にとって過去は、本当にあったのか、なかったのかということも全部疑問符をつけていいもんなんだってわかった瞬間、「∀」のというより、ロランやディアナ、キエルの物語をつくり出せたんです。

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

自分の非を絶対に認めず、自己正当化のためにうそをついて周囲を傷つける“邪悪な人”の心理とは? 個人から集団まで、人間の悪の本質に迫るスリリングな書!

(amazon「出版社/著者からの内容紹介」)

 元記事の元記事(笑)から、もう一度読み直してみました。私は(↑)この本は読んでないのでそこは軽く読み飛ばしちゃってたんですが、のりのりさんが、「あの本(「平気で嘘をつく人たち」)を読んでああいう認識にいたるの!???」と反応しておられたので、どんな本なのか(by amazonですけど)見てみました。
 未読なのにいい加減な解釈をしちゃいますが、“世の中には、そういう邪悪な人も存在しますよ”って趣旨の本を読んで、富野監督は“そういう性質というのは人間全般に多かれ少なかれ偏在している”という認識に飛躍しているんですかね?

 ここは『∀ガンダム』についての話なので、「うそ」一般についての話と言うより、フィクションについての話として私は読んだのです。ターンエーには白々しいフィクションがけっこうありますよね。まあ、そもそもロボットアニメなんて・・・というのは脇に置いても。ロラン・セアック(男)がローラ・ローラ(女)とか、ディアナ・ソレルとキエル・ハイムの入れ替わりだって、もっと早く気づくだろ(笑)、というようなものです。
 平気でうそをついているんですね。

たとえばSF作品であっても、SFがわからない人が見てもおもしろかったよねって言わせるのがビジュアル媒体だと、僕は基本的に思ってる。で、僕の場合というか、僕らの世代はそれをずっと映画的なものというふうに考えていたわけです。映画一般なんです。SFであろうがポルノだろうが、文芸映画だろうがいっさい関係ない。みんなで見て「よかったよね、おもしろかったよね」というのが映画であるハズなんです。ところが、それを一生懸命区別をつけようとしている人が、たとえばアニメというものを、とても幅の狭い媒体におとしこめているということです。

 それが(↑)このへんに繋がってる。(富野監督にとって、「映画」的=みんなで見て「よかったよね、おもしろかったよね」だっていうのも私には“そうなんだー”って感じでしたけど。)
 端的に、“うそ=邪悪”という枠組みではない。

「初代ガンダム」って、「正義と悪は相対的なものだ」という見方を始めて明確に打ち出したTVアニメだと思うんですけど、「∀」になると、そもそも正義とか悪とかという概念自体がない

・・・と大森氏が指摘してるのも、そのへんなのかなーっと。「白富野」は人が死なないから正義だったり善だったりするんじゃなくて、「平気で嘘をつく」ような、したたかなタフネスさ(=しなやかさ)が話のキモだってことですね。
 その、“あえてフィクション”ということの意味を、少し拡大して考えてみたいと思ったのが前回の記事です。
 「例え“目の前の現実”であってさえも、一人の人から見えていることというのは、常に“一面の真実”でしかないという。・・・その危うさを自覚しながら、それでも敢えて何かを語らずにはいられないんだという、そういう覚悟」のことをいきなり書いてしまったんですが、バルタザールさんが指摘されたように、人間の認識力の限界に絶望するべきではないと私も思います。
 それと同様、“メディアを通して知る現実”も、無意味なのではなくて、その危うさを覚悟するという条件のもとで価値はあるし、そのときに手がかりとなるものは“目の前の現実”しかないでしょうね。多分私が言いたかったのは、“身体性”のないフィクションだけで、ものを考えるのは危険じゃないかということです。

  • フィクションであるというその時点で、それは現実に対する一つのメタファー(暗喩)を構成しているとすれば、さらにその中に配置されたメタファーを必要以上に分かりにくくするのは、内向きに閉じた自己満足でしかない
  • “分かる人には分かる”というメタファーの置きかたのほうがそれはカッコいいんですが、それは技術論でしかない

 それから、(↑)メタファーについてこのように書いたのは、kaitoさんの記事にあったオタキングのコメント(「コクピットは元々子宮のメタファーなのに、富野さんのはモロ子宮じゃん」)に直接的に反応したものです。
 「分かる人にしか分からない」というのは、カッコわるいというバルタザールさんの意見に共感するんですが、のりのりさんの冷静な指摘で、少し思い直しました。
 ここでの話の流れからすればむしろ、どうやったって分かる人にしか分からないという認識を、諦観ではなく覚悟としつつ、それでもなお「みんなが見てわかるような映画をつくればいいじゃないか」とオープン・エンターティンメントとしての機能にこだわり続ける富野監督にもっと学ぶべきなのかな、と。

本来、ミーハーの大衆というところに落としていって、わーい!と楽しんでもらえるものをつくりきれないというあたりでは、メジャー狙いをしようと思って一生懸命背伸びをしている人間としては、なんだかんだ言いながら映画屋になり切れない自分を自覚する

 だから富野監督、大好きです!(結局そこかよ。) (*^。^*)

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