35万ヒットありがとうございます 

[2007/11/30] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 このブログに設置しておりますカウンターのアクセス数が、35万ヒットを超えました。皆様いつも本当にありがとうございます。30万ヒットのご報告から31万ヒットまでがやけに早かったものですから、「今度からは5万刻みで、つまり次は35万ヒットで報告するように改めようかな」などと調子ぶっこいておりましたら(笑)、案の定、調子が良かったのは9月だけで、10月、11月と順調に下降線を辿ってしまいました。

アクセス数推移 9/5~11/28

 そうは言っても、こんな個人的アニメ感想中心のブログで、(はじめたのが2005年8月ですから)2年ちょいの間にこれほどに大勢の人に見てもらっているほうがそもそも不思議なのです。駄文ではあっても、せっかく公開で書いているおかげで、いろんな方と交流をいただけているのは本当に嬉しいですね。いつもいろいろ教えていただいていて、感謝感激です。

 この三ヶ月ほどの主な内容としては、

 まあ本当に、本能の赴くままに、好き勝手な話ばかりしていてすみません。
 たまにしかアクセス解析とか見ないんですけど、ちょっと反省して、こういう機会に少し見てみますと、おいでいただいている方は、半数以上が検索エンジンからいらっしゃってまして、このところの傾向で言うと、「tag: コードギアス」とか、「tag: ターンエーガンダム」とか、こんなページのアクセスが上位に来るのは、そういう影響なのでしょう。
 上位キーワードも面白いです。

  1. オルファン
  2. ダンバイン 最終回
  3. ブレンパワード
  4. 逆襲のシャア
  5. ブルーノア (!?)

 「オルファン」で来てくれた人は、サイトの滞在時間も長いし直帰率も低いのです。やっぱり『ブレンパワード』は私にとって格別です!(しかし相変わらず『ブルーノア』の需要があるのは、なかなかビックリしますね。 笑)

 アクセス数の多い記事には、アニメビジネス関連の話題が多いんですけど、正直、よく分からないままでネットで見聞きしたいろんな情報に振り回されながら書いてしまった部分も大きいような気もしていて、ちょっと悔いを残しているところでもあったりします。

 ブログの表示が重過ぎる問題は、あまり改善できておりませんで、リソースの貧弱なパソコンから見たときに、「スクリプト重すぎ」警告が出るのも対処法が思いつかないままです。
 ダウンロード時間測定の分析を見ると、トップページの合計ページサイズは30万バイトぐらいなのですが、HTMLのサイズは9万5千バイトぐらいなのに、「はてなスター」のスクリプトが8万3千バイトにも及んでいて、「あひゃぁ~」なんですよね。うちなんかほとんど☆付いていないのになぁ。はてな村の外だからなんでしょうかね~。これ、面白いんだけどなぁ。
 何かご覧になっておられて、不都合な点とかお気づきの点がありましたら、遠慮なくご教示いただければ幸いです。それと、私はアニメを見るのともしかしたら同じぐらいに、アニメの話をあれこれと(“論争”は好きではないですが、)お話しするのが楽しくてブログをやってるようなもんですので、コメントをいただけるととっても嬉しいです。と言いながら、あまりマメにレスを書いていなかったりしますが、1週間後ぐらいの記事の中でそれに関連する話をチラとしてみたり、とにかく何かと消化するのに時間がかかるノロマさんですので、気長に気長に(笑)、これからもお付き合いをいただけましたら幸いです。

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『火の鳥』復活編・異形編 

[2007/11/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 今日は珍しく「これを観たい」という作品が決まっていてレンタル屋さんへ行ったんですが、こういう日に限って、それはレンタル中。こうなると、流浪の民でありまして、あれでもないこれでもないと、さんざん悩んだ挙句に借りてきたのが、なぜかこの一本になってしまいました。

