『新造人間キャシャーン』 第9話~第10話 今回は富野演出なしでした 

[2008/01/31] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 『新造人間キャシャーン』第9話「戦火に響け協奏曲」、第10話「死の砂漠に命をかけろ」を、いつものとおりGyaOで視聴。実のところ、毎週かなり楽しみに次の更新を待っている作品だったりします。1973年の作品って、今から35年も前になるんですねー。(遠い目・・・。)

新造人間キャシャーン VOL.3

 ぶっちゃけ暗くて重いストーリーばかりのこの作品、富野さんが演出をしている回が非常に多いのですが、今回の2話はそうではなくて。ただ、違う回を見たほうが、かえって富野演出のリズムというようなものがあるのに気づかされると言うか。ストーリー展開のテンポや抑揚。脚本に描かれた登場人物の振る舞いは変えられないんだけど、その心情の奥底のようなところまでへの踏み込み。・・・まあ信者のたわごと(笑)かもしれませんけど、今回の2話は見せ方としては少し一本調子かな、と感じたのは本当の話です。

 9話はアンドロ軍団の攻撃が迫る街で、命がけで演奏会を開く音楽家たちを、キャシャーンが捨て身で護るというエピソードです。とっておきの必殺技「超破壊光線」がお披露目になるんですけど、「んー、そうか、ここではじめて使うか~?」と少し思ってしまいました。(笑)
 クラッシック音楽に乗せて絶望的な戦闘に立ち向かうキャシャーンの姿は、とても感動的なのですがねー。何だろう?音楽家たちのたとえここで死ぬことになろうとも、っていう心情の描かれ方がまともすぎて、富野さんなら“そんなの矛盾しているけどそれでも・・・”というあたりをもっとくどく描き出してくれたんじゃないかな、と思ってみたり。(今まで分かってなかったのかよって話ですが、)監督がいて、脚本があって、その上での“演出”というものが、「ああ、そういうことか」と少し分かったような気がしたのでメモしておきます。
 シナリオ的には感動的で、また、映像にかぶせる音楽の使い方も印象的な回で、たぶん傑作エピソードのほうに数えられるのかもしれませんけど、富野アニメに鍛えられてか私のツボは、キャラクターたちの芝居の深さの部分にだいぶ偏っているのかもしれません。(苦笑)

 10話では、ブライキングボスに抗戦する各国国防軍の、重要な兵站地点である油田を巡る砂漠の攻防戦。砂嵐+磁気嵐という設定で、フレンダーやキャシャーンまで含めたロボットたちが四苦八苦しており、まったく渋い話だなぁと感心します。油田をアンドロ軍団から護るための秘策を開発した博士を、砂漠の真ん中の油田まで連れて行くのですけど、この博士、顔を見たときは絶対途中で裏切るやつだと思ったんですけど、実はすごくいい博士でした。(笑)

 1970年代前半の作品である『キャシャーン』は、当時“アニメ”という言い方もまだなくて“テレビまんが”だったわけですけど、こうして見ると、一話完結ながらも『ガッチャマン』よりもまじめに“リアリティ”のあるストーリーをやろうとしていたのかなぁと思います。ただ、(等身大ロボットでもありますし)どうも痛快なところがなかなかなくて、今ひとつ人気がブレークしなかったのもそんなことでもあるんだろうかと思いながら、しかし個人的には実に楽しく見続けております。

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「ロボットアニメの氷河期」の話とゲームの影響などなど 

[2008/01/30] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(8) | TOP ▲

 いったん考え始めるとしばらく止まらない「ロボットアニメ」話シリーズ。(ぉぃ

 誰にも指摘されなくても、率先して自分でツッコミを入れるという芸風というわけではないですが、昨日「ロボットアニメの氷河期」という言葉をうかつに書いてしまいました。ネットではわりとよく聞く言葉のような気がしていたんですが、はて?また怪しいことを書いているような気がしてきまして、ググってみても、言及例は多いような少ないような。
 アニメブーム全体が80年代後半からは下火になっていく状況というのがあるようでもあり。また私自身がアニメから遠ざかっていく時期とも重なっているので、自分の体感した内容で思い込んでいる可能性もあり。

