星の鼓動は愛DVD SP対談 富野×Gackt 

[2006/08/31] | 新訳Ζ | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛- 機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-
安彦良和、大河原邦男 他 (2006/08/25)
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 今回も店頭で、値引き一切なしで買ってしまいましたよ。白状すれば「大人買い」というような耳ざわりのいいものではなくて、予約する踏ん切りがつかないまま、ここまで来てしまったということなんですけど。TSUTAYAの店頭に『新訳Z』三部作をプッシュする小コーナーが出来ていて、素直に嬉しかった!背中を押された気がしましたよ。
 せっかく初回限定版を入手できたので、特典ディスクの内容に触れなくては。
 子犬さんも書いてたけど(→ひびのたわごと 「星の鼓動は愛」特典ディスク感想)、がっくんとの対談は、今作への主題歌参加について富野監督の謝意が強すぎるぐらいに強くて、不思議な印象を受けました。対談らしくなるのは最後のほうだけで、それまでは互いに好きな事を言い合ってるという感じ。並んで映ると見栄えが違いすぎる(笑)ので、そのハンディもありますよね。

 以下は対談の要約ではなくて、かなり意訳と私の解釈が入ってます。

 ガクトは同じものを作る立場から言って、Zガンダムという物語は「そんな苦しい事を何で背負おうとするのか」と思っていたといい、今回の新訳で「苦悩というものが出てしまった物語をやり直す事はきつい作業でしかない」ので、こんなことをやった監督が「よく無事でいてくれた」と。(同感!)
 富野監督も「確かに苦しかった」と。そして「何故この仕事を請けたのか」というときに、まず「白紙から作るということについての実力の問題を自覚もする」などとおっしゃる。「請けた(受けた?)」という言い方もさることながら、ガンダム・ブランドだからこそ、チャンスを与えられるという事実を直視。まったく厳しいねぇ。
 ガンダム以来、25年の流れの中で、「アニメというものがどういう風に楽しまれてきたか」を考えなければばならない。そして“陰”を“陽”に変える仕事を通して自分のスキルを上げたかった。40年をアニメで食べさせてもらった人間として、「こういう作り方もあるぞ」ということは、自分の年代にしか出来ないのだと。
 60歳を過ぎた巨匠が、まだスキルアップということを口にすることに感銘を覚えますが、そのためには「今の人にひとつ手を入れて触ってもらわないと、年寄り仕事に全部なってしまう」とも言っています。(近作で繰り返された“世代を重ねることの意味”というのは、Vガンダムでウッソが言った「僕らが出来なければ、次の世代が!」という信頼だと思いましたが、監督はそれを実践しているのではないかと思いました。)
 今の監督は、こういう次代への信頼というステージを自らのものとしたからこそ、ファーストガンダムの「誰も一人では生きられない」を受けて、「自己崩壊してしまう物語」を「自己崩壊しない物語」になし得ると思うことができたのでしょうね。
 そして次代を担う人たちに対して「こういう作り方もあるよ」と言いたいのは、どうも「フィクションならそのぐらい気楽にやれよ」ということのようです。(富野さんこそ気楽にやればいいと、皆、そう思ってそうな気がしますが。 笑)

 富野監督は「全部をロジックではなく作りおおせる事が出来た」のはガクトの楽曲の力があったから、「ガクトのあの楽曲があるから、あそこへたどり着ける」と何度も繰り返してます。ここまで言うんだから、新訳をやろうと決心したときに、本当にあのラストソングがきっかけになったんでしょうね。

僕の場合テレビ発の人間だから、週ペースの中で「邪魔者」がわさわさいて、視聴率競争「くそー」と思いながら、40年やってきたから、「くそっ」と思えないスタッフがここにいるっていうのは命綱だった