火の鳥 復活編・異形編火の鳥 復活編・異形編
(2006/07/28)
竹下景子、松本保典 他

商品詳細を見る

 手塚治虫の原作マンガ『火の鳥』は、あの『地球へ・・・』と同時期に『マンガ少年』に連載されていて、大判の単行本で何度も何度も読んだ作品でした。手塚治虫という漫画家が、私は好きなのかどうか、これは昔からよく分からないなぁと思っている対象だったりするのですが、『火の鳥』は別格で、絵がどうであっても、このストーリーにはどうしようもなく引き付けられるものを感じていました。

 今回観たアニメ版は、2004年にNHKで放送されたもので、監督は高橋良輔さん。本当は、『黎明編』全4話が先にあって、次がこの『復活編』、『異形編』だったんですけど、『黎明編』はマンガの記憶が強すぎたのと、『異形編』は物語を知らなかったので、全部観るかどうかはとりあえず保留という感じで、これを借りてきて観てみることにしました。

 『復活編』は、よく覚えているストーリーだったんですが。まあ、とにかくひどく肩が凝りました。肩に力が入ったと言いますか。そういうストーリーなんで、どうもこうもないんですが(笑)。
 『異形編』のほうは、そういう意味では、抵抗なく観ることができて、かなり楽しかったですし、オチが分かっているのは不幸なことなのかなぁと。ただ、原作マンガは何度でも何度でも繰り返し読んで飽きなかったという記憶もあり。
 考えてみれば『復活編』は、そもそも原作のときからして、このキャラクターがあまり好きではなかったと、見ながら思い出しているような感じで。もう一度見直せば、ちょっとミステリー仕立てふうの組み立ては、決して悪い狙いではありません。それでも、『異形編』も最後に物語の構図が明らかになる構造ですが、個人的に私が話の先行きが分かっていなかったことをのぞいても、こちらのほうが上出来なのではないかと感じられました。

 と言いつつ。マンガ原作とアニメの関係、そのすわりの悪さのようなことも考えたりしていましたが、物語を追う中で、何かそんなことはよく分からなくなっちゃいました。高橋監督で、今のアニメの技術だったら、もっとまとまり良くやれそうな気もしたんですけど、特に『復活編』のほうは、この“割り切れない感じ”そのものが原作の持ち味だったりもしますしね。(うぐぐぐぐ・・・。)

 原作マンガの絵の雰囲気は、「Tezuka Osamu@world」の中で見ることができます。

→ 「復活編」 (場面カット
→ 「異形編」 (場面カット

 それと、各話の予告編を「NHKアニメワールド」内で見ることができますので、よかったら絵の雰囲気の違いを見てみてください。

 ああ、そうか。良輔監督は時代劇好きなんでしたね! 『異形編』が魅力的なのは、そこもポイントなのかもしれません。あと、男装の麗人の入浴シーンは、NHKだけあって控えめ表現なんですが、そこがまた何とも良い!(笑)

 しかし、この作品はいったいどういう視聴層を想定して作られたものなのでしょう。子ども向きでもなければ、アニメオタク向けとも言えないような。NHKならではの作品だったのかもしれませんね。『火の鳥』という名作マンガそのものが、壮大な実験性を持っていたということもありますが、この作品も“虫プロ的アニメ”の現在形を示す実験作だったのかもしれません。
 で、どうも私は純粋虫プロ系ではなく、かといって東映動画系でもなく、あえて言うとタツノコ系のアニメが、なぜか一番体質に合っているのかもしれません。あくまで個人的な趣味の話ですが。

安彦さんと富野さん、そして『機動戦士ガンダム』 

[2007/11/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 今日は代休をもらったので、床屋へ行こうかとか、そろそろ冬タイヤに替えようかとか、いろいろ思っていたはずだったんですけど、結局うだうだと一日ネットを巡回してしまいました。

