なんとなく模様替えをしてみました 

[2008/05/31] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 なかなか調子も出ませんが。思い切って気分を変えようと思って、一念発起。ブログのテンプレートを替えてみました。
 前のテンプレートはちまちま手を入れてあって、けっこう愛着があったんですがね。なんか、このテンプレートがすごくスカッとしてて、いいんじゃないかなぁと。

 今まで手をかけてきた部分が、思ったよりスムーズに移行できたような気がして、まあまあ満足です。でもまあ、しばらく眺めていたら、いろいろ不具合はあるかもしれません。何かお気づきの点がありましたら、ご教示くださいませ。

 テンプレートをお借りしたのはこちらの作者さんから。ブログのカスタマイズについて、分かりやすくいろんなことを書いておられて、とても参考になるブログです。

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『新造人間キャシャーン』 最終回近辺の話 完結編 (笑) 

[2008/05/30] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 GyaOの昭和テレビでずいぶん前に完結を迎えた『新造人間キャシャーン』。いつ見たアニメの感想を今頃書いてるんだよって感じですが・・・。(笑)
 しばらく書かないでいると、感想も何だかまとまらないものですねー。

 体調も戻らず、さえない頭でアレなのですが、まあ、「続きは今度にします」と前回書いた手前、何ほどのことが書けるものだか、とにかく思い出してみましょうか。(笑)

新造人間キャシャーン VOL.9

34話 キャシャーン対ロボットエース

 いちおう最後の二話は連続するストーリー。物語のカギを握るのは、キャシャーンの父である東博士。
 “ロボットエース”は東博士が開発した最強のロボットですが、結局この作品の中ではキャシャーンより強いロボットが作れるのは、東博士だけなんですよね。
 『キャシャーン』という作品は毎回、すごくシリアスな人間ドラマを盛り込んだストーリーで、この点は当時として、ものすごく高く評価すべきものだったと思います。ですが、とにかくキャシャーンが「俺は不死身だ!」と言ってしまえば、“ハイそれまでよ~♪”的な無敵の強さというのは、これはシリーズとしての物語のメリハリをつけるには、非常にマイナス要素でした。(パワーバランスですね。)
 それは初期設定の問題なんですが。・・・逆に言うと、この条件下で毎回、骨のあるシナリオを出してきたことはすごいとも思います。東博士がもっとしばしば出てくれば、少しは違ったかもしれないんですけど。
 そんなわけで。最後に来て、ついにキャシャーンより完璧に強いロボットが登場。ただ、もちろん東博士は、このロボットに弱点を仕込んでいました。それをスワニー(中の人はキャシャーンの母)を通じてキャシャーンに伝えることが出来るかどうか、というのがこの回のポイントでした。

最終話 地球最大の決戦

 東博士の救出にはかろうじて成功するんですが、一緒にスワニーも連れて行くことができないまま最終回へ。
 この回には、急に“人類対アンドロ軍団”の戦い全体が劣勢にあるというナレーションが入ってきます。切り札の東博士の奪回に成功したので、一気に戦局を挽回する秘策(おりしも接近中の彗星が発する宇宙線をどうかこうかして、ロボットの電子頭脳は全滅!みたいな素敵プラン)を立案。
 ちゃんとオチを付けようというのは分かるんですが、『キャシャーン』ってここまで、そういう“戦い全体”みたいなのはずっとなくって、あったのは常にキャシャーンの回りの局地戦だけだったんで。ここだけ見ればともかく、今までの流れからは異質感が強くて、無理やり最終回にしたって言う感じが強くなっちゃったんだと思います。
 あとスワニーの正体が、ついにブライキングボスにばれちゃう。今までばれないほうが不思議だったんですけどね(笑)。そんな意味でも、ここまでの流れと噛み合わない残念さはありました。なんていうか、いずれは終わりが来るような物語の作り方を、あまりしてこなかったんですよねぇ。

 地中に潜って宇宙線の影響を免れた、キャシャーンとフレンダー、ブライキングボスとワルガーダーの間で展開される最後の戦い。うーん、なんだかなー、なんですが。追い詰められたピンチに捨て身で放つ“超破壊光線”に、この作品の必殺技である納屋悟朗のナレーションがかぶさって、(やや無理やり感はありましたけど、)長い戦いのケリをつけるにふさわしい盛り上がりは演出されてました。
 そこからはエピローグに当たる部分ですが、意外と尺も長く丁寧に作られていて、打ち切りラストにしてはちゃんと最終回らしい作りをきっちりとしてたのには驚きました。戦後は再び人間とロボットが平和に共存していて、(そこも少し違和感がありましたが、)ブライキングボスそっくりのアンドロイドとキャシャーン&ルナがばったり出会うなんてサービスシーンまであり。
 でも、このやたらと渋かった作品の締めくくりにしては、やや能天気に甘すぎて、もっと濃い結末を見たかった(笑)という気分も、正直言えばあるかもしれません。

