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懐かしいアニメミュージックの話 

[2006/07/31] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 アニメの音楽の話をしたら、コメントを沢山いただいてうれしかったので、調子に乗って、昔持ってた懐かしいLPレコード(笑)のタイトルをあれこれ探してみました。

〈ANIMEX 1200シリーズ〉(3) 交響組曲 宇宙海賊キャプテンハーロック 〈ANIMEX 1200シリーズ〉(3) 交響組曲 宇宙海賊キャプテンハーロック
TVサントラ (2003/09/25)
コロムビアミュージックエンタテインメント

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 ある意味大艦巨砲主義っつーのか(笑)、「なにしろ大オーケストラでやるぞー」という意気込みのスゴい時代でありました。このレコードは、わりと組曲らしくまとまっていたような気がして、後半のほうの「寂光流離(さすらい)~悲しみ,怒り,そして旅立ち」「終曲~歓びの讃歌」あたりが気に入っていたような気がします。え、何?今、1,260円で買えるの?ずいぶん安くなったんですね。(人気ないのかな・・・。)

さらば宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト
シンフォニック・オーケストラ・ヤマト (1995/01/01)
コロムビアミュージックエンタテインメント

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 画像がない?これも人気ないんですかね。
 パイプオルガンが重厚な「白色彗星」、軽快な「アンドロメダ」はよかったですけど、「英雄の丘」はベタに軍歌調でした。ってか、アニメ内での使われ方がちょっと固定的すぎるなぁと幼心にも思った覚えが。でも「デスラー襲撃」はお気に入りの曲でした。

機動戦士ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック 機動戦士ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック
サントラ (1991/03/05)
キングレコード
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 また画像なし? orz
 サントラ版は、もろにアニメのシーンの記憶と結びついて、またいいものですよね。「悲愴,そして決然と」「颯爽たるシャア」「虚無感」「ジオンの脅威」「苦い勝利」・・・今、曲名を見ても「きっとあの曲だよなー」という感じになってしまいましたが。曲も良かったが使われ方もよかったなぁと思いますね。

 なんつーか、自分の中でのおたく度が一番高かったのってこの時代かな?けっこうやみくもに買ってましたね。(もちろんもっと買ってるツワモノマニアはいっぱいいたんですけど。)
 あの頃家庭用のビデオデッキも出がけだったけど、あんまり長時間の録画とかなかなかできなくて、音楽を聴いてイメージをよみがえらすというのは重要だったような気がします。(そういえば、120分のカセットテープに一生懸命アニメを録音して、テープが伸びてヨレヨレになるまで聞いたりもしてましたね。あれでファーストガンダムの名セリフなんてのは、鼓膜に焼きついてるんだと思います。)

 なんか、今ではアマゾンにも画像がないようなマイナーなアルバムが多くて哀しいですが、気が向いたら、また続きを書きますね。(イデオンをまだ書いてないし!)



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「惑星の午後、僕らはキスをした」 

[2006/07/30] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 田舎ものの私はマイカー通勤しているのですが、ちかごろ朝な夕なエンドレスでカーステから流れている音楽は、「劇場版 ∀ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック 「惑星の午後、僕らはキスをした」です。私には音楽はよく分からないんですけど、ともかく菅野よう子さんは天才ですね!(笑)

劇場版 ∀ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック 「惑星の午後、僕らはキスをした」 劇場版 ∀ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック 「惑星の午後、僕らはキスをした」
サントラ、Donna Burke 他 (2002/02/06)
キングレコード

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曲目リスト
1.AFTER ALL
2.宵越しの祭り
3.ウィルゲム離陸
4.Silent prayer
5.MOON
6.Jig
7.クリケット
8.THE ETERNITY DANCE
9.はたらくお嬢さん
10.花泥棒
11.月のくじら
12.The way to the river
13.グエン様のファーストカー
14.Queens valley
15.着せ替えドール
16.Element's
17.月の魂
18.X top
19.Black history
20.酔っ払いワルツ
21.コレンの最後
22.Final shore
23.Moon 2
24.End title ノスタルジーナ

