「言うに言われぬ・・・」もの 補遺
前の記事で書き忘れたな、と思ったことを少し。
うーん。やっぱりこうして考えた時に、本当に「二次元だから」「フィクションだから」完全にまったく、全然問題ない、としてしまって良いのかという事は繰り返し疑問として頭の中に起こってくる。
読み返してみて、zsphereさんの記事では「フィクションの現実への影響」というところを考えようとしてたんだよなぁと。なんだか違う方向へ勝手に反応してしまったのかなぁと。
どんな名作であっても、変な方向へ曲解して読まれることはあるし、それは避け難いことだと思います。曲解を恐れて何かを表現することなどは、たぶんあまり有効なやり方ではないのではないでしょうか。
ただ、追記されている中で、「この話題のそもそもの問題点は、そうした作品の作り手と受け手のスタンスの問題」と言っておられるので、それについては(回りくどいけど)自分の思ったことを書いたつもりではあります。
ある訳ないじゃないですかメルヘンやファンタジーじゃあるまいし。
ネタではなく端的に言って、ないよね。なぜあると感じるかは我々に他人の痛みをわがことのように感じる心があるからだ。
二次元のキャラクターが感じた痛みはあなたが共感によって感じた痛みであり、キャラクターの受けた痛みは存在しなくてもあなたの胸の内に痛みは存在する。キャラクターの心だと思ったものはあなたの心の一部なのだ。
だからキャラクターの痛みを共有することを他人に強要するのはやめたほうがいい。
感受性の問題にしろ、倫理観の問題にしろ、自分が感じることのできたキャラクターの痛みを当然他人も感じるはずで、感じるべきだ、共有せよというのはどだい無理な要求だ。
・・・そんなふうに思っていたところで、これを読ませてもらって、また“ぐわわーん”となりました。(笑)
うーむ、なるほど。
「キャラクターが感じた痛みはあなたが共感によって感じた痛み」、「キャラクターの心だと思ったものはあなたの心の一部」というのは、すごくそうだと思いました。それだけに、「だからキャラクターの痛みを共有することを他人に強要するのはやめたほうがいい」という方向へ行ったのは、そうか、そうだなぁーと。衝撃が走りました。あまり口幅ったいことを言うものではないかも。
ただ、私の個人的な感じ方ですけれども、zsphereさんが「繰り返し疑問として頭の中に起こってくる」と言われたこと。何度でも何度でも、繰り返し繰り返し疑問が起こってくることそのものが、大事なことだなぁと。それだけは強く強く思うのですよ。
同じ痛みを共有することは出来ないかもしれないけれど、誰もが何かの心の痛みを感じることは出来る。そこで「感じるべきだ」と言うべきではないのかもしれないし、自分の中ですら答なんかはそもそもないのかもしれないんですけど、他の人の感じ方に触れることは、それだけで充分に意義深いことだと私は思うのです。