 「くそっ」と思えないスタッフってのはガクトのことなんだけど、ある意味彼は、若い参加スタッフたちの象徴みたいなものなんでしょうかね。(しかし「邪魔者」って…。 笑)
 メイキングのインタビューのほうでも今の若者たちに支持される仕事のどこが面白いのか分からないというようなことを正直に語ってましたが、けれど『新訳Z』制作現場の雰囲気は、自由に各自の才能を発揮させるようなものだったようですね。そういうチームとしてのスタジオワーク論を理解し語り合えるというところもまた、クリエイターとしてのガクトを高く評価してるところのように見受けました。
 「こういう目的性がある」というようなことの打ち合わせが凄く好きなチームだったりするんだけど、「民主主義でものは作れない、作れると思ってる人は事務屋さん」といった話では、二人で笑いあってるし。
 「人選の瞬間がものづくりの頂点」という断言は凄いと思いました。「自分が譜面を書けるわけじゃない」っていうのは、アニメで言うと、富野さんが絵を描けるわけじゃないってこととも思い合わせると興味深い言い方。「出来る人ほどオファーに対して選択肢はひとつしかない」「下手な奴ほど5曲ぐらい持って来る、きびしいよ!」だって。なるほどそんなもんでしょうかね。
 「仕事っていうのは時間とスケジュールとタイミング。この人っていう人がスケジュール的にあわないというのが物凄く大きい」というのは、富野監督の制作環境に与えられている現状認識でもあるのでしょうね。

 再びコラボレーションの機会があったらというお題に対して、「自分の首絞めるのが好きな奴って思われるだろうな」とか言いながら、今回みたいにテーマソングだけじゃなく、次回は音楽全部やらせてよ、声優もやってみたいとか言い出すガクトは、おいおい、この野郎(笑)って感じでしたけど、「あのガクトがそこまで言ったときに“まかせてたまるか”」って富野さんが言ってくれたので、少し安心しました。
 ただ、「物語を創出して演出までするという立場は、音楽も一要素として使い切ってみせる」という覚悟はさすがだと思いながら、「そういうグレードを提供できるか、来年再来年…」と急に自信のなさそうなこともおっしゃる。
 「自分には今、そういうフレキシブルなセンスがあるとは思えない」というのは、「ガクトの曲を受けるというときに、ナイーブなものでありたい」「観念をぶつけるようなものを作りたくない」ということで、冗談ではなくまじめに考えて、ガクトの音楽に合う作品ということを考えたら、そういう結論になったらしいです。
 「ここまで来たらできる事しか出来ないのだから、それを死ぬまでやっていきたい」「死ぬまで元気で、作らせてもらえるものがあるんだったら、それをやってみせる」というのは、今の富野監督の正直な境地なんだと思いました。ただ「過重が掛かってくるものはかなりつらい(笑) 重いなぁ…」というのは、新訳Zを終えての正直な思いがほろっと出たのかな、とも思われ、ガクトも「僕も同じだよ」と応じてましたね。

 若いガクトには、富野さんの話がどのぐらい通じているのか分かりませんけど、「尊敬するクリエイターとして」「世代は違うかもしれないけど友人として」、背中を押す事しか出来ないと思ったって言ってます。(監督の背中を押せるなんてうらやましい!)
 「富野さんはピカソ、ゴッホ」「何で子どもなんだろう」と思ったって言ってます。
 「愛情も人一倍、苦悩も人一倍、かといって、これだけ苦悩をしましたということを見る人たちに押し付けることをしちゃいけない」という言い方は、富野さんにとっての新訳Zを、ガクトという人がよく分かってるから口に出来るんだろうな、と思いました。




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「猫のうんこ踏め!」って何ですかw 

[2006/08/30] | 戯れごと | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 今日はちょっと出人さんのところで息抜きさせてください。

「萌え属性占い」~David the smart ass~

 意味は分かってますけど、「属性」って、そもそも何よというお話がもっともだと思ったので、調べてみたら、とりあえずこんな感じでした。

1. そのものに備わっている固有の性質・特徴
2. 転じて萌えキャラに備わっている固有の性質・特徴。萌え属性(e.g. 委員長属性 眼鏡属性、幼馴染属性)

後者はギャルゲーマーが用いることが多い。
「俺は眼鏡属性に弱い」といった使われ方をするが、これは「ファイナルファンタジー」等のRPGで採用されている「弱点属性」に由来する用法だと目される。
属性とは‐はてな

 へぇー、ゲームからなんですか。私はHTMLの用語のほうの「属性」から来てるのかと思ってました。
 あー、ちなみに出人さんが「どこにどういうふうにして存在するか? どんな感覚を言うのか?」と言っておられた「官能」のほうは、こんな感じでしたよ。→ 官能とは - はてな
 でも、「ご存じの方が、ご教授下さい」って言われると…あんまりご存知じゃあないなぁ。(とほほ)