 今日なんでこれを書いたかというと、昨夜テレビ(どっかの局のスポーツニュース)でサッカーのVTRが流れているときに、BGMに「AFTER ALL」が聞こえてきて、「おぉ!」と。(笑)
 実は先日、中田ヒデの引退のときの感動的なVTRのときにはBGMに「MOON」が使われていて、「おぉぉぉぉ!」と思ったのです。というわけで、どこかの局のスポーツニュースの編集をしている人に、菅野よう子さん(あるいは∀ガンダム)のファンがいるのかもしれない、という説です。(笑)

 私のお気に入りは「花泥棒」「月のくじら」「The way to the river」このあたりがかなり好きですね。(もちろん「MOON」も!)
 「宵越しの祭り」「月の魂」最初のうちはこれらはなんだか異質なような気がしていたのですが、耳に染み付くぐらいにしつこく聞いているうちに、古今東西(?)さまざまな音楽のジャンルを縦横に駆使して編まれているこのアルバムの中に、こうした日本の“祭り”を感じさせる曲が入っていることには意味があるし、活きていると感じるようになりました。

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Vガンダム 第6巻の補遺 

[2006/07/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 機動戦士Vガンダム、20話ほどは辛抱しながら見てきたら、ここへ来てやっと見え方が変わってきたというお話を前回しましたが、今日はちょっとその続きを書いておきますね。
 この作品は「“ガンダムらしさ”からの離脱(レギュレーションの変更)の試み」という点で、ΖΖに繋がってるんじゃないかと考え始めたら、なんかいきなり視野が開けてきたような気がします。で、これに先行するものがΖΖだったとしたなら、後続するものが∀ガンダムだったという位置づけになるんじゃないでしょうかね。(Vガンダムの終了後にはじまった、最も“ガンダムらしさ”からは遠いと目されるGガンダムに対する富野さんのスタンスというのも、そう考えれば何だかうなづけるような気がします。)

 前回はストーリー運びの話をしてしまったのですが、もう少し分かりやすいところで戦闘描写の中で気になったことを少しメモしておきます。
 たとえばモビルスーツではなく「生身」の相手を撃つことへのためらいというのは、ファーストガンダムでも既に描かれていたことでしたが、「戦場でそんなものにこだわっていては死ぬだけだ」という方向へとどんどん流されていってしまった気がします。
 たぶん、実際に少年兵が戦場に立ったなら、そうした疑問を持つのはほんの最初だけで、すぐに「殺すか殺されるか」のゲームに順応してしまうのが、本当の姿でしょう。自分より明らかに弱いと思われる敵に遭遇した場合、せいぜいでもアムロのように「なぜ出てくる!」と言いながらためらいなくトリガーを引いて瞬殺。そして哀れな学徒兵の最期のほうを乾いたタッチで描くというのがガンダムのレギュレーションでした。
 そういう意味で言ったら、ウッソは名前のとおりに「嘘」ばっかりの少年で、こういう荒んだ戦場で戦ってきて、この期に及んでまだトリガーを引くのにためらうなどというのは、そうしたガンダムの世界観の中ではこれまで許されなかった作り事です。
 ΖΖ~Vガン~∀というのは、テイストも印象もそれぞれかなりはっきりと違いますが、ジュドー、ウッソ、ロランという主人公の少年たちに注目してみていくと、共感できるか、感情移入できるかというのは別にして、富野監督が描きたかったキャラクター像というものの連続性が見えてくるような気がします。

機動戦士Vガンダム 第6巻 

[2006/07/28] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

機動戦士Vガンダム 06 機動戦士Vガンダム 06
サンライズ、逢坂浩司 他 (2004/01/23)
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 第6巻は、第21話「戦略衛星を叩け」から第24話「首都攻防」までの4話です。
 ここまで、けっこう苦しみながら、ほとんど「次こそは良くなるんじゃないか」という期待で見続けてきたVガンダムです。でも前巻最後の予告編(まだ最終回も程遠いだろうに老朽戦艦でカイラスギリーに突入するというストーリーはベタに強行されるらしい・・・)を見て、正直、今回はあまり期待しないで借りてきたような気がします。TSUTAYAで手に取ったときにいちおうパッケージも見ますが、「なんだってぇー? ザンスカールの本国潜入ー!?」と、しばらく固まってしまったというのも本当の話。

 ・・・というわけで、かなり低い期待度で臨んだ第6巻でしたが、なんと!