 その中で、グダちんさん安彦さんの対談を聞きに行かれたメモなんかを読み返してみて、面白かったところを少し文字起こししてみたりしました。

  • ガンダムとマクロス以後の違い/雑念や混じりけがなくなっていく/1stガンダムは雑念があった
  • 今は分業が当たり前で、緻密な背景がある。しかしそうでないといけないというわけではない。空気感があればよい←→書き込まないと読者は分からないんじゃないかという強迫観念
  • 富野とはパーティで挨拶するが、ちゃんと会うのは7年前のオリジンのとき以来。「書きますよ」「うん、俺も読みたい」そんくらい。
  • やっぱりSEEDとか、美形っていうのは変化を付けにくいんですよ。だから今のシリーズでは美形ぞろいだから変化できないんじゃないかな。

 最初のは、グダちんさんが“人種の描き分け”のようなことを質問されたら、回答がずれた方向へ行ったそうなんですけど、傍目にはこれも面白いです。

マクロスは食わず嫌いで見てないそうだが、マクロスはおたくが描きたいモノを描いているだけで、自分たちのようにアニメ界を変えてやろうとか、社会に一泡吹かせてやろうという「雑念」がなく、ただただ欲望をピュアに造るようになったと思う。
というお話。

・・・っていうような部分は、個人的に最近、『愛・おぼえていますか』を見たりして感じたこととも重なって、すごくなるほどと。
 最近、『ヤマト』でも安彦さんがコンテや原画を描いていたんだよなぁと改めて意識したりして、たぶんもう少し若い世代の人にとっては(アニメーターとしての)庵野さん的な絵が重要だったりするように、自分にとっては安彦さんの絵というのは原体験的に刷り込まれている部分があって、その安彦さんがアニメ業界を離れていったことというのは、ものすごく重い出来事だと再認識し始めているところだったりします。

 もう一つ。とぼふさんが、何気なく5年ほど前の文章を引用しながら、さらっと現在のアニメの「バラエティ番組化」について書かれた文章を読んで。引用もとの文章(「映画的」ということ)も、とぼふさんが昔に書かれた文章なんですけど、これが読み応え満点なので、超オススメ!すばらしい。
 それで、長浜忠夫、出崎統、高畑勲、宮崎駿、富野由悠季、押井守、細田守、庵野秀明、といったアニメ作家たちの流れを簡潔にまとめた内容はいちいちうなづけるもの(必読!)ですが、安彦さんの話の流れで、富野さんと安彦さんの関係に触れた部分をここでは引用します。

『ガンダム』が成功したのは「安彦良和」という優れたアニメーターがいたからです。これはちょうど高畑氏と宮崎氏との関係と似ています。
ですが、安彦氏も「絵描き」でありながら演出家指向が強く、富野氏とのコンビは『ファーストガンダム』以降続きませんでした(『機動戦士Zガンダム』(1985~86)や『機動戦士ガンダムF91』(1991)では安彦氏はキャラデザインのみで作画には参加していません)。
そのことが決定的だったかどうかはわかりませんが、実写でいうところの優れた「カメラマン」を パートナーに出来なかったという事実が、富野氏を独自の方向へと向かわせます。
それは「絵コンテ」ですべてをコントロールしてしまおう、という傾向です。

 あー、すごい。「ちょうど高畑氏と宮崎氏との関係」とか、すごくなるほど。

元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと言われ、安彦良和によれば「画を描く手間を考えない『真面目にやっているのか?』というコンテ」、湖川友謙は「動かす意欲を刺激する良いコンテ」と、良くも悪くも平均点でないコンテを描いていたようだ(現在でも癖の強さは変わっていない)。安彦の回想では、画面の奥の方で関係のないキャラクターの芝居が入っているなど、処理に困るシーンがあると現場で適当にカットしていたそうである。それでも特に文句を言ってこないため「軽い演出家」との印象を持っていたが、ガンダム製作時に膨大な設定を持ち込むのをみて考えを改めたという。

 Wikipediaの富野由悠季の内容は、なんか論争が絶えなくて始終内容が書き換わってますが(笑)。
 富野さんの絵コンテ志向については、私は“虫プロ”というその出自よりも、“タツノコ”系との親和性とか印象を持っています。「画面の奥の方で関係のないキャラクターの芝居が入っている」みたいなところに、先の話で言うところの「雑念」がこもっていたりもするような気がするんですけどね。