 えーと・・・。本題、「萌え属性占い」 のほうです。

囚人022さんは、
「ツインテールでツンデレ」属性 です。

「ツインテールでツンデレ」属性のあなた。代表的なあなたの萌えキャラは、沢近愛理や大空寺あゆ、遠坂凛などですね。あなたは、みんなとわいわいするのが大好きです。場を盛り上げるのが得意で、友達もたくさんいます。何も考えていないと勘違いされることもありますが、心の中では緻密な計算が働いています。こだわりが強く、持っている物を褒められる事に無上の喜びを感じます。過去や未来よりも「今」を大切にします。

恋愛について:
付き合う相手は人から羨ましがられるようなタイプの人が多いです。好きになると自分から積極的にアプローチしていきますが、気持ちが冷めるとさっさと振ってしまいます。熱しやすく冷めやすいタイプです。恋人がいない期間は比較的短いです。

囚人022さんに送る言葉:
「勘違いしないでよね!」
「猫のうんこ踏め!」

 これ、星座、血液型、好きな食べ物、好きな動物だけで「占う!」って時点でヤバそうな気はしてたんですが、あんまり当たってない気がします。
 ツインテールって、これですよね?
ツインテール
(お約束のボケ・・・ところでこいつの「肉はエビに似た味がする」というのは、どこから出てきた都市伝説だったんでしょうかね。ちなみにGoogleのイメージ検索結果での混在ぶりが笑えたのでリンクしときます。)

一般にはツインテールとは呼ばれない。それは「ツーテール」の事です。アニメ・エロゲの萌えオタ界隈(同人誌、ロリ系出版物等)では何故かコレを”ツインテール”と呼称するのが定着してしまった。
髪型「ツインテール」‐はてな

 「ツーテール」なんて聞いたことありました?やばいですね。世の中でお下げの子を「ツインテール」とか言ってたら、「ヲタクおやじです」と宣言してることになっちゃうんでしょか。
 まあ、あの・・・お下げの女の子は好きです。やっぱラナちゃんの影響ですかね。(笑)
未来少年コナン 7 未来少年コナン 7
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/10/25)
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 でもツンデレはそんなに好きでもないかなぁ。「あなたの萌えキャラ」って…名前の上がっている人たち、一人もわからないんですけど。∑(゚□゚|||)
 「妹属性」の出人さんの萌えキャラ、若松みゆきとエルピー・プルはわかりますよ。みゆきは、あだち充の漫画『みゆき』です。エルピー・プルは機動戦士ガンダムZZの超人気キャラですよ~。

 それにしても性格も恋愛運も…なんか見事なはずれっぷりだなぁ。

 この「送る言葉」の「猫のうんこ踏め!」って、いったい何なんでしょう?(笑)



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Vガンダムの感想はまとまりません 

[2006/08/29] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

Vガンダムは他の富野アニメと違って価値観を断定しないんですよ。お前たちは○○だから○○なんだ!みたいな結論がほとんど出てきません(一つ明確な結論が出てきますが…)。
そういう意味では、富野アニメらしくないかもしれませんね。(ルロイさん

こんな言い草お怒りになるかもしれませんが、イデオンからVまでが好きな方々は「業と陰鬱な窒息感」の愛好家に見えるので、僕はそれが嫌です。還暦を過ぎたトミノさんが「ターンAからリーンの翼」で宗旨替えした理由をもっと見つめてほしいのです。時代の持つ性質そのものが変わったのですから。(ラジヨさん

多分Vガンを最終的に認めた方達は、ブレンに非常に抵抗を感じたんじゃないかと思う。なんだか根底に流れる気分がすごく違うんですね。とにかくどちらも最終回を観て、コロッと感想が変わりました。(わんこさん

 私、感想をまとめるのって苦手なので、Vガンダムは結局自分にとってどうだったのか、まだうまく言えません。ラスト2巻は凄かったと思うけど、4巻5巻あたりでは、ほんとに挫折寸前の苦しさでした。
 ルロイさんの言う「明確な結論」ってなんだろう?(たとえば「祈りでは、人の業を消すことは出来ない」というようなこと?)
 価値観を断定しないというか、いつもの富野アニメでは対立する価値観のせめぎあいが、主人公とライバルの口を借りて“富野節”として語られるのが、今回は終盤に至って(私が思うには)“シャクティ対カテジナ”だったかなぁと。富野アニメらしくないという「そういう意味」は、こんな意味かなと思ったんですけど、ぜんぜん違ってます?