 個人的に思い出せる名前だけで書きますが、『マジンガーZ』、『ゲッターロボ』などが生まれた'70年代前半あたりから巨大ロボットの波が来て、『ライディーン』、『コンバトラーV』などの'70年代後半あたりからロボットアニメの黄金期は来てるような印象はあります。(『ヤマト』でアニメブームに火が付いたのもこの頃。)'70年代末の『ガンダム』で炎が燃え上がって、『イデオン』、『マクロス』、このへんの'80年代前半がたぶん最盛期でしょうね。
 『Zガンダム』、『レイズナー』という'80年代中盤あたりを最後の輝きにして、'80年代末の『逆襲のシャア』や『パトレイバー』は、もう世間的なブームではなかったんじゃないかと。('80年代中盤からクローズアップされてくるのが宮崎アニメですね。そして『北斗の拳』やら『ドラゴンボール』やら。『聖闘士星矢』ってのもありましたね。)
 ロボットものがマニア向けになっていったという状況は、ガンダムシリーズでも『0080』や『0083』などのOVAというメディアの登場も象徴的な気がします。
 そういう感じで言うと、'90年代前半の『Vガンダム』などの時代は、ロボットアニメ的にはかなり冷え切っていた氷河期と言えるんでしょうか。『セーラームーン』とかの時代ですよねぇ。ロボットものでは『勇者』シリーズとかが頑張っていたようですが、私は見たことがないんでなんとも。
 '90年代中盤に『エヴァンゲリオン』が来て、深夜アニメとかの関係もあって(萌え系を含めて)アニメの製作本数はすごいことになるんですけど、その中でロボットものもぽつぽつと息を吹き返してきて、今日に至っている感じでしょうか。(ロボットアニメ以外では『ポケモン』あたりがポイント?)

 そうすると'80年代終盤から'90年代前半ぐらいが「氷河期」なのかと、個人的には感じますが、また思い込みかもしれません。ガンダムシリーズでも『SDガンダム』のほうが人気(?)があると言われたりもしたことがあるようですね。あるいは、というよりも、'80年代前半があまりにロボットアニメの乱立期だったという気もしなくもないですが。(そういえば、あの『タイムボカン』シリーズにも巨大ロボットが出てきていたなぁと。)

 『聖闘士星矢』とか『セーラームーン』とか分かりやすいんですけど、やっぱりスポンサーが玩具を売りやすいものに比して、特に“リアルロボット”系などと言われるジャンルは分が悪いですね。一方では宮崎アニメなんかもあるわけで。また、『ポケモン』なんかはゲーム発だったりもするし。
 ただ、TVゲームのメディアも昔に比べるとすごく進歩しましたね。私は近ごろではあまりゲームを嗜まないので詳しくないですが、元祖の“ファミコン”で昔、『スーパーロボット大戦』をやったことはあります。(笑)
 思うに、ゲーム的なパラメータの考え方に、“ロボット”というのは馴染みやすいのではないかと。それでいて、「ロボットアニメ」のロボットたちは、同時に“キャラクター”としての固有性も確立されていますし。正直それだけでは、ただ有名どころのロボットがゲームのコマとして利用されているだけのような気がして(「熱血」とか「愛」とか「友情」とかを、数値化すんなよ! 笑)一方では寒々しい思いもありました。しかしゲーム機の進歩はその表現力をずっと豊かなものにして、断片に過ぎないにせよ、ロボットアニメの持っていた物語の魅力の一端を見せてくれるようにもなってきたようです。(比較的知名度の低い作品でも参入して、ゲームで作品に興味を持ったなんて人も少なくないらしい状況なんかを見ていると、そういう効果もあるんだろうなぁと。)

