日常雑記:ようやくピンチを脱出しました 

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 いやいや。このブログはじまって以来の、長く続いた忙しくて忙しくて更新できない状態から、ようやく一息つきましたよ。本当にもう、一時はどうなることかと。w

 ちょっとブランク長すぎましたので、いささかリハビリが必要かなってぐらいな感じがあります。中途半端になってる『キャシャーン』最終回の感想とか、『エウレカセブン』の視聴再開とか。あと、ちまちまかろうじて見るだけ見てきた『コードギアスR2』とか『マクロスF』とか。(マクロスは何回か見のがしたなー。)たまっちゃってることをいろいろ考え始めると、いっぺんにしんどくなっちゃうんで、手の付いたところからちょっとずつやりたいと思います。

 何しろ少し体も休めないと。大きな声じゃいえませんが、ほぼ三ヶ月ほど休んでないぞー。
 なんちゅうか、まあ。残業代が出ようが出まいがあまり関係なく、ついつい仕事の手を抜けない私。こんなの決して誉められたことではなくて、きちんと所定の時間内で成果を出せないだけなんですけどね。

 とにかく、ようやくに危地は脱しましたので、とりあえずリハビリ開始です。なんだかんだ、ブログを書かない日々はやっぱり忘れ物をしたみたいで寂しかったです。

[2008/05/25 22:08] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(1)
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刹那の状況の中での最善というところで動くしかできない私ですけど、 

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" 「共感か反発か」しかない状態に対して、その二項対立から抜け出すものとして「そのどちらでもない」ところに「対話」を置く、という事なんですが。実は、これはこれで新たな構図の罠に嵌る可能性を生んでいる "

" 既存の二項対立に対して、そのどちらでもない「第三項」を持ち出すというのは、二項対立解除の方法としては失敗しやすい "

" 繊細なニュアンスであるが故に、そこが磨耗して消えてしまう可能性もあるわけです。たとえば、新たな賛同者が現れて、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」と言い出すようなケースを考えていただければ分かりやすいと思いますけども。 "

" 「善」と「悪」などでも同じで、自分の中にも悪心というやつがある事をまずは認めること。全然なんの悪心も起こさない人間なんていません。 "

 私ってのは、いささかマゾ的気質があるのか、痛撃を食らうと嬉しくてたまらないと言いますか。(笑)
 特に三番目の「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」みたいな喩えは、実に分かりやすく私の態度の問題点を指摘してくれていて、見事にやられました。しかし、そこがありがたい!!

毎度、冷静さを欠くのが私の悪いところですね。
先日の、「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」というのも、私にはすごく気持ちのよい洞察でした。
ついつい刹那の状況の中での最善というところで動くしかできないのが、私というキャラクターなのかも。(・・・と、自己規定してしまうのも本当はよくないんで、常に状況は動き、自分自身も変わっていく。だからこそ面白いのかもしれないですね。)

・・・とコメントもしたのですけど。(コメントを書いている端から自分が動いていて、相変わらず何を言ってるのか分かりにくくてごめんなさい。)

 上記コメントの中で引きなおしている、富野アニメの中では「一度名前を与えられた以上、彼らそれぞれが状況の中で独自に、それぞれなりの最善を期して動く」という指摘も、ものすごく私のツボにはまっている鋭いもので。私がむやみに「なるほど!」を連発するので、ちょっとたしなめられていたりもしますが。(笑)
 逆に、私が好きなのはそういう傾向の作品で、そうでない作品はピンと来にくいことの理由を、実に的確に教えてもらったような感じです。

結局は、アレですね。
人間の軸は一つではないのだから、フラフラ行ったり来たりするんだよな。
それを、まあ、楽しい事と思ったほうが得ではあるのだろうかね。
正しい事には価値はないと思う。

 気に入ってしまったものだから、ここでも私は「一度名前を与えられた以上・・・」を引きながらコメントをしていたりして。循環しているというか、はたから見れば「閉じた楽園」の中に留まっているようにも見えるかも、などと危ぶむ思いもどこかにはあり。
 けれども何しろ、zsphereさんにせよ、グダちんさんにせよ、強く共感できる面と同時に、互いの立ち位置の位相の違いというものも認識できていて、むしろだからこそ、こうした「対話」ができるのだという。

 ここの扱いを間違えると、「そうですよね、俺ら“共感か反発か”しかできない連中とは違いますよね!」という選民思想(笑)になっちゃうことには気をつけつつも、やっぱり私はこういう皆さんと「対話」できる幸せ(循環しながらもわずかずつスパイラル状に、自分が変わっていける可能性)はじわじわっとかみ締めたいと思うのでありました。(とにかく身近な「他者」の存在に恵まれていることに感謝!)