確かにこの作品、誰が見ても文句のない傑作だし、良くできた作品でもある。また、その後の日本映画に与えた影響を考えるととてつもない功績を持つ作品でもある。しかし、同時に大きな「罪」も残してしまったんではないだろうか? 「罪」とはあまりにも出来が良すぎたことである。そしてあまりに出来が良すぎたためにその後の怪獣映画や特撮映画にも大きな影響を与えてしまい、その表現や内容の可能性を狭めてしまったんじゃないかと思う。

 これは実は『ゴジラ』(1954年の最初のゴジラ)について書かれた文章なんですけど、ここでいう“映画”なり“怪獣映画”という言葉を、仮に“アニメ”や“ロボットアニメ”に置き換えてみると、『機動戦士ガンダム』という作品にもよく当てはまる部分があるような気がします。
 「『ガンダム』が成功したのは「安彦良和」という優れたアニメーターがいたからです」というのは、たぶん真実だと思うんで。アニメーターとしての安彦さんの挫折というのは、(挫折といったら怒られるかもしれないけど、)重要なターニングポイントなんでしょうね。

 とぼふさんの“「映画的」ということ”は、「物語性」と「演劇性」について述べて終章としていますが、“その二つを組み合わせて「作品」を作るということはとても難しいこと”と述べられた内容(特に「演劇性」の部分)を富野さんはその後もたゆまずやり続けているのではないかと思うのですね。・・・ますます日本のアニメが「バラエティ番組化」する中で、『ガンダム』のようなタイミングに恵まれることもなく、そうした富野監督の試みは時代に受けるものにはなりにくいわけですが、それでも私はやっぱり好きだなぁ。
 たかがサブカル。社会に受けてナンボという事実は厳然としてあるのですが、“アニメ界を変えてやろうとか、社会に一泡吹かせてやろうという「雑念」”を、安彦さんや富野さんが共有できなくなってしまったというのは、それはやっぱり残念なことだと思われてなりません。

科学忍者隊ガッチャマン 第81話~第85話 「ギャラクター島の決斗」は必見! 

[2007/11/27] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 コンドルのジョーの物語が本格的に語られ始めると、ガッチャマンもいよいよ終盤を迎えつつあるなぁと感無量です。今回の5話では、科学忍者隊の秘密基地“三日月サンゴ礁”がついに発見されてしまい、ギャラクターの攻撃を受ける第82話も重要なんですが、何と言っても第81話『ギャラクター島の決斗』がシリーズ屈指の傑作エピソード!これぞ感動ものです。

科学忍者隊ガッチャマン VOL.21 [DVD]
  1. ギャラクター島の決斗
  2. 三日月サンゴ礁を狙え!
  3. 炎の決死圏
  4. クモの巣鉄獣スモッグファイバー
  5. G-4号はあいつだ

 両親がギャラクター隊員だった記憶が第78話「死斗!海底1万メートル」でよみがえったジョーは、両親の命日の墓参りに、10年ぶりで故郷の島を訪れます。その島はギャラクターに裏で支配されており、怪しい墓参者の情報に敏感に反応して、その正体を探るベルクカッツェ。ジョーに群がり寄るギャラクターの襲撃。幼馴染のアラン神父は彼をかくまい、“復讐”はやめるようにジョーを諭します。変身せず、生身のままで群がり寄るギャラクターと闘い続けるジョーの鬼気迫るアクションがすごいです。
 アラン(声は富山敬)との会話の中で、アランの婚約者が抜けたくても抜けられずにギャラクター隊員だったこと、その最後の仕事で“コンドルのジョー”に殺されたことを聞き、驚くジョー。(これ、70話のエピソードかと思ったら、違いますね。なんと、31話の伏線をここで回収してるんですよ!)ギャラクターだけではなく、科学忍者隊も憎い、と語るアラン。
 教会の礼拝堂で、ついに力尽き倒れるジョーの窮地を、駆けつけた忍者隊の仲間たちが救いますが。(この回、メカ戦はおろか、バードスタイルでの活躍さえ、このわずか40秒ほどです!)そこへ銃を持って入ってきて、俺の婚約者を殺した「コンドルのジョーと呼ばれるものは誰だ」と銃を向けるアラン。「コンドルのジョーは俺だ」と嘘を言うケン。「やめろアラン!」・・・殺気の走る一瞬が去り、倒れたのはアラン。ケンを庇ってジョーの放った銃弾によるものでした。