 自分でも意外なほど、今回は楽しく見れましたヨ!(笑)

 これ、何て言えばいいのか難しいんですけど、「あ、この作品は、いわゆる“ガンダム”っていうイメージとは、レギュレーションを変えるのね」ということが、やっと呑みこめてきたと言いますか。レギュレーションってのはF1レースなんかで言うところの規則・規制ですが、ファーストガンダムから始まる「宇宙世紀」から地続きの物語は、どうしてもその世界観に縛られるところがあって、作り手の側も受け手の側も、双方がそういうお約束を自明のことだと思い込んでいる。それが目に見えない規制になっていると思うのです。
 そう考えてみると、ガンダムのレギュレーション変更の試みというのは、たぶんダブルゼータもそれだったのかもしれないんですけど、あのΖガンダムのラストからまったくの地続きで、考えてみれば無茶したもんですよねぇ。

 とにかくまずテレビアニメの原点に戻って、楽しいロボットアニメものにしたい。
 たとえば、主人公がなぜ13歳なのかといえば、それが最も見てもらいたい年齢層と重なるからです。同じ理由から、ストーリーもかなり主人公の”ウッソの目”を強調したつくりになっています。

Vガンダム製作段階(1993年2月8日)のインタビュー(ニュータイプ誌93年4月号より)・・・yasuakiの新批評空間

 第6巻の楽しさというのは、この感じだと思うんです。ガンダム“らしさ”の否定というのが、たぶんスタッフの間で共通理解できてきたんじゃないだろうか?
 前の第5巻でシャクティが敵側の手に渡るあたりの描写などでは、「ちょっと自棄?」という印象を持ったのですが、この巻の、例えばザンスカール本国の宮城に強行着陸してしまうVガンダムみたいな描写では、(こんなのはリアルっぽさを追求する世界観から見れば、ほぼ噴飯モノの荒唐無稽な展開ですが、)それを楽しんでアニメとして魅力的なものに描こうとしている気がしました。

 「とはいえ話は複雑でヘンなつくりなんですが・・ 」(富野監督)

 (笑)

ビューティフルドリーマーとは懐かしい・・・ 

[2006/07/27] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 たまには珍しく、時事ネタにも触れてみたいと思います。

 はじめに断っておかないといけないのは、最近大人気のアニメらしい『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は、わが住まいなす辺境の地では放映しておりませんで、(それでもこれだけネット界隈で騒がれているから気にはなるし、その気になれば見る方法もいくらもあるんでしょうが、)これまで積極的に「見たい」と私は思ったことがなかったということです。なので、ハルヒという作品は未見なんですが、それを踏まえた上で、ネット上でやり取りされているいろんな意見に対し、ちょっと思ったことを書き留めておきます。

 見たことがない作品について、いろんな人がアツク語り合っているのをウォッチングするのもけっこう面白いものです。『エヴァンゲリオン』以後、アニメオタクの周辺では誰もが話題を共有して語り合える基準作というものがなくて、それが激しく希求されている中で、「このハルヒこそがそれになり得る」「いやなり得ない」、そういう激論は、今日のアニメに人々が求めているものは何かというようなテーマを観察できるいい機会でした。(なまじ見てしまっていると自分の好き嫌いや思い入れが入るんですけど、幸か不幸か見てないおかげで、比較的それが少なかったりもします。)

Anisopter 惑星の人たちが語らなかったこと

 これは第二次惑星開発委員会 涼宮ハルヒの憂鬱 - 善良な市民×成馬01×キクチへの反論(?)として書かれているんですけど、いつものシニカルなオタク批判のパフォーマンスだよと言いながら、ネタとしてスルーせずにベタな言及をしてるのが興味深かったです。(私の書くものなどはスマートさのかけらもなく常にベタベタですから、「あ、世の中そういうものなのか」と感心さえしました。)

 このハルヒをめぐる話で私が面白いなあと思っているのが、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー(BD)」「エヴァンゲリオン」「ハルヒ」という三点セットで語られることが多いところで、私なんかはBDも直撃世代なんで、「へぇ~」と感じることが多々あります。
 エヴァを見て、ふに落ちなかったことが、いろんな語り部の口によってBDから語り起こして今日の状況までつなげてくれると、「あー、エヴァってそういう位置づけなんだ」とようやく分かってきたりとか。

