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富野監督の「原理原則」 

[2007/06/30] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 ずいぶん前になりますが、子犬さんこんなことを言っておられました。

富野資料も集りすぎるとある発言のソースがどの媒体だったかわからなくなってくる。確かに聞いた・目にした覚えはあるのだがなんだたっけなぁ・・・ということが往々にしてある。そんなときに思うのがキーワードで検索できる富野レファレンスがあればなぁ・・・ということ。
例えば「原理原則」というキーワードを入れるとそれを含む富野資料がずらっと表示されたりする。

 で、CGIとかじゃないんですけど、FC2マイサーチというおもちゃを与えられたときに、「トミノスキー・エンジン」という怪しげな検索エンジンを作ってみまして、これでweb上にある富野語録を調べられないかと妄想してみたわけです。

 そんなにうまくは行かなかったんですが、いちおうできたものはこれです。タイトルが変なのは「原理原則」+「富野」で検索をかけているためです。

→ 原理原則 富野とは - トミノスキー・エンジン

 でも年代順にしてみたくなるのが定めですよね。(笑)

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地球へ・・・ section11「ナスカの子」まで 

[2007/06/29] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(2) | TOP ▲

 ここ何話か、感想をサボってしまいました。出張だったりとか、体調が悪かったりとか、そういう不安定さもあったんですけど、とにかく何て言うか、感想が言葉にならなかったんですよね。
 このところの何話か、原作を離れてテレビアニメのオリジナルな部分がずいずいと前面に出てきています。原作の記憶も劇場版の記憶も、自分の中で実はすっかり薄れてしまっているなと思いながら、何だか一生懸命“昔はどうだったか、どこがどう違っているのか”思い出そうとしている自分がいて、それはあまりいいことではないなぁと思っているのです。
 「これだけの時代を経て制作される作品なのだから、“新訳”するぐらいの覚悟があってもいいのかもしれないです。見てる側にも作ってる側にも。」と先回書いたとおりです。頭でそう考えているように、自分の感覚のアンテナをうまく調整できないもどかしさがありますね。

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結城信輝 (2007/09/05)
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 まだ今回のテレビアニメ化が決まる前に、昔々の劇場版を回想しながら、「ところであれから四半世紀も過ぎまして(汗)、アニメの技術も飛躍的に向上したと思うんですが、リメイクの多い昨今、この原作をもう一度アニメ化してみたい、なんていう声はどこかから起きたりしませんかね?」ということを書きました。
 そういう風に書いたときに、私が思っていたのは、原作のまんがの絵が持っていた、何とも言えない透明な空気感のようなものを、かつてのアニメの技術では描ききれなかったという感想があって、だからどちらかというと、言わばもっとアートアニメーション的な(少し抽象的な物言いですが)斬新な表現のようなものを期待していたんだと思うのです。
 評価は微妙でしたが、劇場版でのアニメ化に際して、例えばメカデザインに「貝」をモデルにした有機的なデザインを採用してみたりしたのは、原作の絵とはまた違う方向性であっても、“アート”的な画面の方向性を実験してみていたのかな、と考えてみたりします。
 それに対して、今回のテレビアニメ化でのオリジナルな部分というのは、まったく逆で、むしろ原作の表現の“尖った”印象の部分を丸く丸く、穏当にしていく方向性なのかな、と思いながら展開を見守っています。その方向性は、絵的な部分というよりもストーリー面のほうで、より分かりやすい説得力や説明を付与するように働いているようにも、私には感じられます。

 だから、今回のテレビアニメの展開を見ていて思うのは、表現技術の進歩というよりも、視聴者が期待するものがそういう方向性に行っているのだなぁという、時代の変化の再確認だったりするような。
 と、言いつつ。ネットでの評判は、あまりマメに見て回れていないんですけど、原作を知らない世代の皆さんにも、この重厚な大河ドラマ的ストーリーは予想以上に好意的に受け入れられているように感じられて、そこは嬉しいんです。こういうどっしりとした“物語”をちゃんと見て、認めてもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。細かい「て・に・を・は」が違うぐらいで、そのことはそうそう揺らぎはしないと信じています。
 今回生まれたトォニィも含めて、さらに凄い人間模様のドラマがこの先に待っていることを私は知っていますけど、そういうものを若い皆さんにもがっつりと、骨身にしみて味わって欲しいなぁと強く思いますし、私自身もそれをとても楽しみにしています。