 この時代でも、濃厚な大河ドラマ的なストーリー性を持ったアニメはもちろんないわけではなかったと思います。ただ、そういうのはだいたいコミック原作を持っていたりしたんではないかと。
 アニメオリジナルの作品として、『キャシャーン』はシリアスなドラマに果敢に挑んだ意欲作として記憶されるべきだと思うんですが、そういうシリーズとしての物語性の部分で弱かったことが、最後に出てしまったのだろうと思います。そうして考えてみると、『ガッチャマン』というのは本当にすごかったんですね。それでも、各回ごとのドラマの濃密さではガッチャマンをしのいだキャシャーンという作品も、やっぱり私の中では強く印象に残った作品だったことを改めて再認識しました。なんだかんだ、懐かしかったし面白かったです。

(関連記事→ 囚人022の避難所 tag: キャシャーン

「マクロスFRONTIER」第6話までの雑駁な感想 

[2008/05/26] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(9) | TOP ▲

 長いブランクのリハビリを兼ねて(笑)、わりと評判よさげな『マクロスFRONTIER』の感想なぞ。
 ただですねー。期待通りのクオリティというか、ここまで見てきただけでも充実した作品だと思うんですけど。何話か見のがしてるせいもあるかもしれませんが、“なんだかノリきれないなぁ”という印象が正直に言うとあったりするのです。

マクロスF(フロンティア) 1 マクロスF(フロンティア) 2

 まあ、だいたいがへそ曲がりですから、「期待通り」っていうのは、私にはあまり向いていないのですね。どっちかと言えば、むしろ『コードギアス』みたいな、“何をやってくるか分からない”というような危なっかしい感じのほうが、私としては面白いと感じるほうです。
 今回のストーリーで言うと、ちょっと予想外なのは、このシリーズでは最強の武器(笑)であるはずの「歌」が全然通用しない生体兵器(ぶっちゃけ怪獣だぁー)が敵だってことで。でも、このまんまじゃ終わんないのがお約束だと思うので、どこでどうひねりを入れてきて、やっぱり歌の力は偉大だってことになるんだろうかという。そういう関心はあります。
 人間ドラマのほうでは、お約束の三角関係はとりあえずアレとして、印象が対照的なダブル歌姫というのも、まあ豪華な感じでよろしいかと。ただ古くさい言い方をしてしまうと、“マンガっぽい”設定だったりはしますけどねー。みんな、こんなのが好きなんだろうか。いや、ストーリーなぞはキャラクターの背景に過ぎないから、どうでもいいんだろうか。(それは言いすぎか。)

 いや、もう少し考えてみると、そのへんよりも、どうも素直に入っていけないのは、“そうですかー、超長距離移民船団の都市宇宙船なのですかー”という。わりと根本的なところだったりして。
 そう。まあ。少し前まではそうしたSF的に壮大な舞台設定に、ただわくわくと胸を躍らせていたんだろうなと思うんですけど。初代マクロスの設定年(2009年)も来年に迫った今は、例えば富野監督もスペースコロニーのような考え方を否定しているわけだし。・・・それが科学的に厳密に正しいのかどうかは別にして。“地球のことを見直さなくてはならない”という思いのあり方は、これはあると思うんですね。
 そうしたときに、“超長距離移民船団の都市宇宙船”なのですかー、というのはどうしても私の中にはあります。面白いんだからいいじゃないかと言われたらゴメンナサイですけど。
 ただ、主人公が、「ここには本当の空がない」って、ここまでに何度か言っていますよね。私はそこにちょびっと期待しています。四半世紀前の作品を少し翻案してリファインするだけのものじゃない部分が、ここから先、きっとどこかにあるはずだと思いたいんですね。
 何しろ、文句が多いようですが、出来は上々な作品なのは間違いないと思うので、この先の続きも楽しみに見て行きたいと思っています。(ところでこの作品は、2クールなんですかね。近ごろ流行の2クール+2クールなんですかね。)