「バ、バカな!たった一発残しておいた弾を、なぜ、なぜ、お前にぶち込まなきゃならねえんだぁ!」
「ジョー、この神父さんはお前をコンドルのジョーだと知ってたようだぜ。・・・この銃には、弾は入ってない。」
「!・・・バ、バカ野郎!お前が死んで何になる!お前はこの島には必要な人間なんだ。俺とは違うんだ!自分の・・・自分の生命を捨ててまで、俺に復讐を忘れろと言いたかったのかぁ!!」

ギャラクター島の決斗

 クライマックスは、このレイアウトです。でき過ぎです。佐々木功さんの力演もすごいです。“正義”の名の元の戦いは全て正しいのか、重く重く問いかけちゃってます。

 82話でも以前の伏線が回収されますが、今度は科学忍者隊の大ピンチです。彼らが変身の時に発する特殊な周波数は、76話でギャラクターに解明されてしまっていましたが、忘れたことにされるのかと思いきや(笑)、これを探知する作戦をついにギャラクターが開始。
 加えて、これまでに作った鉄獣メカ群を再製作、ガッチャマンたちをおびき出し、これを尾行して、三日月サンゴ礁に総攻撃をかけるのでした。まるで最終回かというような重大危機で、思い切りハラハラします。“忍者隊”のくせに尾行されているのに気付くのが遅いんだから!(笑)
 大技、“火の鳥・影分身”でまとめて撃退というオチですが、旧メカまとめて登場は、絵の使いまわし効果も少しはあったんでしょうかね。

 息詰まる展開から一転、83話はこの作品にはときどきある“SFらしいSF”の単発エピソード。ギャラクターの攻撃で迫る大地震の危機、科学忍者隊、地底へ!って感じですね。G-4号しか活躍しないし、展開もお決まりな感じで、ここに来てこれは、ちょっと別のところから借りてきて挿入したみたいな印象も。

 南部博士のライバルだった博士が出てくる84話では、南部博士の身辺警護に付いてきた忍者隊の素顔を写真に撮られてしまう・・・というのがエピソードのポイント。歪んでしまった友情であるとか、ところが実は・・・という話のトリックをもう少しうまく処理すれば、面白そうな脚本だったんですが。

 85話も忍者隊が普段暮らしている街を“ユートランド”と総裁Xが特定し、ギャラクターがスパイを送り込んでくるという忍者隊ピンチのストーリー。ヒッピーのオヤジ風のスパイと甚平の間に芽生える人情というのが、話の見どころですが、この作品には珍しく、人物の作画に“妙な味”が出ていたり、ジュンの顔をほぼ真下からあおってみたりして、今で言えば“作画崩壊”かアニメーターの個性的表現なのか、議論が分かれそうな回です。(この回の原画の中には湖川さんもおられますね。アオリはあまりうまくいってない感じでしたが。)
 ギャラクターの情報機関を“GCIA”と呼んでいるのですが、出てきている敵の姿はどう見ても“ブラックバード隊”。この回のG-4号メカは弱すぎでGCIAにいいようにボコられるんですが、せっかく健闘してるのに自爆させられるGCIA、なかなか哀れです(笑)。

 科学忍者隊そのものの抹殺を狙った執拗な攻撃が繰り返されてますが、この後は三日月サンゴ礁を狙った攻撃も一つの山場になってくるんだったと思います。そしてコンドルのジョーの物語。終盤の盛り上がりというのは、もっと一気呵成に続いてきていたような印象があったんですが、合間合間に独立したエピソードを挟みながら進行していたんですね。
 正直、たぶん力の入っている回とそうでない回、かなり出来不出来があるような気もしますが、そのドサクサでアニメーターが実験的なことをやっていたりするのも興味深いところです。

