ある種のプロ論? 岡田斗司夫の『遺言』第五章 レポート感想
引き続き、低空飛行継続中です。今月下旬まではこんな感じ。どうにもこうにも。
期間限定とかいろいろあるんだけど、休めないし。もう基本あきらめる方向で。ちょこちょこっと空いた時間に気分転換であちこち覗いてみるのが精いっぱい。
きょうはこちらで紹介されていたリンク先「冒険野郎マクガイヤーの人生思うが侭ブログ版」を拝見。
「ふしぎの海のナディア」の話がメインで、ガイナックス好き、ナディア好きには美味しい話なんだろうと思いながら読んでましたが、私、あんまりナディアって得意じゃなかったんですよね。
日本アニメの黎明期ではなく、青春期に立ち会えたのは幸運だった。「俺達の熱い思いが伝われば、視聴率なんてどうでもいいぜ!」みたいな考えが受け入れられた。そして、アニメが生活の手段になる前に辞めることができた。
明け透けに好きなことを言うなぁ。ついつい富野監督の顔を思い浮かべながら読んでしまいました。
そもそも、一年間のTVシリーズのような長いアニメを作る時は、最初の段階から一年分の脚本が完成しているわけではない。視聴者やスポンサーや様々な人間の反応をみて軌道調整していくわけで、シリーズの終わりのほうになると、色々な要素がどう転がっていくか分からない。
だから、シリーズ開始前の初期設定の段階で、布石となるキャラクターを置く。例えば富野さんは「ガンダム」において、カイ・シデンやハヤト・コバヤシが最後はあそこまで転がっていくとはシリーズ開始前に予想していなかった筈。あたかも将棋を指すかのように登場人物をうまく配置した結果、意外なところで活きてきた。
これが僕達の世代のクリエーターは苦手である。一見無駄と思えるキャラを容易に配置できない。将棋に対するチェス型で、終わりに近づく程どんどん動かせるコマが少なくなっていく。キャラが使い捨てられていく。
でも、こういうことを率直に言えるのも、オタキングならでは。こういうキャラクター論はとてもよく分かります。
しかし、僕たち実際族の思いとは裏腹に、「ナディア」最終回はどんどんキャラクターショーになっていった。でもそれが面白い。庵野は予算的にも時間的にも不利な状況で、しかも「チェス型」のキャラ配置という理由から動かせるキャラが制限されていく中、よくこの最終回を作った。
こう分析されると、『ナディア』という作品のこと、自分が感じた内容が少し分かった気がしました。
以前は「言いたいことを言わなければ損だ」と思っていた。
それが、BSマンガ夜話なんかでちょくちょくTVに出るようになって、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」に変化してきた。
現在は「TVとは時間と季節を表すショーウィンドーである」と考えている。茶室の中にある花のようなもので、そうでなければあんなに黒くて大きな物体を部屋に置いておく必要はない。TVに出演するということは、その中のパーツの一つになりきるのが正しい。
大学で講義をするということも同様。アカデミズムとか良い授業をするとかが重要なのではなく、いかにも大学で講義していそうな人の顔をして、いかにも二十歳くらいの人の心に届きそうなことを言うのが重要。
これは、諦めているのではなく、「形から入る」という考え方に近い。そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。
今回、この記事を読ませてもらったことを書き留めておこうと思ったのはここの部分。
まあ「アニメが生活の手段になる前に辞めることができた」と言える人だから、こういう考え方になるんだろうし、「そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。」っていうのは、時代の空気の成り立ちについて的確な分析なんだろうなぁと感心もしました。
だけど、やっぱり違和感があるのは、そういうアニメの「青春期」が過ぎちゃったことは百も承知で、製作の現場に向き合い続けている人もいるのになぁという感覚です。なんか、ちょっと悔しいんですね。(笑)
求められる自分になりきって、対象世代の心にちゃんと届きそうなことを言いながら、なんとか「言いたいこと」を入れ込めるように、みんな苦労してるんじゃあないのかなぁと。
ただ、それが必死さが出ては駄目なんで、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」というところが、ある意味では現代のプロ論なんでしょうね。そこは納得。
『エウレカセブン』の劇場版が作られるのですか?