日常雑記:ようやくピンチを脱出しました 

[2008/05/25] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 いやいや。このブログはじまって以来の、長く続いた忙しくて忙しくて更新できない状態から、ようやく一息つきましたよ。本当にもう、一時はどうなることかと。w

 ちょっとブランク長すぎましたので、いささかリハビリが必要かなってぐらいな感じがあります。中途半端になってる『キャシャーン』最終回の感想とか、『エウレカセブン』の視聴再開とか。あと、ちまちまかろうじて見るだけ見てきた『コードギアスR2』とか『マクロスF』とか。(マクロスは何回か見のがしたなー。)たまっちゃってることをいろいろ考え始めると、いっぺんにしんどくなっちゃうんで、手の付いたところからちょっとずつやりたいと思います。

 何しろ少し体も休めないと。大きな声じゃいえませんが、ほぼ三ヶ月ほど休んでないぞー。
 なんちゅうか、まあ。残業代が出ようが出まいがあまり関係なく、ついつい仕事の手を抜けない私。こんなの決して誉められたことではなくて、きちんと所定の時間内で成果を出せないだけなんですけどね。

 とにかく、ようやくに危地は脱しましたので、とりあえずリハビリ開始です。なんだかんだ、ブログを書かない日々はやっぱり忘れ物をしたみたいで寂しかったです。

刹那の状況の中での最善というところで動くしかできない私ですけど、 

[2008/05/21] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

" 「共感か反発か」しかない状態に対して、その二項対立から抜け出すものとして「そのどちらでもない」ところに「対話」を置く、という事なんですが。実は、これはこれで新たな構図の罠に嵌る可能性を生んでいる "

" 既存の二項対立に対して、そのどちらでもない「第三項」を持ち出すというのは、二項対立解除の方法としては失敗しやすい "

" 繊細なニュアンスであるが故に、そこが磨耗して消えてしまう可能性もあるわけです。たとえば、新たな賛同者が現れて、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」と言い出すようなケースを考えていただければ分かりやすいと思いますけども。 "

" 「善」と「悪」などでも同じで、自分の中にも悪心というやつがある事をまずは認めること。全然なんの悪心も起こさない人間なんていません。 "

 私ってのは、いささかマゾ的気質があるのか、痛撃を食らうと嬉しくてたまらないと言いますか。(笑)
 特に三番目の「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」みたいな喩えは、実に分かりやすく私の態度の問題点を指摘してくれていて、見事にやられました。しかし、そこがありがたい!!

毎度、冷静さを欠くのが私の悪いところですね。
先日の、「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」というのも、私にはすごく気持ちのよい洞察でした。
ついつい刹那の状況の中での最善というところで動くしかできないのが、私というキャラクターなのかも。(・・・と、自己規定してしまうのも本当はよくないんで、常に状況は動き、自分自身も変わっていく。だからこそ面白いのかもしれないですね。)

・・・とコメントもしたのですけど。(コメントを書いている端から自分が動いていて、相変わらず何を言ってるのか分かりにくくてごめんなさい。)

 上記コメントの中で引きなおしている、富野アニメの中では「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」という指摘も、ものすごく私のツボにはまっている鋭いもので。私がむやみに「なるほど!」を連発するので、ちょっとたしなめられていたりもしますが。(笑)
 逆に、私が好きなのはそういう傾向の作品で、そうでない作品はピンと来にくいことの理由を、実に的確に教えてもらったような感じです。

結局は、アレですね。
人間の軸は一つではないのだから、フラフラ行ったり来たりするんだよな。
それを、まあ、楽しい事と思ったほうが得ではあるのだろうかね。
正しい事には価値はないと思う。

 気に入ってしまったものだから、ここでも私は「一度名前を与えられた以上・・・」を引きながらコメントをしていたりして。循環しているというか、はたから見れば「閉じた楽園」の中に留まっているようにも見えるかも、などと危ぶむ思いもどこかにはあり。
 けれども何しろ、zsphereさんにせよ、グダちんさんにせよ、強く共感できる面と同時に、互いの立ち位置の位相の違いというものも認識できていて、むしろだからこそ、こうした「対話」ができるのだという。

 ここの扱いを間違えると、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」という選民思想(笑)になっちゃうことには気をつけつつも、やっぱり私はこういう皆さんと「対話」できる幸せ(循環しながらもわずかずつスパイラル状に、自分が変わっていける可能性)はじわじわっとかみ締めたいと思うのでありました。(とにかく身近な「他者」の存在に恵まれていることに感謝!)