 そうは言っても私はアニメ自体を見るほうが、ずっと楽しいんですけど。(笑)
 作品そのもののファンにとって、イメージに合わない関連商品にぶつぶつ言いたくなる気持ちっていうのは、これはもう昔からあると思うんです。たとえばクローバーの作ったガンダムの玩具なんて、やっぱり出来がイマイチだったと思いますから。それを考えるとバンダイが(特に『Zガンダム』以降かと思いますが、)ガンプラを作り、少しずつでも質を高めてきているのなんかは評価すべきなのでしょうね。私なんかは安いガンコレとかしか買わないアレなんですけど、これだって手ごろな値段でつい「買おうか」と思うものが売られていることは、考えてみるとすごいことです。
 あるいはゲーム展開なんかでもそうですし、私はパチンコやらないので分かりませんけど、『アクエリオン』なんかでも文句を言う人もいれば、喜んでパチンコを打ってる人もいるようですから、一概に否定するのも違うのかもしれません。
 ただ、だからガタガタ文句を言わずに買えというのも、これは違うかも。「イメージに合わない」というのは、これは立派に消費者としての要望なんで。希望をメーカーに聞こえるように口コミで広めるというのも、これはメーカーのほうが作品の人気に胡坐をかかずに、よりユーザーの満足度の高い商品を作ろうという意欲を高めてもらうためにはいいことなんじゃないかと思います。

ロボットアニメとスポンサーと漫画原作のことなど 

[2008/01/29] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(7) | TOP ▲

 “みんな「スーパーロボット」が好きなのかもしれない。”という先の記事では、思いがけずコメント欄で、ロボットアニメとスポンサーの関係についての話題が盛り上がり、どうも“アニメビジネス”のようなお話はニガテだなーと近ごろ(ようやく)自覚してまいりました管理人といたしましては、少し当惑しているというところです。
 人それぞれアニメを見るにしても嗜好というのはあると思うのですが、私などは作画の良し悪しもあまり分からぬ、ぬる~いアニメファンですので、いかにも低予算で作られたアニメであっても、それはそれで、どうやら話さえ面白ければ楽しめてしまうほうであるようです。
 いったんそうと思いさだめてしまうと、「自分の好きなタイプの作品が全くなくなってしまうかも」というような事態でもない限りは、アニメビジネスについての関心は野次馬根性だけになっちゃうんですね。その業界の関係者でもなんでもない、一観客の立場でこういう話題にどう加わらせていただくか、ちょっと首をひねりながら書かせてもらいます。あまり詳しくもありませんし、あれこれと誤解しているところ偏見を持っているところ、たぶんいろいろあると思いますので、どうかお手柔らかにお願いします。(笑)

 同じ出来事でも立場を変えて見てくると、違った受け止め方をしていることも少なくなくて、関係者の語る言葉でも、いろいろ食い違いもあるんじゃないかと感じています。苦手な話と言いましたけど、そんな中でいろんな考え方を聞かせてもらって、自分の立場からは見えていなかったこと、自分の誤解していたこと偏見を持っていたこと、そういうものに気付かせてもらえるきっかけになればと思っています。
 話が難しくなってると感じてきてるのは、もしや私だけかもしれないんですけど(笑)、ここは管理人のレベルに話を合わせていただければということで。

 たとえば、そもそも元祖ロボットアニメの『鉄腕アトム』からして、キャラクタービジネスのような部分を含めなければ、制作費は回収できなかったという話もありました。そういうわけで、「漫画」と「アニメ」は同じロボットものであっても立ち位置は違うかもしれませんね。
 前回、世の中の皆さんは、意外に「スーパーロボット」っぽい荒唐無稽なものが好きなんじゃないかという思いつき話をしたんですけど、今日は本当はその続きの思いつき話を書こうかと思ってたんです。つまり、「スーパーロボット」の後に「リアルロボット」も少しは流行ったけど、それよりも、ただ「スーパー」なものが流行ったのかなぁというようなことですね。
 あまり得手な分野じゃないので時系列も曖昧ですけど、具体的には『北斗の拳』とか、『ドラゴンボール』とか。“あー、ロボットじゃなくてもいいんだ”ってふっと思ったときに、人々の「科学」への信仰もかなり色あせたということかな、ということを一つ思いました。
 もう一つは、これらが「漫画」原作ということの意味です。(私の偏見かもしれないですが)「ロボットアニメ」がアニメに占める地保に比べて、「ロボット漫画」みたいなものって、(特に巨大ロボットものは)印象が薄いような気がして、巨大ロボットが縦横無尽に暴れまわるためのメディアとしては、アニメは漫画より一定の適性があるのかな、というようなことです。