 このテレビアニメはあまり長くない話数のシリーズで、これだけのストーリーに対して、あまりだらだらとオリジナル分を付け加えている余裕はないはずなんですけど、そこのぎりぎりの中で作り手たちがやっている感じは、見ていても伝わってきて、決して不快なものではないと私は思っています。
 ただ、何となく私が少し残念に思っているのは、原作まんがはあくまでストーリーの原作として扱われているな、ということで、かつての劇場版では僅かとはいえ感じられた、“まんが”という表現メディアに対して“アニメ”という表現メディアが、いわば挑戦する、勝負を挑む、可能性を探る、そういった部分が、今回のテレビアニメ版からは、あまり感じられない気がする、といったことでしょうか。
 まんがを原作にアニメを制作するということが、非常に日常化されて、絵柄の一部とストーリーの骨格を借りてきて、作品を構成するというシステム化がすっかり出来てしまっているのかな、という思いがあります。

 まあ、本来はそういう余計なことを考えていないで、今、目の前にある作品だけを見て、それを充分に味わえばそれでいいんで、『地球へ・・・』というこの作品、やっぱり面白いと思いますよ。
 このぐらいキャラクターの誰もが優しい印象でマイルドな物語のほうが、より多くの人たちに受け入れられるんでしょうね。うん。でも、ここからがぐんぐんと重くなってきますからね。えへへ。楽しみ楽しみ。(笑)

囚人さんのジレンマ w 

[2007/06/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 最近たまに耳に入ってくる“サバイブする”という言葉の用いられ方(受け取られ方?)への、漠然とした違和感のことを書いたのは、本当は、そのちょっと前の記事にいただいたコメントで「囚人のジレンマ」というキーワードを与えられたので、そのことを考えていたら、話がそういう方向へ行ってしまったのでした。

 “サバイブ”に「非常に殺伐としたニュアンス」を付与するのは和製英語でしょ、という指摘もいただいて。言葉って本当に難しい。なるほど、もう少し情緒を排したドライな言葉なのかもしれないですね、本来は。

囚人のジレンマ - Wikipedia

 「個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例」だそうです。「1対1」が基本パターンですが、プレーヤー複数の場合(社会的ジレンマ)や、選択機会が何度となく繰り返される場合(繰り返しゲーム)など、バリエーションもいろいろ。
 これを特殊状況と捉えるのは、“個々が最適な選択を積み上げていけば、多くの場合、全体も最適化される”という考え方ですよね。私なんかはへそ曲がりなのか、そうすんなり行くほうがレアケースのような気がしますけど。(笑)

 これら、複数の主体の存在する状況下での意思決定についての研究アプローチの方法たる“ゲーム理論”の考察ということだそうで。なんかゲーム的な事物の単純化って好きじゃないんですけど、そうした研究の目的が、「ゲームの望ましい帰結はどのようなものかを探る」というところは、私も気に入っています。
 「ゲームの望ましい帰結」についてのビジョンの有無によっては、“サバイブ”という語に接した場合の「非常に殺伐としたニュアンス」の様態も変わってしまうでしょう。

 しかし言葉って難しい。素人が聞きかじりで使うには荷が重い言葉なんですけど、でも、それこそ“的確に状況を判断すること”を専門家任せにしていられる時代じゃないぞ、という意味で“サバイブ”感覚が必要という時代認識には、私も大賛成。

 こうやっておぼつかないブログを書きなぐってみたり、『人間の条件』(ハンナ・アレント)がなかなか読み進められないのにじっと耐えてみたり。(笑)
 賢からぬ私なりに自分の頭で考えるということが、苦しいんですけど楽しいんですね。私には、こういうことのほうに生きてる実感があります。

 例えば《全体》と《個》というのは、人間の生きることというのを、半永久的なサイクルとしての自然の円環運動の一部と捉えるのか、生れ落ちた瞬間から死にゆく刹那までの(前後からは隔絶された)直線運動と捉えるのか、の問題でもあるのかもしれません。

 しかし、こんなこと考えていて、私は“サバイブ”できるんですかね?うん、確かに怪しいです。(笑)

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書いても書いても・・・FC2 

[2007/06/27] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 長文を書いて「保存」しようとすると、いつの間にかログアウトしていたらしくて、再ログインを促す表示が出て・・・一生懸命書いていた文章は消えてました。これは最近よくあるパターンです。
 今日は、書き終えた文章を、どの「ジャンル」で投稿しようかと、そこのボタンを押したとたん・・・再ログインを促す表示が出て、長文は消えてなくなりました。
 うーん。予想外です。

orz

 ちょっと最近、不安定なんじゃありませんか?>FC2さま

「サバイブする」という言葉 

[2007/06/26] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 h-nishinomaruさんも言ってましたが、『機動戦士ガンダム』の企画時のアイデアの根っこには、宇宙版『十五少年漂流記』というモチーフがあったんだそうです。(→参照『銀河漂流バイファム』)