 ラジヨさんの言われることも分かるんです。ただ、イデオンや逆襲のシャアでのさまざまな問題を、このVガンダムという作品は一気に清算しようとしたような気がします。もしブレンや∀以降に富野アニメが好きになった方だったら、だから無理に見る必要はないかもしれないとも思います。
 けれども、まだ少年のころにイデオンにひきつけられてしまい、∀でアニメの世界に引き戻されてしまった(笑)私には、ここの黒歴史はやっぱり避けては通れませんでした。たぶんブレンや∀を見ていなかったら、4巻まで見る前でもう視聴を断念していたような気がします。

 ブレンとVガンって断絶もあるけど、繋がっている部分も多くありますよね。あまり詳しくないんですけど、かなりスタッフも重なっているんじゃないだろうか。(“リターンマッチ”と言われるのが、なんとなく分かるような気がします。)わんこさんの印象に残るのは最終回ですか?ブレンのそれは、(よい意味で)「ここで終わるのかぁー!?」という新鮮な驚きがありました。Vガンは45話「幻覚に踊るウッソ 」、48話「消える命咲く命」あたりで最高潮に達しているような気が私はしました。ラストシーンはすばらしいものでしたが、そこに至るまでに「ここまで引っ張るのかぁー!?」という驚きだったかな?

 この作品は、何しろ人によって、見え方がぜんぜん違う作品だろうな、と思います(見たときの年代や見た順番etc.)。「失敗作だった」と富野さんがおっしゃるのも、決して消極的理由からだけではない“子ども向け”という目的に対しては、そうとしか言いようがなかったのではないかと思いますね。
 Vガンダムについては、あまり無理に感想をまとめることをせずに、折々に振り返ってみたいと思っているんですが、(悪い意味だけではなくて)尾を引く作品なのかもしれません。
 さて、これを見続けている途中では、「次はZZ」と決めていたんですけど、どうしようかなぁ。

えーと(・・・やっぱり私は富野監督ファン) 

[2006/08/28] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 今、私はようやくVガンダムを見終わったところで、頭の芯がまだ「じーん」としっぱなしだし、いろいろ書きたいこともあるんですが、「はじめまして」という方からのコメントが気になったので、優先しちゃいますね。

はじめまして
こんにちは。私もVガン好きですよ。富野アニメのベストを挙げろと言われると、逆シャアとどちらにしようか迷うくらいですね。完成度は天と地ほどに違いますが。
最近の富野由悠季は芸能やエンターテイメントの領域を目指しているようですが、そっちでは宮崎駿に絶対勝てないので、もういちどVガンな方向に戻って欲しいと個人的には思ってます。(psb1981さん

 はじめましてです。( リンク先をたどってみれば、「非モテ・恋愛至上主義」ねたで、私が思わず[なるほど]と思ってしまった、あなたでしたか! 笑)
 うーん、Vガンと逆シャアがベストですか…。それはいいんですけど、芸能やエンターテイメントでは宮崎さんに「絶対」勝てないとまで言われると、なんだか心中穏やかではないですねー。

「アニメ監督」ならば、ガンダム的なにおいの一切しない作品をやってほしい。中途半端な焼き直しのようなものではなく。
今までのところ、彼は「ガンダム監督(または人型ロボットアニメ監督)」なのだと思う。
イデオンなどとも違う、ロボットが出てこない作品に手を出してほしい。「アニメ監督」でありたいのなら。(猫さん

 猫さんもはじめまして。いろいろお話したいことはあります。私も長い間そう思ってたし、今でもふっとそう思うときがあります。
 のりのり先生もコメントくださったので、いいかな、とも思いましたけど、それもあまりに無責任なので、私が聞きかじった話をいくつか引用しておきますね。

虫プロダクションが、制作プロダクションとしてテレビ局から受け取る制作費は実際にかかった経費よりも大幅に下回っていた。その赤字を関連商品の版権収入(マーチャンダイジング収入)・海外輸出で補う日本におけるテレビアニメのビジネスモデルを確立したのは旧虫プロである。手塚が『鉄腕アトム』で予算的に引き合わないテレビアニメに参入したのは、自らの漫画の原稿料で赤字を補填し、他社の参入を妨げて、テレビアニメ市場の独占を図るためであったと言う。しかし予期しなかった版権ビジネスでの副収入は他社の参入を許すこととなった。「鉄腕アトム」後、旧虫プロ主宰者の手塚は、当たりはずれの大きいマーチャンダイジング収入にはなるべく頼らない作品作りを目指そうと考えた。しかしそのような方式のアニメ制作は定着せず、「鉄腕アトム」式のビジネスモデルが旧虫プロ以後の時代も引き継がれた。
虫プロダクションのビジネスモデル 
虫プロダクション - Wikipedia

