「セイラさん、立って。立つんだ!」 

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 ようやく帰宅。帰りの車中でうつらうつらしながら、携帯で思い付きをメモした内容なので、まとまりがないですが、とりあえず。

「セイラさん、立って。立つんだ!」

 『機動戦士ガンダム』のラストシーンというのは、あの音楽とともに、何かの折りにふれて、ふっと頭によみがえってきます。思い出すたび、馬鹿な話ですが、ちょっと条件反射的に涙腺がじわっとくる。… まあ、困ったもんですなぁ(苦笑)。

 あの作品というのは、なので私にとっては、ラストシーンからの逆算が必要充分条件。つまり劇場版はただの総集編じゃなく、一個の立派な映画だと思ってます。
 ですが、久しぶりにテレビ版を見通してみたら、…これもほんとに感動したなぁ(笑)。
 とくにNishinomaruさんの指摘されたように、「恋愛もの」としてのニュアンスは、これはテレビ版ならではのものがありました。

 …でも今日は頭の中を、あの曲がぐるぐるしてるのでラストの話(笑)。

 『機動戦士ガンダム』はニュータイプという、認識力洞察力の拡大した人間存在 を仮定したストーリーでした。(「夢、それは夢。夢…。」)
 考えてみると、あの時にアムロが救ったのは、自分にごく近しい一部の人々だけで。例えばその 脱出劇の進行中にも、セイラさんは「目から火花」でジオン兵を撃ち倒したりしています。
 なんていうか、そういう「限界」が厳然と存在しているのですね。そこにまだ可能性を試し切っていない余地が残されていたので、『逆襲のシャア』に繋がって行ったのでしょう。
 うまく言えませんが、富野監督がぎりぎり許容可能な仮定の限界線を探った『逆襲のシャア』に対して、「男というものは、こういうものだと…」というエクスキューズをせずにはいられなかった。このことは、重要なのかもしれないですね。

 そうした男性的な原理で考え尽くした果てが『Vガンダム』なのかもしれません。そういう意味で、“極北”であり、転換点であるという見方は正しいのかも。
 どちらかといえば、問題点が未消化なまま、むきだしになっている気もして、作品としては、ひどく難しいものであると私は思わずにはいられませんが。

[2008/03/27 01:06] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1)
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