[2008/05/21 02:22] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1)
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「なぜおた問題」っていうか・・・(グダちんさんへの私信) 

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 コメントでお答えしようと思ったけど、長くなったので記事にしちゃいます。

 うーん・・・。「気になる」のかと言われると、あちこちで見聞きすることに、いろいろと違和感があるのはたしかなんですよね。“オタキング”という人のことはもちろん、“オタク”なるもの自体、正直言うと、わりとどうでもいいと思いつつ。

 と、そんなふうに思っていたら、海燕さんがすごくいい事を書いていて。ちょっと目からうろこでした。自分のブクマコメを転載しておきます。

[*おたく][コミュニケーション][これはすごい][これは正論][なるほど][なっとく!][!興味深い][!殿堂入り][*ものの見方]いろいろもやもやしてたものが、すごくすっきりしました。/思うに、これは「おたく」とかいう曖昧な言葉に関しての狭い話じゃなくて、もっと大きな“ものの見方”についての洞察を含んでいるんだと思う。

 話の前段としては、

 これを読んで、

囚人022  2008年05月12日 19:26

そんなに詳しくないんだけど。
昔はライト級の「おたく」なんて存在自体があんまり認められなくて、 ヘビー級の「おたく」な人と、「それ以外」の普通人の断絶は、 とても大きなものだったんじゃなかったかなぁと思ってます。

アニメファンがみんな「おたく」だなんて、 私は今でも認められない感じはありますよ。(自分も含めて)

一つの時代を築いた人たちではあるからなぁ。 ・・・難しいところだとおもっちょります。

グダ 2008年05月13日 00:59

うーん。
「マンガブリッコ」に載ってたとされるおたくの語源的には、喫茶店で陰気に「おたくは・・・」と呼び合うような若者と言う風に語られていたんですが。
そういう人は一つの時代を築いたんでしょうかね?たくさんいた若者だと思いますけど。
まー、僕はオタクというよりは脳内妹のお兄さんですよ

囚人022  2008年05月13日 21:40

このあいだ、たけくまメモで初期の使われ方をリサーチしてましたけど、もともとアクティブなアニメファンのグループ内で、その一部に存在した“根暗”な人たちを、グループ内でだけ通用する隠語として「おたく」と言っていたのが最初じゃあないかという話でした。
要は、身内の一部を指して使っていた一種の侮蔑語が、気が付くと外部から、自分達全体を指して使われていたという説です。

 こんな流れで、今こんな話になってるんですけどね。

 で、ここでもう一つ手抜きして、海燕さんの記事で自分がはてなスターを付けた部分を転載。

" オタク同士でも「話のわからない」連中を排斥し、「話の分かる」相手とはベタベタに「依存」しあうという関係がはびこっているように思えます。まあ、これはオタクに限りませんね " " 自分を「オタク」とか「ファン」などと規定することは、自分で自分を一定の限界に縛り付けることでもある "

" 自分を「オタク」と定義し、ほかの人間とは違うと思い込んだ時点で、どうしようもなく差別と偏見は萌芽してしまっているのである。竹熊さんがいう「排斥」と「依存」は「オタク」の本質に絡む問題だ "

" 私たちは「分かりあっている」からコミュニケートするのではない。そもそも互いにすべて「分かりあえない」から懸命に言葉をつむぐのです。「他者と出会う」とはそうした認識のことだし、裏を返せば、そこで「ちゃんと一人になる」ことを引き受けた地点からはじめるということです "

" 価値観の異なる相手ともきっちりと対話しあうことのできる「言葉」を確立するということ。互いにわかりあえないこと、差異があることを前提として受け入れ、その上でなお、理解しあえる何かを模索すること。 "

" 本当にいまの「ポストオタク」たちは「他者」を必要としているのだろうか? 自分の「言葉」の通じる狭い範囲でナルシシズムを満足させていればそれで十分なのではないか? "

 特に後段3つ。その中でも最後の一つが私にはビビッと来ました。それですよ、それ!(笑)

 私とか、昔、インターネットもない時代に、第一世代の人たちがばりばり活動開始してたのを、遠くから眺めてるだけの、コミュニケーション敗者だったという自覚があるんですね。で、そのときに“おたく”というものにはなり損なったと思っているのです。
 でも、上気した海燕さんの記事の中の前段二つは、とても正当な指摘だと思います。

 そのへん曖昧なままで来ちゃってたことに気付きつつ。でも3つ目、4つ目に書かれているようなことは、これまで何となく考えてきたことでもあって、すごくうなづけるのです。

 で、もやもやとした違和感というのが上手く言えなかったんだけど、本当にいまの「ポストオタク」たちは「他者」を必要としているのだろうか?という言葉を読ませてもらって、すごく嬉しかった。

いまのオタク文化は十分にその態度を許容するし、閉鎖した楽園ほど心地よいものはない。

ただ、ひとついえることは、「ぼくは」それでは満足できないということである。

 私なんかはネットのおかげでようやくコミュニケーションの真似事ができるようになった人間だけども。いや、だからこそかな。“閉鎖した楽園”には満足できないというのに、激しく賛同します。
 そういう意味で、“これは「おたく」とかいう曖昧な言葉に関しての狭い話じゃなくて、もっと大きな“ものの見方”についての洞察を含んでいる”と書いてみました。
 私も、呼び方や呼ばれ方、曖昧でしばしば逆転さえしてきている定義のあり方なんかはどうだっていいし、「やりたい事をやるときは所詮一人」という諦観(覚悟?)もあるつもりですけど、でもこうやってブログに書いて、誰かに読んでほしいということは、コミュニケーションを求めているのは事実なのだと思うのです。(近ごろ更新が滞ってますがね!)

[2008/05/18 03:21] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(5)
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