 なかなか皮肉な話ですよね。富野さんがアニメに携わり始めた『アトム』以来、このビジネスモデルが商業アニメ製作のスキームになってしまって、わが国では現在も基本的には、版権収入での資本回収をあてにしないで商業アニメの制作は不可能みたいなんですよね。次のような具体的な話もあります。

この『鉄腕アトム』については、フジテレビから放映権料の名目で虫プロダクションに提供されたのは、資料によりまちまちであるが、50万円から75万円だったとされている。実際に制作にかかった経費は150万円から260万円だったとの説がある。なお、低い制作費というのはアニメとして低いという意味であって、テレビ番組の予算としては決して低くはない。当時の30分番組の製作費の相場は1分1万円であり、当初はフジテレビも30万円を提示したという。
少ない制作費 アニメの歴史 - Wikipedia


 まあ、それでも私たちファンサイドだけじゃなく、関係者の間でも、富野さんをもっと制作だけに専念させてあげたいという思いはあるみたいです。

富野「宮崎(宮崎アニメ)に勝ちたい!」
高橋良輔「宮崎アニメに勝ちたいなら、優秀なプロデューサーと組むべきだよ」
富野「それは危険だ」
富野由悠季に関する関係者の評価

 豪腕プロデューサーは「危険だ」という富野さんの脳裏にあるのは、トリトンやヤマトで縁のあった西崎義展さんのこととかが頭にあるんでしょうかね。
 「ホントごめんね、プロダクションを結局作んなかったのが間違いの元なんだよね・・・」と「勇者ライディーンDVDメモリアルBOX1」収録特典映像でのインタビューでは出渕裕さんにぼやいていたそうですが。(ひびのたわごと ハルオの動かない列車
 たしかに鈴木敏夫のアシストなくして今日の宮崎駿はあり得ないんだろうけど、今の“吾朗ちゃん狂騒曲”を聴いていると、やっぱり豪腕な相棒は「危険だ」というのは、そうなのかなぁと思ったりもします。

「人間が自分自身のことを表現しようと思ったとき、自分のことだけを語っていては、表現しきれない。例えば「私がここにいる!」と言っても、誰も注目しないだろう。そこで、「オレは神を冒涜する! 」とか、存在しない“もの”にかけて、自分を表現することがある」
「この場合、その力を借りる“もの”は、魂のない道具のほうが、人形の形のほうが、自己投影しやすいだろう。パーソナリティが備わっているアトムは自分の口で自分の言葉をしゃべるけれども、ガンダムにはそれがないから自分を投影しやすい。アニメの巨大ロボットは、自己表現の役割を果たすために、存在しているのではないか」
「僕自身、ロボット的なもの、機械的なもので好きなものは、飛行機だけ。最近、電脳社会というか、サイバーなものがもてはやされているが、こうしたものに全て置き換わるというのは、科学技術をもてあそんでいる人たちの世迷言だ」
「科学技術論や現実認識論ではなく、生きていく、死んでいく人間たちを描こうと考えている。僕は、絶対に人間を描こうと、ロボットは道具として描ききろうと思う。今日、会場には若い人たちが多く参加しているが、僕は君たちの子供に向けた作品を作りたい」
【Robot-ism 1950-2000 Vol.3】
富野由悠季氏らによる “ロボット・メカニズム”の進化論

 ロボットものについては卑下するような言葉も多いわけですが、たまにはこういうポジティブ(?)な発言もあります。
 今日は頭が動いてないんで引用ばっかりなんですが、最後にもう一度、子犬さんのところから。

その後『ガンダム』を若い人に渡していって、失敗作もあるんだけれども、本当に20年ぶりくらいに『ガンダムSEED』っていう新しいスタイルで、今度は今の中学生を掴む仕事をしてくれました。それで今の人気が出たおかげで、『Zガンダム』三部作をまとめることができたんです。僕の作った『ガンダム』だけで、このマーケットや作品世界が成立しているものではない。
ひびのたわごと 今日うかうかと買ってしまった本