二年間の休暇〈下〉―十五少年漂流記 (偕成社文庫)

 ご存知『十五少年漂流記』は、SFの父と称されるジュール・ヴェルヌが(なんと)1880年に発表した冒険小説で、無人島に漂流した少年達が力を合わせて生活していく物語であります。(そういえば、ヴェルヌ原作の『海底二万マイル』を下敷きにした、『ふしぎの海のナディア』をGyaOで観ています。そのうちまた、気が向いたら感想を書くかもしれません。)
 まさに文字通りの“サバイバル”をテーマとした作品というわけで、ガンダムの次回予告の決まり文句が「君は、生き延びることができるか!」だったのは、その名残もあったんでしょうね。

 で、「サバイバル」という言葉のお話。

サバイバルは人間が文明や人間社会から隔絶された状態もしくは文明の恩恵を十分に享受し難い状態で、生存しつづける事である。この状態は、当人が死ぬか、文明社会に帰りつくまで続く。またこれらは、生存欲求という人間の本能に強く訴えかけるため、小説や映画・ドラマ等の題材としても人気がある。

サバイバル - Wikipedia

 最近、“サバイブする”という言葉が、小説や映画やドラマや、・・・とりわけアニメとか、むしろそういう架空のお話から、ちゃんと早く卒業して、厳しい世の中の現実と向き合いましょうね、というような意味合いでよく使われているような気がしたんだけど、その趣旨に賛成かどうか以前に、言葉の使い方の部分で妙な抵抗感があるな、と思って。・・・英語の原義に照らすとどうか、じゃなくて、やっぱり“サバイバル”するって言うと、上記のような意味だと思うよな、ということで。

 架空のお話と、世の中の現実のことは、まあ置いておいて。厳しい世の中の現実ときちんと向き合うことを、そのままサバイバルと捉えることは、一見すごく的確な比喩に思えます。
 ただ気になるのは、それってつまり、今の世の中は「文明や人間社会から隔絶された状態もしくは文明の恩恵を十分に享受し難い状態」に限りなく近いってことなのか、と。

 文明とか、社会のシステムとか、今はそういうものが全然信用できない時代だ、ということが言われているんだろうとも想像は付くんですけどね。
 「現実に帰れ」と言われてる対象の人たちっていうのが、コミュニケーションを上手にできない人たちだと一応仮定すると、その人にとって外部の“社会”って、その人という“個”を取り囲む“全部”に思えちゃうんじゃないかと思うんですよ。その中での「サバイバル」って、まさに“個”としての生き残りを賭けた、熾烈なバトルロイヤルのようなイメージにしかならないのではないかと私は危惧するんだけど、そういう理解でいいんでしょうかね?

 サバイバル状態は、当人が死ぬか、文明社会に帰りつくまで続く。帰りつくべき文明社会の有無を疑っている余裕は確かにないわけなんだけど。

 これは「用語は本当に的確なのか」という話ですけどね。言葉どおりとすれば、サバイバルの第一歩は“安全な場所・空間の確保”。そして最も注意すべき事は、“的確に状況を判断すること”。(最もすべきではない事は、本能の赴くまま、直情的に行動すること。)そして・・・こうハマると面白いですね。

仲間と一緒に居る事が、個体にとっての生存率を飛躍的に押し上げる要因となる。

 架空のお話とはいえ『十五少年漂流記』では、少年たちが力を合わせることで、サバイブできたわけなんですよね。だから、もし“サバイブせよ”という言葉を向けられる対象が、コミュニケーションを上手にできない人たちのことなのであれば、その言葉が“個”としての生き残りを賭けた、熾烈なバトルロイヤルのようなイメージには伝わらないようにする配慮が要るんじゃないかと私は思うのですよ。

 違うのかなぁ。言われていることは、安全な場の確保→「引きこもるな!」/状況の判断→「まず行動せよ!」/仲間と一緒に→「群れるな!」・・・なんですかねぇ。
 だとすれば、“サバイブする”という言葉でない言い方を考えたほうがいいのではないかとも思ったのでした。

以下追記

 書き終わって風呂に入って、ちょっと考えたら、「やっぱ違ったな」と思ったので、あわてて追記。(笑)

 “サバイブする”という言葉で言われているのは、サバイバルの要点である“的確に状況を判断すること”の部分で、人々が引きこもっている場所は、“今はもう安全な場ではないですよ”という、そこが一番肝心なところなんでしょうね。そこは外しちゃ駄目なところでした。
 まあ、それでもキャッチとしてはともかく、用語として最善のものであるのかには、引き続き半分首をかしげているのでありました。

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