重戦機エルガイム METAL7 佳境近づく・・・ 

[2007/11/26] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 この作品を以前に見たのは、考えてみれば遠い昔で(笑)。それと、その後に小説版(あの全然結末の違うヤツ)を読んだこともあって、混乱は激しく。実は最後の結末がどうなるんだったか、よく分からないで見ている『エルガイム』だったりします。半分初見みたいなものだからこそ面白かったりもするんですが、その反面で、分かりにくいところはまともに分かりにくい、とも感じます。というところで、さて、物語のほうは、かなり目まぐるしい佳境に差し掛かりつつあります。

  1. オリビー・クライシス
  2. エスケープ・ギワザ
  3. ザ・オーメン
  4. フル・フラット
  5. スパイ・イン・スパイ
  6. ヤング・パッション

 クワサン・オリビーを巡る話というのは、どうもこの群像劇の中でおさまりがよくない気がするんですよね。たとえば「オリビーの中のポセイダル!」って、たしかそこまで、まだわかっていなかったはずのダバが、いきなりそう呼びかけてしまうことなどもそうです。

世が乱れれば、悪意が湧き出る。世の中が混乱すれば、悪しき膿が吐き出される。新たな世界を創るために、常に混乱の渦は起こさねばならんのだ。

 オリビーの口を借りて、ポセイダルが語った言葉は重要なんですが、そうしたオリビーの状況は、見ているこっちにはよく飲み込めていないままだから、彼女が何を言ってるのか、思わず聞き逃しそうになってしまったりね。
 だいたいダバ君の危うさのほうに、こちらの意識が行ってしまって。「公私は混同しない」って言ってたくせに、むしろ思い切り「私」のみに専念するほうで、彼は混同を避けているような気が(笑)。
 (・・・なるほどなぁ。回想の中の昔のオリビーは可愛いんですけどねー。)

 オリビー絡み以外では、いいリーダーの頭角をめきめき現し始めているダバ。ガストガル星に隕石の雨を降らせてその隙に首都スヴェートを攻め、ポセイダルを倒そうというスターダスト作戦を発案!でも、それにはパラータスターを使おうって発案したのはアムだったんですね。たしかに意外に彼女もリーダーの資質はあるのかもしれないです。

 ガストガル星では案内役のポセイダルの侍女が美形なんで驚きましたが(笑)、あのネイ・モーハンも可愛い女になってきているので、びっくりします。

「訊きたいことがある。ギワザは、私が実在する独裁者だとは、信じておらぬのか?」
「ポセイダル様が?実在していない?そんなことは考えておりません。」
「では・・・本気なのか・・・。」

 一方で、ポセイダルに見透かされているのを承知でか、ギワザは愛人でもあるネイを犠牲にして、ポセイダルに叛旗を翻す決意を明らかにします。で、その手始めに、なぜか単身でいずこへかと動き始めたギワザの行動をいぶかしんで、ダバも追跡を開始。・・・って、いきなり首脳部がまとめていなくなって、ミズン星の反乱軍は困るだろーに!(汗)
 たしかにダバの反乱軍は、この時点ではギワザの翻意を知らないわけだから、いい嗅覚をしているんだけど、あまりに無茶が過ぎるんでね。後続してきたリィリィの部隊との挟み撃ちで、むざむざと捕らえられちゃうんだなぁ。しかし、ギワザの軍も、ギワザに続いてリィリィまでこっちへ来ちゃって、こいつらの指揮系統はまったくどうなっちょるんだ!(笑)
 “敵の内紛”のようなところは、『Z』や『ZZ』なんかでもなぞり返されるわけですけど、その動機や、反乱を許してしまう状況の描写は、エルガイムのほうが丁寧だった面もありますね。ただここでは主人公をただのパイロットではなく一軍のリーダーにしてしまっている部分で、ダバの軽々しい行動に違和感を感じざるを得ない部分があって、そこは難しいところです。