 お二人とも富野監督が好きだから、こんなブログにもコメントくださったんだと思います。私たちファンも、いろいろ不本意だし悔しいし、だけど富野監督本人こそは、きっともっとたまらない思いを胸に抱いているのだろうに、商業アニメの現場に立ち続けているわけですよ。
 あー、うまく言えないなぁ。

監督自身の声で「そのとおりです。ですが逆に言わせてもらえば所詮ロボットアニメ監督でしかなくてもここまでのものができるんだという例にしていただきたい」というのが脳内再生されてたり。

 やっぱりのりのり先生のほうが簡潔にうまいこと言っておられますね。(笑)

※2007/1/15追記
 手塚治虫の『鉄腕アトム』ダンピング伝説に関しては、次の記事に“アトムの一本50万はトリックで、本当は150万、ましてキャラクターグッズのロイヤルティーが「日銭で何百万円」だったという証言”などに関係する内容を書きました。よろしければご参照ください。(→「アニメーター残酷物語」は都市伝説?

機動戦士Vガンダム 第13巻(最終巻) 

[2006/08/27] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

機動戦士Vガンダム 13<最終巻> 機動戦士Vガンダム 13<最終巻>
サンライズ、逢坂浩司 他 (2004/02/25)
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第49話 天使の輪の上で
第50話 憎しみが呼ぶ対決
第51話 天使たちの昇天

 ついに最後まで見ました。この作品は、はるかに記憶が薄れたら、後半からもう一度見直してみたいような気がします。特に第12巻はVガンダムでの発動篇とでも言えるような密度がありました。最終巻も引き続きよかったんですが、前半を含めた全編を結ぶための苦しさも感じました。(しかし、この印象が薄れる日が来るんだろうか?)

 以下ネタバレが多数あります。未見の方に言うとすれば、Vガンダムという作品は、ブレンパワードや∀ガンダムを見てから接すると、たぶん印象がぜんぜん違うと思うので、そちらをまず見たほうがいいと思います。それらをある程度咀嚼した上で、「どうしても」と感じたときに、覚悟して見るべきような作品ではないかというのが、私の感想です。

以下、終盤の内容への言及があります。


 第12巻のほうからの話になりますが、「優しい普通の人」「闘争本能」「哀しみと嫌悪」といったキーワードが、エンジェルハイロゥを用いてマリアの仕掛けてくる幻想と闘うウッソの場面で、特に印象に残りました。

昂ぶる心のままにおのれの身を任せるものは、そこへ堕ちよ!狩猟時代の本能が忘れられない、哀しい性が消えないなら、地で血を洗う生き方の中に身を沈めましょう。動物としては悪ではないのですから。(マリア)

 この精神的な戦いは凄かった。ファーストガンダムで言ったら『光る宇宙』のようなものとさえ、私には思われましたよ。「そのものの心をそのものに投げ返し、情に溺れさせるのです」という女王マリアは、本当に怖いと思いました。
 これにウッソがかろうじて打ち勝つことが出来たのは何故だったのでしょう。一瞬、「光の翼の歌」が聞こえ、「私が昔、シャクティに歌ってあげた歌が、聞こえた気がした」とマリアはつぶやきました。マリアはウッソに負けたのではなく、自分自身に負けたのではなかったでしょうか。
 この戦いをどう捉えるかは難しい!時間をかけてゆっくり考えてみたいと思います。

 物語の収束に向かう中にも、そのヒントは散りばめられていると思うのですが、「平和を願う究極の姿は赤子であろうが!」とカガチが叫ぶのは一面の真理であり、大人の邪念と情念によって、誰もが「優しい普通の人」でもありながら、それぞれの迷いが戦いを続けさせます。
 …富野アニメのエッセンスを惜しげもなく集中させたようなモチーフが、このあたりの話数に凝縮して見られますが、ここでのテーマはイデオンを直に連想させます。しかし、この物語ではイデは発動せず、「今こそ子どもたちの慈悲が必要」というマリアが、シャクティと最後に交わした言葉は、「あなたが人類を在るべき姿に導いてください」でした。
 カガチと対峙したウッソは「生きものは親を超えるものです」「親は子を産んで死んでいくものです」と叫びますが、それはうぬぼれだとカガチは言う。けれど「僕らが出来なければ、次の世代が!」と返すウッソ。マーベットの胎内に宿った生命を感じることが、この少年をこれほど強くしているのでしょうか。(ブレンパワードで出てきた“世代を重ねることの意味”(*1)という言葉の答えをここで見出すとは思っていませんでした!)
 「泣いて大人になるなんて、哀しすぎるじゃないですか」という彼は、それでも未来を信じようとしている。それは確かに子どもの特権であるかもしれないですよね。成功したか否かは別として、このVガンダムを“子ども向け”(*2)に描こうとした富野監督の、深層心理をそこに見ようとするのはうがちすぎでしょうか。