 すみません。話を戻しますけど、ロボットアニメの黄金期(乱立期?)っていうのは、「漫画」から「アニメ」がひとり立ちしようとしていた時期と重なっている気もして、それは漫画に対して一定のアドバンテージがある分野だったりもするのかな、と。・・・けれど、ある一つの作品が世に出るまでに要する最低限のコストを考えると、逆に漫画に比べてアニメは著しく不利だったりもしますよね。
 そこで、どうしてもスポンサーというものが必要なわけですよねー。
 「オリジナル」ということへのこだわりには、そんな要素も考えてもいいのかな、と思いましたが、これなども「ジャンルそのものをその製作に携わっている人たちが知らず知らずのうちに規定している何か」の一つとは言えないでしょうか。
 たぶん、そうしたものは考えていくと、いくつもあるんじゃないかと思います。こういう話題では、そういうさまざまな何かをいろいろと読み合わせることに、私は意味を感じます。

 たぶん制作スタッフの愚痴交じりの談話をよく目にするせいなのか、私も含めて、ロボットアニメのファンは、玩具メーカーのスポンサーを仇敵か何かのように感じてしまっていたり、そういう言い方をしてしまったりするのは、たしかにおかしなことなのかもしれません。
 彼らが資金を提供してくれたからこそ、私たちが作品を目にすることが出来たのは、もちろんです。それだけではなく、彼らにだって子どもたちに夢を与える良い玩具を作りたいという志があったとすれば、そのために彼らが「売れてほしいロボット玩具がある。そのためにはどんな物語がよいか」と考えることはむしろ玩具の作り手として純粋なあり方ですね。なるほど。
 もちろん映像の作り手の側には、それだけではなく違う志も同時にあって、同床異夢と言わねばならない齟齬がいくつもあったことも事実なんだろうと思いますが、結果として良い作品が残っているのであれば、両者の(いわば同志的な)コラボレーションがあったということは、もう少し肯定的に捉えてあげるべきなのかもしれません。はい。(同様に、サンライズの社長さんたちにも感謝。)
 それにしても「制約の多い中で作られた作品」が、その制約を突き崩すダイナミクスが面白いというのは観衆の立場から全くそうだと思うんですが、作り手の皆さんにすれば、やっぱり大変なことなんでしょうねー。(笑)

 事実関係の受け止め方の違いは、最初のほうでも書いたように確認できることは確認するにしても限界はありますし。それよりもコメントの中で提供いただいた話題のいくつか。それぞれで個々に一つ記事を書くべきような、示唆に富んだ見解に、今夜ここではとても触れ切れません。

 「実際に画面で目にする作品だけが全てだよ」とか言うとカッコよさげに聞こえるわけですが、実際は誰も全くの白紙で作品に向かうことなどは出来なくて、人それぞれに諸々の経験と思考様式を抱えながらしか、作品は見れないなーと、つくづく感じます。偏った経験から、多くの人とは違った見え方しか出来なくて、ひんしゅくを買ってしまうことが私は多いんですが、それもまたいい体験であります。知らなかった歴史を教わったり、また、それぞれの方の受け止め方の微妙なニュアンスの違いからも、多くのことを学ばせていただいております。
 そんな感じで。ときどき変なことを言っちゃってるかもしれませんが、どうか寛容に願わしゅう。(笑)

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『新造人間キャシャーン』 第7話~第8話 「俺は・・・ちきしょう・・・泣けてくる・・・。」 

[2008/01/28] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 第7話「英雄キケロへの誓い」、第8話「野獣ロボが吠える」をGyaOで視聴。先週の第6話に引き続き、第7話が「演出:富野喜幸」回でした。
 このところ“ロボット”談義に花を咲かせてきたところ(笑)なんですけど、人間を支配しようとする狂ったロボット軍団との闘いを描いたこの作品は、古典SF的なストーリーと言っていいでしょうね。キャシャーンは改造人間ならぬ新造人間で、サイボーグというよりロボットです。人の心を持つがゆえの哀しみのようなテーマは、どちらかと言えばアニメより特撮のほうで継承されていく気がするのは、どうせ等身大なら人間の役者に演技させるほうが楽だからでしょうかね。