 ストーリー的には“いわくありげな謎の人”という伏線のままで放ってあったフル・フラットとの同盟が、ギワザの狙いだったわけです。打倒ポセイダルの“脈あり”と、以前に一度会見でほのめかされただけでギワザが自ら乗り込んでくるっていうのには少し首を捻ってたんだけど、急ピッチの同盟成立にはさらにビックリ。寝耳に水でダバもビックリしてますが、極秘のはずの“スターダスト作戦”をフル・フラットが知っているのには、もっとビックリ。

「本当のあなたの狙いは何なんです?」
「お前の仲間が私の名前を騙った。」
「しかし、事実だったと・・・」
「ギワザと反乱軍が供すれば、スヴェートの防衛網を破ることは簡単だ。その上で、反乱軍にお仕置きをしてやる。」
「・・・そういうことか。」
「そして最終的には、ポセイダルを倒し、ギワザを・・・」

 虚々実々の女狐、フル・フラット(これだって真意なんだかどうだか)。ただ彼女の、乗り込んできたアムとの交情には、いい含みがありますよね。芸の細かな、いい芝居です。そうなんですが、一度脱走に成功したダバを再び呼び込んで、いたぶって遊ぶのは確かによく分かんない。“若さ”っていうのがひとつのポイントのようなんですけどね。

 前話のラストで「Next story is Turning Point.」とクレジットされた41話。人を玩ぶポセイダルやフル・フラット、その“大人”への挑戦なのだよ、と。ろくに拘束されていないとはいえ、本当に都合よく何度でも脱走を図るダバなんですけど、前回圧倒的だったフル・フラットが、今回はやけに弱々しくて、むしろダバに生命を救われたり。
 ターナーにもぐりこんだサート・スターのスパイはセムージュの本心を探るのが真の狙いだったわけですが、芸が細かい!「フル・フラット様は何を考えているのか!」って言いたくなる、うんうん。
 そしてフル・フラットのスパイだったことがばれてしまったセムージュを許すダバ。「立ってください、セムージュさん。我々は、大人の方の力が必要なのです。」ってね!おおなんと、“青さ”が売りだったダバ君が、大人との和解です。(ターニングポイントってこのこと?)

サート・スターを後にした俺たちは、メッタへ集結するギワザ艦隊と間合いを詰めながら、反乱軍を集結しつつあった。

 キャオのナレーションも急展開。ギワザの艦隊、ダバの反乱軍に対し、オリビーの近衛軍も集結中。弱みを見せるものかというギワザが、ネイ・モーハンなどは人質ではない、と強がる芝居が、とりあえず芸が細かいです。しかしギワザ軍に加わるものが多いという描写は、ペンタゴナ中でポセイダルの独裁への反感は強いっていうことなんですかね。
 フル・フラットには絶対に「裏がある」という確信から、彼女に執着するダバ。一方、眠らせていたA級ヘビーメタル(?)を動かす準備を始め、何事か「最良のとき」に備えるフル・フラット。
 オリビーの軍にはギワザを見限ったギャブレーが加わってきて、「あれ、こいつは?」と思ったけど、この二人の相性は意外にいいですね(笑)。群像劇として、彼女と積極的に絡むキャラがダバだけではないほうが、オリビーのポジションの座りが良くなります。
 ダバのこだわりが、アムとセムージュを危機に陥らせてしまって次回へ、というところ。カギを握るのはフル・フラットですが、次回はもう一人の謎の人、アマンダラ・カマンダラも登場してきて、いよいよ山場が近づきつつある感じです。

 テレビアニメのクオリティにしては、芸の細かすぎるディティールが多く、また、ここまで各キャラクターのイメージにもシリーズの中でブレがあるんではないかと感じたりもしましたが、いよいよ終盤。物語の“キワ”になりそうな人と人の情も見えてきて、ポイントは“若さ”のようです。・・・いやー、再見のはずが、話を忘れてる忘れてる。続きに期待!