 それにしても、この物語は、母性を賛美する反面で、それ以外の女性性と父性を否定しますね。ここまでやったら、作品の出来とは別の次元で、反発は当然あるだろうなとも思います。
 「今後も君の活躍を期待しているよ」とウッソを突き放す父は、私の目から見ても不思議です。特攻するジャンヌ・ダルクの艦橋から、すばしこく姿を消していた彼は、やはり危険な“戦争マニア”なのでしょうね(*3)。それが見えてしまったウッソが「鈍感とか、戦争マニアに育ててくれたほうが、楽でした」と嘆く気持ちはよく分かります。ガンダムという作品を作るということは、戦争マニアの価値観と闘うことなのかもしれないですね。モビルスーツはあくまで“道具”なんだということを繰り返して強調して見せたの(*4)も、一見では戦争マニアなファンへのサービスに見えて、実は違うんだろうなと思いました。

 噂に名高い(?)女戦士の肉弾戦も、前後を踏まえて見れば、思ったほど違和感ありませんでした。(嫌悪感は当然ありますが、それは作者の狙いの中にあることですよね。)カテジナさんは、こういう策を考える人であり、「絶対に勝てる」という読みもかなり正しかったと思うんです。「…オリファーさんがいるんだ。新しい生命の中に」という、あの体験がなかったら、ウッソはあそこで敗れていたんじゃないでしょうか。 

 いかにも、このVガンダムという作品らしいなぁと思うのは、ようやくエンジェル・ハイロゥのキールームにたどり着いて、シャクティを助け出したウッソ。…普通の作品であり、作者であれば、この場面で『大団円』に持ち込む展開をいくらでも書けるというのに、ここで終わらずに、それぞれの人物の結末を描ききらずにはいられないというところが、なんとも独特な部分なのではないかと感じました。
 誰もがシャアの再来を期待するであろうポジションにいたクロノクル・アシャーは、「優しさに包まれた深い悪意」であり、ウッソともども「二人の優しさがお互いを敵に」したに過ぎない。「生きることは厳しいこと」なのだと。…それをエンジェル・ハイロゥのシャクティの視座から言わせるから、対するカテジナさんは「巨人の星」的な劇画表現化までも、してみせてしまう。結局、本当の闘いは、“シャクティ対カテジナ”に象徴されるものであったんでしょうか。

 「祈りでは、人の業を消すことは出来ないのでしょうか?」
 このシャクティの嘆きは、『逆襲のシャア』の結末の否定でもあるような気がしました。とても無残なまでの自己否定。こういうことをやったから鬱になるわけです。

 戦後のカサレリア。シャクティはまた川で洗濯をしています。「洗濯」というモチーフが富野監督は好きですね。いつも何かを洗い流したい思いがそうさせるんでしょうか。
 盲目になったカテジナさんが郷里へ帰ろうと通りがかり、シャクティと言葉を交わします。この場面、シャクティは相手がカテジナさんだと気付かなかったの?と思わせるような描写に一瞬戸惑いますが、「道に迷った旅人」だったと言ったシャクティの目に浮かぶ涙を見て、思わずはっとしました。
 私たちは皆、道に迷った盲目の旅人のようなものかもしれないですね。

 長い感想になってしまいましたが、この物語が「戦い続ける、孤独なまでに一人」(前期エンディングテーマ『WINNERS FOREVER -勝利者よ-』 )で終わるのではなく、「再び君に出会えたなら、その瞳を孤独にさせはしない」(後期エンディングテーマ『もう一度TENDERNESS』)で終わってくれて、本当に嬉しかったです。
 この作品は、全編にわたって千住明の楽曲に救われた面もかなり多くあったように思います。「光の翼の歌」は、本当は、『ひなげしの旅のむこうに』と言うのですね。

旅のゆくえの ゆらめく闇に
希望をきざむ人の切ない思いを
ひなげしの色で紡ぎ合わせ
道にしよう

星の向こうに 未来があると
若者達は夢のつばさを広げて
ひなげしの花を散らしながら
旅立っていく

 いい曲です。作曲は千住明。監督自身の作詞ですね。
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