 で、オタクは現実社会からアニメに逃走してると。大塚英志いわく、「エヴァはビルドゥングスロマンの不可能性を描ききった」のに、「エヴァンゲリオン」の結論からおたくたちは尚も逃走しているのだと。

僕がここで注目したいのは、彼らが大塚英志の身振りをどれほど反復しているように見えても、彼らがもはや「健全なビルドゥングスロマン」みたいなものをもはやポジティブには語ら(れ)ないということだ。その空虚さを埋めるかのように、彼らは今なおハルヒの物語に耽溺しているオタクたちを批判する。

 なるほどねぇ。「こんな日常はつまらない。自分は非日常的なロマンでないと充足できない」のだと無理矢理自分に言い聞かせているハルヒ(=オタク)というのは、実際には、「妥当な自己像に修正して素直になりさえすれば、非日常的なロマンなんてまったく必要としないタイプの人間なのだ。そしてそれは、決して不幸なことではない。」という善良な市民さんのまとめは、健全なビルドゥングスロマンをポジティブに語ってはいないと?
 ビルドゥングス=自己形成だから、多少シニカルな言い方ではあっても善良な市民さんは、まさしくそれについて語ってはいると私は思います。ただ私にとって引っかかる点があるとすれば、「妥当な自己像」「素直になりさえすれば」というのが、『星の鼓動は愛』のクロスレビューの時にはこの方が痛烈に批判していた、「安易な自己肯定と思考停止」とどう違うのかを、もう少し語って欲しかったというところです。

 それはさておき、この批判でとりわけ興味深かった視点は、次のところです。

僕たちがBD、エヴァ、ハルヒの物語に「あたる→シンジ→キョン」の「逃走→他者との出会い→歩み寄り」といった単純な主体の変容というまた別の「物語」を読み込んでしまうとき、押井守がなぜ「現実」への回帰を志向しつつ、即座にその試みを打ち消してしまうような反復を描かなくてはならなかったのかという問いかけが忘れさられてしまう。

 「押井守がなぜ」という問いかけへの解説も書かれてはいるのですが、オタク批判というアイロニーも分かる俺たち(=オタク共同体)という指摘だけでは結局、最初のBDで示された迷宮構造から抜け出る手がかりにはなっていないような。(結局われわれは巡り巡って、また「終わらない学園祭前夜」のふりだしにいるという再確認ですね。)
 考えなしに消費行動の享楽にふける「動物」であるか、それを批判する「シニシスト」であるかが「単にポジションの差にすぎない」という指摘も、BDのテーマの再確認としてですが、今日的な言い回しとして面白いもので、「僕たちはそろそろこのディスコミュニケーションを乗り越える言葉について考えはじめなくてはならない」というメッセージは共感できるものです。

 「メタ萌えもの」という長すぎた夏休みは「今、内部から自壊しはじめている」という善良な市民さんの結論をはじめに読んだときには、そうかなぁ、どうだろうかと思いながら読んだのですが、こういうメッセージが出てくるのだから、そうした兆しは確かにあるのだなぁと、ある意味感心しました。

 ところでこういう中にあって、私の立ち位置はどこなんだろうかと改めて考えてみると、なるべき時期に「おたく」になり損ねた私というのは、皆が現実から上手に逃走していたときに、逃げ遅れて現実につかまってしまった存在ってだけなのかもしれないなぁと。
 BDを、当時の私は大いに楽しんでみましたけど、私の学園祭は前夜を繰り返すことなく普通に始まってしまい、そしてたぶん、もう終わってしまいましたよ(笑)。
 だけど自分が思うようなビルドゥングは成し遂げられていないから、現実に追い回されながらも、相変わらずロマン(?)を求めてアニメ界隈をうろうろしているような気がします。なので、私にとっては「安易な自己肯定と思考停止」と批判されているもののほうが、気になってならないのかもしれないですね。

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うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
高橋留美子、 他 (2002/09/21)
東宝

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 久しぶりに見てみたいなぁ!
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