これからいいところ?とにかく間もなくまさに山場を迎えつつある38話というところで、諸般の事情により久しく視聴を中断中の『エウレカセブン』なのですが。
しまった。斜め読みとはいえ、つい読んでしまった!なるべく先入観を入れないようにしていたのに、・・・現時点でけっこう「なるほど」と感じる部分も記事の内容に多かったので、よけいに最後まで見終わってから読むべきでした。こんなのは完全に自己責任。反省!
どうも評価が割れている作品らしいことは、なんとなくですが理解してしまいました。もっとも、他の人がどう思っていようが、自分が見て面白ければ、基本それでいい人なので、だからどうということでもないのですが。
こういうときのための備忘録として自分の感想メモもたまには役に立ちます(笑)が、第10話まで見たところでは、正直この作品、個人的にはその先を見続けるかどうかぎりぎりのボーダーラインでした。2クール目終わりの26話の評判が圧倒的なようだけど、私は1クール目終わりの13話が面白かったので、続きを見ているという、そういう感じです。(好きなキャラクターはドミニク君かも。)
今ひとつ作品の作り手を信頼し切れていないところがあるので、最後まで決定的な感想は保留にしておきたい感じです。『ゼーガペイン』みたいに、予想以上、尻上がりに大好きになる作品もこれまでにはあったし。
とにかく、いつ劇場公開されるのか知りませんが、それまでにはちゃんと見終わっておかねば、ということですね、はい。しかし、少しタイミングを置いて劇場版が製作されるというのは、新訳Zとか、エヴァンゲリオン新劇場版みたいに、再構築される要素があるっていうことなんでしょうか。・・・少しタイミングを置いて、になるんですかね。実はそのへん(ライブではいつオンエアされた作品だったか)さえ、曖昧だったりするいい加減な視聴者だったりします。
今日かろうじて見てまわったあれこれ。
今日は『Darker than Black』をGyaOで見ようと思ったんですが、アーバンから主題歌までは見ることができてもコマーシャルの途中でにっちもさっちも動かなくなること十数度。ひどい状況だなー、うちの接続環境は・・・。何とかしたくても、休みも取れないし、こう毎日帰りが遅いのでは何ともかんとも。(DVDドライブのぶっ壊れた問題も放置中・・・。)
こう状況が悪いと、定時巡回にまでも支障が生じて、ブクマしようとすると、いつの間にかログアウトしちゃってること、これまた十数度。いやはや。
ろくに見てまわることもできませんでしたけど、グダちんさんのイデオンの感想が佳境に入ってきたので楽しく読ませていただきました。『機動戦士ガンダム』の次は、イデオンを見たいと思っている今日この頃。(しかしDVDドライブ何とかしなくちゃなー)
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!
コスモは自我を破壊されつづけてないか?碇シンジってレベルじゃねーゾ!
設定が見たいんじゃなくって、設定を受け止めるキャラクターたちが見たいんだからな。
前にも書きましたけど、テレビ版って相当忘れちゃってるんですよねー。すっごく見たい!
そのほか、目に止まったところをいくつか。
こういうの好きだなー(笑)。古い世代でごめんなさい。
- 「ライトなオタク」とは、最早一般のファンのことを指しているのではないか
- 「ライトなオタク」(=普通のファン)は増えている
- それは、オタク像そのものが形骸化し、ファッション化した結果
私はライトオタっていうより、「普通のファン」だと自分のことを思ってますけどねー。みんなそんなにオタクが好きなんですかねぇ。
ブログというのは「人と人」であり、人というのはおもしろいものなのだ。
これ、いろいろと共感しました。出張から帰ってきても、こんな有様ですが。(そういえば来週もまた出張があるのでした。読書できるのはありがたいのですが。)
しかし、まったく寝る間も惜しんで、我々は何をいったいやっているんでしょうかねー(笑)。