〈ANIMEX 1200シリーズ〉(26) テレビオリジナルBGMコレクション 新造人間キャシャーン

 第7話に出てくる“ダイヤロボット”は、両腕がブーメランになるカッターで、特殊加工されたダイヤが付いていることで、あのフレンダーにもダメージを与えちゃう強敵。けっこうゲテモノ系の変なデザインです。富野さんのラフデザインかどうかは分かりませんけど、のちの“アッグガイ”とか、“ザクレロ”とか、あんな感じに近いですね。(まあ強くても、たぶんゲストメカですが。)
 これを量産しようというブライキングボスが、ダイヤの原石(!)で出来た“英雄キケロ”の彫像を狙ってある村を襲うというお話で、キャシャーンが、かつて村を護った伝説の英雄の再来になるというストーリー。
 第8話のほうはキャシャーンが連れているロボット犬フレンダーに対抗して、ブライキングボスがヒョウ型ロボット“ワルガーダー”を作る話。このロボット用に特殊鋼を開発し、その鉱山を巡って国防軍を交えて大抗争。特殊鋼を開発した博士の娘に「父の命が惜しければルナが持っているMF銃を奪って来い」とブライキングボスが命じるのでありました。

 『キャシャーン』っていうのは、とにかくこういう重たい話が多いのですが。両方を見比べていると、富野演出回のほうは、意外になんでもない戦いのシーンの中でちょびっとコミカルな(砲兵ロボの首を吹っ飛ばすと、後列の同型ロボの首に挿げ換わり、そのまま砲撃する、みたいな)描写が目に付いたりします。もちろん人間のどろどろした面も容赦なく描いてますが、重いばかりでなくメリハリが効いてるという感じでしょうか。

 「ヤツは人間じゃない、ロボットだ!」と村人に責められてうろたえるキャシャーンとか。あと、子どもがくれたリンゴを(一見では自然に、よく見ると不自然に)食べてみせるシーンなどは芸が細かいのかなと思いました。
 戦い終えたキャシャーンを突然エネルギー切れが襲って、以前の描写からすると整合性がなかったりするんですが、物語の演出上、そこでキャシャーンが倒れないとラストシーンが盛り上がらないんですね。そしてルナに肩を借りながら村を去り行くキャシャーンの後姿を、村人たちが手を合わせて見送っているのに気付くキャシャーン。「俺は・・・ちきしょう・・・泣けてくる・・・。」
 新造人間のはずのキャシャーンが涙を流していいのかってところなんですが、だけどいい表情なんだな、これが。朝日に向かって、でもうつむきながら去っていくキャシャーンたちの後姿に、新造人間だということを隠さねばならない孤独な宿命・・・というナレーション(by納屋悟朗)がかぶさって。

 (驚くほど肉弾戦にこだわった描写の)キャシャーンの戦いぶりを見たら、生身の人間じゃないって誰でもわかるだろうっていうのは、この作品の弱点(笑)なんですけど、第8話のほうではその秘密を知ってしまった少女を結果的にキャシャーンが見殺しにしちゃってるようなところがあって、一瞬「うわっ!」って思います。一話完結のストーリーが連なっているとはいえ、細かい演出が、かなり難しい作品なのではないかと思うのでありました。

みんな「スーパーロボット」が好きなのかもしれない。 

[2008/01/27] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(17) | TOP ▲

 このへんのことを考えはじめると、まるでブレーキが利かなくなってくるので、そろそろ誰か止めて!(ぉぃ

 いちおう、何回か書いてきたロボットアニメ話の余話の余波ってことで思い付きをメモだけしておきます。

 近ごろ大人気らしい『創聖のアクエリオン』あたりを見た感想を思い出して、(まださわりしか見ていないけど、)もちろんパチンコの大宣伝の威力とか、そういうのはあれとしても。

創聖のアクエリオン DX超合金 創聖合体アクエリオン 創聖のアクエリオン Vol.1

 最近ではあまり見ないぐらい、古きよき(?)「スーパーロボット」のノリ満点(何て言ったって「無限パンチ」ですからねぇ~)のこれが、もしかしたらアニメファンの枠を超えた人気を博すかもしれないってことは、けっこうみんな、「スーパーロボット」大好きなんだなぁー、って思ったんです。

 これを逆に言うと、「リアルロボット」ふうの一見合理的な設定説明を嗜好しているのなんて、もしかするとアニメファンの中でもごく限られた、マニアックな「ロボットアニメ」フリークに限定される話なのかもね、という。・・・どうということもないけど、私なんかはうっかり失念しそうな話なので、思いついたときに書き留めておきます。

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